2017年02月02日

19回太陽が廻って2月2日は神山の休日、上一宮大粟神社と大粟山の物語


創業して19年目の今日は、2が二つ並ぶ日。
太陽が19回廻って水瓶座に戻ってきた。

仕事は次々と押し寄せて少し疲労感(with充実感)はあるけれど、
それもまた人生。

そんなとき、ほのかに季節を感じつつ
しっとりと濃淡を散りばめたやさしい料理が欲しくなる。
行こう、神山へ。

いつもの店で出てきたのは
ホウボウの煮付け、鳥の唐揚げ。
それぞれ、いい。
DSCF2725-1.jpg

DSCF2727-1.jpg

季節を先取りした菜の花のおひたしなどもある。
これでじゅうぶん。

DSCF2739-2.jpg
3分の食事の日常を、
半時間かけて食べる非日常に変えてくれる。

文旦のデザート
DSCF2741-1.jpg

小学生の頃、来ていた毛糸の服をいまも着ている
DSCF2746-2-1.jpg

料理だけではない居心地の良さは
お迎えしていただく店の方々の品格あってゆえ。

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

今年はじめて上一宮大粟神社へ行ってみる。
神社の下にクルマを停めて石段を上がるときめき。
(神社の境内近くまでクルマを乗り入れずに下から歩くのがいい)
D7N_3058.jpg

DSCF2781.jpg

DSCF2778a.jpg

手水の使い方の説明が少女のイラストで。
人形のアリスちゃんの里がえりの物語をふと思い出した。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/174363083.html
D7N_3060a-1.jpg

DSCF2764.jpg

ここへ行くとは知らせていなかった相棒が、
そういえば、注連縄が新しくなったらしいと教えてくれる。
D7N_3064.jpg

DSCF2765.jpg

日本麻振興会による動画が掲載されている。
https://www.youtube.com/watch?v=Pu73v42SYiQ
2016年10月9日に奉納されたとのこと。
地元の方々で賑わっている。
大切な信仰の山、神社、土地である。

参拝では個人的なお願いはしない。
ご祭神(大宜都比売)とこの国の弥栄を祈るだけ。
そしてただありがたく。

あそこに粟の紋様が付いている、と指さすので見ると確かに。
(いつも指摘に感心するが、先入観なくものごとを見ているのだろう)
D7N_3078-1.jpg

こんなことも言う。
オバマさんは好きだけど、社会に変革をもたらすことはできない。
社会(毒)を薬で治そうとするから。治されたくない人が抵抗するから。
トランプ大統領の出現は必然で、
薬を受け付けない人が勘違いして毒を受け付けてしまう。
けれど短命に終わる政権。
誰も幸福にはならないことがすぐに露呈するから。
しかし毒と薬は紙一重。実はそのなかに新しい時代の萌芽がある。
その役割は(本人も意図せず)崩壊の引き金を引くこと。
毒を毒で洗い流し、既得権や既成の価値観がひっくり返る。
歴史のなかでトランプ政権は変革を呼び出すスイッチ、との意見。

(小泉政権の作用に似ているのだともいう。その後の民主党政権を生み出す流れをつくりだしたが、その揺れ戻しは強烈に働いた。それは政党政治の終焉を意味しているとぼくは思う)
なるほど、政治や経済はまるで素人の話だけれど、そういう感じ方もあるのだろう。


インターネットではこの神社はパワースポットとの言い回しや
特別な場所という表現がときどき見られるが
(それはそれで肯定したい)
それは、全国で○○川の鮎は日本一というのに似ている。
(日本一の鮎や邪馬台国は全国どこにでもあるのだ。それでいい)

→ 地元ケーブルテレビ制作「第三回 阿波古代史プロジェクト「天岩戸は神山で開いた」〜阿波に広がる古事記の世界〜」https://www.youtube.com/watch?v=lbDf0zvcjFo

それよりも上一宮大粟神社の醸し出す雰囲気が好きだ。
風雪に耐えた時間の悠久を感じさせる。


神社とゆかりのある隣の神宮寺にも立ち寄る。
ここの庭園は山懐のひたひたと迫る場所にあり
心地よい分散と集中を感じさせる庭の配置となっている。
DSCF2772-1.jpg

地蔵様にもぬくもりを。
施した人の心も、施された地蔵尊のお顔も、ぬくい。
D7N_3075.jpg

DSCF2777.jpg

ぼけ封じの観音様は現代風の凛々しいお顔。
D7N_3071.jpg

ランチを食べた店でイラストの地図を手に入れたので見ていると、
大粟山に常設アートがあるという。
神社から登るのではと見当を付けて境内へ戻ると
たまたま上から降りてきた人がいたのでお尋ねすると
クルマで車道から行くといい、上には祠があるだけ、とのこと。

そこでコットンフィールドから廻っていくと
大久保の棚田へ出た。
なるほど、大粟山を半周したことになる。
これは行きすぎた。
途中で山へ入る細い分岐があったのでそちらへ入ると
どうやら林間にアートらしきものが。

釣り鐘のようなオブジェだが、竹の切り口でできている
DSCF2783.jpg

DSCF2788.jpg

クルマを停めて次々と見つけながら
森を散策していく。
DSCF2795.jpg

針葉樹がほとんどだけれど
樹間の木漏れ日が宝物のようだ。
DSCF2807.jpg

DSCF2813.jpg

DSCF2818.jpg

高いところがもうないので
ここが上一宮大粟神社の背後にある大粟山の山頂のようだ。
DSCF2822.jpg

DSCF2827.jpg

DSCF2835.jpg

DSCF2832.jpg

往路と道を変えて下っていると
神社の方向へと下る道があり、
しばらく下ると神社の社務所へと出た。
やはり上一宮大粟神社から大粟山へ通じる散策路があったのだ。
思ったより近い。
DSCF2842.jpg

神山の氣にふれた半日。
魂をふくよかなに広げた神山の休日も過ぎて、
次は20年目の2月2日か、と思いつつ仕事に戻っている。
いつもと変わることなく今日が終わる。
ただ受け容れて、ぼうっとありがたくもある。
ほのぼのと―。





posted by 平井 吉信 at 21:56| Comment(0) | 生きる
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: