2024年09月30日

南天にやってきたナミアゲハ


朝起きて庭に出ると、南天に来ていたナミアゲハ
花の時季は終わっているのに、南天の葉をわたっていく
そして気に入った葉に止まった(カメラを取りに行く)
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最初はカメラを持って近づくと逃げていたが、こんなときはじっとしていると近寄ってくる
生態観察というほどではないけれど、虫は最初は警戒していても、こちらが何もしないとわかると逃げなくなる。どこにでもいるナミアゲハだけど、この個体は生まれたばかりなのか傷んでいない
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オニヤンマやキリギリスの写真を、距離数センチで撮影することがある。どうして逃げないのですか?と聞かれたら、虫たちは無関心というわけではなく、好奇心を持って近づくヒトを好奇心をもって観察しているのではと推察している。

ゆっくりと距離を詰めるのだが、カメラを構えて近づくと警戒されないように思う。その理由を考えてみると、ファインダーを除く目がカメラで隠れることによって、虫は安心というか戸惑うのではないか。そしてレンズが彼らの視界をどんどん占有していくはずが、それでも逃げない。
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羽根の先までが調った個体。南天に止まる理由はなんだろう?
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posted by 平井 吉信 at 00:02| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年09月27日

日いずる国


きょうはなんだか明るい日射し。缶詰のような仕事が終わってインターネットに接続すると、高市―石破の決選投票とのこと。下馬評の高かったKジュニアは脱落したらしい。この人は若いからダメなのではなく、80歳になってもおそらくダメ。会ったことも話をしたこともないけど、話を聞いているとわかる。自民党員もそこに危機感を感じたのだろう。ポストほしさで国会議員が付和雷同するなかで、全国の党員は選択を間違わなかったし、今回の結果で首相の目は完全に消えてしまっただろう。

そして石破氏が決戦投票で1位となったとのこと。ぼくの周辺でも安堵する声が多数聞かれた。自民党員もすんでのところで思いとどまってくれたのだろう。とにかく21世紀の自民党政権は手続きとか協議とか合意を一切とらず、仮想敵を仕立てて雰囲気で突っ走るか、強権的威圧的な政治で社会の雰囲気を劣化させたり、聞く耳を持たないか、不感症かだった。自民党政権の劣化を見ていると、(民主党支持者ではないが)民主党政権下がはるかにましだったなと思う。ただひとりを除いては。

それでそのただひとりが党首になったのだからもう付ける薬がない政党、おそらく民主党は今後は草刈場になるだろう。愚鈍を絵に描いたような政治家を選ぶ党員からして付ける薬がない。政策と社会の関係が見えてないのだろう。自民がやって社会を壊してきたこの30年と真逆の政策をやれば票も取れるし党勢も回復するはずなのに、自民以上に国民を貧しくする政策を提案しそう。

石破さんは党内野党少数派の立場だったことがプラスになるかもしれない。法人税の課税強化、消費税の廃止などを断行してくれたら、これらは所得の再分配としても機能する。党内で孤立しても国民は支持する。誰も困る人のない政策だから(かつて日本企業が世界を席巻したときの為替相場と法人税の水準を見ればわかる。そして何が企業をダメにしたかも。ぼくは法人税の引き下げが企業の意思決定や投資をしないモラトリウム状態を引き起こしたように見える)。国民の暮らしを支える政策を続けていけば、経済政策にもなって必ず日本は蘇る。すると党内も掌を返すように神様仏様石破様となるだろう。防衛費についても現場を知る石破さんなら増強以外の選択肢を考えるかもしれない。

いまの日本に核弾頭やミサイルを撃ち込んでくる国があるとは思えない。そんな危ない橋を渡らなくても、食糧が入らないよう海上封鎖や輸出禁止を取れば日本(国民)は降参するしかない。燃料や半導体でも同様だろう。国内農業の破たんを招きながら減反を改めない愚かな農業政策はただちに改めなければならないし、生産性追求の外にあって大切な役割を果たしていること、中山間地域の営農/就労支援のための所得補償の充実も不可欠。

