2018年02月04日

朝のお好み焼きから「生産性」を考える 料理も仕事も生きることも同じ

徳島といえば、大塚食品(ボンカレー)、徳島製粉(きんちゃんラーメン)がある。
ボンカレーはレトルトカレーの元祖だが、子どものぼくはおいしいとは思わなかった。
ルーのカレーでは、当時の家庭の定番はバーモントカレーという家が多かったと思うが
ぼくは満足しなかったので、あらゆるルーをためしてみた。

すると、ゴールデンカレー(中辛)がもっとも好みにあった。
ところがこのカレーにすると幼い妹が辛いといって食べない。
ぼくはバーモントカレーの甘口だけは食べたくない。
そこでカレーの日はルーを2種類用意して
ゴールデンカレーの分は自分でつくるようになった。
(いまでも使うけれど、レシピの7割程度のルーに抑えている)

今度は隠し味をためしてみた。
リンゴをすりおろしたり、はちみつをいれたり
コーヒーの粉、ケチャップなど、
理屈はわからないが、気が済むまで自分でやってみる好奇心旺盛な小学生だった。
餃子やホットケーキを焼くのも当時から家族のなかではもっとも上手だった。

見た目の盛り付けはどうでもいいと思ってしまう。
(どうせ胃袋に入ってしまうので)
料理をすることは好きで、むしろ楽しいといっても差し支えないけれど
時間はかけられない(やりたいことが多いので)。
冷蔵庫や野菜室を見てあまっている食材で
20分で3品程度をつくるというのが日課。

その際に出汁の素とか、○○の素は使わない。
旨味の足し算は味が濁ると気付いてからは
むしろ引き算に徹するようになっている。

そのことに気付いたのは
佐那河内で虎屋 壺中庵という料亭をされている岩本さんの手料理に接してから。
吉野川の河原で芋煮をするのだが
そのさい配を岩本さんがふるわれたことがあった。
メニューは地元佐野塚で採れたジイモを塩だけで味付けをした汁。
それが言葉を失うほど衝撃的だった。
素材の切り方、温度、入れる頃合いなど変数はそう多くない。
それなのにこれまで食べたことがない次元のおいしさだったのだ。

炊飯器で米を炊く、肉を焼く、野菜を茹でる、
といった誰がやっても同じ結果になりそうなことが
実は天と地ほどの差となる。
(できる人はこの言葉を決しておおげさとは思われないと思う)

炊飯器で米を炊くことさえ
ぼくが炊いたのとほかの家人が炊いたのでは質が違う(違いすぎる)。

うちは近所で特別栽培米をつくっている人から玄米を買って
毎日自家精米をして食べているけれど
おいしいご飯はやはりぼくが炊かなければ食べられない。
研ぎ方で、その際の水の使い方、浸し方(時間や温度)で変わってくる。

さらにいうと体調によって材料や調理も変えている。
身体が欲している食べ物を腸に届けるという感じ。

食は人の考え方、性格、体調、免疫力、つまり人生まで変えてしまう。
このブログから楽天的な生き方やユニークな洞察力、
自然への感受性を感じる人がいらっしゃるとすれば
その原点はまちがいなく日常の食にある。
(毎日どこかで外食していることを誇らしげにSNSに投稿する人は食の本質を身体が感じていないのだろう)

だから高校のときから体重や体型はほとんど変わっていないし
体力もさほど落ちていない。見かけも年齢よりは若く見える。
結局、アンチエイジングを突き詰めていけば、やはり食になるのだ。

かといって、オーガニック食材や特殊なサプリメントは買わないし買おうとも思わない。
ていねいにつくられた地元の食材や顔が見える食材であれば十分だ。

限られた時間を有効に活用しようとすれば
食をつくる生産性を上げることが人生の大切な要素と気付く。
(仕事の生産性も大切。特に製造業ではなくホワイトカラー。ぼくからみるとムダな作業をやっているホワイトカラーの生産性を上げれば=ここが経済のボトルネックと思いませんか?=日本の経済はもっと飛翔する)

