2022年08月16日

祖霊供養と人混み回避、読書と歴史を直視する静かな盆


コロナが身の回りにあふれたことが実感できる。身辺や仕事先、近所の店の長期臨時休業でうかがい知ることができる。仕事で打ち合わせをキャンセルした人がいた。この人は3回ワクチンを接種していて感染症対策も知っている人だった。それが1週間ぐらいして電話があり、感染していたとの連絡。どこで感染したか見当が付かないそうだ。

コロナは生命の危機に直結する感染症でインフルエンザとは異なるというのが医療関係者の共通の見解である。人が密集すれば野外といえでも飛沫感染の怖れがあるので阿波おどりもよさこいもやらないほうがよいが、どうしてもやるというのなら観客なしが前提だろう。
踊り子は不織布マスクを付け、かけ声なし、笛などの吹奏楽器は離れたところからのPAも視野に。野外であればこれで感染の危険度は下がる。踊り手も仕事や家庭での立場、状況を顧みれば何が大切かはわかっているはず。

その一方で阿波おどりを心待ちにしている人のために動画配信(ライブ)を有償で行い、その収益に行政が開催費用相当を上乗せして観光関連の宿泊施設、飲食店、交通機関などに分配するという案もある。来年はそのような開催方法も含めて検討してほしい。

ぼくは決して悲観していないが、これまでのCOVID-19の動向を見ていると、ワクチン接種率や集団免疫の獲得よりも変異の速度が速い。時間の経過とともに感染症はむしろ悪化しているように見える。公衆衛生の意識がある日本で世界の感染者の2割を占めている(世界人口70億人に対し1億人なのに)。ある意味ではイベント開催どころか非常事態宣言が出されてもおかしくないと思うのだが。

もっとも留意すべきは空気感染対策、ずばりいえばマスク装着である。マスクを付けると体調が悪化するという人もいるが、感染はもっと怖い。後遺症がどれだけ残存するかは誰にもわからない。1位マスク、1位換気、3,4はないという対策順位。身近なところで付け加えるとしたらスーパーで買い物したら品物を家で洗っていますか?(紙パッケージもふやけるけれど洗えないことはない)。

連日、終戦記念日を迎えて戦争のドキュメンタリーをNHKで放映している。ガダルカナル、インパールを振り返るたびに大本営と軍の上層部に強い憤りを覚える。牟田口中将に至っては晩年になってイギリスの元中佐との手紙のやりとりで、敵から作戦を評価してもらえたとの思い込みで作戦を正当化している。一方で大本営は作戦の責任を否定するなど責任の所在があいまいで上の命令に服従という論理で玉砕していく。情報収集や情報セキュリティを高めることなく相手を過小評価、地形や兵站を検討することなく多くの兵隊、現地の民間人、相手兵士も含めて死に追いやった事実は消えない。

広い視野を持てない井の中の蛙、上から発表されたものを疑いもせず鵜呑みにする危険は、いまの自公政権が支持される状況と変わらない。おかしいこと、間違っていることに蓋をして国民に見せないようにしていることは戦前と変わらないではないか。
読書では、赤木雅子さんの「私は真実が知りたい」を一気に読んだ。恨みつらみだけでない、相手への思いやりも感じられ、どこかで自分を客観的に見つめながら、悩みながらも前へ進める意志は夫のため、夫と同じような境遇を作り出さないための祈りであると感じた。

今年の盆は、歴史を静かに振り返りつつ、いま起こっていることを見つめながら、夜は空を眺め、昼は人混みには行かず、先祖の霊をなぐさめる数日であった。

菩提寺の盂蘭盆会は今年も感染症によって中止となった。それで良いと思う。代わって御札をお送りいただいた。仏壇と墓を清掃し、御札を祀りつつ祖霊を迎えたので読経する。

開経偈
般若心経
観音経(偈)
十三仏真言
光明真言
大師宝号
祈願文
回向

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父をはじめ身近な祖先のみならず、過去の戦争、いまの戦争にも思いを馳せつつ過ごす盆。

posted by 平井 吉信 at 00:17| Comment(0) | 生きる
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