2015年11月12日

目に見えないアクセス〜「来て良かった。また、来たい」と思いつつ〜


飲食店に入る。
いらっしゃいませ、と言って、
ドン、と水の入ったコップを置く。

そうではなく、
笑顔で運ばれてくる。
もちろんていねいな所作で。

どちらの水がおいしいでしょうか?
(どちらを飲みたいでしょうか?)

茶道の名残手(なごりて)は料理にに通じるもの。
厨房を見ると、
良い料理を出す店は
(客が見ていようが見ていまいが)
手技のキレとタメがある。

ラーメンを茹でる。
湯切りをする。
お待たせしないという気持ちと
ていねいにおつくりするという気持ちが
すばやい動作にやわらかい着地をさせる。
すると、名残手のような動きになる。

ものごとには、目に見えることと、目に見えないことがある。
どちらも大切だが、
目に見えない領域が影響を及ぼしている。
脳には人が意識してアクセスできない領域があり
それが人の心や行動に影響を与えているとされる。
それどころか、無意識の行動は
普段の行動(能力)を軽く越える。

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)

意識と無意識の区分は、
さまざまな見方で投影されていることに気付く。
かたちとこころ、
陰と陽(太極図)、
おもてなしも然り。

「おもてなし」とは、表と裏の境界がなく、
思っていることと行動が一致していること。
だから「かたち」から入って「こころ」を導く方程式もある。
習い事がそうだし、
イチローや五郎丸選手の決まり切った所作もそうだ。

たぶん、探している答えはどこかにあるのだけれど
そこにアクセスできていないだけ。
答えに近づくのは情報だけではないこと。
理念や感性の世界の向こうから
こちらへ降りてくるのではないかと。

理念があれば、無意識に通じ、
常識を越えて空に飛翔できる。


閑話休題

久しぶりに立ち寄ったそば店で
「お久しぶりです」と屈託のない笑顔。
その瞬間に、心の上着を脱いでいる。
「こうでなければならぬ」の店よりも、
くつろぎをさりげなく打ち出せる。
そばの味はやさしく滋味ゆたか。
「来て良かった。また、来たい」と思いつつ。
DSXE5949-1s.jpg

脇町 楽庵にて


追記

いまから十数年前のこと。
佐那河内で料理店を営む岩本光治さんに
徳島市佐野塚地区のジイモで芋の汁をつくっていただいた。
吉野川の河原でのひとこまである。

口に運んだ芋煮はじんわりと口に溶ける。
「芋がえらいんですよ」と岩本さん。
(いや、それを引き出せたからこそ)
食材がほんのりと訴える声をたぐっていくと、
波紋を広げるように共鳴する味覚。
塩と昆布だけでこれだけ豊かな世界が描けるのかと。
語らずといえども深い世界があることを知った。

岩本さんのお店は、佐那河内にある。
虎屋 壺中庵

タグ:佐那河内
posted by 平井 吉信 at 12:33| Comment(0) | 生きる
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