2024年12月30日

サッちゃんとシャボン玉


日本の歌百選は、2006年(平成18年)に文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲を選定したもの。百選を見ていくと、「赤とんぼ」は3位。みんなが知っていて詩情溢れる佳曲としてぼくが挙げたいのは「雨降りお月さん」(7位)、「朧月夜」(21位)、「サッちゃん」(43位)。

特にサッちゃんは隠れた名曲、それも名曲中の名曲と思っている。作詞は、阪田寛夫さん。この方の訳詞で「学校へ行く道」が中学の音楽の教科書に載っていて、いまでも手元に保管しているほど好きな曲。
音楽の授業で黒田先生という女性教師が生伴奏のピアノを弾くのだが、曲想の変化でわずかにアッチェレランドをかけるところが曲想に合っており、「楽譜にはなくても自然にそうなる表現」があって、それが「芸術」なのだと思った。小学校までは単に和声が合っているだけだった。

サッちゃんの作曲は、大中恩(めぐみ)さん。この1曲だけでもすばらしい作曲家だが、ほかにも多くの作品が残されている。Amazonで見ると、混声合唱曲「島よ」がわずか749円で出ていた。ためらわず購入。

ぼくは合唱をやらないけれど、混声合唱組曲「水のいのち」( 高田三郎作曲)が好きで、20代の頃から聞き始めて、数百回はCDを聴いた。「四国の川と生きる」というWebページは開設以来、隠れた読み物コンテンツとなっているが、川に想いをはせるとき、この音楽がいつも響いている。「島よ」も聞きこんでみようと思う。

さて、サッちゃんは、詩と曲が一体となった最高の作品。1番の歌詞で、どこにでもいる愛らしい女の子が描かれ、2番の歌詞でサッちゃんはバナナを半分しか食べられないという。来年になれば1本まるごと食べられるかもしれない、昨日までできなかった逆上がりが、きょうはできるかもしれない。愛らしい時間は瞬く間に過ぎていく女の子の成長を宝物のように書いた阪田寛夫さん。

3番では、「サッちゃんがね」とこれまでの会話で何度も出てきたあのサッちゃんがね、の気持ちがぽんと置かれ、時間の経過を示す。そのサッちゃんが引っ越しするんだって―。男の子には人生で初めて感じる抗うことのできない(そして誰かに説明することができない)心のうずき。おとなになったとき、何かのきっかけで思い出すとしたら、この曲は幼かった当時を描いているようで、おとなになって振り返る子ども時代の回想かもしれない。

音符をひもとけば、サッちゃんはねと、子どもが一生懸命伝えようとするときの「あのね、これはね」とたどたどしくしゃべる姿を音符/リズムがたどる。その後、子どもが何かの衝動で駈けだしていくように細かい音符を綴る。作曲者の書いた前奏は不安定な調性を使っているが、導かれて歌い出しで着地するという芸術性が高いつくり。歌が始まるとヘ長調と平行調のニ短調を中心に、子どもでも覚えやすく、しかも流れるように進んでいく。魔法のようである。

サッちゃんのことを「おかしいな」(1番)、「かわいそうね」(2番)と他人事のように見ていたのに、3番では「さびしいな」と男の子の気持ちが出てくる。子どもの日常の一コマから心の成長や誰かへの思いが育っていくさまが描かれる。

童謡や唱歌は完璧な音楽かもしれない。そうでなければ子どもの心は掴めないし、おとなだって感動することはないから。

YouTubeには美しい音源が残されている。

歌い方があまりにはまっている山野さと子さんのチャンネルから。山野さんの歌い方が好きだな。特に母音の「う」の音が美しい。誇らしげな少年と涼やかな少女の両面が空間でブレンドされて空気が震えるというか、声帯の共鳴のような自然なビブラートが無意識に出ているような (声の倍音成分だね、きっと)。もう聞き惚れる(日本語では「う」と「え」の出現頻度が低いとされるが、語中の「う」は「お」に近く発音されるため、口を尖らす「う」は「え」より少ない。その数少ない「う」の音を美しく響かせている)。
https://www.youtube.com/watch?v=OvKMHHfYEf4

