2022年01月09日

年末年始の神社訪問

人が集まるのを避けるために年末、夕暮れ近く、場所によっては午前中などと神社ごとに特性を考慮して訪問すれば密集は避けられる。

そして御札を求めて神々の弥栄をお祈り申し上げる。
若い頃から個人の願い事はしていない。
それらは自分の力で切り拓いていくものだから。

大麻比古神社(鳴門市)
阿波の一宮として。
DSFT9952-1.jpg

DSCF4068.jpg

DSFT9915-1.jpg

DSFT9926-1.jpg

八幡神社(小松島市)
産土の神様として。
DSFT0006.jpg

DSCF4301.jpg

DSFT0021.jpg

天石門別八倉比売神社(徳島市)
少し古代に思いをはせつつ。
DSFT0027-1.jpg

事代主神社(鳴門市)
みなさまのご商売が繁盛するように。
DSFT0076.jpg

近隣の商店街のシャッターに描かれた絵 いまにも動き出しそうな生身感
DSCF4570.jpg

商店街から入った路地の片隅に昭和の時代の喫茶店
DSCF4057.jpg

DSCF4049-1.jpg


余談
NHKの大河ドラマで近代が出ると視聴率が低迷する傾向があるようだ。
かといっていつまでも戦国時代とか江戸時代ばかりでもおもしろくない。
時代考証から離れて卑弥呼などはどうだろう?

九州の北部で生まれた少女が神がかりて人々の信望を集め
争いの絶えない国々をまとめる象徴として位置づけられていく。
そうして中国地方、山陰地方(出雲)と出会いつつ、畿内に入って大和に定着する。
各地の有力者たちとの関係性を描きつつ、執政を補佐する弟、後継者選びと教育、
来るべく王朝を予感しながら卑弥呼が大和盆地を見下ろしつつ番組を終えるという筋書き。
(邪馬台国が国のかたちを調えながら九州から畿内へと移動発展していくことで邪馬台国の比定は問題なくなる)

言語はときどき縄文語と古代やまとことばを散りばめながら(番組テロップで翻訳)
脚本家の創造で世界を遠くへ飛翔させてみる。
卑弥呼を誰に配役するか? ぼくは無名の新人が良いと思う。
極力人間的な演技に走らないほうがよく、そのかわり佇まいや立ち居振る舞いを重視してオーディションを行えば良いと思う。
posted by 平井 吉信 at 22:36| Comment(0) | 徳島
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。