2021年01月02日

不器用ですから


自分で靴のひもを結べない、ネクタイもうまく結ぶことができない、人前に出るというのにときどき左右で別の靴を履いていることもある。

髪の毛を切りに行って自分の髪型について「こんなふうにして欲しい」と要望を出したことは一度もない。初めての店でも「おまかせします」。

着るものもほとんど持っていない。
ジーンズは機能的でないので一着も持っていない(四国の風土や生き方には合っていない)。ジャージやトレーナーも持っていない。
山用の道具を普段着ているか、世界中でおなじみのあのブランド(安くて着やすい)を着ている。

外観で自分の本質は変わらないと思っているが
所作はその人の本質を映し出す。
それでいいと思っている。

仕事場にはエアコンがない。
およそ10年前にとっぱらってしまった。
夏は扇風機すらないので室温は30度〜35度。
ときどき USB 接続の小型の扇風機を使うのは
右手の甲に当てて汗をひかさないとキーボードが錆びてしまうから。

エアコンを使わないのはエコでもSDGsでも節約でも断捨離でもミニマリズムでも偏屈でもない。
地球が温暖化するという長期の展望で1990年代から計画していたこと。
気温が上がって電力がひっ迫したときに備えて身体を慣らしておく、できれば暑さを愉しめるようにしておきたいと思ったので。

キーボードといえば、スマートフォンのフリップ入力ができない。
買い物などでアプリをダウンロードしてくださいと店員に言われて、
従っていると個人情報の入力画面で青ざめる。
店の人が「暗号化されているので大丈夫です」という。
(大丈夫」という言葉もあいまいで好きではない)
いやいやそれではなく、入力ができないのです。
(音声入力で住所や名前が変換されないのはご承知のとおり)。
この頃は社員にスマートフォンを持たせる企業もあるが、使えといわれると会社を辞めますということになる。

なぜできないか?
ご承知のようにスマートフォンでは 文字を打つときに扇形に文字が広がる。
その時にうまく 指が動かない。文字を追いかけてるうちに違う文字に触れてしまう。
(「おはよう」と打つのに何分かかるか競争しましょうか? 少なくとも秒ではないです)

それに比べるとキーボードは達人だ。
かつて親指シフトというキーボードを使っていた(どのキーボードが自分に合うかを確かめるために10万円以上は使っている。これだと分速200〜300文字ぐらいは打てる。それは生産性を上げるために必要な投資)。

でもセキュリティーが求められる時代には自分のキーボードさえ会社のパソコンにつなぐことがままならないはず。下手をすればフリーアドレスでPCすら兼用となる(自分の環境が構築できなくて仕事の生産性など上がるはずがないよ)。

不器用はまだある。
携帯電話(4G)を初めて購入したのはコロナ禍以後である。それもやむをえず。
やはり使いにくい。レスポンスが悪くバグも多い。
それまで20年使っていたPHSにはなかったこと。
音声もPHSに軍配が上がる。

スマートフォンは2020年秋に初めて新品を購入した。
それまでは3千円ぐらいで買った中古品(2013年製)を試しに使ってみたが、フリップ入力で詰まってしまった。音声入力機能も付いていなかったし、バッテリーが1時間と持たなかった(アプリはすべてアンインストールしてChromeのみ、Wi-Fi、Bluetooth切り、電源は使用後切るという運用にも関わらず)。

それがトラウマとなって敬遠していたのだけれど、仕事がらWebのレスポンシブルデザインの検証のために使わざるを得ない。そこでスマートフォンに詳しい知人に相談してサムスンのGalaxy A20という機種を新品で1万円少々で買った。通話はしないのでSIMはSMS機能付の通信用。

この機種は優秀である。驚いたのはバッテリーが1週間は持つこと。技術の進歩なのかたまたまよい状態の機種に当たったか、月に数回の充電で済む。

このように不器用ですから(網走番外地に住んで黄色いハンカチを待っているわけではありません)日常生活は不自由だろうと思われるでしょうが、案外そうではない。
不器用ですが料理は好きで(子どもの頃から) 魚を三枚におろして刺身を作ったりできるし、和洋中華何でも作ることができるけど レシピは見ない。梅干しやら梅酒やらはこれ以上のものは味わったことがないと思えるほど。

料理をする時は2台のガスコンロ、電気で動く調理器具、さらには電子レンジを駆使して4本の包丁と2つのまな板を使い台所を走り回ってあり合わせのものを使って短時間で作る。
米は食べる都度に精米して食べている。つきたての米を上手に炊くとそれだけでごちそう。米をおかずにご飯が食べられそう。

もし冷暖房が効いた豪邸に住んでいて高級車に乗ってたくさんの食材に囲まれてインテリアも凝って毎日Instagramに投稿していたとしたら。

でもそんな生活に全く憧れない。
もっといえば幸福感を感じない。むしろ不幸な生活だなって思う。
僻みではないのだ。

幸福とは自分が幸せと思う気持ちが幸福だから。
誰かの役に立ってその対価でお金をいただくことを実感できる。
社会とのゆるやかなつながりを意識しつつ
自然と一体となって自然の恵みで生きていく。
(本質はまちに住んでいても同じ。何も高原のログハウスや別荘で住む必要はないよ)


コロナで仕事が数ヶ月なかった2019年春であったが
山に出かけて毎日スミレを見ていた。
仕事がないおかげでスミレが見られる、と喜んでいた。
このブログで春先にスミレばっかりでてくるのはそのため。

晴れたら山に行き川で遊び海にたたずみ
雨が降れば本を読む音楽を聴く料理をする。
それ以上に喜びってあるのだろうか。
(コロナ禍は幸福の本質を垣間見せてくれている)

しかし自分だけが良ければ良いわけではない。
(宮沢賢治の言葉が思い出される)。

そこで仕事がない間に社会を洞察しコロナ禍で経営が落ち込む対策を考えることにした。専門文献を参考にしながら現場に落とし込むことをWebサイトで発信。コロナ禍のなかでも感染症対策を万全に行って四国各地で説明会を開いた。

それが「おだやかな経営」(https://www.odayaka-keiei.com/)。
言い換えれば、「何がしたいか」と「何ができるか」を合致させること。
自分のモノサシは明確でブレがないから生き方も単純になる。
ぼくは生まれて一度もタバコも吸ったことがないしギャンブルやパチンコ、ゲームもしたことがない。もっと愉しいこと、やりたいことがあるので流行しているものを知っておく必要もない。
それゆえハリーポッターも檸檬も鬼滅も興味がない。
誰でも生きるための資源は限られている。
資源とは、自分自身の体力、資金、使えるモノ使いたいモノ、知恵やノウハウ、ネットワーク、時間のこと。
それゆえあれはやらないこれはやらないと自分のモノサシが明確になれば
人生の資源を自分の思うように充実させることができる。
目標が愉しみであるばかりかその過程も楽しみとなる。

いま置かれている状況をそのまま受け止める。
そこに価値判断は不要だし誰かと比べる必要もない。
それは、おだやかな生き方を意味し、
翻っては幸福の本質を洞察しようとしている。

(写真)幸福を招くという青い蜂 北川村「モネの庭」マルモッタンにて
DSCF7723-1.jpg
(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 11:55| Comment(0) | 生きる
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