2016年04月29日

分かち合う国 九州へと至るみち


2011年3月の東日本大震災が発生し、
容易ならざる事態と判明したことで
お金の拠出も含めて
自分としてできることを積み重ねていった。
一つひとつは小さなことでも
連帯感を持って生きていきたかったから。

そして半月後、自粛の雰囲気が横溢するなかで
旅行に出かけることとした。
(ただし遠出は避けた)

旅立つ3日前の春休みの日、
とある島の人気の宿に電話を入れてみると
空きがあるという。
奮発してその宿に泊まった。
おだやかな春の日に、
島めぐりのひなびた味わいとともに思い出となった。

あれから5年目の春に震災が起こった。
今回は、4月の第1週に旅に出た。
別府から由布院へのアクセスや
竹田から高千穂に抜ける国道57号線も被災した。
幸いにも霧島から宮崎は影響を受けなかったようだが、
数日ずれただけでなにごともなく旅は終わり四国へ戻った。

悪ふざけや悪意のある中傷は良くないが、
ぼくが被災者であれば、
被災しなかった人たちは遠慮することなく普段通りに過ごして欲しいと思う。
同情は要らない。
(自分のプレーで被災した人たちに)「勇気を与える」なんて言って欲しくない。
それは与えられるものでなく、自分で感じるものだから。
励ましの意図を込めたデザインや垂れ幕、SNSも不要。
(どちらかといえば、やっている人の自己満足では?)

腹をくくるしかない。
起こったことをすべて受け容れ、
まずは、身の回り1メートル四方を片づけることから始めたい。
次の日は、別の1メートル四方を、その次の日はさらに別の区画を…。

経済的な支援や人的なサポートは当然必要だが、
内なる力がなければ支援を受け止められない。
何が起こったかを評価するのではなく
その状態をどう認識するかが大切。
被災しなければ向かい合うことはなかった現実だけど
そこから学びがきっとあるはず。
日々懸命に生きていくなかで
心のなかにきらりと一条の光が見えたら。
(無理にポジティブシンキングに持っていくこととはまったく違う)
ささやかであっても、幸福を感じるセンサーは閉ざさないでください。


被災した人もそうでない人も
それぞれができることを行って
ひたむきに生きていく。
その過程で少しでも得られたものがあれば
多くの人と分かち合うことを考える国でありたい。

 → 九州に至る

タグ:九州
posted by 平井 吉信 at 14:06| Comment(0) | 生きる
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