中学校へ通うには、7時7分発の快速列車で徳島へ向かう。
学校は駅から歩いていける場所にあり、チャイムは「エリーゼのために」であった。
音楽の授業は女性の先生が担当した(黒田先生という)。
ピアノを伴奏しながら生徒に歌わせる。
1年生になって最初の授業で習ったのはこんな曲。
♪みんなで通うこみち 小さな川のほとり…柳の枝は笑って 道をあけてくれるが…
歌の題と歌詞を思い出せないから現物を当たってみよう。
部屋に入れば3秒で出てきた。中学1年生の教科書が(さほど埃も被っておらず)―。
(20年以上は見たことがなかったけどね)

余談だが、ぼくが持っているもの、使っているものは
なくならない、壊れない、というのは不思議なもので
小学校から使っているものさえある。
(モノって大切に使う気持ちがあれば長持ちするどころか、ますますなじんでくるよ。断捨離だとかときめなければ捨てるとか、したくないよ、そんなこと)
カメラなどそれなりに使いこんでいるのに、
完動する美品としてオークションで高く売れそうである。
(20数年前のミノルタのMDレンズなどは箱から取り出したばかりのようである。ぼくと一緒に地球を駆け巡ったというのに)
さて、歌の題は、「学校へ行く道」という。
なぜ印象に残っているかというと
先生のピアノの伴奏が芸術的だったから。
もちろん楽譜どおりに弾いているけれど
曲調(曲の雰囲気)が変わるところで
わずかにリタルランドをかけて
その直後に小休止に満たない間合いを入れ
(本来入るべき瞬間よりやや遅れるのでぼくはかすかな小休止に気付いた)
そこから思い出したように駈けだしていくのが曲調に合っていたから。
当時のぼくはそのような技術的な言葉を知らないけれど、
小学校のピアノの伴奏とは明らかに異なる芸術の香りを味わった。
学生の授業といえども先生は全身全霊で曲に向かっていったんだね。
(教える人の姿勢、思いは伝播する)
同級生のなかに歌の上手な女の子がいた。
色白で品があって明るい女の子でしかも頭が良かった。
成績は彼女がクラスで1番でぼくが2番というのがお決まりだった。
順番に独唱をさせられると緊張するが
彼女が歌い出すと、清楚でありながら豊かな声量と美しい日本語の発声で
しばし聞き入ってしまう(同級生の歌声に呆然と感動していたのだ)。
中学ではLL教室があって、
英語はネイティブの音から入った。
入学当初、アルファベットぐらいしか知らなかったけれど
発音から入ったので、いまでも英語のニュース番組などはほぼわかる。
(LとRの発音の違いなど意識せずにできていた。大切なのは、サーファーが波に乗るのと同じで英語の波=抑揚に乗れるよう脳をなじませていくこと。発音が多少悪くても抑揚が合っていればネイティブには伝わるよ)
留学経験もないし塾も通っていないけれど、日常会話は困らない。
(外国旅行でトラブルに巻き込まれそうなときにも自分を救ってくれた)
さらに余談だけれど
ぼくは高卒で大学は行っていない。
しかも卒業したときの成績が400人中の上位95%にも入っていない。
(ということは、下から5%以内には入っているということ。すごいでしょう)
でも、一夜漬けの勉強ではないので
現役の高校生や大学生に聴かれても
いまでもたいがい教えられる。
自分は秀才だと言っているのではないよ。
(秀才だとそんな成績は取らないでしょ)
でも学歴は人生と関係ないと言い切れるよ。
(学歴詐称なんて意味ある?)
言いたかったのは、ほんものの教育を受けることが
(私立の中学校だった。このレベルの教育を公立高でも提供できるといいのだけれど)
その後の人格形成や生き方に影響を及ぼすということ。
変化の激しい時代に型にはめて思想を閉じ込める教育(教育勅語)からは
自分から変化を創り出せる人材は生まれない。
ほんとうに力を入れるべきは創造性を育み
自分も周囲も幸福感を感じることができる教育だよ。
いつも前置きが長くなってしまう。
ぼくが言いたかったのは、川沿いに柳が生えた小径に郷愁を感じるということ。
(ごめんなさい)
ここは四万十市中村の入田のヤナギ林。
もともと四万十川の河川敷だったところに
木々がうっそうと茂り人々が川に近づくこともできなくなって
洪水の水位は上がってしまう(逆に四万十川の大水が少なくなったことが原因では?)
(河川工学でいうと、川の流下能力を妨げる=粗度係数が上がる。えっ、普通科の高卒の人間がなぜそんなことを知っているかって? 日常生活で必要だったからだよ、マニングの公式が)。
昭和40年代の拡大造林、砂利採取とダムによる下流の河床低下、
流量の減少などがもたらした下流の瀬の減少などは
日本の大河の典型的な現象。
目を閉じれば入田付近の四万十川の半世紀の変遷が手に取るように浮かぶ。
近年になってそれらの木々を伐採したあとに、適度な密度のヤナギを残したのだろう。
そんな歴史的経緯を見ながらここを訪れるとさらに興味深い。
1か月前はちらりほらりだった四万十市中村の入田の河原は菜の花が満開となっていた。
今回は満開(ピークを過ぎようとしている)だった。
でも、観光客は誰もいない。
なにせ風が強く冷たい。冬のコートとマフラー、マスクでも寒いほど。
それでも風が収まる瞬間を待ってみる。
地面から菜の花の歓声が聞こえてくるよう。

カメラを持った妖しいおじさんだけれど、あいさつしてくれてありがとう。
寒風をものともせず、子どもが駈けていくとうたの世界のよう。

いつもの小川の生態系に今年も出会えた


菜の花が横たわる銀河と木陰が織りなす光の綾

ヤナギの枝は笑って道をあけてくれた…。
(フジX-E2+XF14mmF2.8 R、XF35mmF1.4 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)
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