歌声シンセサイザーでも違和感がなく没入できる。静止画の余韻も愉しめる。
https://www.youtube.com/watch?v=8tGhrQCR0Y4

CDにおすすめがある。
「ザ・ベスト 懐かしの童謡」

「サッちゃん」をはじめ、山野さと子さんの歌が多く収められているが、コロムビアが誇る川田正子さんの「みかんの花咲く丘」や森みゆきさんの「ゆりかご」など35曲が収録されている。エバーグリーンな音源なので当分は廃盤にならないとは思うが、見たときに入手しておかなければ、ある日突然(トワ・エ・モワではないが)消えるかもしれない。

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さて、次は「シャボン玉」(野口雨情作詞・中山晋平作曲)。誰でもご存知の「シャボン玉とんだ 屋根までとんだ」である。子どもが無邪気にシャボン玉遊びに興じるさまを歌にしたもの。この楽曲は前述の「懐かしの童謡」には山野さと子さんの歌で「サッちゃん」の次に収録されている(なんという)。ここで別のCDを紹介したいと思う。

グレッグ・アーウィンの英語で歌う、日本の童謡」(絵本とCD)
(もし、新品を見かけたら万難を排しても手に入れるべき)

歌の情景が描かれた絵本が本体。それにCDが付属している。CDには、日本人で童謡歌手の雨宮知子さんが日本語でうたう童謡の後に、アメリカ人のグレッグさんが自ら英訳してうたうオリジナルが続けて演奏される。

まずは雨宮さんがノンビブラートの鈴の音のような声でやわらかくうたう。童心に還れる歌い方で聴いていて時の経つのを忘れてしまいそう。次に、グレッグさんがビヴラートをかけた思い入れたっぷりにオリジナルの英訳で同じ伴奏で歌う。歌詞を聴いていると、日本語の深いところから汲み取ったニュアンスが英語に置き換えられている驚き。しかもそれがときに韻を踏んでいたり(英語の歌詞にはよくある)。現代の英訳から「もののあはれ」や「おかし」が見えてくるよう。

グレッグさんの赤とんぼがYouTube上にある
https://www.youtube.com/watch?v=sVv7eCdDVHk

さらに全編を通して伴奏がすばらしい。ピアノが声に寄り添い淡々と音楽を紡いでいく。ここには安っぽいストリングスはなく、学芸会の伴奏でもなく、曲想を最小限の音でえぐり出すが、あくまで伴奏に徹する。

特に唱歌の赤とんぼの伴奏はこの演奏が理想だ。前奏だけで涙腺が緩む。赤とんぼにはピアノにチェロの響きがオブリガートするが、これが木霊のように心を揺さぶる(低弦の響きはヒトの独白にもっとも近い)。雨宮さんの歌い方も何の作為も感じず、凜としてそれでいてやさしい。赤とんぼの原曲はヘ長調(Fmaj)とされるが、この盤のように変ホ長調(E♭maj)がもっともしっくり来る。この赤とんぼだけでこの絵本付CDを買う価値がある。音楽を聴きながら絵本を見ているが、いつのまにか目を閉じてしまう。こんな企画が廃盤(廃刊)にならないよう世に紹介した次第。

それではシャボン玉について。
諸説あるが、子どもの無邪気なシャボン玉遊びであるとともに、「生れてすぐにこわれて消えた」は夭折した子どもへ思いを馳せたものとする説がある。
ぼくもそう思う。雨宮さんの日本語の歌は前者だが、明るい雰囲気のなかに「負けないで!」と子どもへの応援歌のように感じる。続くグレッグさんの英語版「Blowing Bubbles」では、stronger ones needs lots of soup, weeker ones needs lots of hope」と綴られて目頭が熱くなる。

雨宮知子さんのCDも入手が難しくなっているが、ダウンロード音源はある。
mora(AAC-LCデータ)かOTOTOYがおすすめ。音質の良好なflacかwav形式ならOTOTOYの一択。寝る前に聴いてみたら、おだやかな気持ちで休めるのでは?

