2024年07月31日

薬師丸ひろ子「古今集」〜ひといろに描かれた無限の階調〜


薬師丸ひろ子さん(以下、敬称略)を語るとき、中学の同級生の女の子(以下、Kちゃん)を思い出す。育ちがよいお嬢さんでありながら、人を疑うことを知らず庶民的、それでいて凜としていて頭が良くて学年で1位(はばかりながら2位はぼくだった。でも仲が良いから順位などに一喜一憂しない。良い点とったらさすがと称賛の気持ちだけ)。音楽の時間に独唱をしたら、Kちゃんの声にうっとりと聴いてしまう(その表情を悟られたくない)。バリトン歌手のようなパパの声とアルトの声質の娘だったね。

薬師丸ひろ子の声は、Kちゃんの声や雰囲気に似ている。その声は不思議成分たっぷり。高域と低域で声の音色が変わる歌手はいるが、薬師丸ひろ子はほとんど変わらない。また、話し言葉とも変わらない。一見細い声に思えるが、声量と呼ぶべきか、声の幅というべきか、倍音を含んでいるのか浸透性が高い。これは岩崎宏美さんのようなビブラート成分でもないように思う。

今回は、1984年に発売されたファーストアルバム「古今集」について。このアルバムはミドルテンポの楽曲が多い。また、短調と長調で揺れる調性の楽曲が多い。先入観をもたずに聴いていると、ヨーロッパの印象を受けるな、大貫妙子さんが歌うといい曲があるななどと思ってCDの歌詞カードを見て驚いた。

作詞は、(敬称略で)竹内まりや、来生えつこ、湯川れい子、大貫妙子、阿木耀子、松本隆。作曲は、竹内まりや、南佳孝、大貫妙子、井上鑑、 大滝詠一、大野克夫。何という顔ぶれ。これだけ多彩な作家が描きながら、アルバムの色が一色(ひといろ)に染められている。そして低域から高域まで一つの声でモノローグのように歌う。 これがファーストアルバム?

さらに発売当時のオリジナルアルバムには収録していなかった4曲がCDに追加されている。それは 「探偵物語」「少しだけやさしく」「セーラー服と機関銃」(別バージョン)、「探偵物語」(strings version)。

当時はリアルタイムで聴いていた場所はN君宅のオーディオ装置から。コーラルのDX-7という大口径スコーカーの3ウェイスピーカーは声が浮かび上がる。このスピーカーはフルレンジのような中域を軸に無理なくレンジが広げられている。ある意味では国産3ウェイスピーカーの行き着いた完成と思っている。入力系は、イギリスのロクサンのベルトドライブのレコードプレーヤーにオーディオテクニカのMCを付けて、プリメインはヤマハのA2000aで増幅という万全の布陣で音楽が悪いはずがない。さらにそれをぼくがチューニングしてあるので(説明略)。

話は脱線するが、小学校の同級生のM君宅へ行けば、ヤマハNS-1000M、アンプA-2000、プレーヤーGT-2000(ピュアストレートアーム仕様)+デンオンDL-103。ここで彼が針を降ろすのは荒井由実の「ひこうき雲」から「ベルベット・イースター」。透明度の高い空間から声が降りてくるとしばし聴き入ったもの。弦やピアノはいまも無敵なのではと思える。位相管理が正確で、ベリリウムの中高域に紙ウーファが奇跡のブレンディング。透明感や彫りが深いのはいうまでもないが、ヨーロッパの著名な2ウェイより豊潤で酔わせる音楽を聴かせた(決してモニタースピーカとは思っていない。むしろ音楽を奏でる楽器ともいうべき)。以後、ヤマハからは第2のNS-1000Mは現れなかった。今日復刻したら当時の3倍〜5倍の価格設定になるかもしれない。ヤマハさん、考えてもらえない?

