2019年09月07日

お地蔵様と池 歴史をひもとく散策(観音寺=徳島市国府町、桜間の池、桜間神社=石井町)


徳島新聞に夜泣き地蔵の伝説の紹介記事が掲載され、その史跡が残る徳島市西部の国府町を訪ねた。
子どもが授かるようにと願をかけて
叶うと小さな地蔵を納める子授け地蔵の風習。
池のなかから鳴き声がして
池をさらって出てきた子どもの夜泣きに効果がある夜泣き地蔵。
これらの情報が交錯して
その地蔵様がどこにあるのかインターネットでも情報は得られない。
そこで目星を付けて実地踏査を行った。

鮎喰川の土手下にある地蔵尊
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確かに小さな地蔵が安置されている。子授かり地蔵かもしれない
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続いて旧道を辿って観音寺へ
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気温は35度ぐらいだが、暑さにめげずに巡礼される方が次々と訪れる 
ぼくもがらにもなく般若心経を読経(自宅の仏壇ではやっているけれど外では読まない)
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観音寺だが境内には地蔵様が何体も
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愛しまれている子どものよう
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夜泣き地蔵は古から多くの女性たちがさすることでお顔が摩滅している
子どもを思う親心、子育ての苦しみから逃れたいと思いつつもここに足を運んだ女性たち
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子どもが大切にされる社会でありたいもの。

観音寺をあとに北西へ向かうと田んぼに地蔵が見えてくる
徳島市国府町から石井町にかけては吉野川の氾濫原だったことで
洪水痕跡を記して戒めとするともに子孫の無事を願う高地蔵が祀られている
この地蔵も外の輪郭は原形をとどめないほど風化している
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地蔵から指呼の間に池が見えてきた
舌洗いの池という
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義経が上陸して平家倒幕へ北進する際に馬に水を飲ませたという
その際に井戸の名を尋ねて「勝間の井」と地元の人が答えた。
これを聞いて義経は縁起がいいと喜んだという
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もともとはここから下手の村々の水源であり
水神、弁財天、観音の神々が祀られている
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鮎喰川の伏流水が湧き出す池は地域の憩いの場となっている
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ここから北西へ上がると県道徳島鴨島線がある。
国府町から石井町に入ったあたりで飯尾川に面した桜間の池というのがある。
鎌倉時代には鏡のような静けさをたたえた池として風光明媚な場所であったという。
江戸時代の徳島藩蜂須賀家の何代目かが顕彰のために巨岩を運んで整地した。
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国土地理院の地図を見れば、飯尾川との関連が一目で分かる(実際に神社のすぐ北を流れている)。
地形的には鮎喰川に合流する飯尾川、第十堰南岸に注ぐ神宮入江川、それに江川は吉野川の分流(河跡)であることが明らか。
当時は飯尾川に蕩蕩と水が流れて飯尾川と一体となった池であり
飯尾川の分流が膨らんだ地形ではなかったのだろうか。
今日の桜間の池は直径5メートル程度の小さな池である。
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桜間神社のご祭神は木花開耶姫命である
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飯尾川からみればこんもりと盛り上がった地形が古墳のように見える。
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国府と石井は一体となった吉野川洪水地帯であり
田畑に点在する地蔵と川が流れた痕跡の上に今日の集落がある。
交通の要衝となっている国道、県道を一歩入れば別の世界が待っている。
タグ:神社 第十堰
posted by 平井 吉信 at 14:47| Comment(0) | 徳島
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