ほんとうにいまの時代にこそ必要な思い、ヒトの心の動きだよね。物価高、原材料高騰、災害多発で思うように生きていけない、食べられない国民が2割や3割に達しているように思う。東証の大納会では株価は過去最高を記録したが、これらは過去30年の誤った政策で国民の貧困化を進行させて獲得した偽り。1億総中流といわれた30年前から、国民の富を消費税(&法人税の減税)という逆進性の高い政策で富を付け替えたに過ぎない。いまでは時価総額が世界のベスト30位に入る日本の企業はない(かつてはベスト10に8社あった。人々の犠牲になり立つ株価などくそ食らえ! 経済の実態を見ればほんとうの価値は1万円ぐらいだろう、そのうち弾けるよ、弾けてしまえ!と言いたいことはいわしてもろた)。

シャボン玉が空高く舞い上がるためには、たっぷりの石けん水だけでなく幸運が必要。不幸にして少ないシャボンで生きて行かなければならない人が増えた。わずかな泡で空に放たれたら、幸多かれと幸運を祈る社会。そして国の施策もすべての人が幸福になれるように注力する政治や行政でなければならない。シャボン玉の童謡にそのような思いが込められているように思えて仕方がない。

すべての人が安寧に年が越せるよう、2024年の晦日に祈る。

追記
ここまで1893のコンテンツをつくって見ていただいている。それでも見る人は1日に数人と少ない。文字だけでも166万文字を越え、掲載写真は40万枚を越える(もちろん撮影に使った枚数はさらに2桁は多いだろう)。拡散する手段はなく、見てもらっても1円のお金も入らない。それでも書き続ける。まあ、良い記事だなと思ったら、誰かに伝えてください。

タグ:童謡・唱歌
posted by 平井 吉信 at 22:57| Comment(0) | 音楽

巻雲 飛行機雲 トンビの空


飛行機雲と巻雲が重なる。といっても、飛行機雲もジェット機の排気ガス由来
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飛行機雲が拡散する過程で肋骨巻雲に変化
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火の鳥のような巻雲が出現

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トンビは空の雲を見ているのではないか
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飛び方を模しているようで
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トンビは巻雲に憧れ、巻雲はトンビにその姿で応える。雲とトンビの関係。
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posted by 平井 吉信 at 11:31| Comment(0) | 気象・天候

2024年12月29日

勝浦浜橋から西の空


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posted by 平井 吉信 at 12:08| Comment(0) | 気象・天候

2024年12月28日

倍賞千恵子 叙情歌全集 日本語の美しさを凜と


前奏が始まる。歌が出てくるのを待つ。前奏からある程度、歌の(歌い方の)入り方は見当が付く、と思っていたら不意を突かれる。岩の割れ目から懇々と湧き出す石清水のように空気を震わせる。人の声がまわりの空気を共鳴させて空間が鳴っていき、空気に同化していく。言葉にすればそんな感じが倍賞千恵子さんのこの全集。

フォークや昭和歌謡の名曲、唱歌、童謡、西洋の古典歌曲から派生して日本語の歌詞が付けられた有名な楽曲、世界各地の民謡に起源して日本の伝統曲のようになった曲などテーマごとの6枚組全102曲の全集。

倍賞千恵子 抒情歌全集

歌の表現は楽曲によって変えているが、小細工はしない。ヴィヴラートは強くかけず、オペラ唱法とも違う。背筋を伸ばして崩すことなく、なよなよする表現は皆無だが、やさしさが底流を流れる。それでいて、気持ちが入った箇所では気持ち早めに入ったり、部分的に小節や伸ばす音で震わせる表現はある。特に高音で伸ばす音から下降する際にスラー気味(ずり下げ)に顕れる。

