2014年07月20日

小松島のまちは昭和に拡がる。平成の時代に「大正館なつ家」、古民家カフェの看板はちりめん丼

小松島港がかつて四国の東玄関といわれていた頃、
京阪神からの航路が港に着く度、
人や車が沸き上がる泉のように現れ、散っていった。

学校から帰った子どもらは「三条仲良し広場」に集まり
かんけり、やりこ、ろくむし、温泉、陣取り
といった遊びに夢中になった。
どれも道具は要らず、簡単なルールで遊べるもの。
小学校の高学年も低学年も集まり、小さな子どもの面倒を見るのだが、
小さな子どもにはオープン参加の特例ルールがあった。
(徳島では「あぶらご」と呼んでいたようだが、小松島では「めんめんちゃ」と言っていたような。いずれにしても小さい子も一緒に遊べるようにとの配慮)

子どもたちはさまざまな遊びを発明する。
港周辺のさまざまな土を集めてはこねて泥団子をつくる。
それを手で磨き上げていくと虹色の光沢が出ることがある。
それを「金が出た!」といって仲間に見せて回る。
みんなうらやましそうに横目で見つつ
赤土やら黄色の土やら畑の粘土やらを巧みに混ぜて
「金」を出そうとする。

近所には食料品店がたくさんあった。
家の前に八百屋、隣の隣に八百屋、すぐ近くに2軒の駄菓子屋、
手の届くところに市場、裏通りにも八百屋など
歩いて5分程度の距離に八百屋や市場がたくさんあった。
大手スーパーはなく、それだけ身近な生鮮食品の需要があったのだ。
ところがこれらの店がまっさきに姿を消していく。
気がつくとまちなかの高齢者は毎日の野菜を買いに行くことができない。
解決策として、
まちなかの小さな産直市を運営するコミュニティビジネスか
移動スーパー「とくし丸」のようなやりかたがある。
いずれにしても手法ありきではなく、精神が原点。

小松島港駅は、港の乗降客を徳島駅まで運ぶ小松島線の始発の駅。
小松島港駅を出た汽車は踏切ひとつ越えたところで
再び停車する。小松島駅である。

港の乗降客の小松島港駅に対し
小松島駅(通称本駅)はまちの人たちの駅である。
本駅前には、京阪神航路の待合室があり
鹿鳴館時代のような瀟洒なデザインから
ハイカラ館と呼ばれていた。大正時代のことである。
昭和9年には新港が完成すると発着場も移動し
昭和50年頃には幽霊屋敷と呼ばれていた。
(昭和56年の不審火で焼失)

整理すると、
神田瀬川河口の藍場の浜にあった京阪神航路の発着場を旧港、
昭和になって開港し現在も港として使われている新港という。
旧港にあったのが本駅。
新港にあったのが港駅という位置づけでもある。

本駅と港駅の間はわずか数十メートル。
駅が設けられた理由は、
航路の乗降客用の港駅と
まちの乗降客用の本駅では
まちの構造からアクセスが異なるためである。
(広大な列車基地によって遮断されている)

いまのたぬき広場の辺りに踏切があり
列車が行き交うたびに
踏切脇の詰め所にいる国鉄の職員が手動で踏切を上下させた。
そういえば、徳島バスも運転手とは別に車掌が乗り込み
札を入れていた。
そのような時代、阿波池田行きの普通列車が
哲朗とメーテルが乗り込むようなえんじ色の客車を10両以上も連結して
汽笛を鳴らして高度経済成長期の踏切を横切っていった。

→ 日本一短かった小松島線
http://niki.main.jp/komaline/index.html
http://niki.main.jp/komaline/sayo_b/sayo5b.jpeg

港にはちくわ売りの名物おばちゃんがいて
小松島名産の竹ちくわを売って歩いた。
ホタルの光が流れるなか交わされる紙テープを握りつつ、
船は港を離れ、日の峰や小神子が小さくなると
四国を離れるんだという思いがこみ上げてきた。

