薬師丸ひろ子さん(以下、敬称略)を語るとき、中学の同級生の女の子(以下、Kちゃん)を思い出す。育ちがよいお嬢さんでありながら、人を疑うことを知らず庶民的、それでいて凜としていて頭が良くて学年で1位(はばかりながら2位はぼくだった。でも仲が良いから順位などに一喜一憂しない。良い点とったらさすがと称賛の気持ちだけ)。音楽の時間に独唱をしたら、Kちゃんの声にうっとりと聴いてしまう(その表情を悟られたくない)。バリトン歌手のようなパパの声とアルトの声質の娘だったね。
薬師丸ひろ子の声は、Kちゃんの声や雰囲気に似ている。その声は不思議成分たっぷり。高域と低域で声の音色が変わる歌手はいるが、薬師丸ひろ子はほとんど変わらない。また、話し言葉とも変わらない。一見細い声に思えるが、声量と呼ぶべきか、声の幅というべきか、倍音を含んでいるのか浸透性が高い。これは岩崎宏美さんのようなビブラート成分でもないように思う。
今回は、1984年に発売されたファーストアルバム「古今集」について。このアルバムはミドルテンポの楽曲が多い。また、短調と長調で揺れる調性の楽曲が多い。先入観をもたずに聴いていると、ヨーロッパの印象を受けるな、大貫妙子さんが歌うといい曲があるななどと思ってCDの歌詞カードを見て驚いた。
作詞は、(敬称略で)竹内まりや、来生えつこ、湯川れい子、大貫妙子、阿木耀子、松本隆。作曲は、竹内まりや、南佳孝、大貫妙子、井上鑑、 大滝詠一、大野克夫。何という顔ぶれ。これだけ多彩な作家が描きながら、アルバムの色が一色(ひといろ)に染められている。そして低域から高域まで一つの声でモノローグのように歌う。 これがファーストアルバム?
さらに発売当時のオリジナルアルバムには収録していなかった4曲がCDに追加されている。それは 「探偵物語」「少しだけやさしく」「セーラー服と機関銃」(別バージョン)、「探偵物語」(strings version)。
当時はリアルタイムで聴いていた場所はN君宅のオーディオ装置から。コーラルのDX-7という大口径スコーカーの3ウェイスピーカーは声が浮かび上がる。このスピーカーはフルレンジのような中域を軸に無理なくレンジが広げられている。ある意味では国産3ウェイスピーカーの行き着いた完成と思っている。入力系は、イギリスのロクサンのベルトドライブのレコードプレーヤーにオーディオテクニカのMCを付けて、プリメインはヤマハのA2000aで増幅という万全の布陣で音楽が悪いはずがない。さらにそれをぼくがチューニングしてあるので(説明略)。
話は脱線するが、小学校の同級生のM君宅へ行けば、ヤマハNS-1000M、アンプA-2000、プレーヤーGT-2000(ピュアストレートアーム仕様)+デンオンDL-103。ここで彼が針を降ろすのは荒井由実の「ひこうき雲」から「ベルベット・イースター」。透明度の高い空間から声が降りてくるとしばし聴き入ったもの。弦やピアノはいまも無敵なのではと思える。位相管理が正確で、ベリリウムの中高域に紙ウーファが奇跡のブレンディング。透明感や彫りが深いのはいうまでもないが、ヨーロッパの著名な2ウェイより豊潤で酔わせる音楽を聴かせた(決してモニタースピーカとは思っていない。むしろ音楽を奏でる楽器ともいうべき)。以後、ヤマハからは第2のNS-1000Mは現れなかった。今日復刻したら当時の3倍〜5倍の価格設定になるかもしれない。ヤマハさん、考えてもらえない?
