2025年05月24日

新緑を愛でる 料理を愛でる 月ケ谷温泉(上勝町)


物価高、ガソリン高止まりの折、徳島市内から1時間ぐらいで行けるちょっとした非日常感ということなら上勝町だろう。月ケ谷温泉を拠点に、ごみゼロの拠点「ゼロ・ウェイストアカデミー」、洞窟のある秘境の寺「慈眼寺」、棚田百選の「樫原の棚田」、そこから苔の森「山犬嶽」の散策、勝浦川を支流旭川へ向かえば、終点にはブナの森、高丸山があり、麓にある「高丸山千年の森ふれあい館」(日曜も営業)で情報をもらうことができる。本流(殿川内渓谷)を遡ればスーパー林道の始点があり、雲早山を経由して剣山南斜面の山々を縫って走る全国最長の林道となっている。上記のなかではSNS映えするためか、近年では山犬嶽が人気を集めている。

→ 山犬嶽のタグ
→ 山犬嶽は読図ができる人でも迷いやすい。初心者も含めて月ケ谷温泉のツアーから参加が安心

月ケ谷温泉の界隈にはキャンプ場、ゆくゆくは全山が花と紅葉にいろどられる彩り山、まちの情報発信の拠点で理念の美しい「カフェポールスター」、アルケッチャーノで修行した表原シェフによる県内でも有数のイタリアン「ペルトナーレ」、素材系ジェラートの「TONPUKU」など個性的な店が点在する。そしてその中心の月ケ谷温泉には奥崎料理長による完成度の高い和食があり、それを目当てに宿泊客が訪れる。このように山や川で遊んだ後はゆるりと過せる場所が軒を連ねている。

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新緑を愛でるということで、月ケ谷温泉に車を停めて散策するだけで五月に浸ることができる。
posted by 平井 吉信 at 14:15| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月18日

高原のスミレ(Viola mandshurica)は抜けるように深い


このところの投稿と同じように(調子に乗って)風わたる5月の草原は…と書きたいところだが、下界と違って風が強く寒く感じたり、陽差しが強く熱く感じたりと、標高がある分、そう単純に「さわやか化」できるわけではない。

そうだとしても、「♪風の中ひとりゆけばはるかな私の好きな草原」(「草原の輝き」)だったり、「♪草原を染めあげる妖精の姿をいつか見かけたら」とか「♪太陽のガス燈を星の靴はく少年が磨き出す」(「妖精の詩」)、「♪高原のテラスで手紙風のインクでしたためています」(「風立ちぬ」)といったように、草原のさわやかさをつくるのは例によって歌謡曲の世界かも。
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草原のスミレも負けていない。四国カルストには四国カルストの魅力があり、塩塚高原には塩塚高原の魅力がある。ここはスミレ(Viola mandshurica)の宝庫。ひとたび目が合うと、立ち止まり息を止めて見つめてしまう(あぶない!)。

ツンデレ系
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コケット系
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深窓の令嬢系
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ちとやりすぎか。やめとこ。
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タチツボスミレが大和撫子とすれば、大陸系の楊貴妃のような。おそらくは渡来系の弥生人(稲作技術)とともに倭国にやってきたのだろう。
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ここのスミレ(Viola mandshurica)は色が濃いだけでなく、誇らしげに葉がすっと立つ。中心部まで花弁の色が濃い個体もある。抜けるように白い、のではなく、抜けるように深い。
posted by 平井 吉信 at 00:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月17日

四万十川から仁淀川水系へ 萌える茶畑、混み合う仁淀ブルー


四万十町窪川から須崎市内へ、国道56号から北上して牧野富太郎の実家のあった佐川町を経由して越知町の仁淀川水系へと抜ける(牧野博士が横倉山で発見のヒメミヤマスミレを見るのも捨てがたかったが)。川沿いを走る国道33号線をしばらく上がって池川方面へと右折する。

土居川沿いに茶畑がひろがる。池川茶の銘柄で売られており、これまでに何度も買い求めている。土居川水系の中心部の池川集落は郡上八幡のようである
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高知県の田舎って何もなくても観光が成立する。心のおりものを洗い流してくれる。池川のまちなみと土居川、その上流部の安居渓谷も。