大学をはじめ教育や研究者が追い詰められている。人づくりこそ真の国づくりであるなら、どこにお金を回すべきかは明らか。生産性を上げようと思ったら、賃金を上げた会社に補助するなどのマッチポンプではないだろう。いまの日本で賃上げは間違った施策と思う。それは製造原価や販管費の増加を招いて企業の減収となり、物価を上げることで実質賃金が目減りするのでさらなる賃上げ圧力(できない企業は賃上げ格差で滅びる)という負の循環になる。そうではなく、どうすれば経済活力を取り戻して経済循環を高められるかを考えるべきで、消費税の撤廃は物価対策と内需の拡大の最有力でしかも社会が混乱せず、給付金のような分配の費用も時間も手間も発生しない。石破さん、思い切ってやりなよ。少数派だからできることがあるし、良い政策をやってもらえるなら国民は応援すると思うよ。財務省の解体までを視野に入れて。

ついでに政治家は志のある普通の人が兼業でなれるようにすべき(専業政治家は不正の温床)。年収は2百万円、いや1百万円もあればいいだろう。お金のかからない選挙はデジタル庁に政治家データベースと情報発信を兼ねたWebコンテンツのしくみづくりを行ってもらえばいい。選挙に出るのは数千円程度にできるはず。投票はインターネットもしくは投票所でデジタル投票で集計も一瞬で終わる。まだまだできることはある。理想をかたちにできれば、日本が世界中で羨望の的となりそうな気がする。アニメや食文化、おもてなし、公共交通や施設の清掃はすでにその域に達している。社会の優れたしくみを輸出することができれば再び日いずる国になれるだろう。
(だいぶ端折って書いているけれど、誰も敗者にならない、誰もが幸福になれる政策があるから)

追記
かつて鳥取県知事を務めた片山善博さんと近しい人(この方も尊敬できる方であった)と数年間、仕事をした歳に、片山知事の言動について聞かされていた。総務省出身の知事は多けれど(優秀な官僚から脱却できない知事もいたが)、官僚の枠にとどまらず高い視座をお持ちの方であったと思う。鳥取には優れた政治家が出るようだ。島根鳥取と徳島高知はところ違えど風土に共通点があるような気がしている。石破さんが志を貫く政治を行うなら応援したいと思う。

posted by 平井 吉信 at 23:19| Comment(0) | 生きる

2024年09月25日

夏の雲 語りかける 地上の人々へ


はあっ、つまらない―。

大げさな言葉でなく、形容する表現がない政治の世界の絶望的な茶番。
この国をどのような国にしたいか? その原因は何かを深く掘り下げて、あるべき姿と処方箋を描くのだけれど、それがどこにもない、誰も提示しない。

部分的に政策(えさ)を提案するのではなく、国家のあるべき姿、理念を語るべき。悪質卑劣なのは自民、付ける薬がないほど無能なのが立民。どちらも絶望的。なくなってもいいよ。

国民一人ひとりが幸せになるとはどういうこと?
これまでの政策はそれに対してどうだった?
いまもっともやるべきことは何?

語ってもらいたい、間違わないでもらいたい。政治のあるべき姿も示してもらいたい(自分の考えをこのブログでは書き続けている)

海外の訪問者は、日本人は親切、道路や施設がきれい、人々が親切、ていねい、食事がおいしい、新幹線がすばらしい、などと発信するけれど、(まあ、海外に比べたら良いのかもしれないが)毎日道路に捨てられている吸い殻を拾っているのが現実。特にここ1年ぐらいから頻繁になっている。何かに対する無力感や苛立ちが込められているように感じる。

こんなときこそ、大谷翔平にならなければ。
彼の50/50には野球を越えたメッセージを感じる。未来をつくるために、ぶれない理念と間違わない方向性を持ち、社会を明るくする発信を続けていくという。

はて、夏の雲の話題のつもりが…。

夏の雲はとても大きなエネルギーを感じさせる。それは災害と表裏一体だけど、そのエネルギーを行くべき方向へ向かう原動力にできればと思って雲の写真を撮り続けている。

この空は9月第2週のことだけど、夏の雲が地上の人々に語り掛ける声なき声に思いをはせてみる。絶望のなかで希望を持ち続けるためには、政治が間違わないこと(言い換えれば選択を間違えないこと)。

政治家さん、社会をよくしてください。お手並み拝見、ではないよ。一人ひとりが社会にどう関わるかが問われているんだよ。

海辺の田園地帯は盛夏の名残を空に残しながら田んぼは秋を迎える準備
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天文台へ向かうまっすぐの道の彼方に積雲がいすわる
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芦原の川をたどっていけば、海へたどりつくはず
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(フジX-T5+XF16-50mmF2.8-4.8 R LM WR)
posted by 平井 吉信 at 21:31| Comment(0) | 生きる

