2015年06月14日

石見銀山の古民家を改修した宿にて


日本の歴史をひもとくとき、
明日香とともに出雲は欠かせないが、
これまで出雲は訪れていなかった。
そこで4月の初めに、
蒜山、大山、妻木晩田遺跡、皆生温泉、境港、美保関、
中海・宍道湖を経由して出雲へ入った。
(これらの旅日記は折を見て…)

宿は、 石見銀山のある大森町で
古民家を改修した宿に泊まることにした。
松場登美さんが経営されている他郷阿部家である。
偶然だが、(株)いろどりの横石知二さんと
3月に東北で講演会で一緒になられたことを
予約後に知った。

古民家は、
その風土のなかで育まれたかたち(というより智慧)に
持続可能な未来へ向けての箴言が含まれていると思う。
吉野川の第十の堰もそうであったように、
未来へのメッセージは至るところに落ちている。

上勝町の谷崎勝祥さんは、
全国棚田100選の「樫原の棚田」で保全の取り組みを続けてこられた。

標高600 メートルまで張りめぐらされた水路。
その昔、米は経済や生活の中心であり、
いかに効率的に米を作るかが農家の知恵。
劣悪な自然条件と闘いながら築かれた棚田も、
高齢化による耕作放棄や山林への転換が進む現在、
維持する苦労は並大抵ではなく、
数年後には維持できなくなりそうだとも言う。

棚田での農業はもはや経済的には成り立たなくなっている。
しかし、降った雨を受け、時間をかけてゆっくりと川へ流す棚田の役割は、
人と自然が調和した水循環のしくみである。
近年、「棚田」がマスコミ等でも取り上げられるようになったが、
棚田が持つ治水・利水効果はもとより、
生活と結びついた文化的な意味、
生態系に果たす役割などについては、都市の住民どころか、
多くの生産者も気づいていない。
「棚田は大きな水の器であり、ミミズの穴が都市を潤している」と谷崎さん。
しかし、里山の荒廃を憂えて、谷崎さんは次の戯れ歌(ご自身談)を読んだ。

ヒューと鳴き 棚田に近づく 鹿たちよ もみじの山に帰れよはやく

(里山びとの呼びかけに鹿から返歌があった)

去れという棚田のひとよ もみじ山 いずこにありや 杉ばかり見ゆ

棚田は、山に降った雨を一度に下流に流すことなく
時間と空間で受け止めて少しずつ下流に流す考えは
近代治水と対極の考え方である。

樫原の棚田に水が張られた(2015.5.17)
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(谷崎さんは数年前にお亡くなりになられている)
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伝統が尊いのではない。
かつてそこにあったものの本質を見つめて
いまの暮らしに合わせて再定義しないと
形骸化してしまう。

古民家とて然り。
これらは修復して未来に引き継ぐ「遺産」ではなく
これからも活用していく生きた「資産」であるはず。

世界遺産に登録された石見銀山のある大森町で
古民家を再生して日々の暮らしで使っている
松場登美さんのお話しを伺うこともあって
今回泊めていただくことになった。

徳島からの旅人は少ないらしいが、
私がデジタルサイネージコンソーシアムを通じて
存じ上げている方が泊まられていることを知った。

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こんな台所は男でも憧れる(包丁を研ぐのが趣味なので)
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おにぎりは、握り加減が肝。ある意味では究極の料理
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翌朝、大森町の集落を散策して感じた。
家々の軒先には季節の野の花が飾られている。
それは旅人をもてなす(=演出)けれど
住む人の心を映したもので
日々の暮らしの場を見つめている。
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だから、このまちは、
観光地としての記号を発していないし、
迎合する雰囲気を持っていない。
それゆえ、心のひだに触れてくる。

他郷阿部家は、
口コミサイトでの得点を意識した至れり尽くせりの宿ではない。
そこに住む人が心地よい空間を用意して
ともに分かち合おうとする座を提供している。
だから、食事は、客人と家人が同じ席で談笑しながらいただく。
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それゆえ、その土地で短期滞在をしているかの感覚を覚え
旅の印象、まちの風情を濃厚に感じるのだ。