高校の同級のK君宅、ダイヤトーンDS-1000Zをラックスマンのプリメイン、ケンウッドのレコードプレーヤーKP-1100でかけるのはストーンズとビートルズ。国産のレコードプレーヤでもっとも音が良いのはテクニクスやヤマハでなくこのケンウッドではないかな。これが10万円未満で買えたのだから当時のオーディオ業界は幸せといえる。奴はにやにやしながらレコードを取り出して「まあ、聴け」と訪問客に選択の余地はない。それぞれが人に聞かせるフリして自分が聞きたいからかけている。

ぼくは、ダイヤトーンの16センチフルレンジP-610DB(アルニコユニット)を左右連結して機械的に直結する構造に畳1枚ほどの段ボールの平面バッフルをフロントに添えた自作スピーカー。ヤマハA2000aのプリとメインを分離して、プリアウトとメインインを直結する(つまりフラットアンプとボリュームをパスする=増幅率は下がるがボリュームは解放)。アンプのフォノイコでMCカートをMM入力で受けることで音量調節がきかなくても音楽を聴ける音量に収まる。スピーカーにはネットワークやバッフルがないので位相は乱れず音もこもらない(紙のバッフルの低域は空振りしている)ことと相まって、しかもA級増幅で歪率は21世紀のアンプが逆立ちしても勝てない特性を誇っていたので究極の純度の再生となる。それは音場と音像が一体化してソリッドに豊潤に広がるという相反する再生音。操作はレコードに針を落としてからプリメインカプラーを切り放す。友人を呼んできては「この斉藤由貴を聴いてみ、歯のどこに虫歯があるかまでわかるだろ」と得意顔(だったらしい)。

それだけ音楽を聴くのに真剣に努力していた時代だったんだね。話が長くなったけど、それで古今集は耳に残っているわけ。

そこで2024年になってCDを買ってみた。録音については、記憶が頼りなのだが、N君の家でロクサンのアナログディスクプレーヤーでかけていたあの色彩豊かで美しい残響の再生音は21世紀のCDからは少し聞かれなくなったと思う。ただし、このCDは、SHM-CD仕様で信号音を忠実に刻んでいる仕様である。

「元気を出して」が流れてくると、Kちゃんの声とN君の部屋で鳴っていたことを思い出す。佳い声だな、朴訥とした野生味と楚々とした上品さが同居している。録音は10代最後の年ではないかと思うのだが、「ジャンヌダルクになれそう」を聞くと、これは確かに10代の薬師丸ひろ子なんだろうけど、この愉悦感はらしくない。そこがまた佳い(でも、ぼくは当時も今も角川映画で薬師丸ひろ子を見たことがない)。

このアルバムにも収録されている1983年の「探偵物語」では、古今集収録より若い時点なのにおとなびて聞えるのはこの楽曲の世界観を彼女なりにつくりあげたから。そして彼女が短調の楽曲に染められない人ということもわかる。短調の楽曲には、その音階が人を不自然な気分に落ち込ませる要素があるが、彼女が歌う短調にはそれがない。短調らしさを脱却できるのは、女優の表現力と天性の資質なのだと思う。探偵物語で2枚目のシングルにしてすでに世界観を確立。短調の楽曲はこのように歌うのよ、という見本のよう。「A LONG VACATION」、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」と同じく「松本隆&大滝詠一」です。それにしてもこれが2枚目のシングルとは…。誰がこんな歌い方ができる?

「カーメルの画廊にて」は素敵な歌詞。カーメルとは確かシスコの近郊にある芸術家コミュニティだね。ぼくがこのまちを知ったのはNHKラジオ「英語会話」の特番「サンフランシスコ with ヴァレリー」だったかな。番組の出演者のヴァレリーが、No neon signs ...などと説明していたのを思い出した。歌詞は湯川れい子さん。これもアドレサンスの背伸びのようで共感する。

「月のオペラ」は歌うのは難しいだろう。一つの楽曲の中で意外なコード進行、部分的な移調転調で推移しながら典型的な大貫妙子ワールドなのだが、それを自分色に染めている。