2024年09月21日

18世紀の芸術家は21世紀に自由な精神を投影する  ワルターの田園(SACDハイブリッド)


ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏によるベートーヴェン「田園」は、説明する必要のない名盤である。田園を愛してやまなかった指揮者が晩年にステレオ録音と技術の進歩に遭遇して、後世に残したいという強い思いと、コロンビア交響楽団という録音のために集められた楽団員によるオーケストラがひたむきに演奏し、それを当時の音楽レーベル、技術者が細心の注意を払って録音したもの。ときは1958年、ところはアメリカの西海岸。

ワルターの田園はウィーンフィルとの録音が戦前の1936年に遡る。このウィーン盤は戦前のSP録音とは思えない鮮鋭かつやわらかな音質でノイズも感じない。当時のウィーンフィルがワルター指揮の下、弦楽のポルタメントなど古き良き伝統をたたえた演奏、縦の線を合わせるというよりも弾きながら呼吸を合わせる感覚のよう。木管の高貴な響きは、名手ウラッハか?。
しかしヒトラーの影が忍び寄るなか、ユダヤ系のワルターはヨーロッパを追われるようにアメリカ西海岸に移住。1936年のウィーンフィルとの田園は、ヨーロッパへの惜別の思いで指揮したのだろう。
アメリカに渡ってから約20年、1958年当時、現役を引退していたワルターにステレオ録音をとレコード会社からの熱意にワルターが応えたもの。

1958年のコロンビア盤について、LPとCDですでに持っていたのだが、SACDハイブリッド盤(SACDプレーヤーでもCDプレーヤーでも再生できる)が発売されていたので、SACDが再生できるマランツSACD 30nを入手できたことで購入したもの。

田園は子どもの頃から好きな曲。出会いは音楽の授業のレコード鑑賞。作曲家たちの肖像画が並ぶ音楽室で、先生がステレオにレコード盤をセットしてかけてくれた。何の先入観もなく、ああ、と思って気に入った。それからはFMでカセットに録音して聴いていた中学生だった。

10代後半からベートーヴェンに私淑して、レコードを買い集め、総譜を見ながら研究したり、ひたすら音楽に没入、セイヤーの大作「ベートーヴェンの生涯」(上下)も数か月をかけて読破した。今日までベートーヴェン作品のLPとCDだけで部屋の一部を埋めるぐらい。ベートーヴェンへの愛は止まらない。

コロンビア響とのSACDの田園が届いたとき、深夜になるのが待ちきれなくて(仕事の関係で夜12時ぐらいを回らないと音楽を聴く時間にならない)。そしていつもの極小音量で再生して恍惚感を覚えた。

そして休日、昼間からそれなりの音量でかけてみた(といっても普通の人の音量設定からはうんと小さい。昭和の時代は、各家のステレオから部屋の外まで山口百恵やアバが聞こえてきたものだったが)。

ワルターの田園では手持ちのCDが時代を感じさせない鮮度と音塊感があるのに対し、SACDは浮遊感と時代を超越した臨場感。低弦が右から床を這いながら左手のヴァイオリンに旋律を受け渡しながら音場が高く満ちていき、木管がぽっと浮かび上がる。どんなに小音量でも目の前にオーケストラがいるような立体感。個々の音が鮮明に聞こえるというよりは、音楽がブレンドして歪み感皆無で空間に漂いながら細部を聞き取れる。これがDSD方式の利点か。

アンプのオンキヨーA-1VLは20年以上使っているデジタルアンプの先駆けで正確かつ心地よい音を聴かせてくれる。田園のSACDでは、短いスタッカートとレガートが鮮明に区分されるのでリズムの刻みから縦の立体感、ブレンド感、横のフレージングのねらいが見えて指揮者の音楽の組み立てがより伝わってくる。

田園の第1楽章で、ワルターはルフトパウゼ(楽譜に乗っていない一瞬の間合い、休符)を取る。何が起こったのかと待ち受ける心に、わずかにテンポを落として音楽が立ちこめる(数十人のオーケストラの奏者がこの間合いを合わせるためにどれだけ練習をしたことか)。

それは、田園に来てよかった…というほっとついたため息と、そこからゆっくり歩き出すよう。ぼくには、ベートーヴェンがフロックコートを着て手を後ろに組んで変人と思われても気にしない体で愉悦に歩いている光景が目に浮かぶ。ワルターの再現芸術とベートーヴェンの持つ創造性が一体となった瞬間。

