2016年07月22日

人は水辺に立ち戻り太古の記憶を取り戻す 水とミネラルの聖地にて


熱帯魚と戯れたいと思って
朝、大砂海岸へ出かける。
(クルマで1時間ちょっとだ)
熱帯魚とは黒潮に乗ってやってきて
四国の海にとどまるのだが
冬を越せずに死んでしまう(死滅回遊魚という)。
ところが近年は水温の上昇で冬を越す回遊魚も出てきたのではないか。
渚の近くに岩礁があるこの海岸は熱帯魚と戯れるのに最適。

大砂海岸はぼくの遊び場。
気が向くと沖の小島まで泳いで渡ることもある。
浮き輪もシュノーケルも足ひれも付けたくない。
ときに潜ってときに漂い、空を見ながら浮かんでいたい。
そんなときに呼吸器やら足ひれは邪魔になるだけ。
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だから(仕事の名刺なのに)名刺の裏には
「地球の水辺をゴーグルひとつで遊ぶ」と書いてある。
南太平洋ポリネシアへもゴーグルひとつで
水深20メートルを潜り、サメに囲まれたり…。

いったん海へ入ると1時間ぐらいは岸へ戻らない。
いつも手足を動かしていないと沈むから大変だろうって?
そうでもなくて、
平泳ぎ、空を見る平泳ぎ、古式泳法、クロール、立ち及びに犬かきと
そのときしたいように動いている(漂っている)。
腰を折ってするりと入った水底からUターンをしたら
太陽をめがけて水面へ浮く。
頭を酸素のまっただなかへと突き出すと
まぶしい日射しと空気の層、たゆたう海に包まれて
声にならない叫びを上げてしまう。
(水と戯れた魂はもう違う世界を見ている)
水辺はぼくにとって(そして多くの人にとって)
生きる刹那の再生装置のようなもの。
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ただ、熱帯魚は見かけなかった。
(こんなの初めてだ)
わからない。
今年は庭の桃の木に例年わく毛虫もいなかった。
庭の菊に群がるあぶらむしもいなければ
それを目当てに集まるてんとう虫もいなかった。
生物界に確実に何かの異変が起こっている。



気を取り直して昼を食べようと
海部川へ向かう。
小さな支流の木陰で
ありきたりのものを食べる。
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(いつもは手作りするのだけれど時間がなかったので)
それはそれでごちそう。
背後には沢が流れて涼風が落ちてくる。
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目の前には河畔林と人里離れた渓流がある。
これ以上、必要なものってある?
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さらに、四国の山間部だけに自生するタキユリを見に行く。
もう咲いていた。
5年間ともに過ごしたニコンD7000の最後の映像を。
(充実した時間をありがとう。次のオーナーに喜んでもらえるといいな)
http://soratoumi.sblo.jp/article/176174123.html

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続いてフジX-E2で。
広角に強いフジと、マクロと望遠を受け持つニコン。
性格が異なるAPS-C16メガセンサーは抜群のコンビとなって
ぼくとともに海や山や川、まち、温泉、食べ物などをめぐった。
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太古の時代、ほ乳類の遠い祖先も海から陸をめざした。
水辺はその記憶が蘇る場所。
そして水辺から遠ざかると人は生き方を忘れてしまう。
人が一極に集中して失う時間と記憶に気付いたとしても
四国がその暫定的な住処となるためには
受け容れる意識を高めていかなければならない。

健全な生の営みを取り戻す人が多くなれば
魂が光で満たされる人が多くなれば
この国は間違った方向に行くことはないだろう。

四国は好きだ。そこに心理の県境はない。
でも、気付きをもたらしてくれるのは
四国の東南部、海部地域だと確信している。
(まずは地元が宝に気付くこと。そこが出発点)

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透明度の高い海、山のミネラルを豊かに含む飲める川の水、
風土を彩る山野草と里山の営みがぎゅっと閉じ込められている。
ここは観光地ではなく、心を洗う場所。
― 水とミネラルの聖地なのだから。







posted by 平井 吉信 at 23:58| Comment(0) | 山、川、海、山野草
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