しかし音楽に浸れる、安心して身を任せられる。凜としてふくよか。金縛りに遭う瞬間がどの楽曲にもある。油断していると「違う世界に持って行かれる」感じ。2分や3分の短い楽曲でも。

第1集から「夏の思い出」。リバーブがやや深めだけれど、声帯の特定の帯域で共振するような音域と歌い方があり、尾瀬の沼にはまってしまう。それでもこの曲とともに尾瀬に行きたい。
「あざみの歌」「四季の歌」「雪の降る町を」(ブルース調の編曲が惜しいが)では、短調を憂愁にしない凜とした意志がある。「雪の降る町を」であの転調の瞬間に木漏れ日が射す。ああカタルシス。それなのに最後の審判のように終わらせるのも深い。これだけ豊かな表情があるのに楽曲が壊れておらず、この音楽の深淵が見える。オリジナルの「神田川」は男性がうたう女唄だが、女性の視点からの語り掛け、独白の世界観。ああ、「さくらさん」と腑に落ちた。

第2集では、倍賞さんならではの楽曲が続いた後、「岬めぐり」。失恋の男唄の歌い方ではないのに元の楽曲のすばらしさを再確認する。「星に祈る」の軽やかな歌い方は誰が歌っているかわかる人は少ないだろう。高音で絶叫せずディミニュエンドするニュアンスは自在。でも第2集は短調の曲が多いこともあって再生する頻度は少なめ。

それに対して第3集は叙情歌集の白眉というべき唱歌。全集のなかでこの第3集をもっとも聴くという人は少なくないだろう。「からたちの花」「砂山」「この道」 このように歌ってほしい(歌ってくれるだろう)の心のシナリオに沿って流れる。「浜辺の歌」では声帯と楽曲の区別が付かない一体感で魂を揺さぶられるが、原曲がつくられた時代の矜持さえ感じられる(大正時代の湘南の海岸がモデルとされるが、海がまだ人工的な海浜となる前の日本中どこにでもあった外洋に面した砂浜を思い描くことができる。原曲は変イ長調でテノールの音域であるため、これだと女声では高すぎるので倍賞さんやトワ・エ・モワの白鳥英美子さんもヘ長調へと下げている)。編曲も声を活かす簡素さで佳い。期待した「ゴンドラの唄」は青春の青さや高揚感をうたってほしかった。

すべての楽曲で最高かといえばそうではない(誰が歌ってもそれはない)。第4集の「赤とんぼ」(ぼくは唱歌のなかでこの曲に深い思い入れがあるので)は(倍賞さんの歌い方というよりは)編曲が楽観的で、なんだか寅さんのよう。姐やへの思慕とそれゆえの哀感、過ぎ去ったときへの寂寥となつかしさの入り交じる想いを湛えて時空の彼方に昇華させる、涙を湛えてほほえむあのモーツァルトの長調の楽曲のようにうたってほしい。「叱られて」は寂しさのなかのこみ上げてくる肉親の愛情を湛える。第4集はだめだよ、涙腺ゆるませ集。
でもストリングスの伴奏よりはピアノかギターだったらと思える場面は多い。裸の声が聴きたいときに、オケがムード歌謡調に誘導してしまうから。

庭の千種と銘打たれた第5集は自在に羽ばたいている。オリジナル歌手の存在がないことでのびのびと肩の力を抜いている、だからどんどん景色がひらけていく。もう誰がうたっても追いつけない感じ。

第6集の昭和歌謡もいい。「湖畔の宿」、当時を知らないけれど、淡々と運ぶ歌で情景が浮かぶ。「新妻に捧げる歌」には一抹の不安を打ち消す希望や未来の光が宿っている。ふと思ったけれど、加山雄三さんの楽曲を倍賞さんがうたうのはありかもと。歌詞カードは1頁に1楽曲が掲載されていてとても見やすい。

コロナやインフルエンザが流行している昨今、冬休みをじっくりと音楽に向き合ってみたい人にお薦め。昭和は遠くなりにけり、などとおっしゃらずに、若き倍賞さんの声に浸ってみては?
倍賞千恵子 抒情歌全集