さて、1936年のウィーン盤は、生まれたときからベートーヴェンやモーツァルトを呼吸していたような演奏家たちが弾いていた。それに対して1958年盤は、古典の伝統を持たないアメリカの演奏家たちが、ワルターの手足となって心を合わせて演奏する。もしかしたら普段はハリウッド映画のサントラを演奏している演奏者かもしれず、契約の関係で名前は出せないが他のオーケストラから駆り出されたプレイヤーであったかもしれず。いずれにしてもワルターの録音のための臨時編成である。

夢中になって第1楽章(SACDの恩恵をもっとも受けているような)を聞き終えると、他のどんな指揮者よりも愉悦感のある第2楽章が始まる。ふと眺めた窓の外はブルーモーメントの空だったので手元の灯りをともす。この楽章もワルターの自在なテンポとカンタービレが寂しさのない独り歩きの愉悦のよう。同時代の作曲家たちがロココを演奏していたとき、作曲家の魂は自在にはばたき、心のままに綴った音符が18世紀の約束(ソナタ形式)のなかで精神、そして一部の形式さえも逸脱した自由(後の時代のドビュッシーやブルックナーのような)。楽章の終わりのほうでは、木管楽器がカッコウや夜鶯を模倣した音型を奏でる。ロマン・ロランだったか、耳の聞こえないベートーヴェンが自分の音楽のなかで小鳥の声を創造しているのだという。田園が好きという人の多くはぼくも含めてこの第二楽章「小川のほとりの情景」を21世紀に投影する心象風景。これ1枚あれば生きていける。

ベートーヴェンは18世紀から21世紀へ橋を架ける。ワルターは、ヨーロッパからアメリカへ、戦前から戦後へ橋を架ける。技術者は、SPからLP、さらにCD、ついにSACDへと橋を架ける。時空を越えた田園の成果。

えっ? まだワルターの「田園」を聴いたことがないのですか? これから聴く愉しみが残されていますよ、と聞き古された表現を置いてみたけど。お好きにどうぞ。

ワルター/コロンビア交響楽団 ベートーヴェン交響曲第6番ヘ長調「田園」作品68
(SACDハイブリッド=普通のCDプレーヤーで再生可能。プレスの精度が上がっているため普通のCDプレーヤーでも音質向上が期待できる。1999年発売のSACDシングルレイヤーのSACD盤は通常CDプレーヤーでは再生できないので間違わないよう。音質も2019年リマスターが良い。上記のリンク先から入るのが確実。本記事投稿後は発売後の最安値となっている)

★日本独自企画 ★日本国内のみの発売 ★SA-CDハイブリッド(SA-CD層は2ch) ★2019/20年DSDリマスター ジュエルケース仕様

《収録内容》
ベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
[録音]1958年1月13日(第1楽章)、15日(第2・3楽章)&17日(第4・5楽章)

ベートーヴェン 「レオノーレ」序曲 第2番 作品72
[録音]1960年7月1日

コロンビア交響楽団
指揮 ブルーノ・ワルター

ステレオ/SA-CDハイブリッド(SA-CD層は2ch)
[録音会場]ハリウッド、アメリカン・リージョン・ホール(在郷軍人会ホール)
[オリジナル・レコーディング]ジョン・マックルーア(プロデューサー)、ウィリアム・ブリッタン(エンジニア)
[オリジナル・アナログマスターテープからのトランスファー、DSDリマスタリング(2019年)]アンドレアス・K・マイヤー、ジェニファー・ナルセン(マイヤー・メディアLLC/ニューヨーク、スワン・スタジオ)
posted by 平井 吉信 at 23:54| Comment(0) | 音楽

2024年09月18日

月をめでる日本人になって宙を見上げる宵(中秋の名月)


地平線から昇ってくる姿は濃い月力(がちりき)を感じさせたが、夜半過ぎに天頂にさしかかると、そのまどかなる月輪をさらにさらに輝かせて涼やかにたたずまう。
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(ニコンD7200+AF-S 70-200mm f/4G ED VR、200oF6.3、1/500秒の手持ち撮影、ISO200 マニュアル撮影を一部トリミング)

2024年09月16日

空を見れば、気付きと驚き 


東の空が異様に赤いことに気付いた(18時15分)
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太陽が沈んでいるのに東の空で朱色に染まるということは雲の高度が高いことを意味する。おそらくは1万メートル前後。日中の強烈な日射しが形成する雄大雲の上部がエネルギーの供給が少なくなって濃密巻雲に遷移したのではないか?