線路沿いには石炭の貯蔵場所があり、
せみしぐれの早朝のムラサキツユクサやイタドリに
滴が光っていたのを覚えている。
ヒマワリや朝顔とともにツユクサに郷愁を覚えるのは
おぼろげな幼少時の記憶があるからと気づいた。

夏も終わりになれば、線路沿いの草むらには
コオロギやショウジョウバッタ、トノサマバッタ、オンブバッタの天国となる。
半ズボンとランニングで皮膚をぼりぼりかきながら
虫を追いかけていた。

いまは綺麗な公園が整備されているが、
管理されていて
あの頃のようなときめきは覚えない。

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小松島にあるもの。

子どもの頃の朝食には
パン粉を付けてカレー風味のように揚げた
魚のすり身が定番だった。
地元では単に「カツ」と呼ぶが、
市外の人にはフィッシュカツと説明している。
(肉の揚げ物と間違われないため)
包丁で食べやすい大きさに切ってそのままつまむ。
酒の肴にもなる。

朝の2時頃から機械の回る音が聞こえてくるのは
小松島の港町方面から。
竹ちくわをつくる作業場から音の風景が響いている。

和田島で取れるシラスのチリメンも有名だ。
ハモやボウゼ、アシアカエビなどとともに
紀伊水道の幸を水揚げする漁師町であり
四国の東玄関でもあった小松島。

横須の松原には京阪神からの海水浴客で賑わったという。
わざわざ航路でやってきて海水浴を四国で楽しむというのは
リゾートだったのだろう。
近くには弁財天を祭った岩があり
遠浅の砂浜でゆったりと過ごす一日はバカンス。

やまももは県の木。
日本のヤマモモの7割は徳島産であり
その大半は小松島であるから
小松島は全国最大の産地かもしれない。
先見の明を持って果敢にやまももに取り組んだのは
祖父の兄である。
http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=15467

ジブリアニメの「平成狸合戦ぽんぽこ」の金長は
小松島の金長たぬきの6代目という設定。

ハレルヤ製菓の金長まんじゅうも金長たぬきにちなんだもの。
うちの近所にハレルヤの本店があり
トルテのケーキとともにハレルヤのアップルパイが
年に数回のハレの日のおやつであった。

ほかにもいろいろあるけれど、
全国的に知られるものがいくつもある。
ほかのまちだって同じだろう。
あるものを探せばきっと見つかる(あるのだから)。

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きょうはまちなかの旧家を改造したカフェにやってきた。
小松島のまちの構造は
小松島駅(旧港)から放射状に広がっている。
一条通、二条通、三条通、四条通、五条通、六条通。
なかでも賑わったのが二条通である。
駅前には数軒の旅館があり
ハレルヤ本店、洋食堂コトブキ、映画館、書店と続く。
かつての本駅から歩いて1分ぐらいの二条通に
そのカフェはある。

以前にも有志が家屋の修理と庭の整備を行い
古民家カフェをやっていたのだけれど
新たに日替わりの料理人を配置して
大正館なつ家として生まれ変わった。
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現在の定番メニューは
小松島名物のちりめんをふんだんに使ったしらすかま揚げ丼
和田島チリメンの網元から直送してもらっているとか。
東京方面(江ノ島か?)からやってきた人が注文された丼を見て
これで550円?と眼を丸くしたという。

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(フジX-E2+XF14mmF2.8 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS、XF35mmF1.4 R)

小松島のまちは子どもにとって天国のような場所であった。
しかし、客船航路は廃止され、小松島線もなくなり
時系列でいえば、小松島は四国でもっとも寂れたまちである。
けれど、まだ何かやれることがあるのではないか。
市民の一人ひとりにその思いと覚悟があれば。

posted by 平井 吉信 at 16:06| Comment(0) | まちめぐり
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