蛇足

日本語が話せる人が少なくなっていくような気がする。少し遠回りするけれど書いておくね。
東京(とうきょう)をその文字どおりに発音はしない(でしょ)。近い音で表せば「と−きょー」。外国人には東京と発音するのは難しいようで、「と・きおぅ」と聞こえることが多い。大阪も「お・さか」。

ぼくがこれに気付いたのは20代前半に「四国カナダ協会」の例会に参加していた頃。日本人もカナダ人も気軽な軽食とビールを肴に会話は英語で行なう活動。地元のスーパーを「キ・ヨウエイ」とカナダ人のクララさんが発音していた。KYがKIOとなるのねと気付いた。

ところが21世紀になって日本人の日本語がおかしいと感じることが多くなった。NHKの連ドラの主題歌でAKB48がうたう「365日の紙飛行機」で、「…今日という一日が…」の「が」でひっかかった。これは日本人が発音する「が」ではないよ。このブログにも書いた記憶があるが、どうして関係者が気付いて伝えないのかと強く思った。楽曲は悪くないのだが、あの「が」が聞こえてくると朝のひとときが憂鬱な時間となってしまった。「ga」の「g」の成分が強すぎて言葉が歪んでいる。この楽曲の世界観はおだやかなもの。そうでなくてもこの文脈では「g」はかすかに入って後の母音が強勢となるように大多数の人は無意識に発音しているはず。日本語は母音のふくよかな響きが美しさの根源だから。倍賞千恵子さんのこの全集はそのような違和感はどこを探してもなく、日本語でうたわれた歌の美しさを堪能できる。宝物だね。
タグ:童謡・唱歌
posted by 平井 吉信 at 22:16| Comment(0) | 音楽

雪どけ口溶けケーキの場面


おとぎの世界のようなこの一瞬。つくる人がいてこそ。
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雪にとざされた草原の果実のおもむき
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おとなが童心に還る場面の刹那にて
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posted by 平井 吉信 at 19:02| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2024年12月26日

誰かがやらないと何も生まれない 県南の海で未利用魚を食卓に届けたい会社の物語(株式会社澄海/徳島県美波町)


2023年春のこと、熊本県から徳島県に仕事で着任した濱隆博(はまたかひろ)さんが、長年使われずにがれきに埋もれた廃屋のようになっていた県所有の水産加工施設(美波町の志和岐漁港に設置)を数か月かけて使えるようにしました。この施設は、数年前まで地元漁協がアワビの稚貝を育成する施設として活用されていましたが、現在では使われなくなっていました。その施設を活用するためには補助事業のからみなど行政との交渉や調整がやまほどあったはずです。

志和岐漁港
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これが行政の事業だと数年を要する計画となるはずですが、濱さんは持ち前の行動力で会社を設立。荒れ放題となっていた施設の修復をひとりで行い、数か月で使えるようにしました。さらに地元の金融機関から融資を受けて必要な設備投資を行ないつつ、熊本県から知人の谷口毅さんを呼び寄せて社長に就任してもらいました。会社の名前は濱さんのご子息と同名の株式会社澄海(すかい)と名付けられました。澄んだ海と空を連想させる名前から、濱さんがこの事業に寄せる思いが感じられます。こうして二人三脚で事業が動きだしました。

左から取締役の濱さん、代表取締役の谷口毅さん
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施設には地元志和岐集落の高齢者を中心に地元民を雇用して水産加工(惣菜)をつくっています。魚種は徳島県内で採れたボラ、チヌ、タカノハダイなどの未利用魚や海部郡の沿岸で採れるブリやシイラなどを使っています。未利用魚とは、おいしいのになじみがないためあまり売れない魚など流通に乗りにくい魚です。濱さんは地元の漁業関係者や水産物を扱う事業者をくまなくまわり、ときに漁船に乗り込むなどして魚を出荷してもらえるよう信頼関係を築いていきました。

