2022年07月09日

そんなことではなく


テレビを見た。
これはいかん、これをやったらあかん。
(政治信条とは関係ない突発的な犯罪とは思うが)

右とか左とか、心情とか宗教とかは関係ない。
(むしろ弊害でしかない)
虚心坦懐にあるべき国の姿を描くとき
政党やイデオロギーは要らない。
それらは実現するための手段や記号に過ぎない。

正しいと信じることをやり抜くとき代償を払うことがある。
1週間に車のタイヤが4度パンクしたこともあれば
やくざの事務所に呼び出されたこともある。
(そんな脅しには屈しない人間であることはブログを読んでいただくとおわかりになると思う)
なぜならそこに個人の利害得失などなく
多くの人々の幸福を願う気持ちだけだったから。

めざす世界は違っていてもあの人はあの人なりに自分の道を進んだ。
政策が批判されても人格を否定されることは決してない。
ましてや暴力など…。

同時に違う世界に旅立つ人が禊ぎのごとく神格化されるのも違う。
やはり格差と貧困をつくりだした政策は総括されなければならない。

民主主義への挑戦だ、言論の自由への冒涜だ、などのコメントはそのとおりなのだけど
それなら、いまからでも国会を民主主義の発露たる議論の場にしてほしい。

野党の質問に真摯に向かい合うことなく
適当にあしらっておけとの態度。
自身への批判や反対意見は力で封じ込め、虚偽を強要し
挙げ句の果てには自殺者も出た。

誰か一人を責めているのではない。
与党による国会運営のありかたが民主主義を否定していたのだ。

力と暴力で封じ込める社会と訣別するためにも
私たちは政治に無関心でいてはならないのだ。
異なる意見であっても耳を傾け、良い国(国民の暮らし)をつくるために議論を続けよう。

衷心より御霊の安らかならんことをお祈りいたします。
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posted by 平井 吉信 at 12:13| Comment(0) | 生きる
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