2021年04月06日

コロナ下であろうとなかろうとそこにいる限りそれがしあわせ


幸福とは何か、どんな状態かについては誰もがほぼ同じ答を持っていると思う。
人は誰も幸福になりたいと願う。それは自然な欲求である。

ところがその幸福をめざそうとすると、幸福は得られないことを古今東西を問わず賢人たちは語る。
釈迦をはじめ道元に至るまでの仏教の伝道師たち、西洋ではメーテルリンクやサンテクジュペリも物語を借りてメッセージを発している。
それどころか光速度が一定であることから導かれる因果律をはじめとする種々の現象を投影させた物理学、
観測者効果という言葉の響きが神秘的な量子力学、古代のインド哲学など。
幸福は人生の究極の目的でありながら、それを得ようとすればするりとすり抜ける。ここに幸福の本質があるようだ。
幸福とは人間の内なる世界にあるー。その世界観が投影されているようだ。

コロナ禍は見えにくくなっていた幸福を手に取るように見せてくれている、ということもできる。
この状況はいつか収束する。
数年で収まるかといわれるとそれは違うというのが内外の専門文献を1年間読み続けた感想。
でもマスクを付ける生活は十年程度で収まるだろうと楽観的に考えている(百年は続かないだろう)。

ただしSARS-CoV-2は変異を続ける(それこそがウイルスの本質)。
さらに別のコロナウイルス、例えば2026年型コロナウイルス(SARS-CoV-3が引き起こすCOVID-26)のようなものがそのうち出現して2019年型に取って代わるようなことが起こるかもしれない。コロナウィルスでは2002年のSARS、2012年のMERS、そして2019年のSARS-CoV-2(日本では新型と呼んでいる)と間隔が短くなっていることにご留意。その原因もわかっている。わかっていながら対策を取らないのが人類だ。

原因とは、人類が熱帯雨林など未開の地に踏みこんで(=破壊・開発行為)未知のウイルスと接触して世界各地に散らばるから。
その結果、○○年型ウイルスは出現し続ける。
それに輪を掛けているのが社会活動が引き起こす温暖化による気温上昇。
つまり感染症を呼び寄せているのは人類の存在そのものである以上、
この状態で生きていくことを受け容れていくしかない。
ぼくが20年をかけてエアコンを使わないようにしたのは
温暖化が不可避と悟り、起こりうることをすべてを受け容れる覚悟で生きていこうと思ったから。
コロナ下では生きているだけで幸福なのではないかとおぼろげながらに感じている。

花が咲く、桜が咲く、すみれが咲く、川は流れる、そして人は生きている。
それだけで幸福なのではないかと。
2021年の春を拾ってみた。春の野山を逍遥する気分になっていただくため文字は省いた。
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(以上、神山町にて)

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(とくしま植物園にて)

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(以上、勝浦町にて)

仕事の合間の束の間の逍遥であっても
花見が終わったあとの静かな桜並木を歩いてみても
夕方近くになってふらりと出かけた散策であっても
やはりそこに風は吹いている、水は流れている、花は咲いている。
幸せになる必要はない。生きることが幸せなのだから。


posted by 平井 吉信 at 23:49| Comment(0) | 生きる
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