2019年06月23日

足りない年金でも現実に足を付けてできることがある(循環的な生き方、第二の起業)


金融庁の報告書は楽観的
6月21日付の徳島新聞に
社会保障と税を研究されている西沢和彦さん(日本総合研究所調査部主席研究員)のコラムが掲載されている。また、同日付でさらに詳しい内容がダイヤモンドオンライン(https://diamond.jp/articles/-/206310)にも掲載されている。

不足額の試算にはマクロスライドが織り込まれない楽観的なシナリオで、
公的年金の一定の限界を見据えて長寿社会での環境整備を考えるべきとしている。
その場合、支出と収入の差額(家計の赤字)は月5〜6万円ではなく
年々拡大していくとしている(予測というよりは前提)。

それを考慮すれば必要な貯蓄額は
老後(年金生活)を20年とすると1,700万円、
30年とすると2,800万円不足となる。
国民年金のみ加入者や単身の高齢女性はさらに必要となる
(ぼくの試算では国民年金生活者は7千万円の貯蓄が必要)。

報告書に批判が向けられるとするなら、
不安を煽っているのではなく、
無責任に楽観的な数字を挙げていることとしている。
ぼくも同意見である。
このまま行くと、政府の説明とは裏腹に
貧困にあえぐ高齢者が続出することが確実となる。

公的年金だけで賄えないことが露呈しているので
金融庁の報告書でも株式投資など資産運用を奨めている。
しかし将来に不安を抱える国民が多数を占める国で株価が上がる要素がない。
個別銘柄への投資はミドルリスクハイリターンの可能性があるが目利きが問われて一般的でない。

人生はお金のために生きるのではない、という原点に立ち返ってみる。
お金は暮らしに必要な大切なものでお金は必要である。
ならば、人生を愉しみつつ収益を確保することで
年金や資産運用に依存しない暮らしを確立すればいい。

資産運用の問題だけでない
10代後半の頃
大学→ 就職→ 結婚→ 退職(年金生活)→ 人生終了という
直線的な生き方に疑問を感じて、
まずは出発点を変えてみようと大学を受験せずに独学で勉強する道を選んだ。
もっとも高校卒業時の成績が進学校とはいえ400人中380番であったので
進学の選択肢もなかったのだけれど、
自分のなかでは進学を諦めたのではなく
独学で一生勉強する人生を選んだのだと思っている。
(学年1位になった教科が複数あることは事実だけど)。

好きな本を読むのは時間を忘れるぐらい愉しい。
勉強は好きだが受験対策の勉強という動機ではないので
何十年経っても忘れない。
自分の意思ではなく流されていく人生(それも悪くないけれど)と
好きなことをやりたいときにできる人生では、
どちらを選びたいですか?
(価値観を押しつけるつもりはないけれど)

当時もいまも変わらないのは10年を一単位として
やりたいことをやってみてうまく行けばもっと伸ばし
うまく行かなければ舵取りを変更すればいいと思っている
(10代の頃の文章に「循環的な生き方を選ぶ」などと気取って書いてある)。
できるだけ長く生きる、できれば百歳まで仕事を続ける、とも当時書いてある。
そう決意するとやるべきことは着手して、やらないことには手を付けないようになる。

ゴルフは一度もしたことがない(森を散策するのが好きな人間はしない)、
付き合いの飲み会は行かない(それが愉しいとは思えないし表面的な付き合いは避けたいので)、
食生活には気を付ける(高校のときの体型、体重はほとんど変わっていないし、陸上の経験はないけれどいまでも100メートルを12秒ぐらいで走れそうな気がする)。
タバコは1本も吸ったことがない(だから味覚が生きている。このことが仕事=収益にもつながっている)。
(ゴルフやタバコをしないだけで生涯に1千万円程度は違って来るでしょ。ビールも飲まない)
禁煙に取り組まない職場はこちらが見切って辞めた。
SNSは仕事と人生の生産性を下げるのでやらない
(そうでない人もいるけれど、ほとんどの人は?)
自分のモノサシがあれば「すること」「しないこと」が明快になるので
生き方は簡素で迷わない。

国民年金受給者の足りない金額
国民年金の受け取りを5万円、
必要な生活費(金融庁試算にはない修繕費、旅行や慶弔費まで含めよう)を月額30万円と仮定すると
(楽観的でなく現実的なシナリオ)
年金で30年間暮らすのであれば25万円×360か月=9,000万円必要となる。

国民年金受給者とは自営業者と仮定して
退職金をつくるために小規模共済へ加入することで
退職金を2千万円程度はつくることができる。
(国の制度で中小機構が運用している)
これで不足額は7千万円程度となる。

次に見直すのは生活のあり方。
現役時代のように頻繁に外食に行くこともなければ付き合いの支出もなくなるので生活費を20万円、予備費として5万円の25万円に絞る。
すると元の不足額が7,200万円になり退職金での充当2千万円を控除して5,200万程度となる。
これでも大多数の人にとっては絶望的な数字である。

生き方の視点を変えてみる
心を落ち着けてみる。
いま流れゆくとき、呼吸の一つひとつが生きている証しであり
そのなかでお金に執着することが意味があるとは思えない。
心静かに暮らすとき、不足する年金に怯えるのではなく
別の生き方が見えてこないだろうか。
そもそも無職で30年も過ごす生き方って幸せですか?
誰かの役に立って感謝されながら
その対価としてささやかなお金をもらいながら暮らしてみてはどうですか?
と問いかけてみる。
例えば月収15〜20万円の仕事を自分でつくってみる
(これはサラリーマンを退職して起業する人にも当てはまる)。