対角の空が朱いという現象が全天にまで広がることがある。地面も海も365°の赤銅色に染まる夕暮れを、南太平洋のRangiroa環礁(ランギロアは世界第2の大きなラグーン)で経験したことがある。カメラを構えることもできない茫然自失の経験だった。だから日没後の東の空が赤いと反応してしまうのだ。太陽が地平に没して残光が対角の空を照らすのはほんの数分、いや数秒のときもある。

場所を変えて、西の空を見る。ありきたりの夕暮れ(18時21分)
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そこから東の空を見やれば、さきほどの雲が赤みを失っている(18時22分)
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そして、青に溶暗していく(18時23分)
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一日は、気付きと驚きに満ちている。人生と同様に。


posted by 平井 吉信 at 23:44| Comment(0) | 気象・天候

スリランカのカレーも CoCo壱番屋のカレーも 家庭のカレーも みんな違ってみんないい


エアコンなしの夏を何度も乗り切ってきた。それは環境のためでも我慢でもなく、人類は地球温暖化を防げないと見切って、身体を暑さに慣らそうと20年かけて改造に取り組んだため。災害多発期で停電が発生することにも対応するため。

ただし自分はそれでよくても体調の優れぬ家族や高齢者のことを考えてポータブル電源を確保した。エアコンも短時間なら動かせるが、DC扇風機と冷蔵庫を稼働させながら体温を上げさせないことが可能となった。

暑い夏に食べたくなる料理はカレー。そこでスリランカ料理の店、マータラ(徳島市住吉)でカレーランチをいただいた。誰もが描く南アジアのカレーを、日本人向けに調整しつつ最大公約数のおいしさを実現していると思う。シェフはスリランカ人で奥様は日本人(県内のご出身)とのこと。

カレーランチは、ターメリックで炊き上げた日本の米に、チキンカレー、レンズ豆カレー、野菜カレーの3種に、パパタン(豆の粉でつくった塩味のチップス)、なすペヒ(揚げなすのマスタードソースマリネにサラダが付いてくる。徳島では得がたい風味なのに、どこか家庭の味のような親近感。
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その翌日に、CoCo壱番屋のカレーを再現したくなった。店で食べるよりは自宅でたっぷり食べたいので、久しぶりにココイチ再現カレーをつくってみた。

・ハウス印度カレー(定められた分量の2/3)→ 風味も色調もこれをベースにするのが似せやすい
・タマネギはフライパンで炒めず電子レンジで加温後に鍋へ(時間短縮&焦がさない→尖らせないため)
・小間切れの豚肉。ニンニクは焦がさない
・2辛相当に調整するため、赤唐辛子を1本
・夏場なのでジャガイモは割愛(余ったものは急速冷凍するがそれでもジャガイモは避ける)
・ニンジンは中2本(やや多めだが、傷みかけているものを使い切るので。夏バテにはこれぐらいでよし)
・隠し味に、ウスターソース(高橋ソース・カントリーハーベスト)、ムッティのトマトペースト、デカセールのメープルシロップ(グレードAアンバー)
・好みでガラムマサラを追加


オリジナルのココイチの雰囲気を尊重しつつ、家庭用なので具が多いうえ、コクもキレもこちらがあるけれど、べたべた感が皆無でいかにものカレー風味を抑えているので食べ飽きない。胃がもたれないすっきり感と満足感でCoCo壱番屋を上回る

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(何回かお代わりをした後の思い出し撮影なので見かけはご容赦を)
いつもは、スロークッカーや、ホットデリのような通電する鍋を使うのだが、急いでいたのでガス料理のみ。

四国の右下に亜熱帯のグンバイヒルガオが定着しようとしているこの頃、夏が長く秋が短く冬が唐突にやってくるようになったから、カレーを食べる(つくる)頻度が上がっているかもしれない。

posted by 平井 吉信 at 20:56| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

四国の右下のグンバイヒルガオ


亜熱帯のヒルガオの種が東南アジアから西日本の海岸に漂着して芽を出し越冬することがある。相撲の行司の差配する軍配に葉のかたちが似ていることからグンバイヒルガオの和名を持つ。

