2018年09月09日

西日本洪水 防災から減災―総合治水へ

川のフォーラムを開いたのは1994年のこと。
ジャーナリストの筑紫哲也さん、本田勝さん、
俳優の近藤正臣さんらをお招きして
800人ほどを集めたイベントだった。

そのときのパネリストの一人が新潟大学教授の大熊孝先生。
確かご先祖のお墓が香川におありになるとかで墓参りを兼ねてお越しいただいたと記憶している。
大熊先生は川の本質をたった数行で看破されている。
「川とは、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾の中に、ゆっくりと時間をかけて、地域文化を育んできた存在である」。

この言葉のなかに武田信玄、黒田如水、野中兼山の時代から育まれてきた考え方があり、
22世紀を見据えて私たちがよりどころとする技術思想が含まれている。


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今回の洪水を受けて地元新聞にもっと治水対策に予算をという趣旨の投書があった。
結論からいうと、お金をかければ解決する問題ではない。
(むしろ被害を増大させる怖れがある)
投書された方はムダな金を政府が使っているのに
ほんとうに必要なところにかけようとの憤慨からだろうと推察する。

肱川が氾濫した大洲ではダムを管理している事務所の説明で
「ダムを撤去せよ」の発言に拍手が起こったと聞いている。

ダムは矛盾だらけである。
・水を溜めなければ利水にならないが、貯めると洪水調整が難しくなる(多目的ダムの場合)。
・ダムがなければ上流から流れ込む水量がそのまま下流へ流れていくが、ダムの放流操作によって上流からの流入以上の水を下流へ流すことがある。つまりダムが洪水を引き起こす恐れ(今回の大洲がそうであったのでは? ただし現場の責任を問うのは別の問題)。
・仮に治水機能があったとしても堆砂によりダムは年々寿命に近づく。ダムが砂で埋まればもはやダムとしての機能は果たさず生態系の墓場が遺されるだけ。
・経済合理性からも一定期間のB/C(費用対効果)ではその設置が是とされる場合はほとんどない。

ダムができればちょっとした洪水(被害が出ない程度)を調節できるので
河原に水がかぶらなくなり草が生える。
このことは一見自然が豊かになったように見えるが実が逆で
河原という生態系が破壊されている。
また草や木は流れの阻害要因となって洪水時には水位を上げる要因となる。

近代の治水は、川を連続堤防で仕切って(あるいはかさ上げして)
川をまっすぐにして
上流に降った雨を一刻も早く海へ流そうとするもの。
温暖化に伴うゲリラ豪雨の危険が増大するなかで
水のピークを高める治水が仇となって
一気に水が出るので越流、破堤しやすくなり
その際のリスクを高めることにつながっている。
わかりやすくいえば、治水を行うほど生命の危険が増しているということ。

さらに物質の循環(山のミネラルや土砂)を遮断することで
生態系が元に戻すことのできない被害を受ける。
(漁獲高が減少するというのは目に見えるごく一部の事件に過ぎない)
腹立たしいのは誰も責任を取らないし
それを回復させる手段(選択肢)がほとんどないことだ。

山の治水力を高めることを基本に
(山の保水力は洪水に無関係との一部の学者の見解もあるが、各地の山林家はそうではないという)
あふれても被害が少なくて済むよう、
水を遊ばせる(意図的にあふれさせる)場所を設定するなどして
洪水が起きても致命的な被害が起こらないようにする総合治水の考え方が提唱されているが
現場までは浸透しているとは言いがたい。

さらに、郊外の宅地化で氾濫原だった場所を
従来のように遊水地として機能させることが難しくなった。
その一方で人口が減少しているので空き家が増えている。
治水は現在も複雑な要素(都市計画や市町村マスタープラン、私有財産や住む権利など)が絡み合う。
しかし総合治水により減災というソフトを高めていくしか方策はない。

追記

参考書として2018年に良書が刊行された。
「河川工学者三代は川をどのように見てきたのか」(篠原修著)

市民の目線に立つ科学者としての大熊孝先生の河川観が導かれるまでの
河川工学に取り組んだ学者(実践者)の人間像を探りつつ土木史の流れを抽出。
そして河川工学から川と人の関係性を見据える未来への問題提起で締めくくられている。
大熊先生とは親しい内山節さんの推薦文が帯に掲載されている。
「川のあり方からこれからの社会を考える絶好のテキスト」

大熊先生の人なつっこい笑顔で宴の場での愉しげな時間が思い出させる。
その一方で厳しい場面に自ら名乗りを挙げて
学問と実践から導いた根拠で一歩も引くことはない。
その根底にあるのは大熊河川観といいたい哲学的な思想。
川を治めるのは為政者ではなく住民の自治によるもの。
(大熊先生がいらっしゃらなければ、この国はどうなっていくだろうと思う一人)

もう一度、大熊孝さんの言葉で締めくくる。
「川とは、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾のなかに、ゆっくりと時間をかけて、地域文化を育んできた存在である」
計画による百年の計が重要である。
(建設省、国土交通省の関係者のなかにも勇気を持って総合治水、流域治水に言及、実践された方がいらっしゃる)

川が洪水であふれることを前提に
人々の生活設計(少なくとも生命は守る)、地域づくりを行うべき。
行政担当者の理解と熱意を前提に住民ももっと勉強して
線状降水帯多発時代の川の考え方(生き方)を考えてみよう。


posted by 平井 吉信 at 13:18| Comment(0) | 生きる
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