土居川から離れて国道439号線を東へと進み、道の駅633美の里で休憩しようと思ったら車が停められないほどの盛況。この道の駅の立地の良さは人々が休憩と食事を欲しがる時間距離で、しかも南北(国道194号)も東西(国道493号)も拾えるという意味で四国一かもしれない。

そこから近くにあるという、にこ淵へと立ち寄った。ここは、写真家の高橋宣之さん、NHK高知放送局の「仁淀ブルー」の仕掛けで一気に訪問者が増えた。そのため観光客過多になってしまい、地元では近年になって駐車場とトイレを設置するだけでなく、その混み具合を入口に電光掲示板に表示、さらに観光客が多いときは誘導員を数人置いている。
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青い箱に協力金を納めるようになっている。地元と行政の支援へのお礼としてお忘れなく。また、にこ淵は神聖な場所であるのでご留意を。

「にこ淵は水神の化身とされる大蛇が棲む所といわれ、神聖な場所とされています。従ってマナーを守り、静かに景観をお楽しみください。入水、飲食などは禁止されています」(仁淀ブルー観光協議会)


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また、足場が悪かった散策ルートは安全に整備された。これらの初期費用と維持費用、運用費用を賄うために1人100円の協力金を納めるようになっている。
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この日もあまりの人の多さに閉口して近くまで行ったものの途中で引き返してきた。また、ゆっくりと来てみようと思う。

仁淀川本流なら鎌井田地区と淺尾(あそお)沈下橋の佇まい、さらに下流の光景も。支流なら土居川と安居渓谷。5月の四国カルストを経由しての四万十川と仁淀川、たまるか。桃源郷の川はえい。ほいたらね。

→ 仁淀川のタグ(仁淀川の想像を超えるのどかな風景など35本の投稿があります。見たら行きたくなるので忙しいときは見ないほうが吉かも)
タグ:仁淀川
posted by 平井 吉信 at 20:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

五月の四万十川 おだやかで晴れやかで 水流るるも鳥の声高く


初夏の四国カルストを南下して四万十川源流から県道19号線で中土佐町大野見(旧大野見村)を経由してから四万十川上流部を辿る。川沿いの道は最初は広いが、そのうちお決まりの隘路となる。2トントラックが来たらどうしよう(田舎道ではよくすれ違うことが多い)と思いつつ、離合できるところを見極めながら進んでいくと難なく交わせる。

四万十川で長い距離を広い道が続くのは窪川から江川崎までの国道381号が走る中流部で、川に沿って予讃線が走り、トロッコ列車などのイベント企画もある。旧東津野村と旧大野見村がある奧四万十は大河というよりは里の川という鄙びた趣がある。

ポスターで見かける桃源郷の四万十川の印象なら、穿入蛇行とゆったりと山間部を流れる中下流となる。四万十川は下流の四万十市中村から山間部に突入する。日本の大河でこれは珍しい。四万十川は全長196km、吉野川は194kmとほぼ同じであるが、吉野川が池田町から下流に向けて三角形の沖積平野が展開するのと対照的である。

「日本最後の清流」という触れ込みは、1983年9月のNHK特集「土佐・四万十川〜清流と魚と人と〜」で打ち出されたもの。
→ NHK特集「土佐・四万十川〜清流と魚と人と〜」はNHKオンデマンドで有料ながら見ることができる
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011034570SA000/index.html?capid=TV60

高速道路ができる前のことで、当時は徳島からは10時間の道のりであった。仲間と分乗して中流の広瀬の河原でテント泊、夜は焚き火に照らされて語らい、ほてったら夜の川で泳いだりテナガエビを採ったり(漁業権は設定されていない)。足下の浅瀬を透明な水が流れ、エビ玉を手にヘッドランプで照らすとオレンジの目が光る。翌朝食べるだけの節度を持って生き物と向かい合う。日中火照った身体が足先から冷えていく感覚と焚き火の温もり、カジカの声と流れ星、しずしずと夜は更けていく。帰りは須崎市の手前からの渋滞(こんなところから?)で疲れが一気に出たものだった。

