2019年09月16日

踊りは魂の自由で自在な飛翔 四宮生重郎さん逝く


踊ることはまさに魂を鼓舞すること―。
いまは満月から十六夜を過ぎて立待ち月の頃。
月の光を浴びて身体を自由に動かしてみる。
それが踊り。

ところが今朝の徳島新聞の一面に
阿波踊りの名手、四宮生重郎さん(91歳)が9月15日にお亡くなりになられたとの報せ。

四宮生重郎さんの踊りを動画上で見ることができる。
岩が動いているような安定感。
それでいて律動に合わせて(むしろ先導しているのではと思わせるような)
音楽との一体感。

齢八十を超えてさらに軽やかに
心から踊りを愉しみながら
見る人を幸福にする(見ているほうが放心してしまうほど)。

そこには見る見られるの関係が消えて
ここから空気(場)が変わっていく。
二拍子の動きに現れる静的な間合い、
まるで時間を止めて人生を愉しんでいるかのよう。

かたちに捕らわれることなく自在で
いかなるリズム、音楽にも合わせる融通無碍の芸。
もっとも普遍的な阿波踊りでありながら
誰も真似ができない境地に達し
しかも伝統に縛られることなく軽やかにステップする。
踊りの本質をご覧になったうえで
変えること、変わらないことを見極めていらっしゃる。

かたちにとらわれず、かたちは崩れず
楷書のようで草書でもあり、草書のようで端正でもあり
それでいてどの踊りも四宮生重郎の香りが立ちこめる。
四宮さんの表情を見ていると
脳波ではα波からさらにθ波が出現して
その周辺が彼とともに無我の境地に包まれているように見える。

阿波踊りの至芸 四宮生重郎と藍吹雪鳴り物
https://www.youtube.com/watch?v=Gu8_ywYMLUI

阿波踊りの達人-四宮生重郎
https://www.youtube.com/watch?v=v_4McUq3j4g

スリラーで踊る四宮生重郎さん
https://www.youtube.com/watch?v=8vzuOwTkVl4

このブログで阿波踊りについて触れたのは
神山の桜花連が唯一。
(面識はないが駅前で自在に踊っている姿が地元の盆踊りを彷彿させて心に残っている)

地元に捧げる魂の踊り
http://soratoumi2.sblo.jp/article/73634381.html

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阿波踊りのショー的な側面をを否定するわけではないが
例えば、大音量の荒っぽい鳴り物と切れ味に偏った動きが拍手を浴び、
フォーメーションと称して器械体操のような変化を挟んでいく。
かたちを押しつけてこのかたちを楽しめと強要されているよう。
踊りが終わった翌日から翌年に向けて始まるといわれる厳しい研鑽には頭が下がるが
踊りは魂の自由な鼓舞と信じているぼくには愉しめない世界。
(よさこいを見に行かないのも同じ理由)

近年では行政や新聞社、振興団体間の確執が表面化して興ざめ。
昭和28年にはそれまで設けられていた観覧場を廃止して
市内どこでも自由に踊れて観客と踊り子が一体感を感じられるようにしようとの提案が
当時の徳島新聞社から出されて観客には好評だったときく。
(昭和30年には観覧場が復活することになるのだが)
何かのルールで縛り付けることを辞めていったんはこのスタイルにして
再構築したほうがいいのではと思える。


追記〜阿波踊りの概観〜

踊りのグループは連と呼ばれ、阿波おどり振興協会・徳島県阿波踊り協会・阿波踊り保存協会のいずれかに所属し卓越した技術を持つ有名連、企業連、学生連などがある。

明治の頃の阿波踊りは見せる踊りというよりは参加する踊りでまちかどを流して歩くのが主流で揃いの衣装もなかった。しかしその頃から徳島の盆踊りはまちじゅうが浮かれると話題になりつつあった。阿波藍の繁栄も背後にあっただろう。しかし明治の中頃から安価な化学染料が入ってくると藍商人たちの力も翳りが見えて一時期衰退。

しかし踊る気質は経済低迷でも容易に人々の心からは去って行かない。大正時代には見物人が来るほどになり、昭和初期には徳島市の経済活性化のためということで観光資源として阿波踊りに力を入れるようになっていく。昭和8年にはNHKのラジオで全国中継、昭和16年には東宝映画として「阿波の踊り子」が撮影、会社や店の宣伝を行う企業連が集まり始めた。

それまでは市内のどこでも踊っていたが、踊り子にすれば山場がないということになる。今日のように魅せる阿波踊りとなったのは観覧場を設けたことが大きい。この方向が観光資源化、商業化の流れを加速していった。

今日の有名連と呼ばれる連のルーツは戦前ののんき連からの派生がある。
http://www.nonki-ren.jp/
戦後になって娯茶平連、天水連、藤本連から発展した蜂須賀連などが出現。今日の有名連の原形(系譜)はこの辺りにあり、独自の試行を重ねて今日に至っている。どの連がどの連をルーツにしているかは見る人がみればわかるそうだ。
 
阿波踊りの上手とはアスレチックな訓練ではなく天性のものがあるという。優れた踊り子は子どもの頃からその片鱗があるが、50人に一人ぐらいという。

阿波踊りの道具は通常のものと異なる。下駄は普通の下駄ではだめで女踊りの運動量をこなすための堅牢な設計が必要となる。足袋は足袋でアスファルトで躍動すると腰や膝を痛めるのでクッション性が求められる。これらは専門店で入手できる。


参考文献「阿波踊りの観光化と「企業連」の誕生」(高橋晋一氏=徳島大学大学院ソシオ・アーッ・アンド・サイエンス研究部,国立歴史民俗博物館共同研究員、2014年」
ほか平井の聞き取りによる。
タグ:阿波踊り
posted by 平井 吉信 at 11:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草
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