アルバムの最後に置かれた「アドサンス(十代後期)」は、未来へのときめきにあふれている。「十代の最後のひとときは明日を映す万華鏡 甘やかな期待ね 恋に恋してる」と綴るのは阿木燿子さん。そんな詩をヨーロッパ調の旋律で歌えるなんて歌手冥利に尽きるね。

アルバムを通して、これもできる、あれもできるというヴァラエティの実験がなく、参集した職人たちが彼女の声質を活かしながら世界観を統一している。最後の楽曲が終わると、CDプレーヤの再生ボタンをまた押してしまったよ、ということになる。

改めて思ったのは ダウンロード音源や配信では、歌詞カードとか挿入された写真がないので、このアルバムの世界観を表面的にしか捉えないことがあるかもしれない。

「元気を出して」と、このアルバムは穏やかな1ページで始めたい日々の祈りのよう。今の時代には「おだやかな経営」とおだやかな20世紀の楽曲が必要なのである。

→ 薬師丸ひろ子「古今集」
→ 6枚組のセットが出ていた。こちらを買えばよかったかも。「薬師丸ひろ子 ピュア・スウィート
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 23:12| Comment(0) | 音楽

2024年07月30日

子どもは、かなとこ雲を見て 坂道を駆け上がる


「暑い」というと、快適な感情がうかがえるが、昨今の暑さは快適とはいえないかもしれない。どちらかといえば、不快に近いようにも思える。

家人は、地球が壊れてしまったというが、地球の歴史には全球凍結(マイナス50度に凍り付く)もあれば、数百度の灼熱地獄(隕石衝突から数か月)もある。それらの時期は生命がほぼ全滅している。しかし完全消滅でなく、どこかの片隅で生き残った生物がいたことから生命のリレーはいまも続けられている。しかも生命は絶滅の危機を乗り越えたあとは爆発的な進化を成し遂げるのだという。

灼熱の夏をもたらす温暖化にはヒトが排出するCO2が関係しているので因果応報ともいえる。日本の政治の劣化が昨今の熱波と同じで壊れている。もっとも政治の劣化は近隣諸国や他の国でも起こっている。

日本の文化、観光、食事、まちの光景、サービス、新幹線などがすばらしいという投稿動画が邦人・海外人を問わず投稿されているが、ぼくは毎日自宅の周辺で通行者が捨てるゴミを拾い集めている。これが日本の実態(の一部)で決してすばらしい国ではない。

いまだに女性皇族を認めないとか、性的少数者の意志を尊重しないとか、社会的弱者は自己責任だとか、東アジアの近隣諸国を嫌悪したりなど、国際的にも文明社会とは呼べないのがいまの日本。一人ひとりの幸福を願い、それをどう実現するかのみに注力すれば、経済や食糧安保なども含めて解決するというのに。権力者は何をしても罰せられず、それどころか甘い汁を吸うシステムが肥大化する一方で、庶民へのルールは年々無意味に厳格化、管理化され、インボイスや定額減税、マイナ保険証などの欠陥政策を呑まされている。

これだけ政治が劣化しても未だに自公の支持者がいるという(維新、立民、国民なども同罪だが)。革命が起こらないのが不思議なぐらいだが、理由はわからなくても不満のはけ口をときの為政者に不当な暴力で向ける動きが後を立たないのも(そのこと自体は凶悪犯罪である)潜在的な不満が積もり積もって爆発しているのに違いない。そんなかたちではなく穏当に合法的に選挙で意思表示すればよい。理知的なデモも有効だ。

前置きが長くなったのも1枚の写真から熱波を語ろうとしたため(と言い訳をしている)。夏の高気圧がもたらす雲一つない快晴が暴力的な熱エネルギーを地表に与えて水分を含んだ上昇気流が積雲から雄大積雲や積乱雲となって雨を降らす。

ただし雲はどこまでも上昇することはできない。地表(対流圏)では高度が上がるにつれて気温が下がるが、さらに高度を上げるとオゾン層の働きで逆に高温になるという(成層圏)。そのため見えない天井に阻まれて雲が水平方向へと伸びて独特のかたちとなる。それを、かなとこ雲という。