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四万十川中流部は穿入蛇行による雄大な曲線を描きつつ流れる。江川崎を過ぎれば西流していた四万十川が広見川と合流してくるりと向きを変えて南下する。四万十市中村までの区間が日本の桃源郷とも呼ばれるところで、下流といえども山が川に迫り、鶯の声が遠く近く。道路は隘路となって連休は渋滞で離合が難しいといった事態になる。そのことが四万十川の価値を高めているようにも思える(桃源郷へハイウェイで乗り付けて…とならない)。

四万十川の風景については「四万十川」のタグからどうぞ

さて、五月の四万十川。心のなかでは井上陽水の「5月の別れ」がこだまする。

♪風の言葉に諭されながら…5月を歩く♪ 


木々の若葉は強がりだから…と歌う五月の四万十川のなかで、一斗俵沈下橋と清水ヶ瀬沈下橋を見るなら、米の川城ハナ公園に車を停めて歩いたらいい。公園はとても良い場所。旅人のために整備していただいたことに感謝。
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車道の橋から上流を見ると、堰を落ちる段差と屈曲点の向こうに一斗俵(いっとひょう)沈下橋が見える
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下流を見れば、清水の沈下橋と鯉のぼり。両親や親族が心をひとつにして男の子の誕生を祝うこの行事は末永く続いてほしい。
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一斗俵沈下橋までは川沿いの小径を歩いて指呼の間にある。夏になれば、地元の子どもが橋の上から飛び込んでいることだろう(遊泳禁止としないのはさすが高知県。人を川から遠ざけることがかえって危なくしていると考えるので)
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沈下橋近くの地蔵尊に献花されたようなミヤコワスレの花。川の流れる音はあくまでおだやか。都会を忘れてしまうので来ない方が良いかも
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一斗俵沈下橋から公園に戻って少し下流の小学校の南にある路地を抜けると清水沈下橋。上流左岸から眺めると、足の長い(橋桁が高い)沈下橋。清水ヶ瀬沈下橋、清水沈下橋、清水大橋などと複数の呼び名がある。現在では車の通行はできないが、人は渡ることができる。ここも現在は高架橋があるので車両の通行はできないが、人は歩くことができる
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この辺りから四万十町窪川までは道が広がって快適となる。窪川ではジェラートや豚まんのおいしい道の駅あぐり窪川、おにぎりのおいしいゆういんぐ四万十、芋けんぴの水車亭などがあるが、以前に仕事でお世話になった四国八十八カ所霊場第三十七番の岩本寺に立ち寄った。ご住職の精力的な活動で窪川地域活性化の拠点となっている
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帰りは通い慣れたルート、国道56号で須崎市内へ、北上して佐川町へ、越知町を遡って仁淀川町(池川)から土居川を遡る。国道439号を抜けて道の駅633美の里で休憩後に、仁淀川支流のにこ淵を見て帰るというもの。勝手知ったルートで心地よい風に吹かれて帰る。

posted by 平井 吉信 at 18:43| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月16日

ほんとうに見たかったスミレにめぐりあう サクラスミレ(四国カルスト)


スミレの女王とも形容されるサクラスミレ(Viola hirtipes)は、北方系のスミレである。西日本では山焼きを行なう草原で見られることがあるため、塩塚高原に数年を掛けて通ったが、見つけられなかった。

2024年には四国カルストへ足を伸ばしてみた。徳島からは日帰りは無理で車中泊での強行軍となったが、自生地が不明なため、ほぼ一日をかけて一帯を探したものの、ようやく数輪見つけることができたのみ。しかし花の旬は過ぎており、見つけられた個体もスミレとの交雑種だった。

西日本に数少ない自生地のひとつである四国カルストにしても個体数は決して多くないし、生息地の環境を調える関係者のご尽力があってこそ。稀少なスミレなので取り上げに注意は必要である。サクラスミレに限らず、自然界に自生する植物とそれらが織りなす生態系を慈しむ気持ちを持って、細心の注意を払って観察と撮影を行なっている。

サクラスミレを忘れがたきぼくは、2025年に再度時間を捻出して四国カルストを再訪することにした。当初は奈良県の曽爾高原に出かけようと計画していたが、万博開催で関西は混み合うのでアクセスや宿泊ができないだろうと断念した。

