2016年07月30日

空と海と四国 そして四国巡礼GO!


「空と海」ってなんですか?
いったい何を目的に、どのように生き方(活動)をしているのかわからない。

こんな変なドメイン、誰が取るの?
なぜか、人気のドメインで関連するドメインは10数年前に売り切れ。

人は「思い」があり、
それを信念にしたり目標にしたり拠り所にして生きている。
ぼくの場合、それを言葉に凝縮したのが「空と海」。
このブログもその世界観を反映している。

空海が好きだ。
(たまたま家が真言宗だった。徳島ではもっとも多い宗派であり、日本でもっとも真言宗の比率が高い地方)
司馬遼太郎の小説もおもしろかった。
それなのに、四国巡礼には出たことがない。

肉親を亡くしてその供養のためであったり
事業が失敗、人生の艱難辛苦を経験し生きることに思い悩んで
死に場所を求める気持ちで廻る巡礼者。
それを「お接待」で迎える四国路。

ぽつんとひとり、夕立に打たれ、嵐に巻き込まれ
みちを失って路傍に崩れ落ちた日もある。
(同行二人のもう1人は自分自身なのだ)
そんなとき、四国の風土が横たわっている。
そこには感傷もなければ、誰かの干渉もない。

みじめな自分は、みじめでありたいとの
自らの「願望」がつくった幻影であること。
お接待を受ける度に、
見返りを求めない行為を受け止めるうち、
これまでとは別の自分、自分を客観的に見つめる醒めた目があることに気付く。
そう、ただいまを生きていること、
そのことを受け止めるだけ。
(受け止めるためには、これまでの自分を「捨てる」、すなわち生まれ変わる)

死に場所を求めて旅だった自分が
生きることの「欲」を感じ始めている。
それが四国巡礼。

山のミネラルが川を通して海と結ばれる。
そこは空と海の境目のない世界。
学問の人でありながら実践の人でもあった空海。
四国をそのような世界観で見切ったところが「空と海」。
(言葉にすると伝わらないと思うけど)
DSC_1769.jpg

ただし巡礼に出たことはないし行こうとも思わない。
そのような時間もない。
(父の死後、通夜も告別式の翌日以降も仕事を休まなかった。けれど三回忌までは毎日朝の読経を行った供養を行った。空間に響く自分の声がふとどこか遠くから耳元で聞こえてくる感覚を覚え、燭光のなかにかたちではない輪郭を感じることもあった)

88箇所とは単なるきっかけに過ぎず、
刹那を感じつつ日々を生ききること、
それが巡礼と思う。

かたちにとらわれないことが真言とすれば
かたちをつくってかたちをなぞる四国巡礼のなかに
その危うさがあるとも言える(わかりやすくいうと商業主義)。
とはいえ、法具やアクセサリー、儀式から入って
わかりやすく体験させることで説得力をもたせることを
空海さんもやっていたので否定はしないけれど。
(理想と現実をうまく行き来して橋渡しをすることの天才だね、空海さんは。理想があるから現実的であり、現実的であるから理想を追いかけられるという意味で)
(白装束と傘を被っていれば、説明することなく「お遍路」とわかる記号の役割はある。ただしアウトドアメーカーなどが既得権を気にせず、もっと機能的な素材とデザインで提案すれば新たなビジネス機会と思うよ)

とにかく、かたちにとらわれず、
あなただけの巡礼を成し遂げてみてはどうだろう。


もしかしたら、それは自宅にいながらできるかもしれない。
どこかのゲームメーカーが
ウォーキングマシンのメーカーと提携して
遍路道の写真を元に仮想現実を構成し
歩きながら四国の遍路道を画面で見せる。

そのためには、「バーチャル先達」になるボランティアが必要である。
バーチャル先達とは、ビデオを装着して(歩いてもぶれない工夫が必要)
可能な限り遍路道を歩く。
そこで得られた画像を編集スタッフが3D化する。
(Googleマップでおなじみのあれである)
遍路道とともに歩き遍路に親しまれた街道があれば
別の機会にそこも歩く。
バーチャル先達はボランティアだけれど
自分が案内した道をバーチャル遍路がたどるとき
協力者として一瞬テロップが出る。
それだけでいい。

