2018年11月26日

阿波狸合戦のあった勝浦川下流の散策(徳島市南部の論田、大原、小松島市江田地区)


ときは江戸の末期、天保年間に遡る。
小松島は日開野(ひがいの)で染め物を商う大和屋の茂右衛門は
子どもにいじめられていたタヌキを助けた。
それ以来、タヌキは大和屋の護り神となった。
タヌキの名は金長という。
(茂右衛門は実在の人物で子孫も健在)
金長は、阿波狸合戦の主人公であり、
スタジオジブリの平成狸合戦ぽんぽこにも出てくる。

コ島は津田の六右衛門のもとで修行を重ねて成就の後、
小松島の主人の下に帰ろうとする金長を
師匠の六右衛門が娘婿にと見込んで呼び止めたが、
大和屋への恩義を果たしたい金長は義理を尽くして辞する。
これを謀反と受け止めた六右衛門は奇襲をかけるが
金長の一の子分、藤樹寺の大鷹の犠牲で金長はいのちからがら日開野へ逃げ帰る。
金長に思いを寄せていた六右衛門の娘、鹿の子姫は悲しんで身を投げて父の行動を諫めた。

やがて娘の自死を悲しむ津田方(六右衛門一派)と
合戦を受けて立つ覚悟の日開野方(金長一派)が勝浦川の下流で激突する。
阿波の狸合戦と後生に知られる戦いは三日三晩続き、
付近の河原には無数のタヌキの屍が転がっていたという。
(住民の目撃談)
金長は六右衛門を討ち取ったが
自身も六右衛門に切られて瀕死の重傷で苦しみながら死んだ。
その後を継いだ大鷹の息子の小鷹が二代目金長を襲名、
津田方は六右衛門の子息、千住太郎を据えて弔い合戦というときに
屋島の八毛狸の仲裁で和解した。
再び平和を取り戻した阿波狸界だが、やがて暗雲が垂れ込めることになる。
そこから始まるのが後述の三田華子の阿波狸列伝である。


ぼくも父もタヌキに化かされた実体験がある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html
それは昭和の終わり頃から平成にかけての話である。
とにかくコ島には狸をめぐる無数の民話が存在する。

「阿波狸列伝」(全3巻)を読めば
ハリーポッターやスターウォーズが表面的な大味の物語に見えてくる。
そこには人情や意地、人の生き方や哲学、陰陽の呼吸や風土と一体となった冒険譚が繰り広げられる。
(以前から電子書籍で復刻してもらえないものだろうかと繰り返し書いている)

今回は近場にして足をほとんど踏み入れていない
阿波狸合戦のあった地区へをご紹介。
ところは徳島市の旧国道55号線沿線の論田町から大原町、
小松島市の江田町にかけての勝浦川三角州。

この地区には車を停めるところが皆無である。
そこで江田の潜水橋の左岸に数台置ける広さの河川敷があるので
そこに停めるのがいいだろう。
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江田の潜水橋を左岸から右岸に渡ることにする。
(川は下流を向いて左手を左岸、右手を右岸という)
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右岸には分派流があって小川の風情を醸し出す
誰かが釣りをしている。北海道の原野を流れる川に見えなくもない。
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何を釣っているのだろう。
淡水魚研究家か、タナゴやカワムツ釣りのような通の釣りかもしれない。

河原の花にも目をとめる。
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土手から見えた木造家屋。
ベランダがいい。
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分派流は大原の崖にぶつかって淵をつくる。
さっきの浅い小川とは思えない深淵。
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誰が放流したかブラックバス。
釣りきって欲しい。
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川沿いに神社がある(蛭子神社)。
このあたりから自転車専用道が旧国道に架かる勝浦浜橋まで続く。
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江田の堰は潮止めとなっている。
ここは汽水域である。
背後に見えるのは江田の潜水橋。
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(レンズ遊びでフジのデジカメにミノルタのフィルム一眼用のレンズ(1980年代発売newMD85mmF2)を付ける)。

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勝浦川最下流に架かる野神潜水橋。
道幅は狭く大型車は躊躇するだろう。
ところが人も自転車も車も意外に通っているのだ。
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さらに下流へ移動すると野神潜水橋と江田潜水橋が同じ視野に見られる。
(ミノルタ85oで撮影)
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阿波の狸合戦があったのはこのあたりの河原ではないだろうか。
勝浦浜橋だと水深がありすぎて狸が渡れないからだ。
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さらに下流へ土手を歩いて行くと寺が目に入った。
土手を降りて見ると身代わり観音で知られる真言宗耕福寺という。
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耕福寺からは土手に戻らず土手の下の集落を歩く。
道幅は狭く車での撮影はできない。
すると曲線を描いたみごとな石積みの壁が見えてきた
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これは、おとめ石を積んだものといわれる。
おとめ石とは「乙女石」ではなく
コ島藩主が採取を禁じた「お止め石」とのこと。
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/kankou/shimin_isan/city/032.html
良質の石は勝浦川河口の南部の大神子海岸で採れた。
明治になって解禁されてから地元の名士が建てたものだろう。

周辺はデザイナーが建てたような瀟洒な一戸建ても目に付き
新旧が対照的だ。
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花を育てる人も多い
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徳島市内の人口が密集しているとは思えないのどかな風景
穴場のような非日常感ある住まいだが、
実は旧国道まで指呼の間にある。
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蛭子神社を過ぎれば再び江田潜水橋。
勝浦川下流に位置する徳島市南部の地区はのどかで
住宅に行き届いた配慮を持つ人が多く住む土地である。
この地で200年近く前にあった狸の合戦や
殿様のおふれに思いをはせながら歩いてみると
半日の時間が短く感じられることだろう。
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posted by 平井 吉信 at 23:18| Comment(0) | 徳島
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