東北を見聞しながら三内丸山遺跡を訪れたことがある。
岡本太郎が撮影した縄文土器の鋭い造形に見入ったことがある。
日本列島でもっともいい時代と思えるし
もしかしたら人類史のなかでも最良の時代(住まい)だったのではないかとも。
那賀川中流域の阿南市加茂谷地区に縄文の遺跡があり
発掘作業のあと埋め戻される前に公開されるときいて
忙中閑を見つけてやってきた。
那賀川の河原からそう遠くない場所で水利に恵まれた場所だが
洪水に遭遇しそうな場所でもある。
当時は河床が低かったのか、それとも流路が少し違っていたのかわからないが
なぜこの地に居住を定めたのか、現地を踏んでみないとわからないと思った。
縄文時代、縄文文化といっても幅が広い。
国立歴史民俗博物館の山田康弘さんは次のように定義する。
「土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの日本列島において、狩猟・採集・漁労を主な生業とし、さまざまな動植物を利用し、土器や弓矢を使い、本格的な定住生活を始めた人々が残した日本列島各地における文化群の総称である」。
その年代も旧石器時代のあとを受けて1万6500年前から
3000年~2500年前までの時代とされるから1万年以上の長さがある。
しかも地域的な多様性と交易があったという。
縄文時代の研究はここ数年で深化している。
最新の知見ということで
2019年1月に講談社から発刊されたこの本をおすすめしたい。
(ぼくは電子書籍版で購入)
縄文の女神、ヴィーナスとも呼ばれるこの土偶もたまらない
https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html
https://www.youtube.com/watch?v=07kak67VMdw
さて、臨時駐車場から発掘現場まで歩いて10分で到着。
すでに多くの人が来訪されている。






「縄文時代後期の集落跡から、石杵と石臼計300点以上のほか、表面に水銀朱が塗られた耳飾りや土器など計700点以上も見つかった」(朝日新聞デジタル記事から引用)とのこと。
朱とは血の色と見立ててそこから儀式の意味付けもできるような気がする。


地元に縄文の息吹があったということは古くから人が四国東部に住んでいたということ。
縄文人も春の甲子園を応援してくれている、と考えて
2019年春に21世紀枠で出場が決まった冨岡西高校野球部の活躍を祈ります。


【徳島の最新記事】
- 線路は続く 風が走り抜ける田園を
- JR牟岐線 田野川鉄橋を渡る上りのワンマ..
- 知事選に寄せてその2 課題解決力ではなく..
- 知事選に寄せて
- 吉野川大橋の下 雨が上がって弁当と散歩(..
- 悠久の石庭 徳島にこんな場所があったのか..
- 港町の夕暮れ 夏の入道雲やちぎれ雲は劇的..
- 春のうららの鶴林寺 深山幽谷の趣のまま
- 徳島には豊かなものがありすぎて
- 年末年始の神社訪問
- 狸はいまも そしてこれからも 阿波の狸の..
- 藍よしのがわトロッコとの遭遇(徳島駅)
- やまびこ打線の池田高校 ノーサインの富岡..
- 祖谷(東祖谷)の奥深さ 時を経ても縁は切..
- 海に沈む太陽を眺める気分の川辺の光景 吉..
- 紀貫之が遊星を眺めたらなんというだろう
- 神山へ連れ出す
- 小松島市長選 何を求める 何ができる 思..
- 阿南市加茂谷地区は移住者の隠れた魅力の地..
- 若葉の頃を思い出す桜 牛岐城(阿南市富岡..