沿岸漁業がふるわないのは、温暖化で海水温が上昇したことで冬場に深みに移動する魚が磯に居着いて藻場を食い荒らすことが要因です。温暖化で冬に個体数が減少するはずのシカが減らず、林床の植生を食べ尽くすのと同じです(このほかには、里山の荒廃で人とケモノの境界が曖昧になっていることや上流の森の荒廃で川がフルボ酸鉄などのミネラルを海に供給しなくなったことも原因です)。未利用魚を流通に載せることは藻場の回復にも役立ちます。藻場は沿岸漁業を支える生態系のゆりかごで大切な存在です。

濱さんらがめざしているのは地域経済の循環を民間でつくるという地域経営の考え方です。濱さんの知人らが海部郡で藻場の再生を行なう一般社団法人藻藍部を立ち上げました。藻場の再生は未利用魚の流通化と密接な関係があるため、連携していくことになるはずです。濱さんは「徳島で水揚げされた魚たちに感謝して食べ(感食)、残さず食べて(完食)、魚を食べて海の環境改善に寄与(環食)しよう」とアピールしています。

また、施設には敷地内で陸上養殖のできる水槽を設置しました。県内では話題となった上勝町産のアメゴを使ったサツキマスの養殖も行なわれました。このことがご縁となって、上勝町の月ケ谷温泉では(株)澄海で生産した魚が使われるようになりました。魚のロスを出すことなくメニューを追加したい、厨房を楽にしてあげたい飲食店や宿泊施設は問い合わせされるとよいでしょう。

(株)澄海では直接お客様に届けられる商品も開発しました。12月23日と24日に徳島県庁で行なわれた県庁クリスマスマルシェに出店、持ち込んだ商品は完売となりました。その商品とは、シイラとブリの西京みそ焼きです。一度買った人たちはほとんどがリピーターになるそうですが、現時点では決まった場所での販売がありません。同社のWebサイトに販売情報が掲載されますので入手をご希望の方はご覧ください。

おなじみのブリ(左)とあまりなじみのないシイラ(右)。シイラは県南部の海で採れるが、地元スーパーではあまり出回らない。(株)澄海では地の利を活かして鮮度が落ちるまえに加工できる強みがある。ハワイでマヒマヒと呼ばれる南方系の高級魚であり、県南部のスーパーや産直市で見かけたときはぼくも購入して照り焼きなどにしている
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県庁での出店の際は微力ながら販売をお手伝いしました。一度に30個も求められたお客様(県職員の方でしょうか)もいらっしゃいました。「いままで子どもが魚を食べなかったけれど、これだけは喜んで食べるので。今度いつ買えるかわからないのでまとめ買いしました」とのことです。

商品は冷凍すれば半年持ちます。冷蔵庫で半日解凍して電子レンジ(ふっくら仕上げる)、オーブントースター(カリッと仕上がる)などで手軽におかず一品が追加できます。この商品のすばらしさは、魚が食べられなかった人でも食べたくなるおいしさと手軽さにあります。それでいて、食通の人にも訴求する食べ飽きないホンモノの旨味を再現できています。

使われているのは県内で特注した麦みそに、塩、醸造用アルコール、砂糖など。アミノ酸は使われていません。後味が良くひとりで一袋(100グラム)食べられます。九州生まれの濱さんがお母さんにつくってもらった味を再現したとのこと(九州男児で照れ屋の濱さんがはにかんで言いました)。麦みそは九州や愛媛県で使われていますが、徳島では求める風味に合う麦みそを特注してもらったとのことです。魚のおいしさを麦みそが引き出していてほんのり甘いやさしい風味です。

