2015年07月21日

虫は一瞬立ち止まる 虫だった頃の記憶と人間につながるDNAの原形が見つめる 


このブログには昆虫の近接写真が出てくる。
でも、特殊な機材は使っていない。
X20という富士フイルムの小型デジカメで取ることが多い。
DSCF7380-1.jpg
(クマゼミとの距離3センチ)

車のボンネットの上にいたゴマダラカミキリ。
触覚が指に触れてくる距離で撮影。
(距離2センチ)
DSCF7404-1.jpg

同じ日、散歩していてバッタに遭遇。
ハンミョウのようにすばしこい。
(せわしなく動いてとどまらない)
でも、ぼくもナンバ歩きで気配を消して瞬時に移動する。
(バッタは驚く、いつのまに?)
そして、バッタの前2センチにカメラを置く。
(これはなんだ?)
ピントが合うまで時間がかかる。
(バッタのなかにはカマキリのような危険因子とは認識されない)
(その合間をついて)
― 撮影できた。
DSCF7485-1.jpg

それも一瞬のできごと。
バッタは、すたこらと路肩の草むらへ走り込む。
DSCF7486-1.jpg

花や虫は相手(人間)が安全かどうかを
本能的に判断しているのではないだろうか。
花は人間に認めてもらいたい。
人がいなければ、花を愛でる存在はない。
観測という行為が存在の根源にあると量子力学は語る。
だから、存在を認めて語り掛ける。
すると風に揺れていたのがぴたりと止まる。
無意識に押したシャッター音で我に返る。
その瞬間、光が花と人間を往復する。
光の粒子には意思疎通がある。
それをテレパシーと呼ぶのかも。

花はそれで良いとして
虫は自分の直前にレンズが来ると嫌な感じがするだろう。
それでも危険かどうかの処理に判断の空隙ができるのではないか。
空隙 ― それは好奇心(と仮にしておく)。

人間には海を泳いでいた微生物や虫の遺伝子がある。
だが虫にも人間につながる原形の遺伝子があるのだ。
危ないもの見たさの躊躇とスリルが人間の遺伝子から間借りしてわき起こる。
けれどそれも束の間、
現在の姿として持っている本能で
虫の性に戻って逃げていくのだ。


posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 生きる
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