身の回りを観察すると
世の中に必要とされる役割がありながら
経済合理性一辺倒の社会で消えていったものが数え切れない。
また、社会が変化すればするほど、それについていけない人が出てくるので
新たな潜在ニーズが渦巻いて生まれていく。

ぼくは料理をするので包丁を用途に応じて使い分けている。
包丁は自分で研いでいる。
粗めの砥石と仕上げの砥石で1本あたり数分で研ぎ上がる。
誰に教わったわけではないが、根元と先端では本能的に確度を変えて研いでいる。
これで1か月程度はだいじょうぶ(プロの料理人のように毎日研ぎ上げる必要はない)。
ところがある日、一本の包丁の木製の柄が朽ちて刃が取れてしまった。

調べてみると県内に包丁専門店は12店舗しか見当たらない。
(廃業されている事業所もあるかもしれない)
幸いにも歩いて行ける距離に専門店があり、
350円(工賃材料込み)で新しい柄に付け替えてもらった。
店主は70代後半の方とお見受けする。
部品である木の柄に刃を差し込んで金槌で数回柄を叩くだけ。
接着剤も使わない。
これで大丈夫ですか?と尋ねたら
抜いてみなさい、と笑っていた。
技術があれば瞬時に解決できるのがプロの技だけど
この道数十年でなくても数日弟子入りして技を覚えれば
店の後継者となることも可能だし
自宅兼包丁研ぎ包丁トラブル解決の専門店として
WordPressベースのWebで年額数千円で情報発信も可能である。

70歳からの起業 もしくは85歳まで現役で続けられるやり方
このように必要とされる役割、社会に貢献できることで
自分ができそうなことを見つけて
70歳からの仕事として取り組めれば足りない年金をカバーできる。
この例では、包丁研ぎをワンコイン(500円)として
1日10人の来客を確保して20日程度の営業日で対応すれば
10万円の収益となる。

これまでの専門店との違いは体験による啓発を行うことである。
包丁を研げば料理が安全になる、おいしくなる、
正しい包丁の使い方や使いこなしを教えてもらえる―。
これまで包丁専門店に足を運んでいない顧客層を開拓できることになる。
一生ものだよ、と言って数千円の包丁をお分けして
そのメンテナンスを続けていくビジネスモデルも可能だろう。

内山節さんの視点
本日(6/23)の徳島新聞に内山節さんのコラム(いつも日曜に掲載される)が載っていた。
「人を貧しくする政治」とタイトルが付けられている。
縄文時代を研究する知人から聞いた話として
縄文時代の人たちは深い精神性を持っていたという。
それは生きるために働く割合が低かったため。
豊かな自然があってそこから少しいただくだけで事足りた。
当時想定された作業を学生たちにやってもらったところ
一日4時間程度の労働で事足りた。
生きるためにあくせくしない縄文人は
深い精神性を持っていたはずという。

ところがいまの日本では
生きるための道具に過ぎないお金のはずが
お金のために働き、
お金のために貯蓄や投資をすることを仕向ける政治への疑問を投げかけておられる。

岡本太郎の縄文土器の写真を見たことがきっかけとなり
縄文時代は日本の歴史でもっとも進んだ時代であるばかりか
世界的に見ても希有な持続可能な生活を送っていた時代と考えて
20代のぼくも三内丸山遺跡を訪れるなど
若い頃から縄文への畏敬の念を持ち続けている。
(このブログでも縄文をテーマに度々書いている)

30代の頃、内山節さんの「森にかよう道」などの著作を読んで共感したので
講演会ができないかと模索したことがあった(結局はできなかった)。
今回は徳島新聞主催で2019年7月13日に開かれる。
無料だが申込制となっているので6月28日必着で応募をということである。
https://www.topics.or.jp/articles/-/212338

社会に横たわる潜在的な需要を見つけて自分ができることを重ね合わせる
社会に必要とされていて大手が参入しない領域であって
地域の役に立って対価が得られる作業を趣味の仕事として磨いていけば
月収10〜20万円程度は十分可能である。
しかもそのための労働時間は一日半日程度で事足りる。

退職後の起業(第二、第三の人生)として
20年間で4,800万円の収入を得ることは十分可能である。
残りの人生は精神的な人格の形成や若い世代の手助けに回ることで
自らも歓びが得られる。

上記は一例だが、それぞれが実行可能な取り組みがあるはずである。
そのための考え方や方法論を問題提起しつつ啓発するための
Webサイトを立ち上げた。
今後コンテンツを充実させていきたい。

「おだやかな経営」
https://www.odayaka-keiei.com/

「おだやかな経営」は、国に頼らないで生きていく着眼点でもあるけれど
同時に誰一人落ちこぼれない政策を求めていきたい。
また、心身の健康を保つことが人生の前提となるので
それについても深めていきたい。

追記
徳島県海陽町の海部川流域の山懐に城満寺という禅寺がある。
https://tabi-labo.com/286004/jomanji

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由緒ある寺を継いだ若い住職の取り組みに注目している。



タグ:年金 縄文
posted by 平井 吉信 at 12:13| Comment(0) | 生きる
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