2018年07月22日

飛行機から高気圧に覆われた日本列島を眺める 徳島〜東京航路から


仕事で虎ノ門方面へ出張の朝、徳島空港から乗り込んだ。
徳島空港はほぼ東西に延びる滑走路なので
朝は直射する朝日を避けて東(海側)から西(四国本土側)へ向けて
目的地と逆向きに飛び立つ。
東向けに反転すると
翼に抱かれたように吉野川三角州の一角、今切川を見下ろしている。
DSCF5651-1.jpg
(このデジカメにはBluetoothやWi-Fiなどの通信機能はついていない。さらに無音シャッターを使っている)

空港と月見ヶ丘海岸から離れて紀伊水道へと
DSCF5660-1.jpg

小さなうろこ状の雲
DSCF5672-1.jpg

左手に伊豆半島、そして富士山が見える
雪が溶けて一面の黒っぽい土が露出しているのだろう。
DSCF5685-1.jpg

DSCF5695-1.jpg

鱗雲をまとった三原島。南端の入り江は波浮港。
かつて三原山が大噴火したとき全島民1万人が避難。
(多少のフライングはあったにせよ、このときは国の危機管理が機能していたんだね)
プロジェクトXの初期を飾る事案だった。
DSCF5697-1.jpg

房総半島の鴨川市上空にさしかかる。
温暖な気候で関東でものどかな暮らしができる場所ではないか。
DSCF5707-1.jpg

高度を少しずつ下げながら千葉の内陸部を北西へ
里山のたたずまいと無数のゴルフ場の対比
DSCF5708-1.jpg

首都圏に近い千葉の海岸線は自然の海浜を見つけるのは困難
東京湾の最奥に谷津干潟が残されたのは市民の活動があったから。
DSCF5712-1.jpg

機内から見える日本列島のドラマ(日常)に思いをはせつつ
1時間のフライトは終わりを告げる。
名もない一つひとつの家にはそれぞれの人生がある。

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

翌日は88番ゲートから。従ってバスで搭乗機まで送迎される。
夏の日、タラップを乗降する人々の姿が印象に残る。
DSCF5773-1.jpg

この日の午後、相模湾方面は雲に覆われていた。
眼下に見えてきたのは狩野川と沼津市だろうか。
DSCF5786-1.jpg

駿河湾上空の雲を見ていると飽きない
DSCF5791-1.jpg

富士山は見えないが、翼先端の左下にそれらしい雲の盛り上がりがある
DSCF5801-1.jpg

知多半島南部は住みやすそうだ。
こんなのどかな里山とまちが連続する光景を見ると
プレイステーションの名作「ぼくのなつやすみ」を思い出す。
もっとも知多半島には川がないか。
DSCF5803-1.jpg

松坂の沿岸で川が出会い浅い入り江をかたちづくるさまは
上空から見ると美しい。
DSCF5808-1.jpg

紀伊半島の山岳と渓谷、ダムを見ながら海が見えてくる。
大規模な風力発電所(広川明神山太陽光発電所)をあとに紀伊水道の対岸が四国。
DSCF5821-1.jpg

紀州側は衣奈漁港を最後に機体は紀伊水道を渡る
DSCF5824-1.jpg

その昔、南海フェリーで和歌山港と小松島港を結んでいた頃、
和歌山が近づくと「鞠と殿様」が流れ、
徳島が近づくと「よしこの」が流れた記憶がある。
四国を離れるとき港を振り返っては感慨に浸ったもの。

今度は午後の着陸なので
太陽を避けて陸(西)から海側(東)へと降りるために旋回する。
国道11号線をまたぐとき意外に低い高度にどきどきしながら。
今切川の南岸に沿って走るは徳島自動車道。
DSCF5834-1.jpg

道行く人が見えるような高さ。旧吉野川の上空を東へ向けて高度を下げていく。
DSCF5841-1.jpg

高気圧を上空から眺めてみたら
雲の集散と発生が動的に感じられ、
目には見えない高気圧(低気圧)の圧力をひしひしと感じた。
(この日はチャットモンチーのコンサート観覧者が乗機されていた。「完結」だったんだね。空港にファンの方を歓迎する手描きのホワイトボードが到着階段に置かれてファンが写真を撮っていた。小さなことだけど大切なこと。徳島空港のソフトは全国に誇れる水準だから)
徳島にお越しのみなさま、戻ってきたみなさま、
お身体をご自愛ください。

追記

室温は30度を超えているが
仕事場でも自宅でもエアコンは使っていない。
なぜ取り外したのかというと、
1990年代は環境の時代(the Green Decade)と呼ばれていた。

そこからアニータ・ロディックのボディーショップが出てきた。
彼女の著書が出たというので(まだ和訳が出てなかったので)
梅田の洋書店まで買いに出かけ数ヶ月かけて自分用に翻訳してみた。
理念、世界観が企業発展の原点となることを学んだ案件だった。

2000年頃から地球温暖化が進行すると思ったので
10年以上の歳月をかけてエアコンの温度を上げ、
数年前にははずしてしまった。
エアコンで快適に過ごすことを否定しているのではないし
我慢をしているのでもない。
温暖化している地球に身体を順応させる(進化とはいわないけれど)ことで
一生物として寿命を全うしようと考えたのかもしれない。
電力不足の口実にならないためとか、
ピークを下げるDSM(Demand Side Manegement)への協力が脱原発につながる、
という社会性も多少意識していたかもしれない。

復路では東京のホテルを出て自宅に戻るまで
機内での飲み物以外に水分は摂っていないが身体は順応している。
しかし無理をせずに自覚症状(初期症状)を感じたら
ミネラルと水は補給するのでご心配なく。
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 18:07| Comment(0) | 気象
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: