2024年06月30日

画質を入れ替える富士フイルムのデジカメ フィルムシミュレーション


富士フイルムのデジタルカメラには、フィルムシミュレーションというアルゴリズムが組み込まれている。他社にある画質選択モード、例えば、人物、風景、夜景、ナチュラルなどと色やコントラストの調整された選択肢と同様のものだけど、○○用といった打ち出しはせず、フィルムの名称(自社のフィルムにないものは架空の名称)を付けている。なかでも、フィルム時代のポジやネガのようなトーンを再現する選択肢は富士ならでは。

富士フイルムによる説明 https://digitalcamera-support-ja.fujifilm.com/digitalcamerapcdetail?aid=000003156

銀塩フィルム時代は、フィルムは巻き戻して詰め替えしなければ入れ替えができなかったが、デジタルは1コマごとにフィルムを代えるように画質を選択できる。さらに予め設定した3種類のフィルムシミュレーションで撮影できるブラケットモードもある。

ぼくが普段使っているのは主に2つ。富士フイルムがスタンダードと呼んでいるPROVIA、それとスタジオでプロがポートレートを撮影する際の素材系の発色をするPRO Neg. Std、金属などの質感を表現するときはクラシッククローム。さらにモノクロ系も充実している(富士、パナソニック、ライカがモノクロ御三家といったところ)。

普段はほとんどPROVIAのみ。ただスタンダードといいながら見栄えのする仕上がりとなるため、色彩、コントラストを抑えた独自の設定に変えている(少し地味にしている)。このオリジナルPROVIAをプリセットの1に設定して常用。海や川、田んぼ、渓流、苔、新緑、紅葉といった自然界でもっとも活用範囲が広い。PROVIAは色温度が低いときなど緑の暗部がやや青みを帯びて人工的に感じることもある。ホワイトバランスをオートにすればそうはならないが、逆に森や緑のみずみずしさが失われるのでホワイトバランスは太陽に固定している。

PRO Neg. Stdは忠実色といわれており、実際に写してみてもそう感じるが、一方で見た目の色彩よりも地味に再現されることも多く、色やコントラストの調整を行っている。これをプリセットの2に設定して次によく使っている。

ぼくは緑(碧・碧)の再現を重視するので、気になる場面ではフィルムシミュレーションとホワイトバランスを変えて撮影する。カメラの背面液晶やEVFでは正確な再現がわからないので持ち帰ってパソコンとディスプレイで確認することとなる。

数日前に、富士フイルムから新しいフィルムシミュレーション「REALA ACE」がファームウェアの更新で手持ちのX-T5に摘要されるようになったので、とくしま植物園に出かけて3枚ブラケットで撮影。PROVIA→ PRO Neg. Std→ REALA ACEである(それぞれは同一の設定)。
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花畑では、PROVIAの鮮やかさが目に入るが、それが気になることもある(今回はブラケットなので独自設定のPROVIAではない)。PRO Neg. Stdは、赤の再現が少し違うように思う。REALA ACEはPROVIAの赤と似ているが、緑系はシアンがからない。ハイライトに乗っていくようで、独自に設定する際はハイライトを柔らかく(マイナス1)に設定しようと思う。

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赤桃色の花を主題に据えた2カット目も同様。PROVIAは赤がやや蛍光色のようなあでやかさ(Velviaほどではない)で、背景から浮かび上がる。PROVIAで感じている違和感はこのつくりもの感があるところで、そのため標準設定から変更して使っている。しかしPROVIAは黄色から青っぽい緑まで描きわけができて色の転びも少ないので日本の自然(森、里山、川や渓流、海)を撮影するのに適している。
ブラケットのPRO Neg. Stdはデフォルト設定なので赤が少し転んでいるように見えるが、緑の再現は好ましい。
REALA ACEは、赤い花は良い加減で背景の緑とも溶け込む。ハイライトへの乗りが立体感となっているが、中間調のコントラストが立っているようだ

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上はオリジナル設定のPROVIA。デフォルトのPROVIAより落ち着いていて対応の幅が広がっていると思う。

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植物園の庭。PROVIAの緑はわずかにシアンがかっているのがわかる。ここはPRO Neg. Stdが好印象。

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近景から遠景までの緑のみを写してみた。

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フィルムシミュレーションのブラケット(標準設定)から離れて、オリジナル設定のPRO Neg. Stdで撮影した竹林。

マニアックな話題のようだけど、身近なところにある緑の階調は宝物と思っているので、それをデータに定着させるための設定について考えているところ。

(フジX-T5+XF60mmF2.4 R Macro)

※メーカー名の富士フイルムの「イ」は大文字、フィルムシミュレーションの「ィ」は小文字

posted by 平井 吉信 at 14:31| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年06月29日