水平となっている雲の上に別世界を描いたのは「天気の子」。あれは、かなとこ雲ではなかったか。夏の日本列島で見られるかなとこ雲であれば、高度10kmを越えるが15kmは行かない。仮に高度13kmとすると、飛行機が安定飛行で飛ぶ高さ10km前後より少し高い。

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こんなかたちの雲を見たら、かなとこ雲が出た!と小走りに坂道を駆けていく背の高い子どもに戻ってください。

posted by 平井 吉信 at 23:34| Comment(0) | 気象・天候

2024年07月27日

天気の子 夏の空は雲を愛でる季節

梅雨明け後の太平洋高気圧の張り出しは例年のこととはいえ、太陽の大きな熱量がもたらす目玉焼きができそうな熱射とその後の上昇気流で夕立が訪れる。

雲の成長も早い。積雲が雄大雲となり、積乱雲、その上部が水平に折れ曲がる、かなとこ雲などに変わっていくが、地平線に湧き出して変形するのにほんの数分のこともある。けれど巨大な積乱雲は雷雨をもたらすとしても1時間程度で収まる。例外は超巨大積乱雲(スーパーセル)で局地的豪雨を数時間もたらすことがある。

「天気の子」は雲を愛する気象予報士の荒木健太郎さんが(おそらくは作画で)監修を行っているそうだから、描画される雲を見ると、かなとこ雲やスーパーセルが出てくるかもしれない。冒頭での船の場面ではスーパーセルがもたらすダウンバーストと思われる場面が描かれている。

※ぼくも持っている荒木さんの著作「雲を愛する技術」はマニアックかつ初心者向けの本で愉しい。

だから夏の雲は見飽きることがない。見飽きないのは良いとしても人の根気が続かないのは暑さのため。この暑さを鎮めるために誰か人柱になってくれないだろうか(その必要はない、というのがアニメのメッセージ)。

ところで、エアコンも使わず水分もあまり摂らないぼくがいうのは説得力がないが、熱射病対策にスポーツドリンクは効果がない(むしろ良くない)という専門家の見解がある。

毎日新聞デジタルで拝見したその記事によると、夏にテーマパークを訪れた男性が大量のスポーツドリンクやジュースを飲んで自宅へ戻ったところ体調が悪化した。救急車で運ばれた病院で検査した血糖値が正常値の15倍にもなっていた。このような状態では死ぬこともあるそう。血中の糖濃度が上がりすぎて血液がドロドロ状態となり、循環器の急病などに陥るおそれありという。高い血中の糖を薄めようと細胞から水分が奪われて脱水状態となる。「高血糖高浸透圧性昏睡」あるいは「ペットボトル症候群」などと呼ばれるそうだ。

そのため、飲むとしたらスポーツドリンクではなく、水や茶を勧める専門家は多いとのこと。塩分については普段から過剰摂取の可能性が高い日本人は意識して摂らなくても良いという見解であり、ぼくもそう思う。山へ行くときは凍らせたペットボトルの緑茶、麦茶が有効である。緑茶は腐敗しにくくタンニンが活力をもたらすだろうし、カフェインを含まない麦茶は体力が落ちた場面での水分補給にやさしい。