早い話が戦略的な手抜きを行うこと。
成果に結びつかない作業はやらなくていい、
というよりやめるべき。
人生はプラスαしていくのではなく、
減らすことに意識を傾ける。
空いたところに成果につながる資源(時間、資金、意識)をつぎ込んでいくこと。

大きな組織では社長とか理事長とかの鶴の一声で現場が混乱する。
(経営資源を理不尽に動かすことがどれだけ生産性を下げるかわかるよね)
その反面、現場では不毛な合議(忖度)と冒険をしないありきたりの結論ありきで
絞りこんだ戦略を打ち出せていない。
それが今日の日本を招いている。
行政や大企業だけでなく政治もその片棒を担いでいる。
ゼロベースでリセットしてあるべき姿を描かないと未来はないよ。

おいしい料理をつくるために今度は○○を導入しよう、
こだわりの素材を使おう、
○○式の調理をしよう、
など手段だけに焦点を当てると
ここ十数年の日本と同じになるよ。

食べるとは何か(何が究極の目的=成果か)
その成果に至るには何が必要か(やらなくていいことは何か)
その成果に至る過程でどのような変数が存在するか
その変数における最適解はなにか

こう考えるべきなのに(以下はたとえですよ)
目標:「○○方式による○○の素材を3割以上採用した朝食を6割以上提供すること」

一見定量的に把握できるけれど、
成果に至る必要なこと、そうでないことの見極めが抜けているよね。
(料理もホワイトカラーの生産性を上げることも同義語とわかりましたか?)
仕事を依頼するなら言葉の定義ができる人、実行している人に依頼しなくてはダメですよ。
(適切な設問をつくることができる能力と言い換えてもいい)

日曜朝の料理の前振りでこれだけ語る人も希有、奇特な人でしょうけど
きょうはお好み焼き。
徳島市内の標高の高い場所で雪に耐えてつくられたキャベツをたっぷり食べたいから。

材料:キャベツ、小麦粉、レンコンパウダー(現在あるところで試作中のもの)、卵

広島焼きのように薄く広げた生地に
富士山のごとくキャベツを盛り上げる。
ひっくり返す前に生地をかけて
キャベツを蒸し焼きにする。
これで十分な栄養が採れるものが調理し始めて15分後には食べられる。

フライパンはリバーライトの26センチの鉄。

これだけで十分。
弱火から強火までリニアに温度が調整できる。
焦げ付くことはないがメイラード反応(焦げ目)を付けやすい。
テフロンでは時間かかって短時間調理ができない。
とはいえ、このお好み焼きも工程の9割は最弱火(生地が薄い点にご留意)。
最後はパリッとさせるために火力を上げる。
これが鉄でないとおいしくできない理由。
DSFT8041.jpg

見た目は悪いけれどキャベツたっぷりの後味良しのお好み焼きのできあがり。
(青海苔は日和佐産の青のりを使っている。品質管理がしっかりしていて安心して使える。道の駅日和佐やキョーエイで入手できると思う)
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200349/
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200394/

365日のほんのひとこまだけど食べることが大切なら
手間と時間をかけずにあるものを使って自分で作ること。
(食べ終わる頃にはほとんど洗い物も終わっている時短調理)

ゆうべは、窪川の生姜と鳴門わかめのスープをつくった。
(身体を温めるのがねらい)
具材はほかに余り物のシイタケが少々。
出汁と食感を楽しむために
トマトを半分に切って入れてある。
基本は薄めの塩味だけだが、
味付けは自分の器のなかで醤油を好みに応じて垂らす。
これも5分の時短料理。
(写真は撮っていない)

成果に結びつく生産性を上げること。やらないことはやらない。
(しかも「脱こだわり」&かっこつけない、あるもので自然体でやっていく)
そのほうが楽で愉しい。
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 11:31| Comment(0) | 生きる
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