予めビューポイントも定めておいて、
景色の良いところでは360度の映像を堪能できたり
少し寄り道ルートで新たな発見ができるようにする。
(四国の自治体や観光協会が喜んでタイアップしそうだ。誰かが寄り道へ入って体感するたび、システム運営協賛費としてスポンサーに課金する)

これなら自宅で時間のあるときに巡礼の旅を始められる。
実際に歩き出すと景色が動き、止まると景色も止まる。
実際の歩行距離が到達すると、Web上で御朱印が得られる。
それを励みに続けられる。
自宅の歩行器で歩くので誰の迷惑にもならず、
時間のない人でも四国巡礼ができる。

歩く途中で、実際に地元の人が顔を出してWebから参加して
あなたの画面に現れて声もしくは文字のメッセージが送られる。
(これはリアルタイムで行われる。メッセージを送る人は少額が課金され、文化財の保全や遍路道の維持管理などに役立てられる)

そしていよいよ機が熟したとき、
リアル四国へ旅立つ。
(仮想だけで巡礼を終える人は少ないだろう)
予め仮想現実を体験しているので不安は少ない。
そして今度は拡張現実により
仮想現実での履歴をリアルに重ねて見ることができる。

ただし、スマートフォンを使わない。
巡礼者にとって道中の電源確保が容易ではないので
緊急の際の電話機能を消耗しないことが必要だからだ。
そのため専用ハードを準備する。

ハードを売るのが目的ではなく、巡礼者の視点から必要だと思う。
具体的には歩行器の表示部を小型化したもので、
自宅の歩行器とは同調が取れている。
防水機能は当然であるが、
リュックに取りつける太陽光充電ユニットから充電ができる仕様にもなっている。
(ケータイ電話にも充電できる)
汎用アプリケーションとしては、
GPS機能を持った地図で次の札所、登録された宿泊所までの距離、
進行方向の天気予報が表示される。
音声による翻訳アプリケーションを搭載して
外国人巡礼者と意思疎通や情報の提供ができる。
さらに簡易の健康診断機能も付いている。
最初からこれらのものがセットされていることが不可欠(その代わり拡張性は要らない)。
住民のリアルタイムの励ましのメッセージや
自治体境界を越えるたびに
自治体のミニガイドが必要に応じてポップアップする。
ドロップボックスのように、大容量の接続環境が使える場所では
撮りだめた写真や手記などをWeb上に格納もできる。
アクセスの設定により家族や友人も居場所やそれらのデータを閲覧できる。

ただしこのハード、動きを検知したら画面が更新されない(必ず止まって見せるため)。
ブームになったあの端末を見ていると、
開発者は、想像力を持って開発、調整を行わなければならないことがわかる。
四国巡礼を世界遺産に登録する前に検討してみてはどうだろう。
これらの機能をわかりやすいインターフェイスにまとめるためには
ハードとソフトの一体化が必要なのだ。
(あるいはレンタルサービスもあり得る)
自宅に戻れば、実際に歩いて味わった現実をマシン上で歩くことで再度体験できる。
このように仮想現実と拡張現実を行き来しつつ、
そこに必要最小限の情報ポータルと世界観を共有できるコミュニティを融合させるとしたら
インターフェイスの設計(コミュニケーションのデザイン)がカギとなる。


追記
水をさすようだけれど、
お遍路アプリもビジネスとして過度に期待しないほうがいい。
大切なのは、四国巡礼を通じてどんな価値を提供できるかを見極めること。
そしてあくまでも巡礼者の視点からコンセプトを練り上げること。
あのブームのアプリケーションを見ていると
急激に普及していることでビジネスとしての寿命は極端に短いことが予測される。
(半年持つだろうか?)
アートの名を借りたプロジェクションマッピングなどもイベントとしてはおもしろいけれど
そこから現実へ波及していかない(体験者の物珍しさがリアル世界への行動につながっていない)。
物珍しければそうであるほど、「ああ、あれはもう見た」の一過性で終わる。
(仕掛け人ももうそのことの危うさに気付いているはず)
アートとは、行動につながるものと定義しているので、ポケモンGoはアートだと思う。
現実と調整は必要だけれど。






タグ:巡礼 空と海
posted by 平井 吉信 at 11:00| Comment(0) | 徳島
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