2018年04月16日

沢が流れ込む先は明丸海岸 波打ち際は哲学者の時間


休日を南阿波サンラインで過ごすことぐらい
おだやかで心が弾むことはない。
海岸性照葉樹の森と海崖が一体となった場所を
道がなぞって曲がる度に新たな発見があり
生きていく気持ちが筍のようにふくらんでいく。
(気持ちがふさいでいる人、行ってみて)

外ノ牟井浜からさらに南下する。
明丸海岸へ降りる前に第3展望台へ立ち寄ると
花が散ってしまったソメイヨシノに
たった一輪(一房)だけ残っている桜があった。
D7N_0072-1.jpg

散った花びらからさえ蜜を集めて飛び交う
(世界の片隅で営まれている生命の一コマ。この積み重ねが進化と絶滅だね)
D7N_0115-1.jpg

路傍の花、その思いがけなく空間ににじむような純白に
D7N_0120-1.jpg

沢が流れ込む先は明丸海岸。
DSCF3058-1.jpg

D7N_0084-1.jpg

D7N_0091-1.jpg

波を見ているだけでごちそう。
DSFT1296-1.jpg

DSFT1310-1.jpg

海辺に咲く山野草を探してみた。
これはキランソウで高さは1〜2センチ程度。
(何か特殊な機材を使っている? ミラーレスの標準レンズで中間リングを入れているだけ。フジX-T2+XF35mmF1.4 R)
DSFT1378-1.jpg

足元の山野草に目を留める人は少ないけど、目線を落としてやれば花は饒舌(コバノタツナミソウ)
DSFT1346-1.jpg

種類はわからないけどスミレの仲間
DSFT1379-1.jpg

かつて昭和の時代に観光開発が行われた南阿波サンラインも
いまでは道路だけが取り残された。
そこに息づく生態系とヒトとの濃密な関係は
ホモ・サピエンスが失いかけている自然への感性を覚醒させる。

「徳島には何もない」と自虐的に表現するのは
頭でっかちで感じない心。
自由で制約のない時間と空間に魂を遊ばせることができれば
もっとヒトは過去に戻れるし、そこから未来を俯瞰できるはず。

真空で鉛筆を完全な垂直に立てたとしても
いずれかの方向に倒れることから
南部陽一郎さんは自発的対称性の破れを発見した。
対称性が破れることで真空にムラを生じて(真空の相転移)
素粒子の動きにくさを生じ
質量を形成するヒッグス粒子にまで辿り着く。

ホモ・サピエンスに比べると
言語能力が劣っていても大脳のある領域が大きかったと想像される
ネアンデルタール人はもっと自由に時間や空間を認識し
それを自分が感じるままに表現していたはず。

70億人もいるヒトが地球上の独裁者のようにふるまう現代は
(政治も世界の随所で独裁政治がはびこっている)
人類滅亡への滑走路を滑っているように思える。
それは必然なのかもしれないが
そうでない生き方があるのではとも考える。
posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: