2022年04月09日

このみちはいつか来たみち 金磯弁財天(小松島市)


小松島港と京阪神が結ばれていた頃、ゆとりのある人たちは海を渡って小松島の横須松原(横須海水浴場)まで遊びに来ていた。おそらくハイカラな水着を着たモボ、モガなどといわれていた人たちだったという(モダンボーイ、モダンガール―戦前の話ですよ)。

横須松原は高度経済成長で水質が悪化していたが、ぼくが子どもの頃はなんとか泳げた。
どこまで行っても背が立つ遠浅の海だった。身体が冷えると海の家で飴湯をすすった記憶がある。
しかし次第に急深となっていき、水質悪化もあってオイルショックの頃に海水浴場は閉鎖された。

横須海岸の西には競輪場、さらには神田瀬川河口(旧港)があり、海岸の東には金磯弁財天、赤石埠頭がある。弁天さんは景勝地として知られており、遠方からも観光に集まってきたという。

金磯地区は江戸時代に豪農多田家が拓いた金磯新田を中心に栄えた土地である。幕末には多田家は私財を投げ打って弁天山に砲台を築いて徳島藩に寄贈した。しかし昭和21年の南海大地震で金磯新田は地盤沈下が著しく海没したという。
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いまでも周辺を散策すれば立派な家屋が建ち並ぶ。なかでも多田家は石垣を備えた見事な敷地と建物である

国道から1本入るだけで海沿いの静かな住宅地となる。ぼくは道ばたのスミレ(スミレ、ノジスミレ)を見かけて驚喜する。それにしてもアスファルトの隙間をわざわざ選んで…といいたくなるが、種子を運ぶアリの仕業かもしれない。スミレにとっても日当たりを独占できて悪くないのかもしれない。誰も目を留める人がいないのでぼくがしゃがんで撮影していると道行く人が立ち止まって何を撮っているか覗き込むありさま。
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横須の松原といわれた景勝地にはいまも松が残っている。海沿いの散策路はクルマは入れないが自転車と人の憩いの道となっており休憩場所も設けられている。
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かつての白砂青松の面影はないが、春の時期は水の透明度があって打ち寄せる水は青い。
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松原の一角に石碑があり、1999年に松を植樹したとある。確かこの頃小松島高校の教頭をされていた泉先生がわが家へお尋ねになり植樹について意見交換を行った記憶がある。
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弁天山が近く見えてきた
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弁財天神社の境内に入る前に海へ下りる小径を辿れば岩窟の空洞を抜けて海へと出られる。
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周囲の岩はきめ細かな地層が褶曲しているように見える(タモリさん、これはなんですか?)
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弁天山の手前で休憩している男性がいた。古いわが家の修理をていねいにやっていただいている工務店の社長さんだ。創業の地がこの近くでここに来ると落ち着くんです、とおっしゃった。ていねいな工事、気配り、社員を育てる人間味ある社風は伸びていく企業と思う(家のリフォームなどをお考えの方、紹介しますよ)。

弁天さんの境内には桜の花吹雪が舞っていた
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弁財天の由来は艶っぽい。
空海が恩山寺で修行中に海上に龍の住処とされるゆらめく火を見た。
(当時は恩山寺の周辺まで海が入ってきており金磯は数キロ先の干潟の海に浮かぶ小島という趣と考えられる)
そこで船に乗って龍燈があやしく輝く島に上陸すると梅の香りが立ちこめ、人間に鳥の羽を付けた迦陵頻伽が飛び交うなかで海の守護を司る女神(弁財天)がいた。空海と語り合い夜明けとともに白龍となって消えた。空海はこの地で弁財天を祀った。やがて仏堂が建てられ紀伊水道の守護する神となった。

あこうの巨木が有名
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境内の片隅に生活感があふれているのがおもしろい
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モアイ像のような石像が点在する
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このみちはどこへ続いていくんだろう(今回は道・径・途がテーマ)
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散策路ぞいの野バラ、初夏にみごとな群落となるだろうツユクサ
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みちの果ては渚。目の前に松島のミニチュアの光景があった
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上の画像の真ん中のあたりを拡大するとポストのような構造物が見える
(35o相当の広角レンズからの拡大だがXF23mmF1.4 Rの解像力が高いのでフルサイズは要らないなと思う。Web用に縮小する前の画像からはポストが東に穴が空いていること、周囲の岩にウミウが9羽並んでいるのがわかる。波打ち際の貝も数えられる。数えたくはないが)
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島々を見ながら高度を上げる。弁天山の山頂に続いているようだ。
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山頂にはお堂がある。そこに祀られている石像は仏様のようには見えない。もしかして兵隊かも(太平洋戦争の戦勝祈願? 自分の目で確かめてみては?)
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幕末に多田家が築いた砲台があったのはここかもしれない
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このみちはどこに続いていくんだろう→ 境内に続いていた
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この道は家に帰るみち
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金磯弁財天は郷土の歴史に還るみち
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posted by 平井 吉信 at 18:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草
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