1997年と98年には関係者の努力によってプロサーフィン世界選手権大会が海部郡と接する高知県東洋町の生見海岸で開かれ、国内外から多数の参加者と観客がこの地域を訪れた。生見海岸は四国東南部の白眉とも言えるサーフィンの聖地で、雄大な太平洋に広々と展開するスポット、あめ色のやわらかな砂浜が訪れる人を和ませる。そしておだやかな雰囲気の海沿いの民宿が点在し、ビジターを歓迎する駐車場などが完備されている。
1999年には、この地域の海(波)とミネラル豊富な川(山)の魅力を活かした地域づくりを提案して「南阿波海部の新しい波〜エコツーリズムによる地域づくり」を表した(国立国会図書館、県立図書館蔵書)。
2007年には、この地域の魅力を括るコンセプトとして「南阿波アウトドア道場」と定義してコンセプトづくりとコース設定を行った。
このとき制作に携わったのは、自身がサーファーで県観光施策や地域活性化のスペシャリスト(現在は県の幹部)の新居徹也さん、海部郡在住で海部を隅々まで知り尽くしている大下尚さんらがチームとなった。
それを徳島県南部総合県民局の美馬局長(当時の県事務方トップ)が熱意を持って見守っていただいているという奇跡の構図から生み出された。南阿波アウトドア道場は第4版に進化して以下のWebサイトからPDFを閲覧できる。
https://www.awanavi.jp/uploaded/attachment/20118.pdf
(こちらはぼくが監修を行った初版から)

現代人は目的を持って生活することを強要されています。社会に出れば、目標(成果指標)設定を行い、その達成度に応じて評価されます。失敗しないためにhow to 本を読み、安全なレールを選んで歩こうとする、そのことがまた新たなストレスを生み出します。
こうした生活から離れた生活場面を求める人たちは癒しを求めています。ところが求めていたはずの癒しも本質的な解決にはつながらないかもしれません。「もしかして、現実逃避かも…」。ただ心地よいだけでは魂のやすらぎは得られないことに気付き始めています。
無目的に、無条件に我を忘れて打ち込む瞬間。岡本太郎はそれを「爆発」と看破し、瀬戸内寂聴は「切に生きる」と表現しました。マラソンでも登山でもサーフィンでも水泳でもそうですが、夢中になって挑んでいるうち恍惚の至福感を感じることがあります。
波に乗るときもシーカヤックに乗るときも、健康のため、金儲けのため、生活のためなどではない、いわば無目的。
ぽっかりと地球にひとり。あるのはただ自然と己だけ。やがて自我さえも消えて生命が輝く感覚。真の癒しは、力の限り挑戦し、苦悩に立ち向かった人にだけ訪れます。
ただ好きだからやっている、特に理由はないけどやっている。だからかっこいい。だから楽しい?。そんな野外生活の提案をしてみたかったのです。
もうやめようと何度も思いました。
身体の限界を感じながら、
あと一歩、あと少しと歯を食いしばり、
ぼろぼろになりながらもやり遂げたこと。
海、山、川から勇気をもらい、
「また明日から生きていける!」
世界的な波とも評される海部ポイントや生見海岸では、一年を通して波と戯れるサーファーの姿が絶えることはない。

この日は通称「大ちゃん」が高松に赴任して数年目の春に異動を目前にサーフィンする姿を卒業写真を撮りに来たもの。大ちゃんは四国に来て始めたサーフィンに夢中になり、小松島のサーフショップに入り浸りながら毎週末、四国東南部の生見海岸か四国西南部の大方浮鞭、あるいは四万十川南方の海に出没していた。典型的なホワイトカラーの職場でただひとり日に焼けた「黒い人」。大ちゃんあっぱれ!
高校の頃、ぼくは自転車(通学用)で生見に来て民宿に泊まった。夏の夜の浜辺のできごと、夜明け前の海を自転車で滑走する気分、真夏の坂道で自分の汗(塩分)で溶かされそうな体験などを文章に綴った「空と海」はブログのタイトルになっている)。
さっきからペダルを踏みつづけているのに、一向に距離がかせげない。上からの直射は無言のまま肌を突き抜け、下からの照り返しは足元にぞっとするような熱を滞らせる。地球の扇風機は止まったまま…。
(今日吹く風はもう昨日吹いてしまって品切れだよ。また明日おいで)
でも、近づくと黒い水たまりは消えた。逃げ水はよく嘘をつく。
車のストップランプが赤に点灯すると、黒いススに混じってディーゼルの排気音が空気をラチェットで刻んで震える。口を閉じて肺を守ってやらなければならない。太陽は相変わらず黙ったまま、七月の午後はフライパンの上で呼吸をしていた。
自分の汗に含まれる塩分で身体が溶けだしてしまいそうだ。暑いといったところで何も変わらない。だから声には出さない。ナメクジの体だってこんなにぬるぬるはしていない。水が欲しい。塩もなめたい。
早く抜け出そう、風になろう。ただ前進する動力機関にすぎないのだ。疾走する風はさまざまな夢想を追い越していく。室戸岬まであとどれくらいだろう。
風景が灰色から緑に変わる。太陽に向かって仲直りをする。草いきれの匂いがした。そして山道へ入った。
風が出てきた。雲の流れが早いとき、空の色がもっとも青くなる。
小麦色の娘が躍動する時、決まって美しく見えるのは、見る人の視線が低い位置にある時だ。
そうして彼女たちを見上げるようにして、ポートレートの背景を空に抜いてしまう。真紅のサルスベリの花、黄色いマツヨイグサのつぼみ、オニユリのみかん色、トロピカル・ドリンクのライトブルー…。青空を背景に浮かびあがるとき、夏の空という主人公にみつめられて色彩はその時、物体からこぼれ落ちたようにみえる。
汗が出る。
(暑い)
空を仰ぐだろう。上向きの視線は、人間が夏と交わした契約である。
(「空と海」から)
それでは大ちゃんの卒業写真の生見海岸を見てみよう。

この日の波高はいまひとつだが、海の状況は最良


子どもの頃から乗っていれば波乗りは日常


我らが大ちゃん。波は小さくても波と戯れていたよ

砕ける波の炭酸水のような泡に包まれる幸福感 。サイダーを身体で味わっているよう

大ちゃんの板は藍の色 海に溶け込む珍しい配色

(大ちゃんは素直だからものごとをニュートラルに眺められる。だからこそ積極果敢に挑戦する。サーフィンもそうだった。キャラは大谷翔平に似ている。東京でどうしているかな)
ところで大ちゃんの後任の宮さん。男気と気配りと責任感にあふれたナイスガイ。
四国で数年を過ごして東京へ戻らなければならない2021年3月末、
職を辞して四国の人となった(驚いた。組織にとっては血の通った良質の人材を失う痛手だけど)。
宮さんらしいすばらしい決断、応援している。
サーフィンを通じて四国を語ってしまった(それがブログのテーマでもあるので)。
ところでおまえは波乗りやらないのかって?
生身で水と戯れるのが好きだから名刺の裏にこう書いとうよ。
「地球の水辺をゴーグルひとつで遊ぶ」
(気取っとんな。どんな職業なん)
ほれ以上、やりたいことが増えたら人生二百年あっても足りんけん。
(もっとやりたいことをやって三百年生きたらええんでないん?)
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