ウクライナ侵攻後に大統領の支持率は上がり、侵攻も支持されているようだ。政治に無関心になると事実を直視しなくなり、当局が住民を飼い慣らすための情報をぱくぱく食べて脳で定説化してしまう。考えるのは面倒で考えないのは楽だから。
心あるロシア人は祖国の状況に心を痛めている。国外のロシア人は事態が見えているが、国内に残る親族に現実を話しても信じようとしない(思考停止)。当局のプロパガンダは大成功のようだ。
日本は平和だ、戦争は起こらないし言論の自由も確保されている。果たしてそうだろうか?
ネジを30年前に巻き戻すと世界2位の経済大国がそこにはあった。時価総額で評価すると世界のベスト10に日本の企業が7社名を連ねていた(いまやベスト30にかろうじて1社残っているだけだ)。金利は高く、郵便局に100万円預ければ10年後にはほぼ200万円となって戻ってきた。ぼくも1年で7%の利回りの元本保証の金融商品で運用していた。
学生たちは円高で卒業旅行へ出かけていた。ぼくの友人たちも大学を出てもすぐに就職せず、インドを放浪したり京都でアルバイトをしたり職人の道をめざしたりとそれぞれがやりたいことをやっていた。将来に不安はなく、青春という時間を有意義に過ごすことに専念できていた。ぼくもワーゲンゴルフの新車を現金で買って山や川へ出かけ、たまにはミノルタのX700とバックパックで東北や屋久島、信州の山々を10日ぐらいかけて巡ったし南太平洋の無人島などで一ヶ月暮らしてみたこともあった。
クリスマスには赤坂プリンスホテルを予約する若者たちも少なくなかった。音楽は予算をかけても売れた。アナログとデジタルの橋渡しの時期でもあった。
あれから30年、いまの日本はどうなったか?
コロナの影響がなければ東南アジアからの旅行者で溢れていたことだろう。日本は物価が安いから旅行をしても愉しいという。逆に日本人がアメリカへ行ってラーメン1杯3千円? 年収1千万円でも生活保護などの事実を知ると愕然とした。この30年で発展を続けた日本以外の国と、所得が下がり続けた日本との格差が広がった。
格差は日本人同士でも広がった。ぼくの子どもの頃は近所に7軒の八百屋があったが子どものいる世帯では大学に進学ができていた。映画館は近所に2つ、高層ビルに専門書を並べた書店も2つ、近所の駅からは高松、松山、高知へ直通の10数両を連ねた列車が走っていた。
何が間違ったのか? 誰がこんな国にした?
この30年政権を持っていた政党はどこで、どのような政策を行ったかを振り返ってみてほしい。
しつこいぐらいに書いているけれどぼくは不偏不党の人間で、たとえ家族が政治家に立候補しても能力なしとみなせば投票しない、という人間である。
国民が貧しくなったのはこんな例えでわかる。我が国に10人の国民がいました。1人ずつ年収1千万円で国の経済力は合計1億円です。これに対し、同じ1億円の経済力でも1人が9千万円を持ち、残りの10人はそれぞれ100万円ずつ、となると購買力は後者が落ちる。年収100万円での生活は購買力が限られるし、年収9千万円でも使うものは所得の差ほどはない。そして年収9千万円の人間もこの国でビジネスを行う限り将来性がないことはわかる。問題なのは貧困の質が諸外国と異なること。普通の人が普通に暮らしを営んで(=仕事をして)貧困になる(貧困状態から抜け出せない)ことが大問題だ。
なにより親ガチャ、どの親に産まれたかで一生が決まってしまうような社会って良くないでしょう。お金を借りて人並みになれても負債を背負ってのハンディスタート。だから政策は時計を逆に戻すような考え方で良いと思う。
所得税…累進性を強める。金持ちからむしり取るという貧しい考え方ではなく、所得の多い人はそれだけ納税で社会に貢献できるすばらしさ(尊敬される)。現実は、所得の低い人ほどすべての税金やら保険やらの負担率は金持ちより高くなっているのが事実。いまや低所得者層への課税強化となっている。インボイスもそう。軽減税率はインボイスとセットで結局は弱者いじめのかたちを変えたもの。格差の拡大は内需を縮小させ、消費を減退させ、国外へ企業が脱出して投資も技術も空洞化した。格差の是正に取り組むことは幸福への前提条件を整えることにもつながる。その逆を是正することなく弱者の切り捨てを継続する限り、大企業も沈没してしまう。
消費税…撤廃しても社会の混乱は起こらないし買い控えも起こらない(8月から撤廃となったところで食品などは買うし贅沢品は8月以降我慢していたものを買うようになるよね)。つまり内需を高めるのに給付金やら商品券やらプレミアムなんとかは間接費(事務局経費)がかかるしなにより買えない人、該当しない人は不公平。消費税の軽減とは、年間300万円をスーパーで使っていた人は、買い物のたびに節約できて年間で約28万円の給付をもらったことに等しくなる。これがさらに消費に回ると国内企業も売上が増える。新たな取り組みで海外展開やオンラインなどの展開もできるようになるかもしれないし、給与も上げられるだろう。消費税をなくしたら社会保障が犠牲になるのではなく、その財源を法人税の減税に充てたというのが実情。だから消費税は年金の支給率とは無関係。あくまで政策の意思決定によるもの。