サクラスミレの和名の由来は、サクラの花弁のかたちに似ていること、花弁が大きく見栄えがすることからサクラの印象をスミレに重ねた心の動きが名前に宿っている。

そして現地に到着。前年度に見つけた場所を注意深く足を踏みいれるが最初の数分は見つけられない。今年もダメかと思っていたら、数メートル先にかすかに紫色の花弁が揺れているのが視野に入ってきた。声が漏れた。数年ごしに見たかったので。ただ見とれた。動きが止まり呼吸が止まり思考が消える。

我に返って写真を撮る。大雨でなければ曇りや小雨はむしろ歓迎でスミレの花弁は美しく撮影できる。写真はともかく、肉眼で実物を見て心にしまっておくつもり。薄曇りの天気が理想なのだけれど快晴(しかも強風)。そのままでは陰影が付きすぎる。そこで日陰を使って撮影してみる。こうして自然光と半日陰の画像を適宜織り交ぜることにした。サクラスミレ特有の濃い紫色は太陽光下が映えるのだけれど、個体の観察には日陰が向いている。

ここ数年見たかったサクラスミレが眼前にある
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葉の拡大
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センサーの小さなカメラ(フジX20)でも撮影を行なったのは、ピントの合う範囲が広く、接近して撮影できることから小回りが利くのが特徴。
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風に吹かれていることも忘れて、生きていてよかったと思える時間が(早送りなのか遅送りなのかわからないが)通り過ぎる。美しいものは美しい。稀少なものは稀少。でもそれが本質ではなく、そこに存在することが尊い。それが植物であれ動物であれ木々であれ水であれ人であれ。
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posted by 平井 吉信 at 00:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月14日

海に近い里山 地形を愉しみ 防風林を抜けて渚へ(阿南市 中林海岸)

観光客で賑わう北の脇からひとつ北の渚が中林海岸。国道55号線から東へ海岸に向けて広大な水田が広がり、丘が点在する場所。静かでありながら潮騒が聞こえて交通の便の良い場所(中林町)として、感覚的に住居を選ぶ人にも支持されている。

道幅が狭く、車を置ける場所もないので中林地区を訪れる際は打樋川の西岸にある東部自然公園の駐車場に停める
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ほどなく打樋川が見えてくる。周辺は津波による浸水深が3〜5メートル想定されている低地である。この地区は意外にも渚に近い場所が標高が高く水没しない地区があることに気付く。
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〔国土交通省 重ねるハザードマップ〕
https://disaportal.gsi.go.jp/hazardmap/maps/index.html?ll=33.911673,134.685728&z=14&base=pale&ls=seamless%7Cekijouka_zenkoku%2C0.8%7Ctsunamishinsui_raster%2C0.8%7Cdisaster5&disp=0010&vs=c1j0l0u0t0h0z0

海岸線から少し入った内陸部が土地が低くなっており、その中心には打樋川(うてびがわ)がある。この川は周辺の水田の排水河川の性格を持っているが、源流部はJR阿南駅周辺の住宅街となっており、水の供給はないのに水量(川幅)が大きいと感じる。
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こんなときは地形図をじっくり眺める。必要に応じて上記のようなハザードマップ(水没地域から等高線を把握できる)や旧河道を調べる。また、国土交通省のWebサイトに那賀川下流の旧河道が掲載されている。
https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0802_nakagawa/0802_nakagawa_01.html
この2つの情報から、打樋川はもともと低地で、縄文海進の頃は海だったことや原始の那賀川河口部が縦横無尽に三角州を形成していた流れのひとつでもあることがわかる。

打樋川を越えて渚に近づくと水田がひろがる。早稲の産地である
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あぜ道にはツツジ
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丘を見つけたので登ってみる。振り返ると中林の水田地帯
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丘の上に神社の境内が見えてくる。稲荷神社であった。参道には足下注意の箇所がある
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境内には樹木が繁り、苦手な雰囲気という人もいるだろう
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集落に近い小山にも神社がある。弐社神社という。地域の氏神さまではないかと推察
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石段を上がると社殿が見えてくる
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道路沿いに大きな岩が鎮座する。自然の地形で集落に溶け込んでいる。岩の下にベンチが置かれていて地元の休憩場所となっている。
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頭上がオーバーハングとなっているので雨を多少はしのげるかもしれない
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海の近くの米どころにはカモのつがい
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こんもりとした防風林へ続く小みち。右下は田んぼの高さへ降りていく草の小みち。この二股は映画のロケで使われたら物語に含みを持たせられるはず
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右手の小みちは田んぼの脇を通る
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左手は樹間のトンネルを抜けていく
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防風林には古い時代のお墓も点在する
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中林海岸の渚に抜ける。南端の方向を見る。
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その向こうは蕨石(わらべいし)海岸を経て、北の脇へ至る。蕨石海岸には、メランジュと呼ばれる地質構造があるようだが、見たことはない。

