バブル経済の頃はよかった。
その恩恵を受けることはなかったし
その影響を受けることもなかったけれど、
(いまと生き方も考え方も体型も変わっていないので)
だからといって斜に構えるのではなく
周囲が浮かれているのはぼくも愉しい。
でもバブルは人間の本質が浮き彫りになった。
バブルが弾けたあと、失われた20年というけれど
政治が無策であったことが幸いしたように思う。
民間では次の時代を見据えて思い思いに歩み
いまの日本の基礎(応用)ができたと思っている。
日本の時代は終わった、と誰もが思ったが
実際は本質を見つめて次の時代にするべきことを積みあげていた。
特定の企業ではなく、全体として。
(ただ、大企業は相対的に没落した。日本的合議制の意思決定がイノベーションのジレンマを招いた)
政治はどんどん劣化して現内閣で滑稽な水準にまで落ちてしまったが。
バブルの頃には道ばたにはゴミが落ちていたし
人々が列に割り込むこともあっただろう。
外国人観光客が日本をもてはやす要素はその頃はなく
「失われた20年」に醸成された、と考えれば
本質を見つめるきっかけとなったバブルは必然であり
よかったと振り返るのだ。
いつも思っていた。
隕石の衝突で生命のほとんどが滅びる事態があればどう過ごすだろう。
(いまの技術では直前にある程度予測できるようになっている)。
そんなときも日々変わらず過ごそうと思っている。
明日は来るものと思って明日の仕事の準備をいつものように行う。
その姿勢はバブルの頃もいまも変わらない。
流されない強い人間、というより自分探しをしないだけ。
このブログの読者は、ぼくがいまだにPHSや
15インチのブラウン管テレビを使っていることをご存知でしょう。
生活のなかで必要がないから変えないだけで、
変えないことを目的にしているわけではない。
自分とは何か、生き方はこうあるべき、という自分のアイデンティに無頓着なだけ。
自分は…という主語を消して生きてみると、自分が輝くという不思議。
(それが目的ではないけれど)
だから生命の輝きを感じたり自らの生命力を感じることは好き。
そんな過ごし方をするとき、春の森の散策はしっくりと来る。
そこで木沢の砥石権現の新緑を散策することにした。
まだ、蝉は鳴いていない(ハルゼミ)。
国道193号の土須峠の手前で空の高さを感じる。

剣山スーパー林道に入ってからも
樹間ごしの空は手が届きそう。けれど、はるか。

林道から砥石権現の西のコルに向けて適当に森を上がっていく

葉っぱが描く幾何学でははかれない模様
性能の良いレンズがあれば楽しい

もはやヤマシャクヤクの花や春の山野草は姿を消しているが
それでも森のベッドは薄日を感じている。

なんという一日だろう。
森のこぼれ陽、木漏れ日、篭もれ美だ。

もう尾根に出た。広葉樹が多様に分布していて
それぞれの花の時期、紅葉の時期には錦絵となる。
いまは萌えの一手で推してみる。

林床の山野草は萌え。


入山して誰とも会わなかった。
でも、この「萌え」幻灯機の投影は、
例え百人いても気付かないかも。

尾根に出て森が明るくなる


ヤマツヅジの今年最後の輝きは濃密なストロベリーケーキのよう

誰が名付けたか水恋沢の明るい森はこの山の白眉

水恋沢を下ると見晴らしの良い岩場に出る。
正面に見えるは山頂に巨人メカを従えた高城山

アケボノツヅジは終わっていたが今度はシャクナゲの出番
くるりときびすを返してマイクに向かうアイドルのように



森の恋人は空腹なのかもしれない

きょうも砥石権現で新緑に遊んでもらったから
いつもと変わらず明日への階段を昇る、登り続ける。


そうそう、もう花が終わっていると思っていたヤマシャクヤクが
谷底で咲いていました、一輪だけ。

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