2016年10月16日

秋祭りの夜 しんしんと闇にまぎれる  勝浦町坂本(第3回さかもと あかりの里)


あれは20数年前だったか。
まだ小松島から阿南に南進する阿南道路はできておらず
那賀川と桑野川が接近するあたりで堤防が細くなり
田んぼか萱原が広がる低地をうねるように道が続いていたと記憶する。
事件はそのとき起こった。

D7N_2260.jpg

まだナビはない時代、
さりとて地図が読める。
(小学校ですでに世界地図、日本地図のほとんどの地名や地形を覚えていたので)
高校があった阿南は土地勘があるし、
身体の感覚は東西南北を捉えている。
それなのに半刻ばかり運転しているのに同じ場所に出てしまう。
めざす富岡のまちはどこに行ってしまったのか?

このまま抜け出せないのかと思ったらなんとか自宅に戻れていた。
どこでどうして道を失ったのか、どのように戻ったのかも記憶していない。

ときを同じくして親父の運転する車(母を乗せていた)も
同じところで道に迷いぐるぐる彷徨ったという。
不思議なものだ。
(おもしろおかしく書いているのではなく実話である同じような経験をされた方、投稿フオームでお知らせください)

2016.10.26情報追記
本日発刊の「小松島タウンニュース 第334号」(徳島新聞小松島市販売店会発行)によると
冒頭の泉正夫さんの「あの話この話」で県内の地蔵信仰が綴られている。
そのなかで、狸に化かされないように地蔵を建てた話として以下のように書かれている。
那賀川町江ノ島、島尻、西原地区には道を通るときにタヌキに化かされないように建てた地蔵がある。

対岸とはいえ、道に迷った場所からは近いところで3km程度である。
やはり昔からあったのか。
泉さんはいつも良い記事を書かれていて保存版にしたくなる。
20年ぐらい前だったか、教頭先生をされていた頃、
横須海岸に松を復元される活動を試みようと
わが家をお訪ねになられたことがある。
地道な研究を一生をかけて続けていらっしゃる泉先生。
この連載は単行本にならないかと切に願っている。
(追記ここまで)

なお、よくよく振り返ってみると
このあたりの那賀川の河原は叔父が見つかったところである。
叔父は、台風が過ぎた直後の那賀川で鮎がたくさん掬えると誰かに聞いて
かんどり舟を濁流に漕ぎだしたものの
直後に水衝部でテトラに激突して消息を絶っていた。
仕事を休んで海までの河原をくまなく探したもの。
遺体は見つかったのがせめてもの幸い。それがこのあたり。

きっとタヌキにたぶらかされたのを
叔父が助けてくれたのではないだろうか、と思うようになった。

徳島では深夜に佐古の方面から眉山を見ると
篝火が踊っているのが見えるという。
そんなときは見ないふりをして寝るのに限るらしい。
好奇心で袖の下から手を招こものなら
たちまち遠い山の灯りが目の前に火の玉となって押し寄せる、
との言い伝えがあった(三田華子「徳島の昔ばなし」)。
※かつて芥川賞候補にもなった徳島市出身の作家。
小山助学館から出ていた「阿波狸列伝」は傑作で電子書籍化されないものだろうか。


このように魑魅魍魎は日常と非日常の重なる場所や時間帯に
ごく当たりまえに存在していたのではないだろうか。
そのなかのいくつかは科学的に説明できることがあるだろうし(エリア51)
説明できないこともあるだろう。
しかし否定することなくしなやかに受け止めて
そこから何か教訓を得られれば良いのではないだろうか。

前置きが長くなった。
勝浦町の坂本地区で、「さかもと あかりの里」と題して
行灯を使った行事があると聞いた。
幸い仕事は朝から夕方までで終えることができたので行ってみることにした。

坂本地区は勝浦町の奥座敷という場所にあって
上勝町と境を接する。
勝浦川の支流坂本川を細い県道がひょうひょうと続いていた時代は
小松島から上勝町福原まで1時間半かかったもの。
親父の車に乗せられて、旭や殿川内でアメゴ釣りをした。
小学生の時分、合流点で尺のアメゴを釣り上げて魚拓をつくったことがある。

そんな坂本地区も1990年12月3日に坂本バイパスが完成し
上勝町内の道路整備も進んだ今日、
小松島から月ヶ谷温泉までは40分少々で行けるようになった。
しかし、みかんで栄えた坂本地区も高齢化と少子化が進み
1990年3月18日に最後の卒業生6人を送り出して
地域の子どもを育んできた坂本小学校が百年の歴史を閉じた。
DSC_5025.jpg

その廃校を活用して2002年3月3日に
地区が運営する農村体験型宿泊施設「ふれあいの里さかもと」が開かれた。
今年で14年目を迎える。

3年前からは行灯を使った秋祭り「さかもと あかりの里」が開かれるようになり、
今回初めて行けることになった。
2004年11月には実際に宿泊してお話を伺うとともに
宿のお世話になった。
地区の海川さん、森本さん、新居さんをはじめ、
みなさんつつがなくやっていらっしゃるかなと。


さてと夜がやってきた。
県道から坂本地区へ降りていくと
地区の人が誘導灯で迎えてくれる。
いったん降りて坂本川を渡り
再び上がってふれあいの里さかもとにクルマを停めた。

祭りといっても行灯の灯だけで人工の光源はない。
石積みの階段を注意深く進んでいく。
D7N_2254-1.jpg

目が慣れると少しずつ道の輪郭が見えてくる。
デジカメだから明るく写っているが
実際は1枚目の写真が雰囲気に近い。
DSCF0882-1.jpg

灯籠は手作りで思い思いの言葉や絵が描かれている。
地区の産土神社が見えてきた。
DSCF0827-1.jpg

DSCF0804-1.jpg

地区の若い女性たちによる女神楽
DSCF0824-1.jpg

境内には夜店も出て幻想的な雰囲気
DSCF0830-1.jpg

境内では吹筒花火が始まった。
DSCF0818-1.jpg

銀河の誕生の瞬間、のよう
DSCF0820-3.jpg

いや、それよりも…
それは、いつ生まれたのか誰も知らない。
暗い音のない世界で、ひとつの細胞が分かれて増えていき、
3つの生き物が生まれた。

https://www.youtube.com/watch?v=Z8d-OLZHhtE

次に打ち上げ花火が始まった。
境内の樹間から火の手が上がる。
DSCF0854-1.jpg

DSCF0858-2.jpg

DSCF0869-1.jpg

DSCF0874-1.jpg

放浪の画伯がいたら、こんなふうに描くかも
DSCF0874_HDR.jpg

坂本地区に火の玉が迫る!!
DSCF0876_HDR.jpg

花火が終わると人けが少なくなっていく
DSCF0879-1a.jpg

DSCF0888-1.jpg

静まりかえった境内でこれから始まるものがある
DSCF0890-1.jpg

DSCF0836-1.jpg

DSCF0838-1.jpg

それはもののけの時間
DSCF0893.jpg

千と千尋の場面のように
DSCF0893-Edit_HDR.jpg

祭りの夜、行灯をつてにヒトもケモノもタマシヒも浮かれ出る。
DSCF0909-1.jpg

D7N_2260.jpg

D7N_2271.jpg

D7N_2272.jpg

坂本八幡神社の夜がしんしんと。
D7N_2281.jpg

(2016.10.14 さかもと あかりの里
posted by 平井 吉信 at 12:14| Comment(0) | 山、川、海、山野草
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: