2017年07月01日

地域で創業、起業をするために


人口減少の影響を受けるのは山間部から。
人口の減少は市場規模の縮小を意味し、
産業の担い手の高齢化と相まって廃業、移転が避けられない。
(都市部で成功した人が趣味のために余生を楽しむビジネスを行うのなら別だが)

すると、暮らしのための買い物ができなくなる。
移動スーパーやインターネット、生協も代替手段だが
それですべてを補えるわけではない。
(自分が動いて選ぶという買い物の楽しみ)

事業はリピーターの存在が不可欠である。
いつもいつも来てくれるのは地元のお客さんであり、
地元の事業所は地域の暮らしを支える責務があるともいえる。

しかし、地域の人口は減少している。
ゆえに商圏を拡大しなければならない。
商圏の拡大には、魅力が必要。
魅力とは、あえてそこを選ぶ強い理由。
個性、専門性、大切にしていることが共感を呼ぶこと。
顧客を選ぶ(排他とは意味が違う)から、顧客に選ばれる。

けれど、その方向性と地元密着が相容れない。
地元に専門性を必要とする人が少ない、テイストがわかる人が少ない。
地元密着型の事業だと、地元と地元外の顧客は、8対2となる。
ある程度安定するものの地域経済の規模は小さくなるのでジリ貧となっていく。

地元と地域外の両方に訴求しようとする。
比率は、6対4となる。
それまで地元になかった半歩先を行くもので、
地元にもある程度受け容れられる個性である。
しかし、地元の購買力はやがて落ちていくし、
顧客は移り気で地域外からの購買力も安定して確保できない。

地域外の特定の層に訴求すると、地元と地域外の割合は、1対9となる。
個性や専門性が際立っている、
その事業の動機や理念に共感できる、
経営をしている人がどういうわけか人を惹きつける力があり、
アートとしても感性に訴える、
事業の成り立ちに多くの人が関わっている、関わりたいと思う参画意識。
(これらの場合はSNSは効果的な情報伝達手段となる)
こうしたものが、わざわざそこまで出かける魅力となる。

しかし、それには交通事情が関所となる。
平日に客足を確保しようと思えば、
非日常感のある場所ではあっても
道が狭く曲がりくねっておらず(幹線から脇に入る距離が短い)、
来訪のための所要時間が最大で1.5時間までではないだろうか。

最初の入口は、事業所との濃い意思疎通をきっかけにファンとなってもらうこと。
(体験型とは、その専門性やコツなどを5人程度の人数で1時間程度にわたって事業所が啓発する密度の高いやりとりを持てることを意味する)

発信して魅力のあるコンセプトを構築すること、
そこに来てもらうための発信ができること、
前提には、共感を得る理念、世界観を持っており
それに沿って迷いのない絞りこまれた経営(=経営資源の戦略的な集中)ができていることが前提。
また、成り立つ事業は限界利益率が高いビジネスモデル、
例えば、高い製造直売のような形態か、専門性の高いサービス提供型に限られる。
かつ閑散期の影響を軽減する仕掛けを持っていること。

こう考えると、地域での起業は生きがいと直結している反面、
戦略がないと持続することが難しいとわかる。
交流会やSNSで知り合った数人がコラボレーションと称して
自分たちの持ち物を組み合わせてもほとんどが育たないのは戦略がないからである。

異業種交流会やFacebookなどで知り合った連中がその場で意気投合して
Aの持っている製品や素材 × Bのネットワークや話題 × Cの提供するプラットフォームや流通
の掛け算をコラボレーションと称しているけれど
(仲立ちをする煽り手や目を輝かせて夢を語る似非メンターがいる)
それが特定の周波数を響かせ合う音叉のように共鳴し合い強め合い
それがファンとなって買い手も売り手の3人も納得できる絵を描けているだろうか?

同じようなことをやっていても
支持される場合と支持されない場合がある。
それは、その行動が社会性の裏付を持っているかどうか。
ここでの社会性は、
多くの人が心の奥に気付いていないかもしれない潜在的な思い(集合心理の欲求や共感の要素)を
浮かび上がらせることができる力のこと。
(こういうことがやりたかった、私はこれを求めていた、と気付かせる)
時代を移す鏡に写る心象風景、社会的な使命を帯びた革新性など
心の中で待ち望んでいたものを掘り起こしてくれたから。
それにはSNSの働きは大きいだろう。

戦略とは、誰のどんな場面にどのように役立つかを描いて
それを実現する経営資源を組み合わせ、
それを必要とする人の心に響き、行動に移してもらい、
言っていたことが裏切られなかった、と納得して信頼関係を築いて
次に仲間を連れてリピートしてもらうまでの一連のプロセスの設計である。

心を動かすということは、
「何をやるか」よりも「どのようにやるか」が大切ということ。
やっていること「何を」は同じであっても(ありふれたことであっても)
その動機はそれぞれ違う。
そのことは「どのように」の違いになって現れる。

ビジネスの手法も然り。
10万円の元手で掘っ立て小屋で始めて
少しずつ元手を増やし、
それで機械や設備を揃え、人を発掘して育てるなど
カネ  → モノ  → ヒトとノウハウ と経営資源を少しずつ拡大していく循環を持つこと。
このように、出発点はカネである。
思いや理念はある程度、身が肥えてこなければ前面に打ち出したくでもできない。
しかし、思いや理念がなければ稼ぐ前提が存在しない、というのも真実。
(ニワトリと卵のようなものだが、実際には並行して獲得、発信していくものだろう)