濱さんの手描きの黒板。この文字からどれだけ多くの情報(思い)を汲み取ることができますか?
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お隣には、シフォンケーキやマフィンなど素材系の菓子では県内ではもっともおいしい店のひとつ、howattoさんが出店されています。こちらのマフィンを買い求めました。ホールシフォンは早々と売り切れていました。今年最後の営業日は12月27日(金)です。
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アップルクランブルマフィン
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冬の看板商品 シュトレン
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すだちくんも買いに来てくれたそうです
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外は寒い冬の夜、キッチンカーも盛り上げます
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DMVのモードチェンジに乗車できる体験も子どもの人気を集めていました
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(株)澄海は、2024年10月にアスティ徳島で開催された徳島ビジネスチャレンジメッセで優秀賞に選ばれました。
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知事に説明しているところ
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(株)澄海は、高い理念、まっすぐな志を持ち、それに戦略性と行動力、社会貢献性が備わっていて、地域を巻き込んでいることが高く評価されたものです(地域の高齢者が家から歩いていけるような場所に雇用の場ができたことで、地元でこの設備ができたことがどれだけ喜ばれていることか。会社には全国各地から取引を希望する事業者が視察や商談に訪れているのも集落に活気を呼んでいます)。

(株)澄海では、生産性向上を高めるための設備投資にクラウドファンディングに挑戦しています。本日時点で締め切りまであと数日(2024年の年内まで)ですが、状況は道半ば、できたばかりの会社の資金力には限りがあります。会社を立ち上げた方々の思いの深さと献身に頭が下がる思いであり、応援したいと思います(すでにクラウドファンディングには応募しました)。当社への寄付は、ふるさと納税の寄付控除の対象となります。みなさまのご協力をお願いします。
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ふるさと起業家支援プロジェクト
→ 町の遊休施設を活用し地域水産業の未来を支えるDX化プロジェクト


posted by 平井 吉信 at 11:24| Comment(0) | 徳島

2024年12月21日

冬のブルーモーメント


空気が澄む冬の薄明は紺碧に沈み込む。寒さの証し(放射冷却)のような透明度
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ヒトの営み、森の時間 森づくりの20年を振り返る(高丸山)


高丸山の麓、駐車場から標高の低い山域には人工林を伐採して元の広葉樹に戻す事業が2004年から県民参画で進められている。「遊学の森」と名付けられた区域はシカの食害から守るためフェンスで囲われている。現在では29団体が管理を行なっている。
http://www.1000nen.biz-awa.jp/enterprise/forest/index.html

森を復元するに当たって、高丸山域から種(どんぐり)を採取して、麓の八重地集落で苗を育て、ある程度生育したところで山へ返すという地域の森の遺伝子を守って行なっている。植樹後は草刈りを行ないつつ、約20年が経過した。その森の様子をお伝えしようと思う。2024年11月上旬のある日のことである。なお、この区画は関係者以外立ち入り禁止となっている。

植樹した谷へ降りる小径にはセンブリが咲き、ススキが風にたなびいていた
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ススキの穂の上に高丸山の山頂が見える。まだ紅葉していない
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かつて高丸山の林床は背丈より高いスズタケに覆われており、その間に登山道がある状態であったが、いまではシカ害で林床は露出している。ところが周囲を囲ったこの森はスズタケが繁り、かつての高丸山の植生が局所的に蘇りつつある。シカがなぜ増えたのか? それは温暖化により冬期に死ぬ子鹿が減ったからといわれている
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自然界にこんな濃い紫色があるのかと思う。ノササゲ
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谷底へ降りていく作業道の両側はすでに低木の森となっている
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途中の東屋。植樹の合間に食事をしたりする場所
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なおも進む。道ばたにはアサマリンドウ and so on...
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谷底に近い区画番号4が植樹を担当したところ
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ここで2004年の画像を出してみる。当時は谷底まで見えていた
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植樹をしている当時を振り返る。でも、このなかからすでに数人が鬼籍に入ってしまった
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この森が受け止めた水は数km下流で川となる
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現在では森が出現(植樹の写真と同じ場所)
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若くして逝ってしまった方もいる。地域で活躍されていた方で痛恨の極みだったが、娘さんがその遺志を引き継いでいる。いつも幸多かれと祈っている