ベーシックインカム…社会実験としてまず導入してみる。積極的に30年で溜まった社会の歪みを政策的に是正する必要がある。安心して暮らしていける環境があればこそ未来を考えたり教育を受けたいと思えるでしょ。
補助金…原則として撤廃。ほとんどの補助金は課題の解決に役だっておらず成果につながっていないのは現場を洞察しての感想。補助率が1/2、2/3などと自己資金の投下が減少するのでリスクは減少するが、その前に解決すべき課題は何か? その解決に最善の方策は何か?の吟味なく補助金があるから使ってしまう。結果は効果がない。国も事業者も使わなくて良いお金を使ってしまっているというのが実態。それよりも事業継続力強化計画の推進や伴走型支援のような本質的な施策が経済産業省からも出るようになった。この自走化をサポートする方針こそ経済政策の王道。
憲法…生態系保全や多様な生き方を認めること、権力の暴走をより明確に抑えるように改憲する。現在の憲法は九条の是非というよりも時代にそぐわない部分や権力者の勝手な解釈の余地を残している点に改善の方向性がある。よりより政策を求めて合議することなく独裁で突っ走った安倍政権のような事態を招かないためにも改憲が望ましい。
軍事力…自衛隊はもちろん合法だが、沖縄の基地を縮小して本土が沖縄を守る態勢を強化。基地の跡地は所有者に返還した後、東アジアの経済や金融のセンターとしての機能を担うために再開発を行うなども選択肢。つまり沖縄をゲートウェイとして近隣諸国とかけがえのない存在になることで外交による安全保障力を高めることにつながる。自然破壊のないソフトな沖縄振興にも貢献する。場合によっては自衛隊の機能を強化するも不戦の誓いはさらに強固に。核拡散防止条約へも署名。
エネルギー政策…災害多発する国土では小規模分散型の再生可能エネルギー発電の推進が合理的かつ効果的(その最小単位は家庭で太陽光発電して蓄電することで送電ロスなどがなくなる)。エネルギーコストの高い原子力は徐々に廃止。ただし技術者への厚遇も不可欠。
科学分野…大学は基礎研究などが心置きなく行えるよう予算配分を是正。目先の収益を追いかけると科学技術力が中長期で低迷。それが経済の尻すぼみにもつながる。
農業…食糧の自給率の向上のため、生産者の暮らしが成り立つようにするため直接所得保証を充実。経済合理性だけでは米をつくるのも困難である。ところが農業には生態系保全や水資源の管理など多面的な役割と価値があり、自民党が考えるような大規模化(生産者の集約)では解決しないというのが農業の現場で長年真摯に取り組んでいる人たちの共通の認識(願い)。高齢化と耕作放棄地の増大にもう時間は残されていない。
教育…無償化は子どもたちを等しい出発点に立たせてあげるため。夫婦別姓がダメなんて時代錯誤。なりたい自分になれるけれど、社会のなかで役割を担いつつ生きていける環境をつくろう。
個々の政策はこれが最良というわけではなく、あくまで例示に過ぎない。もっとも大切なことは国民の幸福を実現することを最上段の目標とすること(特定の政党とは無関係)。
幸福とは、一人ひとりがなりたい人生、やってみたいことを望めばやれる社会となること。平凡であっても青い鳥が身近に感じられる社会ですよ。そのことを実現するための政策を有機的に統合しブレイクダウンしていくと上記のようになるのではないかと。
今回の選挙での留意点は、いまの時代に陥った日本でこれまで行っていた方向性が間違っていることに気付いてそれをよかったときの政策に戻していくこと。一部では脱炭素やエネルギー確保、食糧安保などとの整合性を取りながら進めていくということ。
選択すべき政党はそれぞれの胸のなかにあるとしても、選択してはいけない政治勢力はどこかは明らか。普通に暮らしている大多数の国民が生活が苦しい(貧困)であるとしたら、自助努力が足りないのではなく政治が悪い(そして政治に委ねて現実を見ようとしない人たちも)ということに気付いてほしい。
しかも次の国政選挙まで3年。この間にさらなる増税(消費税率が19%まで引き上げの可能性あり。インボイス制度はまもなく)で普通の国民の暮らしは壊滅状態となる。国民の大多数が幸福になる権利がない国など何の価値もない。誰のためではなく自分の利益のためでもなく国民の幸福のための選択として、いま行動しないと将来はないことを今回の選挙ほど感じることはない。
追記
マスコミの分析は与党が議席を伸ばすとのこと。与党も野党もなく、あるべき国の姿をめざしてやっていかなければならないというのに。
政治の堕落もそうだが、それを見ようとしない国民を思うとき絶望しかない。勇気を持って発言する識者もいるが、安倍管政権ではそのような専門家、ジャーナリストを露骨に干してきた。
都合の悪いことにこそ耳を傾け、その意見を採り入れていく卓見と気概がある与党の政治家はいないのか。与党と野党で理想の国づくりに向けて大連立を組めないのか。
野党が勢力争いをしたことがどうなるかについて、今回低迷するであろう政党は考えてほしい。
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