2017年03月30日

四国巡礼 旅を想う カナダからのお遍路


春はお遍路の季節。
四国巡礼の旅、空海の遺徳を忍ぶ旅人は宗派も民族も問わない。
土佐佐賀の展望台はいつも小休止を取るところ。
抗うことを忘れたひねもすのたりのたりの海。
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車から降りて歩いていると展望台があった。
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展望台から海を眺めていると、ぼくの後ろから人影。
地図を眺めているようだ。
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ここは声をかけるのが礼儀と、
「何かわからないことはありますか? ここがどこかわかりますか?」
と日本語で話しかけた。
(外国人だから英語というのは先入観で、まずは日本語で話しかけてみる)
「ニホンゴ ワカラナイ」

ここからは英語で(それを日本語に訳してブログへ)。
「いまいるのはこの辺りですよ」(ローマ字表記の地図を指さして)
「ああ、わかります」
「きょうはどこまで行きますか?」
「ナダまで」
「岬のあるところですね。ここからだと10km少々でしょう。天候がいいのですばらしい歩きになりますよ」
「そう思います」(自分の身なりを指さして)「きょうはそこで泊まります」。
「灘には公的なキャンプ場ではありませんが、休む場所があって快適に泊まれるでしょう。四国に来て何日になりますか?」
「35日です。徳島ではお遍路をたくさん見かけましたが、高知県西南部ではあまり見かけません。公共交通を使っているのでしょうか?」
「距離が長いですからそんな人もいるでしょう」
(5本指のタビのような靴やハイドレーションを見て)
「アクティブな装備ですね。特に靴がいい」
 彼女はアウトドアの装備である。
「とても楽でいいですよ」
「合理的と思います。ぼくも遍路するなら白装束や杖や傘は持たずにあなたのようなアウトドア装備で行きたいですね。ところで、どちらから来られましたか?」
「カナダから」
「もし伺ってよければ、仕事は?」
「科学者です。研究が一段落して次の研究が秋から始まるのでこうして一人旅を楽しんでいます」
 なるほど、サバティカルリーブ(適当な日本語訳が思い浮かばない)のようなものなのだろう。
「うらやましい! ぼくはこれから仕事で四万十市へ行くところです」
「どんな仕事で?」
(略)
「あ、そうそう。写真を撮ってもいいですか?」
「どうぞ」
「一枚だけ。ありがとう。良い旅の幸運を祈ります」
「あなたも」

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旅はいい。
風が自由だから。
自由な旅をしていたことを思い出してなつかしくもあった。
日本人がめずらしいのか、子どもが照れながら付いてくる。
(いや、地方に行ったときは日本人の子どもも遊んでくれたけど)

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生きていることそのものが人生の旅ではあるけれど
旅心をどこかに置き忘れてはいないだろうか。
いや、置き忘れたのは旅心ではなく、旅に憧れる気持ち。
それさえあれば、いつでもどこからでも始められる。
いまはゆとりがなくても、時間をつくることができなくても
憧れを温めて続けて人生のいつかの時期にスイッチを入れてみる。
そんな時間はきっと訪れると信じて生きていく。
旅は、それがあると思い浮かべるだけで愉しく過ごせる人生快適化装置。

posted by 平井 吉信 at 23:07| Comment(0) | 生きる
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