2019年03月27日

冨岡西高校 よかったね

2019年3月26日、
冨西の試合があるというのに
県外出張が先に決まっていて
試合を見ることができない。

池田高校が活躍した時代からその兆候はあったが
高校野球は良い選手を集められる私立高校が優位となっている。
(甲子園で勝つことは格好の宣伝となる)
その傾向が顕著になればなるほど
公立高校の進学校で地元の生徒が通う学校が
甲子園で勝つことが難しくなっている。

21世紀枠とはいえ
初出場となったことで野球のまち阿南は盛り上がっている。
冨岡西高校(通称「冨西」)は創立122年の伝統校で著名人も多く
校風は質実剛健で卒業生は25千人を数える。

あいにく映像は見られなかったがラジオの実況で状況は伝わってきた。
2回の攻撃の前だったか校歌が流れた。
ベートーヴェンの音楽にも通じる胸弾む校歌である。
同点になった6回は球場が冨西一色となったような雰囲気すら感じられた。
http://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/%E6%A0%A1%E6%AD%8C%E3%83%BB%E6%A0%A1%E7%AB%A0/

試合は1対3で敗れはしたが、見ていて悔しい気持ちはない。
むしろすがすがしいぐらい。
勝ち負け以上に大切なことを体験できたという潔さが選手には感じられた。

頭を使わず号令があれば猪突猛進するのが体育会系。
ところが冨西はノーサインで選手が考えながら野球を進めるというのだ。

一人ひとりが考えて考え抜いて(アイコンタクトすら取らずに)
一球ごとに訪れる「この状況でいますべきこと」をチームで創造していく作業。
それはスポーツを越えて芸術とか即興とか、光の速さでの以心伝心というか、
すがすがしい時間をつくりあげていた。
そのことを指摘する好記事があった。
https://number.bunshun.jp/articles/-/838795


傍観者、長いものに巻かれる、他人に不寛容、評論家のような人たちが多くなった時代に
自分のこととして捉えて(プレーヤーとして)
身の回りの人と意思疎通を図りながら
責任を持って未来をつくる意思を込めた。
いまの時代にもっとも必要なことがぎゅっとこの試合に詰まっていた。

母校に戻ったら春の日射しに桑野川の水面が輝いていたことだろう。
あの校歌のように。

琴江はきよく せゝらぎて  桜ふぶきの 風香る
DSCF4808-1.jpg
(琴江=桑野川の古称)

追記
翌日の新聞記事でわかったことだが
バッテリーは小学校から組んでいること、
3回の攻撃で右打ちの打者が左打席に入って
その後本来の右打席に戻ったが
これは仲間の緊張をほぐすためだったという。

初出場校が甲子園の舞台で大観衆(及びテレビ放映)を前に
こんなことを考えられる冷静さ、のびやかさ。
実にいいではないか。

posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 徳島
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