晦日にフルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団の第九を聴いた。
新しい年の日付を越えてラトル/ウィーンフィルの第九を聴いた。
年末に第九でも聴くか…ではなく
ベートーヴェンは生きるか死ぬかの間で出会った音楽であり
生涯をかけて接していくと心に決めた。
モーツァルトは天才だけれど
それはロココの時代をまとった絵画。
ベートーヴェンは古典音楽だけれど、いまの時代に生きている。
ベートーヴェンと向き合うことは
作曲者の魂の高さに登り詰めること。
作曲技法や楽曲を分析しても
それ以上に共感の深さを持って楽曲に同化しようとしなければ
音楽は魂に響かない。
20代の頃、
もっともベートーヴェンを理解しているひとりと思っていた。
(いまでも思い上がりとは思っていない)
良い演奏とそうでない演奏は峻別できた。
そして自分も創造したいと思った。
古典のソナタ形式はかたちの秩序を求めている。
その制約が創造を育む。
創作意欲をかき立てられるのは制約があるから、ともいえる。
ベートーヴェンは形式を尊重しつつも
必要なときには飛び越えた。
さらなる真実のためには破ってはならない法則はない。
ゆえに歌手は歌いにくい、オーケストラは弾きにくい、
管弦の響きは鳴りにくい、作曲の職人とはいえない。
ベートーヴェンの作曲はアマチュアのようである。
なぜ、第1楽章は壮絶な稲妻であって痛切な憧れを秘めているのか?
なぜ、第2楽章は踊りの祭典であって天を仰ぐのか?
なぜ、第3楽章は人間が天上世界を追体験することができたのか?
なぜ、第4楽章はこの音楽に初めて接する人を揺さぶるのか?
楽曲はたったいま生まれた。
再創造の現場に居合わせた。
魂の高みを見ようとする人間に新たな地平線を見せてくれる。
ぼくは知っている。
それは射手座の彼方から届いた銀河の光芒が放つ強力な磁場のよう。
(共感と同じ魂の高さで白い光を見る。例え幻想であっても)
その気持ちをこの地域に、この国に、この星に振り向ける。
それしかできない、それでいい。
2018年 年賀状に代えて
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