夏の空を見上げてみよう。梅雨明け前には見られなかった雲が出現して時の経つのを忘れそう。

JR牟岐線のローカル列車はまもなく立江駅に止まります 
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頭を下に尾羽を上に伸ばした巨大な不死鳥のように見える。ほとんどが高積雲で構成されている
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左の雲は塔状に発達している
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地上にまで伸びる尾流雲となって雨を降らせている雲
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飛行機雲由来の巻雲が肋骨状に拡散している(肋骨巻雲)
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積雲の断片
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那賀川河口から見た紀伊水道上にて。発達した積乱雲が弱まって上部が濃密巻雲となって拡散
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日中の上昇気流でできた積雲が子どもの夢を載せて運ぶ乗り物のよう。巻雲と飛行機雲も同じ視野にある
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夏休み、海に向かう田んぼの小径の向こうには必ず入道雲がいるという青春の構図(阿南市才見町)
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澄んだ水の用水路と田んぼの畔と早稲。自然地形にこの水路の供給源(山)が見当たらないが、おそらくは桑野川から引水して富岡町を経由してここを流れているのでは? この水路は打樋川へと注ぐ
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田んぼのツユクサ 初夏から咲いていた
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東(紀伊水道方面)が開けた場所として那賀川河口左岸(北岸のこと)にやってきた
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発達している雄大積雲とその上部が濃密巻雲となっている。紀伊水道の和歌山寄りを流れる黒潮が上昇気流をもたらしているのだろうな
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雲は多様性がある。しかも変化していく。未だにJGBTや夫婦別姓を認めたくない偏った意見もあるけど、雲を見てみなよ。みんな違うぞ
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横須松原へ続くこの道の向こうにも積乱雲(雄大積雲)
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夏こそ雲を見よう。暑さゆえの物語が地上数百メーチョルから1万メートル越えの空の高さで繰り広げられている。それを見ていたら暑さを忘れてしまいますよ。え? よけいに暑くなるって? その可能性も多少あるようです。

タグ:阿南市

本日も晴天なり 室温は午前中で32度


庭のカサブランカは満開となった。ヒイラギのつくる木漏れ日に咲いている。
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(フィルムシミュレーションをVelviaで撮るとこうなる)

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(PROVIA)

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(REALA ACE)

珍客登場。数年に1度羽化するクマゼミ。これまでにも数個体を見た。
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子どもの頃はまちなかの蝉はアブラゼミとニイニイゼミばかりだった。クマゼミは少なかったので採れたらうれしかった。うちの近所の子どもは鳥もちで採っているのもいた。クマゼミは温暖化で増えたのかもしれない。

posted by 平井 吉信 at 12:38| Comment(0) | 家の庭

2024年07月26日

文化の森のカタツムリは文学がお好き


文化の森のカタツムリは言語を理解しているといわれる。
這ったあとにバーコードの模様が現れるので、3眼仕様のiPonをお持ちのかたはバーコードリーダーで読み取って欲しい。この画面からは次の文言がバーコードから読み取れた。
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我が輩はカタツムリである。名前はまだない。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。
月日は百代の過客にして、月のころはさらなり。望月の欠けたることも つれづれなるままに やみもなほ、トンネルを抜けると、岩にしみ入る 蝉の聲。和をもって貴しとなす。


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意味はよくわかりませぬが、文化の森に棲むカタツムリともなれば、話す言葉も文学的で高尚だな。
つまらなかった東京都知事選の次に出ますか? それとも副大統領候補でかの国にでも?

追記
うちにネコを飼っていた頃、日本語で質問すると、考えたうえできちんと答えてくれた。
このネコはかなり高い知性があったが、質問する人の知性を試すネコでもあった。名前はマナという。

ヒト:マナ、ドルと円と、いまはどっちが安い? 
マナ:エーン(たしかに)
ヒト:人と人をつなぐ不思議な関係性は?
マナ:エーン(いわれてみればそうかも)
ヒト:滝廉太郎の荒城の月の出だしで、はるこうろうのはなの のあとに続く歌詞は?
マナ:エーン(なんという記憶力)
ヒト:S=πr2で求める図形は?
マナ:エーン(すごいな。人間でもわからない人が43%はいるはず)

確かにこのネコは質問するヒトの知性を試す。
暑い夏の夜を涼しくお過ごしください。
(投稿している部屋の室温32度で快適です)


posted by 平井 吉信 at 23:28| Comment(0) | 徳島

2024年07月20日

暑い夏こそ田園を歩く


暑中お見舞い申し上げます。
今年もエアコンは使わない。室温30度だと涼しい、33度になるとやや暑い、35度ならお茶でも飲もうかと感じるけれど(冷たくないお茶で)。