「阿南市蕨石海岸のメランジュを構成する付加堆積物と海底地すべり堆積物」
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/60/187-194.pdf

中林海岸を上空から見た動画
「風光明媚な中林海岸」https://www.youtube.com/watch?v=i6PkRlP157I&t=333s

中林海岸の中央部 そして北部の沖合には小島が点在
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太陽が傾き、元来た道を戻っていく
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タグ:中林海岸
posted by 平井 吉信 at 22:49| Comment(0) | 里海

2025年05月12日

白桃を思わせるアケボノスミレ


阿讃国境から県西部の山が新緑に萌える頃、樹間や草原で見られるアケボノスミレは、見分けるのが容易なスミレのひとつ。というのも花弁の色が淡い桃色をしているからで、この色彩で区別が付く。
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花の咲き始めは葉が成長していないことが多く、ぽつんと咲いていることも。
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そして葉と花が揃う頃には虫に食われて花弁がいたんでいることが多い
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だから花弁と葉が揃った個体を見つけると、やったあ、という気持ち
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アケボノちゃんは四国にいるスミレじゃない。現在でも中国東北部、朝鮮半島、沿海州に自生しており、北方系(大陸生れ)である。氷河期で陸続きになった日本列島に渡ってきたものの、その後温暖化(縄文海進)で故郷に戻れなくなり、日本列島では北国と標高の高い場所に取り残されたもの。
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徳島県は実はスミレ天国で、海の魚がそうであるように、瀬戸内海〜河川の砂の供給が多い紀伊水道〜太平洋と3つの海域の魚種が揃うが、陸は陸で瀬戸内から日本有数の多雨(四国東南部)、大河の平野と急峻な山々、そして石灰岩やら蛇紋岩やら緑色片岩など鉱物的地質の多様性がつくりだす環境がスミレ天国を生み出している。それゆえ北の国に帰りそびれた山陰型タチツボスミレ、スミレサイシン、オオタチツボスミレ、アケボノスミレなどが細々と定着している。

(美人と形容するのが時代錯誤といわれそうだが)アケボノスミレを見ると、ロシア系の美女のように見えてしまう。それに比べてタチツボスミレは大和撫子、スミレ(Viola mandshurica)は楊貴妃のような大陸系かも)

アケボノスミレのなかでも花弁の色が濃いものはクロバナアケボノスミレという。これは日本的かも(大陸よりも日本に生息数が多いのではという意味)。
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花弁を食べているのはこの虫だろう。アケボノスミレが食害に遭うことが多いようだ
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アケボノスミレは白桃を思わせるおっとりとしながらも蠱惑的な存在。
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posted by 平井 吉信 at 22:14| Comment(0) | 山、川、海、山野草

地面にぼんぼりが灯ったようなエイザンスミレ(アカバナスミレ?)


県央部の標高千メートル前後のなだらかな場所に咲くスミレで、エイザンスミレの一種と思われるが、通称アカバナスミレとも呼ばれるスミレがある。

この山域では花弁のふちがほんのりと紅を差したような艶っぽさが特徴(余談だが、スミレの花弁を濡れたようにー透明感と艶が同居するような―描写できるのは富士フイルム製のデジカメのような気がする)。
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地面にぼんぼりが灯ったような。
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この山域の個体を見る限り、花弁が波打つ/打たないなどの違いがあってもエイザンスミレと区別する必要はないように思う。


タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:23| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月10日

今年はじめてのハマヒルガオと渚の小みちを行く(北の脇海岸)