図鑑などでは室戸岬に自生との記述を見かけた記憶があるが、岬周辺では見たことがない。しかし、室戸阿南海岸では数カ所で花が咲いているのを見たことがある。

8月下旬に訪れた場所では花が終わりかけていた。この場所は開花が8月上旬ぐらいかもしれない。
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別の渚では、花は咲いているが、やや勢いがなかった。これらの場所では群落があって定着していると見られる
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グンバイヒルガオを見ると、熱帯の植物は色鮮やかで原色をまとっているが、日本の渚で5月頃に咲くハマヒルガオは色淡く控えめにたたずんでいる。人々も原色で着飾るのと同様に緯度によって生物が見る(見せたい)景色は違うのだろうね
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稀少な植物だが、自然由来とはいえ外来種でもあり、検疫上は移動が禁止されている(採取はダメ)。

posted by 平井 吉信 at 13:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

雨がそだてる千本山の魚梁瀬杉 人里はなれた巨樹の森にて(高知県馬路村) 


日本三大美林の一つ、魚梁瀬杉(やなせすぎ)の森で知られる千本山へ行ってみようと思った。これまでに1度か2度訪問しているが、(いつ頃に誰と行ったかすら思い出せず)山容も記憶に残っていない。ただ、登山道までの道程が長く大変であったこと、人家のまれな山峡に出現する巨大な魚梁瀬ダムが異次元空間であったことがおぼろに浮かび、なかなか足が向かなかった。

魚梁瀬杉が育つ千本山周辺は降水量が多く、年4千ミリを越えて多い年は6千ミリに達する。屋久島に匹敵する降水量であり、屋久島に降る雨が屋久杉を育てるように、千本山に降る雨が魚梁瀬杉を育てる。

現在でもそうであるように、高知県東部の山間部は往来が困難であったこと、長宗我部元親が「お留山」(おとめやま)の禁令を出したこと、明治以降、国有林として管理されたことなどで、魚梁瀬杉は日本三大美林の一つとして知られるようになった。


いざ出発。徳島からは、東洋町から野根山街道で奈半利川に出合うと川を遡って魚梁瀬ダムが見えてくる。展望台から広大な入り江が奧に向かって伸びるダム湖の一部が見える

ダム右岸の湖畔にオートキャンプ場がある。道はやがて左岸(ダム東岸)へと渡ると、道中では見たことのないまとまった集落が出現する。ダム湖畔の丸山台地に展開するこの場所は、高知県安芸郡馬路村魚梁瀬である。

魚梁瀬地区には、馬路村役場の魚梁瀬支所、魚梁瀬森林鉄道・森の駅やなせ、公園と一体となって食堂と温泉があり、その背後のダム湖畔に170人ほどが暮らす住宅地が広がる。地区には、小中学校、生協、郵便局、ガソリンスタンドがある。整然とした区画から察するにダム水没地の集団移転先のようだ。

森の駅やなせには、清潔なトイレがあり、日曜日には森林鉄道を運転することができる体験メニューもあるようだ。
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魚梁瀬地区を過ぎてダム左岸をさらに奧へ進むとダムの湛水域は小さくなり、やがて本来の奈半利川の細流が現れる。
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林道は、杉の運搬のトラックが入れる道幅になっているはずで、道路が狭いわけではない。しかし落石が多い道には尖った石が多くパンクに注意。