暑さに身体が慣れているので外出時には長袖で。そうでないと冷房が効いている場所だと涼しすぎるので自己防衛(地球の温暖化は防げないと感じて20年以上をかけて徐々に身体を暑さに慣らしたのでマネをしないでください)。

蝉時雨、田園を渡る風、青い稲穂の田園を歩くとうれしくなる。用水路を覗き込んだり、赤くない赤とんぼが飛び交うのを眺めたり、集落の神社の森に涼を求めたり。
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豊葦原瑞穂の国を見ているよう
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(阿南市南部にて)
タグ:阿南市
posted by 平井 吉信 at 11:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年07月19日

苔の名所 山犬嶽 迷いやすい迷所ゆえにガイド付で


山犬嶽(やまいぬだけ)は上勝町に位置する標高997メートルの山。その南斜面が苔むした庭園の様相で人気となっている。

屋久島の森を連想させるといわれているが、西部林道、花之江河、宮之浦岳、縄文杉、小杉谷、白谷雲水峡など屋久島の森を縦断して圧倒的な渓流の水量と濁らない水、どこまでも続く森の大きさ、新月の夜の森の自分の腕さえ見えない闇を体験した経験からは、屋久島とは比べられない。四国では、三嶺南斜面の上韮生川からフスベヨリ谷を経由するルートが屋久島の森と同等の深みを持っていると思う。

それはさておき、標高が高くなく登山口から1時間もかからず苔の森に到着する山犬嶽はお手軽な登山かといわれれば違うと答えたい。

それは道迷いが起こるから。道標が整備された3千メートル級の山々と違って、分岐が至るところにあるのが里山。山犬嶽とて例外ではなくどれが登山の本道なのかわからない。現在位置がわからなければ闇雲に動いて遭難ということになりかねない。それでも登山者は地図とコンパスを持っているだろうから、地形的に南へ下らず北へ向かう(上がる)ことで山犬嶽登山道に遭遇することはわかる。

はじめて山犬嶽に入山する人は、月ケ谷温泉のツアーを申し込むのが一般的。入浴と食事が付いており、車の難路も地元道に慣れた運転手が登山口近くまで送迎してもらえる(登山口までの道路も隘路で都会でRVを運転している人は難儀するだろう)。自家用車で行くと車をどこに停めてよいかわかりにくい(登山口から約2km、40分離れた樫原の棚田の手前に数台分ある)。登山口周辺の適当な空き地においたらダメ。そこは私有地であったり離合のために使われているから。

月ケ谷温泉 山犬嶽ウォーキング
https://yamainudake.com/

駐車場に停めたらここからの里山が散策の愉しみ。全国棚田百選の樫原の棚田。
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棚田保全の初期から尽力された谷崎勝祥さんはすでに他界されている。