高校の同級のK君宅、ダイヤトーンDS-1000Zをラックスマンのプリメイン、ケンウッドのレコードプレーヤーKP-1100でかけるのはストーンズとビートルズ。国産のレコードプレーヤでもっとも音が良いのはテクニクスやヤマハでなくこのケンウッドではないかな。これが10万円未満で買えたのだから当時のオーディオ業界は幸せといえる。奴はにやにやしながらレコードを取り出して「まあ、聴け」と訪問客に選択の余地はない。それぞれが人に聞かせるフリして自分が聞きたいからかけている。
ぼくは、ダイヤトーンの16センチフルレンジP-610DB(アルニコユニット)を左右連結して機械的に直結する構造に畳1枚ほどの段ボールの平面バッフルをフロントに添えた自作スピーカー。ヤマハA2000aのプリとメインを分離して、プリアウトとメインインを直結する(つまりフラットアンプとボリュームをパスする=増幅率は下がるがボリュームは解放)。アンプのフォノイコでMCカートをMM入力で受けることで音量調節がきかなくても音楽を聴ける音量に収まる。スピーカーにはネットワークやバッフルがないので位相は乱れず音もこもらない(紙のバッフルの低域は空振りしている)ことと相まって、しかもA級増幅で歪率は21世紀のアンプが逆立ちしても勝てない特性を誇っていたので究極の純度の再生となる。それは音場と音像が一体化してソリッドに豊潤に広がるという相反する再生音。操作はレコードに針を落としてからプリメインカプラーを切り放す。友人を呼んできては「この斉藤由貴を聴いてみ、歯のどこに虫歯があるかまでわかるだろ」と得意顔(だったらしい)。
それだけ音楽を聴くのに真剣に努力していた時代だったんだね。話が長くなったけど、それで古今集は耳に残っているわけ。
そこで2024年になってCDを買ってみた。録音については、記憶が頼りなのだが、N君の家でロクサンのアナログディスクプレーヤーでかけていたあの色彩豊かで美しい残響の再生音は21世紀のCDからは少し聞かれなくなったと思う。ただし、このCDは、SHM-CD仕様で信号音を忠実に刻んでいる仕様である。
「元気を出して」が流れてくると、Kちゃんの声とN君の部屋で鳴っていたことを思い出す。佳い声だな、朴訥とした野生味と楚々とした上品さが同居している。録音は10代最後の年ではないかと思うのだが、「ジャンヌダルクになれそう」を聞くと、これは確かに10代の薬師丸ひろ子なんだろうけど、この愉悦感はらしくない。そこがまた佳い(でも、ぼくは当時も今も角川映画で薬師丸ひろ子を見たことがない)。
このアルバムにも収録されている1983年の「探偵物語」では、古今集収録より若い時点なのにおとなびて聞えるのはこの楽曲の世界観を彼女なりにつくりあげたから。そして彼女が短調の楽曲に染められない人ということもわかる。短調の楽曲には、その音階が人を不自然な気分に落ち込ませる要素があるが、彼女が歌う短調にはそれがない。短調らしさを脱却できるのは、女優の表現力と天性の資質なのだと思う。探偵物語で2枚目のシングルにしてすでに世界観を確立。短調の楽曲はこのように歌うのよ、という見本のよう。「A LONG VACATION」、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」と同じく「松本隆&大滝詠一」です。それにしてもこれが2枚目のシングルとは…。誰がこんな歌い方ができる?
「カーメルの画廊にて」は素敵な歌詞。カーメルとは確かシスコの近郊にある芸術家コミュニティだね。ぼくがこのまちを知ったのはNHKラジオ「英語会話」の特番「サンフランシスコ with ヴァレリー」だったかな。番組の出演者のヴァレリーが、No neon signs ...などと説明していたのを思い出した。歌詞は湯川れい子さん。これもアドレサンスの背伸びのようで共感する。
「月のオペラ」は歌うのは難しいだろう。一つの楽曲の中で意外なコード進行、部分的な移調転調で推移しながら典型的な大貫妙子ワールドなのだが、それを自分色に染めている。
アルバムの最後に置かれた「アドサンス(十代後期)」は、未来へのときめきにあふれている。「十代の最後のひとときは明日を映す万華鏡 甘やかな期待ね 恋に恋してる」と綴るのは阿木燿子さん。そんな詩をヨーロッパ調の旋律で歌えるなんて歌手冥利に尽きるね。
アルバムを通して、これもできる、あれもできるというヴァラエティの実験がなく、参集した職人たちが彼女の声質を活かしながら世界観を統一している。最後の楽曲が終わると、CDプレーヤの再生ボタンをまた押してしまったよ、ということになる。
改めて思ったのは ダウンロード音源や配信では、歌詞カードとか挿入された写真がないので、このアルバムの世界観を表面的にしか捉えないことがあるかもしれない。
「元気を出して」と、このアルバムは穏やかな1ページで始めたい日々の祈りのよう。今の時代には「おだやかな経営」とおだやかな20世紀の楽曲が必要なのである。
→ 薬師丸ひろ子「古今集」
→ 6枚組のセットが出ていた。こちらを買えばよかったかも。「薬師丸ひろ子 ピュア・スウィート」
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