那賀川河口から吐き出さされる大量の土砂は、北岸では小松島市の和田島海岸から出島を経て河口へと砂浜を形成し、南岸では淡島海岸、中林海岸、北の脇、袙海岸と連なる。周辺の海浜は「我は海の子」の唱歌のように、防風林(松林)と漁村のおだやかな営みからなる風景。

今回は北の脇。車を停めて渚へ出る途中の小みちでは、夏の夕方にマムシを踏みそうになったこともあった(油断していた。みなさんもご注意)。松林とその下に繁茂する海岸性の植生の間を縫って砂地の小みちをたどる
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ネコが砂地でじゃれている
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夕暮れが近づき斜めの残照が松林の影を渚に落とす
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すでにハマヒルガオが咲いていた
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コマツヨイグサ
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すでに水に足をつける人もいる
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海岸の南端から松原を横切る道中に、自然石で組み上げた神社がある。山神神社とあるが、海のそばにある理由やご祭神などはわからない。いつも境内の樹木に覆われて写真では緑かぶりするし、肉眼でもそのように見える
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浦島太郎が釣り竿を持っているように見えるからか、ウラシマソウと名付けられたテンナンショウ属の植物は林地に点在する
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松林にも縦横に小径が走るが、緑の濃さゆえに、夏が近づくと入れなくなる。マムシの密度も濃いと推察する
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西日が行く手を照らすと光条があらわれて足下が明るくなる
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海岸の半ばの松林にある蛭子神社(三社神社)
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人が手入れしなければ、緑の園となってしまう温帯モンスーンの海浜集落と形容できそうな
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朝日が昇る東向きの渚と松林。防風林に守られた漁村集落が北の脇海岸。ほとんどの人はこの場所が好きなのでは。
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タグ:北の脇
posted by 平井 吉信 at 00:29| Comment(0) | 里海

2025年05月07日

芭蕉が詠んだのは、タチツボスミレ? シハイスミレ? 


3月中頃から4月末(標高の高いところではもう少し先まで)までのすみれの咲く頃を一年の始まりと思ってしまう。いにしえから歌に詠まれている印象のスミレであるが、意外にも数えるほどしかない。

春の野に菫摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(山部赤人)

万葉集の歌の世界を繙けば、スミレのそばで一晩寝てしまったなどは季節を考えればありえない。風の当たらない陽だまりで太陽が高い時間帯なら昼寝ぐらいはできるだろうが、雲が出たり風が吹き始めると寒くなって目が覚めてしまう。まして夜であれば。

菫を摘むというのが愛しい女性のもとに通うという比喩であればうなづけるのだけれど。それはさておき、野に摘む菫とはどんなスミレだろうか?

菫を摘む、という連想からある程度の草丈があり、茎や葉が直立している姿が思い浮かぶ。となれば、弥生時代に稲作の伝来とともに種子が渡ってきたスミレ(Viola mandshurica)ではないだろうか。ラテン名を付けてあるのは、すみれという一般名詞ではなく、「スミレ」という和名のスミレだからである。

5月の草原に咲いていたスミレ(Viola mandshurica)
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次は、芭蕉の句。

山路きて何やらゆかしすみれ草

日本でもっともよく見かけるタチツボスミレは、道ばたから山まで点在し、ときに群落をつくることも多い。日本固有のスミレ(朝鮮半島や中国大陸にも存在するともいわれるが、分布の中心は日本列島)のひとつで、なにやら奥ゆかしい姿であること、さらには「山路」というのがキーワード。芭蕉の旅の記録から、発句が京都近辺であったということであれば、ゆかしいスミレとして、タチツボスミレか、シハイスミレが候補に上がる。

まちの近くの低山でいまを盛りと咲き誇っているタチツボスミレを見れば、そんな風情を感じませんか?
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芭蕉のいうゆかしいスミレのもうひとつの候補はシハイスミレ。牧野博士の命名による。
西日本に多い美しいスミレでどちらかというと丘陵、森、山岳で見かけることが多い。
この場所でのシハイスミレは葉に白い筋が入っている。フイリシハイスミレという。
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花弁の濃い色と深緑に白い斑入りであでやかである。ゆかし、というよりはもう少し明るい感じで雅び好みの人なら、タチツボスミレのほうが印象に近いかもしれない。いずれにしても美しいスミレということで。
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posted by 平井 吉信 at 23:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草