樫原地区から登山口に向かう道筋は里山好きにはたまらない半鐘のある風景
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このあたりの坂をシニアカーで行進する場面が映画「人生、いろどり」のロケで使われた
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小さな棚田が続いている
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冷たい山の湧き水を田んぼに直接入れず少し回してあたためる仕掛け
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民家を開放して情報発信をされている
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登山口は私道を通過するので付近の民家のプライバシーにご配慮を(駐車も厳禁)
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正面には「三体の月」で有名な秋葉神社の森。南東の橘湾方面から月が3つに分かれて昇ってくるという言い伝えがある。その伝説を実証しようと、三体の月を見る集まりがあり、その第1回めに参加したことがある。地元の女性が伝説の綾姫さまに扮して芝居をするなど、真夜中すぎの月が昇るまで愉しく過ごした。秋葉神社には帰りに立ち寄ろう。
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山犬嶽の登山口は里へケモノが降りてこないよう開閉式の柵を設置しているので、開けて閉めて通過する。
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やがて道は二手にわかれる。左側は山犬嶽山頂への本道、右側は大きな岩を迂回するコース。どちらからも苔の名所は経由できるが、本道経由が近道。しばらくは人工林の薄暗い森があるが、ほどなく広葉樹林帯が見えてくる。
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季節によるが、山野草には事欠かない
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広葉樹の森に出る
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やがて大きな岩の下に社が見えてくる
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岩の割れ目はあちら側に通じているかも
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この大岩はご神体ではないかと怖れながらも大岩の上に立つことができる。先客のお二人にお声をかけて後ろ姿を撮影
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眼下に広葉樹の森が広がり、右手には通過してきた針葉樹帯が見える
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苔の名所は平坦な場所とピークと谷の地形が入り交じる立体地形で、似たような景色のなかを縦横無尽にある小径をたどるうち、元の場所に戻れなくなるかもしれない。目印となる遠景がなく、小規模で複雑な地形なので現在位置の同定が困難な地図読み泣かせの地形。
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苔の名所で満足したら北へ上がって山犬嶽本道をたどって山頂へ行くか、そのまま降りるかだが、ぼくは山頂へ行かずに苔の森を時間をかけて逍遙するのが好き

登山口まで降りてきて向かいの秋葉神社へと向かう(ここでも柵の開け閉めが必要)。たまたま在所の方が野良仕事をされていて、あいさつと神社へ向かう旨のお声がけをする
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山犬嶽はガイドさえいれば誰でも登れる山。一度来れば一生の思い出になるかも。
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タグ:山犬嶽
posted by 平井 吉信 at 23:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年07月18日

山川バンブーパーク 水辺の楽校


国道から入り込んだ吉野川南岸のうっそうと茂る竹林を切り拓いて整備した公園のようだ。
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竹林の小径は散策に適している。
(ただしヤブ蚊が多いので虫除けスプレーは必携)
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ビオトープ池は生態系の縮図
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この時期の花はオレンジが多い。コオニユリ、ノカンゾウ
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芝生広場の向こうに顔を出したのは山川町の名峰 高越山
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吉野川が池田でくるりと東を向いて紀伊水道をめざすとき、東西に流れる大河となる。池田から岩津にかけての全長50km、面積270ヘクタールは日本最大の竹林(水害防備林)である。竹は人が手を入れ続けないと荒れていくのでこの公園の存続の難しさはあるが、人と川の営みとして過去から未来へ承継すべき風景。
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参考記事
→ 日本一の水防竹林(愛媛大学)
https://ccr.ehime-u.ac.jp/dmi/web88_0807/prefecture/tokushima/img/toku_story_08.pdf

→ 吉野川中流〜日本最大の竹林
https://soratoumi.com/river/tikurin.htm
タグ:吉野川
posted by 平井 吉信 at 23:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

庭の花 二態


桃の木の根元から今年もキキョウが開花した
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誰がいつ植えたのか知らないけれど、これはカサブランカ?
園芸種なのに身近に感じるのはタキユリ/カノコユリの白花のようだから。
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タキユリ/カノコユリはこちらのタグからどうぞ(自生)


ニオイスミレの夏葉も残って連日の暑さに耐えている(写真は撮っていない)
posted by 平井 吉信 at 22:41| Comment(0) | 家の庭

雲三態


風味絶佳な雲じゃなく、日常の一コマで心に残った雲。このところの梅雨前線と太平洋高気圧の狹間にあらわれた。

もやっとした雲と夕方の太陽。といっても夕暮れではない
スーパーに買い出しに来て車から降りたときに気付いた
(このスーパーには美しい黒髪の店員さんがいる。だからどうした?)
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雲は地上の電線を意識して並ぶ
(ヒトは雲を擬人化したり精神の象徴化が好きですから)
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午前5時の東の空 朝焼けにならず、もう明るい。
(モネの日傘を持った女性の背後にある空のような色彩。タッチは違うけど)
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雲三態では物足りないので、梅雨初期に見られた夕焼けを3枚(南から北へと続く空)
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