2018年04月10日

ネアンデルタール人への思いはいまも


強い者が生き残ると考えている人は多いだろう。
ところが進化については必ずしもそうとは言えない。
むしろ強すぎると生き残るのに不利になるような気がする。
(以下は生物学的な考察ではなく感覚的な感想に過ぎないのだけれど)

我が世の春を謳歌した恐竜は
6,500万年前の隕石衝突がきっかけとなって
一瞬のうちに絶滅したとされる。
(地球がその時々に全生命体に与える究極の試練、全球凍結や灼熱地獄などを経験した生命はその度に劇的な進化を遂げた。試練は機会となることを胸に刻んでおくとつらいことがあってもむしろ励みになるはず)

そんななかで生き残ったのは
強者の陰に隠れて細々と生きていた哺乳類の祖先だった。

強すぎるとどんな弊害があるのか?
環境に適応して勢力を伸ばす(増やす)ことになる。
これは間違いないだろう。

ところが環境の変化が起こり
生態系の変化が起こる。
生態系は連鎖しているので
頂点に立つ種への影響は計り知れない。

企業経営にも当てはまる。
あまりに我が世の春を謳歌している企業は
ビジネスの革新は自分の首を絞めることになりかねない。
(つまり収益の要となっている自社の主力事業を自社の新規事業が浸食していく)

ビジネスモデルの革新は
潜在的な需要を喚起するとともに
それまでの支配(競争)のルールを書き換えてしまう。
強みの源泉となっていたことが変化への障壁となって
ビジネスが成立する世界観が崩れてしまう。
強者の企業が強みを磨きつつも
多角化や複合化に走るのは革新への怖れからだ。

人類の場合、ぼくにとって謎であったことは
ネアンデルタールと現代人(ホモ・サピエンス)との関係である。

古い教科書には、ネアンデルタール人は現代人につながる旧人と記されていたが
いまでは紛れもない現代人として「ホモ」の冠称を付けて
「ホモ・ネアンデルターレンシス」ともいう。

ネアンデルタール人は、体格に優れ、脳の容積も
当時のクロマニョン人と比べても大きかった。
色白で褐色の髪をしていたとされ
スーツを着ていまの東京を歩いていても
誰も振り返ることはないだろう。

それなのに絶滅してしまった。
もっとも近い種族として
同じ地球上で試練や豊かさを分かち合った親しい仲間として
ネアンデルタール人への哀愁と感謝を込めて
ぼくは生きている(おおげさではなくそう思っている)。

おさらいだが
ネアンデルタール人は異なる人類である。
白人と黒人は随分見かけが違うので別の種類の人類のように見えるが
同じホモ・サピエンスである。
(70億人がほとんど同じDNAを持つということは、ホモ・サピエンスが小さな集団から再出発したことを意味している)
ところが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは
遺伝子の配列が異なる。
もしかして見た目の違いは
同じホモ・サピエンスの白人と黒人の差が
異なるヒト属である現世ヨーロッパ人(ホモ・サピエンス)と
ネアンデルタール人のそれよりも大きいかもしれない。

ネアンデルタール人はホモ・サピエンスとの生存競争に敗れたともいえる。
それはなぜか?
数年前のぼくは、言語能力の差があったこと。
世代交代につれて生存を左右する知恵の蓄積と
それを共有する能力の優劣につながったという説を信じていた。
(わずかな骨格の差から発音の明瞭さが異なるのではないかとの推測による)

もしネアンデルタール人がいまも生きていたなら
大相撲の横綱はすべてモンゴル人ではなく
ネアンデルタール人になっていたかもしれず
脳の容積は知性に比例するのであれば
ノーベル賞の受賞率はホモ・サピエンスより高かったのではないか。

当然、異なる人類同士なので争いは起こったはず。
(同じ人類同士でも争いはあったはずなので)
その際に1対1での戦闘は体力で勝る彼らが上だっただろう。

しかしここでも強者は生存につながらなかった。
約3万年前(諸説あるが)に絶滅してしまった。
ぼくにはネアンデルタール人が文化や芸術の素養を持ち
むしろ争いを避けたのではないかと思えて仕方がない。

ネアンデルタール人は魅力的であったのではないか。
それは科学的な検証を得て復元されたネアンデルタール人の顔から想像する。
ぼくがクロマニョン人だったなら
ネアンデルタール人の女性に惹かれていたような気がする。
ネアンデルタール人のなかにも
ホモ・サピエンスの異性に惹かれる場面があったのではないか。

そう思っていたら
数年前に衝撃的な本が出版された。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は混血していた、
現代人のなかにネアンデルタール人のDNAが生きているというのだ。

混血で獲得したDNAは特定の病気に罹りやすいデメリットをもたらしたが
それ以上に利点ももたらした。
異なる種族で受けつがれた遺伝子がもたらす多様性が
種の保存に有利に働いたのではないか。

ぼくが言いたいのは
現代に生きるホモ・サピエンスの画一的な生き方に危うさを感じるということ。
(みんなが同じものを良いと思って同一性を極限まで推し進めていく生き方)
言い換えれば、絶滅に向けて束の間の繁栄を謳歌しているようにも見える。

諸行無常、万物流転などの仏教の考え方や
生物多様性の価値や意義という生態系の視点に立てば
一人ひとりどのように生きていくかを自分で考えて
忖度とかSNSへの依存などではなく
自分のモノサシで生きていくことが何より必要なのではないか。

感情の動きをかたちにした非言語的な表現(芸術)をネアンデルタール人は持っていた。
一方で言語を道具に知識や知恵を体系化して承継していったホモ・サピエンス。
ホモ・サピエンスの社会で生きていくという現実を見据えながらも
ネアンデルタール人のような生き方や思いに共感しながら生きていきたい。

NHKで全3回シリーズで始まったNHKスペシャル「人類誕生」。
http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/
今回はCGでの動きに最新かつ細心の技術や感性を取り入れている。
アルディピテクス・ラミダス猿人の動きは出色であった。
次回(5/13)は「そしてヒトが生き残った」。
(いよいよネアンデルタール人が登場する。ホモ・サピエンスとの関係はどのように描かれるか楽しみ)

およそ20万年前に生まれたホモ・サピエンスは、アフリカを旅立ち中東へと足を踏み入れた。そこで待っていたのは、別種の人類ネアンデルタール人との出会い。彼らとの混血で獲得した遺伝子が、私たちの進化に大きく貢献したことが分かってきた。
しかし、出会いからわずか1万年ほどでネアンデルタール人は絶滅。なぜ私たちの祖先だけが生き残ったのか? カギを握っていたのは、ホモ・サピエンスの「弱さ」とそれを補うために進化させた「協力」だった。(番組紹介文から)


ライバルと比べて圧倒的に不利な状況や乏しい経営資源だったからこそ
大きな飛翔ができた。
それを企業経営やプロジェクトで描いたのが
プロジェクトXであった。
弱いからこそ、道を模索する。
そこに人類の繁栄につながる大切な行動があったとしたら
現代の人類の生き方はその方向から逸れている。
ネアンデルタール人がかつての友朋に警鐘を鳴らしているように思えてならない。

人類の起源と進化については
年々新たな事実が書き加え(書き換え)られているのだ。
https://amzn.to/2HpiPYC

posted by 平井 吉信 at 20:18| Comment(0) | 生きる
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