2022年03月24日

何が正しいかを考えるのではなく


いまの時代にほんとうに必要な生き方というか社会のあり方を最小限の言葉で表すとしたら
「失敗を経験してそこから学ぶこと」「多様な価値観を認めること」。
その大切さは生態系を観ていてわかること。
資本主義でも共産主義でもなければ、それらを否定する独裁主義でもない。
(いまはどの国でもそのようなリーダーを待望する声が少なくないのだろうが)
ヒーローや救世主は要らない、ヒーローや救世主に頼らない、一人ひとりが主役の社会。
日本がこの30年できなかったこと。世界の国々ではそれと反対の方向へ動いていること。

多様な価値観を許さず、あるべき姿と反対のことをやり続けてきた安倍政権。
経済政策の失敗は数字に明らかだがその数字すら改ざんして隠蔽する。
プーチン大統領にすり寄ってあしらわれてしまった。
(プ氏から見ればあ氏は同類の匂いを嗅ぎつつも与しやすかっただろう)

これらに共通するのは、単一の価値観で覆い尽くす社会を理想とすること。自らの権力基盤に陶酔して当たり前の社会が見えなくなっていること。
おそらくこの犯罪(侵略)はロシア政府の敗北に終わり、プ政権も長くはもたない。

危険を顧みず意見する人々を意のままにならぬと社会から抹殺する(これは日本でも近年に行われていた)、どんな不祥事も開き直る、住民の意見を聴かず気まぐれと独断で意思決定を行い市民からノーを突きつけられる、…残念ながら身近なところにも聴く耳を持たない帝王がはびこっている。

ウクライナ人もロシア人も犠牲にしてはならない。何人たりとも平和でいられる権利がある、幸福を求める権利がある。
3月5日の投稿は現時点でも最善と考えている)。

ウクライナの人々の勇気が独裁者の夢から醒めない世界各国の人々に本質を見よと投げかけている。
資本主義でも共産主義でも独裁主義でもない別の道があることを(この三者に共通するのは住民の幸福を犠牲にしつつ国家の枠組みを悪用して非人道的かつ合法的に私腹を肥やす利権が跋扈すること)。手が届くところに未来があることに気付けと。

身近なもの、例えば食べることなどはできるだけ小さな場所で循環させる(食糧は地元や自国で調達)。文化や価値観もそう。そして人類の幸福につながる発明や道具は自由な交易で世界中の人がその恩恵にあずかれること。二酸化炭素排出抑制についても現在の枠組みや思考の外にまだまだ解決策があるかもしれない(例えばEVの普及がCO2削減につながるとの思い込みからは別の解決法は出てこないだろう)。

先日、NHKの番組配信を見るともなく見ていたら、先人の知恵で縄文時代に学ぶ趣向の番組があり、ゲストに知人が出ていた。でも彼女の発言でひとつ気になることがあった。SDGsにかけて有機野菜などを食べることを説いていた。でもそれをやると食糧の生産性や自給率が低下したり所得の低い人が満足な栄養を摂取できなくなりはしないかと疑問に思った。もちろん多国籍企業が喧伝する安全性が怪しい化学物質を使えというのは断じて違うけれど正解は有機栽培だけではないことも事実。

一見良いことのようでも単一的なものの見方から漏れていく大切なことがある。SDGsをひとことでいえば多様性(生態系)を尊重することをモノサシとしながら生物とその共有財産である地球の幸福とは何かを考えて実践することではないかと思える。

ロシア政府の蛮行はウクライナにとって過酷な試練だけれど、この惨事(失敗)から世界が学べることは大きい、学ばなければ。そしてこのことがきっかけとなって、自由で思いやりがあり多様性を尊重する社会をつくろうとする人々が世界に広がることを願っている。
DSC_3311-ukl.jpg
(写真は勝浦町横瀬立川のひまわり畑で撮影したものをイメージ化。ウクライナ国旗の青と空の色はCMYKで合わせている。でもこのひまわり畑はいまは存在しない)
タグ:政治経済
posted by 平井 吉信 at 23:32| Comment(0) | 生きる
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