いつもなら菩提寺もしくは菩提寺から派遣された別の寺のご住職に回向していただけるのだが、前年度からはそれもなくなった。菩提寺の営みも大変だろうと推察。
デルタ株(SARS-CoV-2 Delta variant)の出現は別の位相に入ったと感じる。
これまでは副反応でワクチン接種を避けていた人たちが次々と向かうと予想される。
ワクチン接種後も感染は止まらないというのは各国で起きていることだし
専門家も誰一人マスクを取って出歩いても構わないとは言わない。
むしろワクチン接種の有無を問わず従来以上に感染対策を強化すべきとのこと。
ワクチン接種を行わないという人は身の回りに少なくないのだが
根拠のない情報に惑わされていたり、外界と接触を断つほどの覚悟はない人たちには接種を行うことを強く奨めている。ぼくももちろん接種は行う。
副反応のリスクはあっても義務化しないとならない段階に入ったと感じる。
何度もその根拠を書いているように根源の原因がなくなることはないので
COVID-19は終息しないと考えている。
いやCOVID-19は数十年で終息するかもしれないが
別の感染症が入れ替わり立ち替わり跋扈する。
そして温暖化によって劇的な気象が頻発するようになった。
そのことがさらに感染症の引き金を引くという悪循環に陥る。
マスクとアルコールは財布やケータイ電話以上に不可欠の携行品となっている現実を直視しようとせず
マスクをはずして生活する人や温暖化は存在しないと主張する勢力がある限り、どうすることもできない。
デルタ株が出現したということは飲食店が経営を続けるのが困難な段階に入ったことを意味する。
かつて飲食店へ行くのはハレの日の喜ばしい家族のできごとであったが
いまでは感染を覚悟に(感染後の行動も想定に入れて)入店する―それぐらいのリスクを感じるほどになっている。
もちろん対策はあるし(別のブログに書いている)
その費用も現実的な金額に収まるのだが
ぼくが考える感染対策を実際に実行に移されている店舗は少ない。
やらなくても良い対策(イオンの発生装置やらコーティングやら)を実行されているのに
やらなければならない肝心要の対策(空気感染)が行われていないことが多い。
(接触感染やら飛沫感染はマスクとアルコールを携帯していれば自分で防げるのだ)
仮に感染対策ができていたとしても
大半の店ができていない現状では来店客は見分けが付かないのでやはり足が向かない。
その意味で自店のみ対策ができていてもどうしようもない。
盂蘭盆会を迎えて手を合わせているのは祖父や祖母、さらに遡った祖霊のため、もっとも近いところでは父のため。
さらに大好きだった川で水難事故で亡くなった叔父や親しい人。
日航機の墜落事故に遭遇した同級生。
今年に入ってからコロナで亡くなった親しい知人も含めている。
究極的には過去から現在までの生きとし生けるものすべてに。
それなのに、好きな食べ物をつくったり買いに行っては食べ物を食べ、
家族や親族に情報を提供したり暮らしの支援を行ったり
部屋の掃除を行いクルマやカメラやらパソコンを調整しつつ(このブログもそうだが)、
仕事も遊びも愉しみながら生きている。
けれどそれは紙一重。
生きていることと死んでいることが隣り合わせの日常を観じている。
いつものように読経を行う。
開経偈から般若心経、観音経(普門品第二十五偈)、十三仏真言、光明真言、南無大師遍照金剛と続いて各霊菩提、先祖代々を回向する。
自らの声が遠く響いて自分の声を別の自分が聴いている感覚を覚える。
般若心経のいくつかの単語が無限に繰り返すような。無限界 無意識界…
(でも般若心経は釈迦の教えとは違う)

朝の静けさを打ち破るりんの音と空気を打ち振るわす声が盂蘭盆会の時間を満たしていく。
この時代を受け容れて生きていく。
タグ:盂蘭盆会
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