登山口の手前に、けやきの広場という場所がある。
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奈半利川沿いに千本山登山口と駐車場(3〜4台)が見えてくる。
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弁当(ゴーヤーとウインナの炒めもの)を食べる
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標高550メートルの登山口から吊り橋(千年橋)を渡る。近隣の稗己屋(ひえごや)山ではツキノワグマが目撃されていると、安芸森林管理署の注意喚起もある。四国のツキノワグマは個体数が少なくヒトを警戒しているので出会い頭とならないよう音を出していけば十分。見通しの悪い箇所は声を出してこちらの存在を報せる
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魚梁瀬ダムから上流で約10km、千年橋の下を流れる奈半利川の源流域
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対岸に巨大な杉がそびえる。橋の大杉(樹齢250年以上、樹高54m、直径2m以上)。林野庁指定の「森の巨人たち100選」選定
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登り始めは傾斜が強い斜面をジグザグに上がっていく。ところどころに杉の巨木と広葉樹が混じる林相
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尾根が不明瞭になる頃はゆるやかな尾根筋となる。「親子杉」があらわれる。
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少し離れてみると、太い杉と小さい杉が地上2メートルぐらいの高さから分岐している
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この森には昔から森の精が棲むという
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杉の巨木を巨人に見立てると、その間を縫って歩くヒトの小ささがわかる。魚梁瀬杉の森の実感
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ネジ釘のような紋様
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根が空洞の巨木。名前はないが訪問者が必ず写真を撮る木(標高846メートル)
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勾配はやるやかな尾根筋に展開する魚梁瀬杉の森
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樹高25m以上の巨木が17,000本以上密集して乱立するという
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千本山中腹の休憩場所、傘杉堂(標高886メートル)に到着
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目の前には「真優美杉」(まゆみすぎ、同887メートル)。その美しい木肌から、女優の中野良子さんが名付けたという(こんなところまで来られたのですね)
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真優美杉から目と鼻の先には魚梁瀬ダム方面が見晴らせる展望台があるが、この日は曇り気味で見えず(樹木が生い茂って展望も開けていない)。登山口からこのあたりまでが千本山登山道の半分程度だが、帰路を考えて山頂へは行かず、登山口へと引き返すこととした。
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この日は入山者は誰もおらず、熊よけの発声が乾いた残響で森にこだまするも不気味であったが、森の静かな饒舌を愉しむことができた
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帰路の森。光線状態が変わっていた
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樹齢約300年、最大直径2m以上、樹高50m、1本の重量45トンにも達する杉が点在する
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空洞の杉の巨木を再見する。空洞はヒトの背丈よりも高い。複数の木が一体化した合体木のように見受けられる
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今回の遠征を通じて奈半利川の実力、魚梁瀬ダムの巨大さ、魚梁瀬杉の森のたたずまいを知ることができた。できれば、2016年にリニューアルした北川村温泉ゆずの宿(国道55号線から16km25分程度で道路も快適)に泊まり、奈半利川と沈下橋、魚梁瀬森林鉄道の遺構、北川村「モネの庭」マルモッタン、室戸岬とジオパーク、むろと廃校水族館、好きな人は札所などを見て回れば何日あっても足りないかもしれない。でも、徳島県は「四国の右下」を捨ててしまったので、DMVや周遊型体感観光などには力を入れなくなるかもしれない。

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登山口前の奈半利川
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追記

来訪にあたって、道路事情からパンクするリスクを想定。その場合に、3ルート(安田川、奈半利川、野根山街道)から登山口周辺までは、どんなに早くても2時間程度はかかると見積もっていた。
ところが登山を終えて登山口へ戻ってきたとき、左後輪のタイヤの空気が減少しているのに気付いた。目の錯覚や地面の傾きではなかった(この日は他の登山者は皆無。マンガのようなシナリオ)。

登山口は携帯電話がつながらない(インターネットへ接続できない)。携帯電話がつながるのは、ダム湖畔の役場支所あたりまで下る必要があることも、来る途中の携帯電話のアンテナ入力で把握していた。

時刻は夕方、登山口から丸山台地まで12km、徒歩では2〜3時間はかかる。そこで水を飲んでしばし考えた後、タイヤの状況を判断してアクセルを踏むか踏まないかの低速で下る決断をした。幸いにもバーストすることはなく、途中で空気圧の減少をチェックしたが空気圧もあまり減少することなく、約12kmを下って森の駅までやってきた。やれやれ。ガソリンスタンドがその手前にあったので修理をお願いしようと思ったが、あいにく定休日で技術のある方がご不在とのことで気の毒がっていただいた(こちらが悪いので恐縮なさらないでください)。

ここでJAFのアプリを立ち上げて連絡。さらに携帯電話で受付にパンクの詳しい情報を補足した(携帯電話とスマートフォンの両方を持ち歩くのはリスク管理ゆえ。スマートフォンは近々もう1台追加の予定。1000Wh級の半固体リン酸鉄仕様のポータブル電源は手配済)。受付からの連絡では来訪まで2時間かかるとのこと(予想どおり)。ここは森の駅というだけあって清潔なトイレがある。時間を費やすには食べるのが一番と車内から机と椅子を出してラーメンをつくった(狭い道が多いなかで、ダム水没後の集団移転先であったこの場所は格段に広く他車の通行の邪魔にならない)。夜になって目と鼻の先に灯りがともり、歌声が聞こえてきた。夜も飲食店が営業している。ここは地域の人にとって賑わいの交流の場所、ある意味では人恋しさを紛らわせる桃源郷。酒を飲んでも歩いて帰宅できるし。

