2016年04月16日

自分で生きていく覚悟、誰かを助ける勇気、社会を見据えて行動すること


4月15日の朝、新聞を開いて驚いた。
(家族の誰一人として知らなかった)
熊本でM7の地震が発生したという。
しかし、当初の報道からは、
揺れはひどかったものの、甚大な被害であることはわからなかった。
数日が経過したいま、その実態が少しずつ伝わってきた。

インターネットは閲覧しなければ情報収集ができない。
テレビやラジオもスイッチをいれていないとわからない。
今回は、地震通知メールも流れてこなかった。

情報のすきまで、巨大地震の発生と紙一重の生活を送っていることに気付いた。

現実を直視すると、
電気が足りている状況で
地殻変動の活動期にさしかかった日本で
原発を再稼働させるという選択肢はありえない。

先の福井地裁の判決文が掲載されている。
http://www.news-pj.net/diary/1001
その最後が以下のように綴られている。

(ここから引用)
 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

(引用ここまで)

誰も止められない政府の暴走に対して、
国の豊かさとは何かの本質を見据え、
机上の法律解釈から、暮らしを直視する方向へと転換した。
司法の暴走という人もいるだろうが、
そもそも人(その他もろもろの生物なども含めて)の幸福のために
司法が存在しているのではないだろうか。

株価が下がった、誰かがスキャンダルを起こした、
などのノイズを意図的に生活から遮断している。
今後もそのつもりだけれど、自分の生命は一人ひとりが守らなければならない、
そして、余裕があればまわりの誰かを。
できれば、そうならないための社会のしくみを。

そんな覚悟を持って生きていく時代に向かい合っている。

災害に遭われた方も、そうでない方も
ご無事とご安全を。


険しい環境でも花を咲かせる山野草がある。
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posted by 平井 吉信 at 10:57| Comment(0) | 生きる
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