レビューの得点を気にしてサービス競争に陥る宿、
パスポート、キャッチコピー、親善大使、コンテンツの仕掛けなど
四国各県で観光の仕掛けを行っているが、
アピールをすればするほど、風土と旅人、
いわば、風と土の関係が見えなくなり
旅人と四国の間に距離をつくってしまう。

石見銀山が世界遺産に登録されたのは、
数百年前から持続可能な産業構造をめざしていたことにある。
大森の町も未来へと続いていく人々の営みが感じられるから
若い人たちがまちに住みたいと思えるのだ。

都会でのくらしはよそよそしい、乾いている。
さりとて、田舎暮らしに憧れて移住した人が受ける洗礼が
田舎ならではの窮屈な人間関係である。
コミュニティ活動の名の下に
人間関係を無理強いする悪癖がどの地方にもあるが、
大森町ではそれは感じなかった。

ぼくは、家元に代表される伝統芸能に興味はないし、
形骸化していると思うけれど
伝統のかたちをなぞることが無意味だとは言い切れない。
特定のかたちが精神に影響を及ぼすことはあるだろうし、
身体感覚の奥深くに芽生える共感や畏れもあるだろう。
だから、自分なりに実践してみようと考えている。
それでも、いまの時代の精神に照らして
変えるところ、変えてはいけないところを見極めていく必要があると思う。


どんな家に住みたいかと自問自答してみる。
大手ハウスメーカーから地元ビルダーまで
高すぎる天井、ダイニングキッチン、オール電化、おしゃれな階段…
金太郎飴のようなモデルハウスを見る度、
空間が人の心とどのように作用するかが見えて来ない。
平均化された社会への従属意識が強い人はそれで良いのだけれど、
どうもそうはなっていないのがこの頃の住宅。
住む人が主で、住まいは従なのだが…。

幼い頃、押し入れを隠れ家にしたあの感覚がモデル住宅にはないでしょう。
風雅かどうかは別にして、にじり戸を開けて入る茶室はどうですか?

現代のモデルハウスに見るような住宅の違和感は、
多世代の家族が交わる感覚が希薄というのがひとつ。
その反面、ダイニングスペースで無理に家族の交流を
強いているやりきれない感覚がありはしないだろうか?
個としての自立や覚醒をうながす構造になっているだろうか?

機能的には、
広い容積であって高気密高断熱に違和感がある。
これは空気が汚れたら一家全員が一度にやられることを意味する。
いつまでも匂いがこもることも想像に難くない。
それを換気システムで動かせば、低周波の暗騒音で
神経がやられてしまうだろう。

さりとて地元の木材で木の香りに包まれて…とやられると
マーケティングの匂いを感じてしまう。
究極的には、風土のなかで生きていくことと、
家族や外の人々との関係性をどのように構築したいかを
突き詰めて産み落とされるものだろう。

他郷阿部家の造りは伝統的な古民家の材を活かしてはいても
個と家族、集団の関係が整理されていることの心地よさがあるようだ。

石見銀山の土地の力、場の持っている生命力を投影した暮らしを
「群言堂」で展開されている。
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この方がお召しになっておられるのは他郷阿部家の衣装
(群言堂ブランドで販売されているかも)
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風土と食べ物、衣服は密接に関わりつつ、
まれ人に触発されて通じる風の道は根っこへの滋養となり、
土地びとに触発されて感じる土の匂いは
旅人に立ち止まるきっかけと元気を与える。
旅の本質はそこにあるのだ。

松場登美さんは、7月5日に徳島は井川町に来られる。
フォーラムの参加には申込が必要なので以下をご参考に。
http://www.gungendo.co.jp/?p=7665
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2015/06/2015_14331174265507.html
http://www.tokushima-u.ac.jp/docs/2015060400033/files/270705.pdf

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posted by 平井 吉信 at 01:17| Comment(0) | 生きる
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