日本三大美林の一つ、魚梁瀬杉(やなせすぎ)の森で知られる千本山へ行ってみようと思った。これまでに1度か2度訪問しているが、(いつ頃に誰と行ったかすら思い出せず)山容も記憶に残っていない。ただ、登山道までの道程が長く大変であったこと、人家のまれな山峡に出現する巨大な魚梁瀬ダムが異次元空間であったことがおぼろに浮かび、なかなか足が向かなかった。
魚梁瀬杉が育つ千本山周辺は降水量が多く、年4千ミリを越えて多い年は6千ミリに達する。屋久島に匹敵する降水量であり、屋久島に降る雨が屋久杉を育てるように、千本山に降る雨が魚梁瀬杉を育てる。
現在でもそうであるように、高知県東部の山間部は往来が困難であったこと、長宗我部元親が「お留山」(おとめやま)の禁令を出したこと、明治以降、国有林として管理されたことなどで、魚梁瀬杉は日本三大美林の一つとして知られるようになった。
いざ出発。徳島からは、東洋町から
野根山街道で奈半利川に出合うと川を遡って魚梁瀬ダムが見えてくる。展望台から広大な入り江が奧に向かって伸びるダム湖の一部が見える
ダム右岸の湖畔にオートキャンプ場がある。道はやがて左岸(ダム東岸)へと渡ると、道中では見たことのないまとまった集落が出現する。ダム湖畔の丸山台地に展開するこの場所は、高知県安芸郡馬路村魚梁瀬である。
魚梁瀬地区には、馬路村役場の魚梁瀬支所、魚梁瀬森林鉄道・森の駅やなせ、公園と一体となって食堂と温泉があり、その背後のダム湖畔に170人ほどが暮らす住宅地が広がる。地区には、小中学校、生協、郵便局、ガソリンスタンドがある。整然とした区画から察するにダム水没地の集団移転先のようだ。
森の駅やなせには、清潔なトイレがあり、日曜日には森林鉄道を運転することができる体験メニューもあるようだ。



魚梁瀬地区を過ぎてダム左岸をさらに奧へ進むとダムの湛水域は小さくなり、やがて本来の奈半利川の細流が現れる。

林道は、杉の運搬のトラックが入れる道幅になっているはずで、道路が狭いわけではない。しかし落石が多い道には尖った石が多くパンクに注意。
登山口の手前に、けやきの広場という場所がある。

奈半利川沿いに千本山登山口と駐車場(3〜4台)が見えてくる。

弁当(ゴーヤーとウインナの炒めもの)を食べる


標高550メートルの登山口から吊り橋(千年橋)を渡る。近隣の稗己屋(ひえごや)山ではツキノワグマが目撃されていると、安芸森林管理署の注意喚起もある。四国のツキノワグマは個体数が少なくヒトを警戒しているので出会い頭とならないよう音を出していけば十分。見通しの悪い箇所は声を出してこちらの存在を報せる

魚梁瀬ダムから上流で約10km、千年橋の下を流れる奈半利川の源流域

対岸に巨大な杉がそびえる。橋の大杉(樹齢250年以上、樹高54m、直径2m以上)。林野庁指定の「森の巨人たち100選」選定


登り始めは傾斜が強い斜面をジグザグに上がっていく。ところどころに杉の巨木と広葉樹が混じる林相





尾根が不明瞭になる頃はゆるやかな尾根筋となる。「親子杉」があらわれる。

少し離れてみると、太い杉と小さい杉が地上2メートルぐらいの高さから分岐している

この森には昔から森の精が棲むという

杉の巨木を巨人に見立てると、その間を縫って歩くヒトの小ささがわかる。魚梁瀬杉の森の実感

ネジ釘のような紋様



根が空洞の巨木。名前はないが訪問者が必ず写真を撮る木(標高846メートル)

勾配はやるやかな尾根筋に展開する魚梁瀬杉の森

樹高25m以上の巨木が17,000本以上密集して乱立するという



千本山中腹の休憩場所、傘杉堂(標高886メートル)に到着



目の前には「真優美杉」(まゆみすぎ、同887メートル)。その美しい木肌から、女優の中野良子さんが名付けたという(こんなところまで来られたのですね)


真優美杉から目と鼻の先には魚梁瀬ダム方面が見晴らせる展望台があるが、この日は曇り気味で見えず(樹木が生い茂って展望も開けていない)。登山口からこのあたりまでが千本山登山道の半分程度だが、帰路を考えて山頂へは行かず、登山口へと引き返すこととした。

