2015年04月29日

こかげ〜観光は自分を映し出す鏡〜


4月は異動と出発のとき。
願ったりの人も本意でない人もいるだろう。
受け容れるまでに時間が掛かる人もいるだろう。

家に籠もっていては心が動かない。
月曜日を迎える気力が見つからない。

こんなときは動いてみること。
つまり、かたちから精神に働きかけること。

例えば、あてもなく普段行かないところに出かけてみる。
何気ない風景のなかに何かが見つかる、
というより教えてくれる。

そんな人の気持ちになりきって
とある川の支流に出かけた。
山奥ではなくまちから近いけれど、人家はない。
流れる水は手ですくって飲めると思う。
(まちなかのスーパーまで10分の距離というと驚く?)

水と緑を見ていて、ほんとうの主人公に気付いた。
それは、こかげ。
太陽が当たるでもなく、日陰でもなく。
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初夏の太陽
  小さな支流
    ななめに差し込む光
     新緑の残照
       透かして見る
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ふと見つけた風景の一コマ。
言葉を並べただけでも伝わるから文章は要らないのかも。
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平坦な渓流沿いの小径を歩き続ける。
何も考えず、目に飛び込む水と光、
ふと小さな植物に目をとめる。
空間はせせらぎの粒子で満たされているけれど静寂。
ぼくは何も考えない。
ここは、南四国、徳島。
(ベートーヴェンが田園交響曲を着想した小川の散策はこんな場所だったのではと?)


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徳島には何もない、観光地としてはつまらない、という声が多い。
PRが不足しているという意見が出るのが観光関連の会議のパターン。
けれどPR予算をなくしても集客はおそらく変わらない。

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日曜日なのに、この場所には誰も来ない。
観光地でもなければ、観光ガイドにも載っていない。
そんな場所が至るところにあるのが徳島。

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電車の中吊りポスターや奇をてらう動画には主語がない。
(見ているのは自治体関係者と広告代理店だけかも)
いや、見たとしても心が動かない。
それらは机の上で考え出されたものだから。

観光は大切だと思う。
入込客を増加させなければ、どのまちもやっていけなくなるだろう。
でも、観光は実態を映し出す残酷さも併せ持つ。
なぜなら観光は、
そこに住む人が自分たちをどう見ているかを映す鏡だから。

公共のトイレを見てみよう。ぴかぴかに磨かれているだろうか?
季節の花がかれんに置かれているだろうか?
自動水栓となっているだろうか?

県外ナンバーの車が後に付いている。楽しい家族旅行かもしれない。
速度を上げたくないあなたは、
脇によって道を譲ってあげるだろうか?

道を尋ねられたとする。
「あそこを右に行って次に左に行って…」で伝わった試しがない。
ならば、可能な限りわかりやすい方法で道を伝えようとするだろうか?
目的地が近くで、わかりにくい場合は同行してあげられるだろうか?

観光地の飲食店には
自分の判断で厳選して取り寄せた観光情報が置かれているだろうか?
それらは見やすく整理され、清潔に保管されているだろうか?

そこに住む人が誇りと使命感を持って人々を迎える。
それが観光ではないだろうか?
観光の特効薬はないので、
子どもの頃から、誰かをもてなす気持ちを身体で感じ
親が手本を示し、
学校では気付きを与えているだろうか?

対峙すべきは東京の価値観ではなく、
自分たちの意識。
自らの価値観に挑戦し磨き上げる自覚。

だから、ぼくは発信を続けている。
人生の楽園を求める見知らぬ人のために。
PRの代わりに地道に積みあげていく。

いまの県政に必要なのは
(県議会に限らず市町村議会も機能を果たしているようには見えない)
KPIやパフォーマンスではなく
回り道でも大切なことを続けること。
その大切さを伝えていくこと。
ひとりでもやっていこう。



posted by 平井 吉信 at 01:26| Comment(0) | 徳島
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