まさか、あの人まで…。ひょうきんで謙虚な性格ながら行動力のある方も数年前に突然亡くなられた

ときの流れの早さは人の世の常なれど、森は森で悠久の時を刻む。まだ始まったばかりの森の歴史。加速度的に進行する温暖化で南限に位置する四国のブナ林がいつまで山に残るかはわからないけれど、森から川、そして海、その循環の恵みのなかで営むヒトの暮らしに思いをはせた人たちを忘れない。
2024年、高丸山、遊学の森は20周年を迎えた。
タグ:高丸山
posted by 平井 吉信 at 17:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年12月19日

南阿波サンラインの海岸を彩る黄色は光の宿=幸福のしるし


空は高いが、風がなければ暖かい
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見上げると鳶
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おむすびとつまむものと水筒に熱い茶を入れて、渚のそばで昼食というのは佳いもの。陽だまり、おだやかな潮騒、渚の小石が擦れると光の粒子の散乱のような音がする
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渚でひねもす釣りをする人はいかに感じているだろう。潮風と自分、波と雲、空と海(あっ、このブログのタイトルですね)
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渚の岩場に陽光を受けて、あまり見かけない黄色の花があるとしたら、それがシオギク。蒲生田岬以南で室戸岬近辺までが自生地。四国東南部でなければ見られない植物と思えば、なんだか愛おしくなりませんか?
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黄色はシオギクだけでない。アゼトウナは比較的分布が広い。空に向かって背伸びするさまは、この小さな植物がひっそりと誇らしげに生きていることを表す。
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それを見るヒトの心が共鳴すると、生きている実感、生きることの意味づけしない意味(いわば無意味の意味)が感じられる。

シオギクは室戸岬が国内最大の自生地なのだけど、交雑が広がって純粋種が減少している。それでもこの場所は交雑が見られない(純)シオギク
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ハマナデシコやハマアザミがここにいるよと
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黄色の三重奏のトリは、ツワブキ。岩場で群生する
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水は澄み、滝は海へ落ちる
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いつまでも、何時間でもいられるけど、少し動く
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太平洋につづく海原は夏とは異なる少し落ち着いた階調で
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太陽が西に傾けば山麓の森も色温度を上げる
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冬の海辺は樹木にも断片的な冬の色に染める
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いつか来る夏を待ちながら
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posted by 平井 吉信 at 00:26| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年12月18日

紅葉が終わった西三子山 冬支度の落ち葉が敷き詰められて


たどり着いた西三子山は紅葉が終わっていた。一部に残っているが、稜線では落ち葉となっていた。

この山はかつて早春に福寿草を見せるために10数人を連れていったことがある(山野草を持って帰ることのない生態系保全の意識の高い人たちばかりである)。高丸山林道を過ぎて木沢方面へ行くと、西三子山登山口があり、トラバース気味に西へ向かい、稜線へ出ると山頂をめざす小径とトラバース気味にやや平坦な場所にたどり着く小径があり、周遊するようにめぐりつつ、雪のなかに黄金色に輝く福寿草を見るという愉しみがあった。

その後、何度か訪れたが、福寿草が見つけられなくなって訪れることがなくなった。数年前の訪問時には稜線付近で雪が凍っていてアイゼンを持たない身にはどうしようもなく引き返したが、南の斜面の雪解け地ではユキワリイチゲが岩に点在しているのを見た。

今回は紅葉のつもりであったが終わっていた、と書き始めたが、一部に名残はあった。空は澄んでいたので枯葉と冬支度の森の風情も佳いと思ったので。

林床には見たことがないほどどんぐりがあって(この山域に限らず)これではふもとにツキノワグマが出てこないはずだと思える。

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ピークハンター(山頂をめざすヒト)ではないので、稜線まで出て、この先はもっと殺風景になるなと思って森の逍遙に徹することにしたのだった。



タグ:西三子山
posted by 平井 吉信 at 23:48| Comment(0) | 山、川、海、山野草