この日は入山者は誰もおらず、熊よけの発声が乾いた残響で森にこだまするも不気味であったが、森の静かな饒舌を愉しむことができた




帰路の森。光線状態が変わっていた

樹齢約300年、最大直径2m以上、樹高50m、1本の重量45トンにも達する杉が点在する



空洞の杉の巨木を再見する。空洞はヒトの背丈よりも高い。複数の木が一体化した合体木のように見受けられる


今回の遠征を通じて奈半利川の実力、魚梁瀬ダムの巨大さ、魚梁瀬杉の森のたたずまいを知ることができた。できれば、2016年にリニューアルした
北川村温泉ゆずの宿(国道55号線から16km25分程度で道路も快適)に泊まり、奈半利川と沈下橋、魚梁瀬森林鉄道の遺構、
北川村「モネの庭」マルモッタン、室戸岬とジオパーク、
むろと廃校水族館、好きな人は札所などを見て回れば何日あっても足りないかもしれない。でも、徳島県は「四国の右下」を捨ててしまったので、DMVや周遊型体感観光などには力を入れなくなるかもしれない。



登山口前の奈半利川

追記
来訪にあたって、道路事情からパンクするリスクを想定。その場合に、3ルート(安田川、奈半利川、野根山街道)から登山口周辺までは、どんなに早くても2時間程度はかかると見積もっていた。
ところが登山を終えて登山口へ戻ってきたとき、左後輪のタイヤの空気が減少しているのに気付いた。目の錯覚や地面の傾きではなかった(この日は他の登山者は皆無。マンガのようなシナリオ)。
登山口は携帯電話がつながらない(インターネットへ接続できない)。携帯電話がつながるのは、ダム湖畔の役場支所あたりまで下る必要があることも、来る途中の携帯電話のアンテナ入力で把握していた。
時刻は夕方、登山口から丸山台地まで12km、徒歩では2〜3時間はかかる。そこで水を飲んでしばし考えた後、タイヤの状況を判断してアクセルを踏むか踏まないかの低速で下る決断をした。幸いにもバーストすることはなく、途中で空気圧の減少をチェックしたが空気圧もあまり減少することなく、約12kmを下って森の駅までやってきた。やれやれ。ガソリンスタンドがその手前にあったので修理をお願いしようと思ったが、あいにく定休日で技術のある方がご不在とのことで気の毒がっていただいた(こちらが悪いので恐縮なさらないでください)。
ここでJAFのアプリを立ち上げて連絡。さらに携帯電話で受付にパンクの詳しい情報を補足した(携帯電話とスマートフォンの両方を持ち歩くのはリスク管理ゆえ。スマートフォンは近々もう1台追加の予定。1000Wh級の半固体リン酸鉄仕様のポータブル電源は手配済)。受付からの連絡では来訪まで2時間かかるとのこと(予想どおり)。ここは森の駅というだけあって清潔なトイレがある。時間を費やすには食べるのが一番と車内から机と椅子を出してラーメンをつくった(狭い道が多いなかで、ダム水没後の集団移転先であったこの場所は格段に広く他車の通行の邪魔にならない)。夜になって目と鼻の先に灯りがともり、歌声が聞こえてきた。夜も飲食店が営業している。ここは地域の人にとって賑わいの交流の場所、ある意味では人恋しさを紛らわせる桃源郷。酒を飲んでも歩いて帰宅できるし。
JAFの到着予定時刻には暗闇となっていたので、車外でヘッドランプを持ってJAFの作業車を出迎えた。パンク修理キットによる応急的な外面修理であったが(パンクの原因は数o程度の鋭利な小石と判明)、ご担当の方の的確な作業によりポータブルコンプレッサーでの空気充填後は、慎重に野根山街道を多くの動物たちに見守られながら運転し、帰宅後も空気圧は減少しなかった(改めてJAF本部を通じて後日お礼をお伝えした)。近所のタイヤ修理工場で内面修理を行っても良かったが、溝をみると交換のタイミングで4本とも後日に新調。
今回は出発前からパンクを想定して、携帯電話の通信圏を把握していたこと、現状から取り得る行動を見極めて適切な行動が取れたと思う。危機管理とは起こりうる事象(パンク)を想定して、発生した際にどのように行動するかを描いておくこと。千本山までの道のりの遠さ、落石の多い林道ではどんなに慎重に運転してもパンクのリスクを皆無にすることは困難なので、路面を観察しながらパンクしないように極力低速で運転していたことも多少は被害の軽減につながったかもしれない。