自分が自分の打ち出す理念を信じることができなければどうなるだろう?
お金が入ってこなければ、簡単に理念を放棄してしまうことになる。
すると、出発点がずれてしまう。
このことは小さなビジネスにとって致命的だ。
なぜなら、出発点を固定してそこに経営資源を準備したので
それが揺らぐとリスク要因となる。
理念は間違っていない、アプローチを変えてみよう、
それを試行錯誤で行っていく(リーン・スタートアップ)考え方ならいい。
でも理念は変えるべきではない。
出発前に社会を洞察し、自分の気持ちに絶えず問いかけてこの理念でいいと確信を持つこと。
それが出発点だから。

借入はなるべく行わない、補助金は当てにしない。
それがやり方を間違えない。
戦術の試行錯誤はあっても理念の試行錯誤はないのだから。

地方創生に絡んで各地で目にするコミュニティビジネス型の創業にはパターンがある。
地域の課題を解決するために、ITの導入、人材の育成、産業構造の転換等を図ろうとする。
そこに各省庁の補助金を使って、上記の方策で地域ビジネスの実験を行う。
地域課題の解決策の構築(開発費用)を補助金で賄うという発想である。
しかし補助金はやがて切れてしまうので
ノウハウやしくみは普遍化して類似の地域で売り出す必要がある。
(早い話が補助金でコンサルティングのネタをつくる)
そこそこ成功してマスコミに受ける絵ができると
今度はどこかの地域が補助金を活用して発注してくれる。
もしくは実績を手に地域を流れて金儲けをしていく。
(地方創生は地域おこし自称コンサルタントの草刈り場になっている)
補助金による開発費用のリスクを自治体が負担するビジネスモデルは錬金術のようでもある。
(自治体の職員の目利きが問われている)

落とし穴は普遍化したノウハウがどこででも通用しないということ。
いまだに上勝町のいろどりに匹敵する葉っぱビジネスは存在しない。
ノウハウが足りないのではない。
(ほんとうに大切なことは目には見えない)
そこに求心力と担い手がいないから。
最初に開拓したヒトの利益(ブランド)があるから。
ビジネスモデルは容易に移転できないことがわかっていながら
いまだに国も自治体も成功事例とそのノウハウにすがろうとする。

地域おこし協力隊はそのエンジンとして機能するはずであったが、
受け容れ側のプロセスの設計図が不明確で未来予想図を描けないまま招へいしたので、
協力隊がイベントの裏方などをやっている場面が散見される。

協力隊のやりたいことが地域課題の解決になること、
そのためのサポート体制(公民連携)があること、
少なくともこれが協力隊事業の出発点(枠組み)。
そもそも源流をたどれば、地域に立法や行政などの主権があること。
(消費者庁の移転は何の解決にもならない)
そこに地域が生きていく課題(本質)があるのではないか。


地域で起業する事業所は地域に受け容れてもらわなければならない。
そのため地域の役務や行事に積極的に参画していくことが求められる。
これは事業が失敗しないための前提と理解する。
田舎の人間関係の本質の一端がそこにあるから(嫌な面ではあるけれど)。
プライベートな時間を割いてでも飛び込んでいかなければ
地元は支えてくれない。

しかしそのことをやっていると本業ができなくなる。
地元の人たちの意見を聞きすぎるとコンセプトが迷走してしまう。
のんびりと自分のやりたいことをやるために地域に入ってきたはずなのに
望んでいたものとは違っている。

基礎自治体では、円滑に事業が進むよう援護射撃を行っている。
すなわち改装の補助金、研修事業やイベントの開催を委託するなど。
すると、疲弊している地の事業者はおもしろくない。
入ってきたばかりのよそものばかりを優遇すると役場にクレーム。

地域で事業が円滑に行くためには
もともとの地元出身者が
都市部のビジネスの洗練を身に付けて戻ったときに限られる。
すばりいうと、Iターン事業は苦難の道のりが待っている。
(こう書くと身も蓋もないが、それだけ地元の力を底上げしなければ地域ビジネスは前へ進めないだろう)

限界集落や防災危機を眼前にしながらも地域住民の意識は高まらない。
一例として、生活道でもある国道を時速30kmで走る地元車両が道をふさいで平気な顔をしている。
これはひとつの象徴的な事例である。
地域に篭もって社会とのつながりを実感していないという意味で。
これがどれだけ訪問者の地域への心象を悪くさせているか、
ひいては経済活動にも影響を及ぼしているか。
(当事者は想像もしていないだろう)

このような状況のなかで地域で起業して成功するのは100に3つ。
うまく行っているように見えて、内実は大変なのが100に10。
残りの9割は撤退もしくは撤退予備軍となっている。
創業を煽るだけでなく、公民挙げて地域プラットフォームを動かして
創業者を支えていくことが必要だ。

なぜなら、集落を維持するためには地域で経済活動を循環させていくことが必要だから。
そのためには、外部の力(有名人)をあてにせず、適切な助言者のサポートのもと
内側から起こしていくこと。それができなければ地域が、ひいては日本が沈んでしまう。

いまの日本の政治や行政の形態、現政権の政策、地方創生のばらまきは
浪費と地域の自立を妨げるだけで
地域の課題の解決にもっとも遠いやり方であることに気付いて欲しい。
posted by 平井 吉信 at 21:53| Comment(0) | 生きる
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