COVID-19ばかりではない。人々も会社も社会も自信をなくしているようだ。
だから大谷翔平選手の活躍に胸躍らせている。
若い人だけでなく、レコードやフィルムカメラ、カセットといった80年代前後の道具に憧れを持つ人がいる。道具というより空気感かもしれない。
あの時代のポップスが世界から注目されるようになった。きっかけは竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」かな。70年代の社会問題から解放されて音楽を奏でる歓び、夢中になることを時代も後押しした。
あいみょんの「マリーゴールド」、沸き上がる入道雲のようなまぶしさを感じさせる。
歌詞は「揺れたマリーゴールド」のようになぜこの言葉を選ぶ?という推敲の余地を感じさせるけど「麦わらの帽子の君が…」「今日という日になんて名前をつけよう」「雲がまだ二人の影を残すから」なんて恋人たちが空や雲に祝福されている感じ。あふれそうな作者の自信が伝わってくる。(この曲をパクリという意見もあるけど、定番のコード進行が似ている楽曲があっても世界観が違うのでそれは当たらない)
この曲から長渕剛の「夏の恋人」を思い出した。初期の松山千春を感じさせる曲もあるね。
彼女の声はとても心地よい。テイラー・スウィフトは起伏の多い抑揚だが、あいみょんのフレージングは音符のかたちとは別に息が長い。ゆえに声に浸れる。
でもテイラーの曲作りは耳に残る。彼女は2021年になって版権の関係から自ら初期のアルバムを再録しはじめているが、声の魅力は31歳のいまのほうがしっくり来る。10代の頃の録音はアーティキュレーションが不安定(尖っていて)で聞いていて苦しくなることがあるが、今回の再録ではフレージングの息が長くなっている。抑揚がおだやかになって声にも艶が増している(SNSerなら「エモい」と綴るだろう)。日曜の朝に聞きたくなるね。
フィアレス(テイラーズ・ヴァージョン)
何度も取り上げるaikoのカブトムシはいまだ類似の楽曲は出てこない。
ジャズのコード進行という分析もあるが、コードの分散和音の音を半音下げて外したり(和声と旋律を一致させない)、和声を借りてきたり、和声の解決の手前で立ち止まったり。コード志向の作曲だけどそのコード進行が予想が付かない。コードありきで不協和音が挿入されてコードが後追いするような。彼女は和声の海を自在に泳ぐが、はずしかたがたまらない。
音階の動きもゆっくり上行させたり急激に飛んだり。作曲が声楽的というより器楽的。それが自然に響くのは抑揚の滑らかさと音符の着地を弓をぼわんとするように落とす。かすれ声の語尾の独白もあれば、畳みかけるブルースのうねり。提示部と再現部で同じ音型に導かれて最初はためらうように低徊するが、二度目は飛翔する(「カブトムシ」が歌詞に初めて出てきて印象づけられる)など、パターン化とパターンの崩し方(発展のさせ方)。理屈はわからなくてもそんな箇所は聞く人の胸に響いている(刺さっているなんて使わない。心に刺さるなんてひどい言い方)。
それでいて手練手管を感じさせず、本能で選び直感から生まれた生っぽさ。詩として読んでも情景が浮かぶ絵心のある歌詞。この曲の世界観を再現するには感性のきらめきと高度な技術を要するが、歌えたときの充足感は他の楽曲では得られないもの。すべての音符がさりげなく、たったひとつの音符の揺らめきの情感の深さ―。魂のヴォーカリストだよね。走馬灯のような経過句での場面転換と曲想の合致、はらはらと咲きこぼれる心情。可憐な乙女心の日本語の歌詞をビブラートのない安定した音程でジャズ風のコードと半音階を混ぜてうたう歌手なんて世界中探してもいない。
ニコンからZfcという品番で80年代のベストセラーのようなデザインのカメラが発売される。
おおむね熱狂的に迎えられているようだけれど、一部のカメラマンからは評判が悪い(例えば、動物写真家のあの人など。まだこの人は画素数を増やしたりノイズを減らしたり、AF速度やら画像処理を強化したりすることを求めている?)
ニコンが技術的な新規性に挑戦せず、流行に安直に迎合した、機能的な必然がないデザインという批判は見かける。
(ぼくもフルサイズでこの路線はないと思う。フルサイズの巨大なレンズが小さなレトロ一眼レフデザインに似合わない。この点ではフィルムの最適解が35oであったとしてもデジタルではAPS-Cというフジの主張に同意)
いま必要なのは高性能なカメラでなく、ヒトが写真を撮るカメラ。EOS Rシリーズのようなカメラに撮らせるのをヒトが見守るカメラじゃない。
デジカメはここ数年、画質の向上はほとんどなくなっている。スマートフォンで済ませられるので人々はあえてカメラを使うことの意義とか価値を見出せなくなっている。
(ぼくはスマートフォンのカメラは使いたくない。ときめきを感じないから)
ニコンの新製品はあの頃のようにカメラを操作する愉しさを味わいたい、というニーズに応えるもの(ただしほんとうにそのニーズに応えているかどうかは疑問はある。この操作系ならレンズの絞り環は必須のはず)。
フジの操作はその点、矛盾がない。さらにAPS-Cこそフィルムでのライカ版の世界観をデジタルで体現できる、という哲学にブレがない。
絞りもシャッターも意のままに決められるしそれが電源を入れなくてもわかる。
シャッター速度をオート、絞りリングをオートにすればフルオートとなるわかりやすさ。
トンビが飛んできたので動きを止めるために1/2000へとダイアルを回す。絞りを開けたくて2.8に合わせる、といった「見える化」された操作。少なくともPSAMダイヤルよりずっと機能的。
フジは新製品のX-S10で操作系を一般的な方式を採用したが、それが売れている。
しかしフジが好きな人たちは、レンズの絞り環、シャッターダイヤル、ISOダイヤルが独立しているのを好む。ぼくもそう。フルサイズのデジカメに魅力を感じないのは富士フイルムがあるから、ともいえる。
ニコンの新製品には惜しいところがあるけど、このカメラが売れることは確実。ぼくはそれでいいと思う。そこからZシリーズが本質的に深化する糧になればいい。道具としてはZ50のほうが使いやすいのだろうけど。
でもぼくがソニーのプロフィール(ブラウン管テレビ)を使っているのは懐古趣味ではない。この映像が4Kや8Kの液晶より好きだから(目が疲れず映像に浸れる)。
音楽を語りながら、イメージ写真としてマリーゴールドの幸福な世界観の心象風景を海辺に描き出してみた。
木洩れ日と照葉樹の森をゆっくり歩きたくなる

緑の富士フイルムの面目躍如

海岸性の砂地ゆえに植生も潮風を受けて地面に貼り付く



一目でこことわかる大里松原の波打ち際



みどりの国に迷い込んだ白昼夢

(ここまでフジX-T30+XF35mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)



(ここまでフジX-T2+XF23mmF1.4 R。葉の一枚一枚が写しこまれていてそれが画面全体の現実感につながっている)
最後は手倉湾。
ここから5分でまったく別の世界がひらける。港を含む内湾でおだやかな入り江は透明度が高い。こんな場所は地元の人しか知らない。


夕暮れ近くなったが太陽は依然として強い。少年も飽きずに水と遊ぶ

砂に映す空色は徐々に染まってきた

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