JAFの到着予定時刻には暗闇となっていたので、車外でヘッドランプを持ってJAFの作業車を出迎えた。パンク修理キットによる応急的な外面修理であったが(パンクの原因は数o程度の鋭利な小石と判明)、ご担当の方の的確な作業によりポータブルコンプレッサーでの空気充填後は、慎重に野根山街道を多くの動物たちに見守られながら運転し、帰宅後も空気圧は減少しなかった(改めてJAF本部を通じて後日お礼をお伝えした)。近所のタイヤ修理工場で内面修理を行っても良かったが、溝をみると交換のタイミングで4本とも後日に新調。

今回は出発前からパンクを想定して、携帯電話の通信圏を把握していたこと、現状から取り得る行動を見極めて適切な行動が取れたと思う。危機管理とは起こりうる事象(パンク)を想定して、発生した際にどのように行動するかを描いておくこと。千本山までの道のりの遠さ、落石の多い林道ではどんなに慎重に運転してもパンクのリスクを皆無にすることは困難なので、路面を観察しながらパンクしないように極力低速で運転していたことも多少は被害の軽減につながったかもしれない。
posted by 平井 吉信 at 00:14| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年09月14日

危機管理の重大な瑕疵 徳島県による緊急情報の誤報


9月13日の午後のこと。緊急情報を告げる警戒音が鳴動して、画面が立ち上がると、「避難指示 全域に警戒レベル4」とある。予め訓練放送があるとの告知はない。ホンモノのようである。

外は晴天の昼下がり。台風の来襲もない。考えられるのは2つ。離れた場所での大地震があって津波が押し寄せるというもの。もうひとつは何らかの原因で住んでいる流域のダムが水害以外の理由で決壊したということ。

こんなときもっともわかりやすいのは、特務機関NERV防災アプリ。知人にもインストールを勧めている。開いてみると現在地(エリアメール受信地)では異常なし。続いて複数の情報源で地震や津波を調べたがこれも関係ない。外は晴天で竜巻も局地的な豪雨もない。

誤報と判断して、生命の危機が差し迫っていないので、電話での問い合わせは控えるべきだと考えて基礎自治体の公式Webサイトと徳島県危機管理部へアクセスするが、10数分経過して再読み込みしながら掲載を待つが、それもなし。

結局、数時間後にアクセスして誤報との掲載を見つけた(何分後に掲載されたかはわからない)。皮肉にも、その時刻に県庁では知事も参加しての防災訓練を行っていたようで、その関連かと思ったがそうでもないらしい。

今回は、(当然ながら災害ではないので)通信規制もなくインターネット接続も可能であったので、可能性を潰して誤報と判断するまで1〜2分であった。

問題は携帯やスマートフォンのみが情報源の高齢者がこの情報を受け取ったらどうなるか。慌てて階段を下りようとしてケガをしたり、炎天下のなかリュックを背負って避難場所まで逃げようとして熱中症になるなどの事態は起こりえた。

通常行政組織では、メールの一斉送信を行うとき、複眼でBCCの確認と、上長へのCC入力を行っているはず。緊急通報は通常のメールシステムは使っていないが、緊急通報の設定確認はことの重要性に鑑み、操作の際に複眼チェックが行われるべき。

さらには、緊急情報が誤りとの第二報が届くこともなかった。おそらくマニュアルに誤報時の措置が記載されていないか、許可を得る上長と連絡が取れなかった(防災訓練に参加していた可能性がある)などが考えられるが、その場合でも担当者の判断でそれが可能にならなければならないだろう。

誤送信を行ったことに気付いたら、訂正メールを数分以内に送るべき。南海トラフの臨時情報が出て半月というのに、今回の事態は重大な危機管理の瑕疵である。

追記1
地元新聞の翌日の朝刊でトップに出ていると思ったが、記事は最後のページに小さく掲載されていた。ひとつのミスは起こりうる多くのニアミスの顕れに過ぎない。今回のミスだけの再発防止ではなく、事象と行動の関連性、手順の流れの再点検を行うべきで、このままだと南海トラフ発動時などに確実に機能するとは思われない。危機管理上の重大な瑕疵であるとの意識は県にも新聞社にもないようである。

追記2
手持ちの携帯電話とスマートフォンにエリアメールの通知が届いたが、この記事を書く前に緊急情報の内容を確認しようとしたらどこにも見当たらない。通常のメールやメッセージアプリには置かれておらず、どこか階層の深いところに置かれているのかもしれないが、これも困ったことである。この問題についてはWebで解決法を探しているが、見つからない。


posted by 平井 吉信 at 14:24| Comment(0) | 防災・感染症・サイバー攻撃対策