ある晴れた日の雲を追いかける しおかぜ公園


海を見に行くとすっきりする。
雄大な水辺もそうだが、空と海の境目のない空間に浮かぶ雲や公園のたたずまい、さらには海に張り出したウッドデッキなどと相まって潮風が心地よい。だからか公園もそのものすばりの名称となっている。
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港のウッドデッキからは停泊している船を眺められる。近景はハト。
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ウッドデッキと公園は隣接している。海から振り返れば公園の森がある
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暑さを避けて高齢者は木陰で休む
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樹間の雲のすがすがしさ
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巻雲がこのようなかたちになるのは複雑な気流が上空1万メートル弱にあるからだろう
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巻雲のコレクションのつもりで(巻コレ)
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雄大雲になりかけている積雲。こんな場面なら、松岡直也「夏の旅」から「日傘の貴婦人」を聴きたいな
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政治の腐敗は我慢の限界を超えている。そんなときに気分展開とともに未来を創造する気力をと思ったら、海と雲を眺めに、森の木陰のしおかぜ公園までどうぞ。
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posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 気象・天候

真夜中のCD再生


CDプレーヤーが到着した日、実際に開封するのは深夜になった。意外と重くてどっしりしている。このような機器は通電して音が目覚めるのが時間がかかる。駆動メカやコンデンサのエージングを考えると1〜2か月後ぐらいから本領を発揮するだろうと思っていた。

まずは通電して各部の動作チェック、入力ごとの再生や初期設定などで1時間。ようやくCDが聴けるようになったのが日付が変わる頃。スピーカーの前数十センチに座る。スピーカーは壁から1メートル程度離して設置しており、しかもどの壁面とも並行(or垂直)になっていない。

スピーカーの間隔は1メートルを切っているのは小音量再生が多いため。真夜中は静けさがあって背景音に邪魔されず音楽に集中できる。社会活動が停止されるので供給される電源も汚れていない。もともとごく小音量再生なので家庭内にも近隣にも迷惑はかからない。

最初にかけたのは田部京子と小林研一郎のモーツァルトのピアノ協奏曲K488。深夜の極小音量再生にもかかわらず、空気に溶け込むような低域の音場が床を這うように漂う。最初の音出しで打ちのめされた(普通はこんなもんかという鳴り方しかしないのがオーディオ装置の初日)。

でも瞬時に逆相感ありと判断。CDプレーヤーの電源を落としてACコンセントを逆に差し込んでみる。思ったとおり中央の音像がくっきりと浮かび上がり逆相感は消えた。ぼくは初対面のオーディオ装置でのコンセントの極性合わせはA/Bテストをしなくてもわかる。極性が合っていないときの鳴り方には独特の刺激感、逆相感があるから。

極性が合い、通電して2時間が経過したことで、再生音はさらに繊細かつ豊潤となった。田部京子はSACDと表示された。ハイブリッドディスク(SACDとCD層が多層的にプレスされたもの)だったのでこれが初のSACD体験となった。
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それは、夢見心地。目の前の空間のどこかで、音の波がぽつんと空間に飛び出して波紋を広げ、その波紋が重なり合いながら漂っている様子がわかる。ピアニシモでオーケストラ全体の漂う音場が低く出現するのはSACDの特徴かもしれず、再生音の耽美的までの美しさをあえて言葉にして表現しようと試みる。

これはSP再生など現実的な音像と対照的な世界だけれど、一方で客席で聴いているような臨場感はなまなましい。装置が消えて空気が震える体感。ネコがいなくなって笑いが漂っているような不思議の国のアリスになった気分。コルボ指揮のフォーレのレクイエムを再生していて停止ボタンが押せなくなった。

CDを聴いてみると、いつものオーディオ装置を聴いている気分。いわゆるハイファイだけれど装置の存在を感じる。
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さらにUSBメモリ、SSDからの再生を行ってみると、ヴェールのないCDの再生と比べると、付帯音が感じられてさらにハイファイ調となるけれど、微細な陰影は感じにくい。やはり巷で言われるように、ネットワーク再生はディスク再生を越えられないというのがわかった。しかもその差は大きい(これは理屈ではわかっていても体感しないとわからない)。最後のディスクプレーヤーとしてCDを再生する日々が始まった。
posted by 平井 吉信 at 22:17| Comment(0) | 音楽

2024年06月27日

音楽を聴くホモ・サピエンス、言葉より前から存在したものを再生し続けるために


音楽を聴くってどんな感じだろう? 考えたことはなくても感じることはできる。ここでの音楽はレコードやCD、カセットテープ、音声データなどの再生音源のことで生の音楽ではない。生の音楽は聴きたいときに聴きたい場所で聴きたいように聴けないから。

音楽を再生する。耳に入ってくる。耳を通して入った音が身体に入り込んでいく。どこが心かどこが肉体かの区別はないように感じる。ただ音の振動が波のように波紋を拡げたり共鳴したり。

共鳴? それは何と? わからない。
細胞といえばしっくりくる。細胞が音の響きに共鳴して動く、振動する、波のように伝播する感じ。

それを感じるためには、澄んだ音でなければならない。歪みの少なさ、雑音の少なさ、大きな音から小さな音まで連続して推移する。どんな再生装置でもよいわけではない。

いまぼくがデスクトップで使っているデスクトップPC+asio4ドライバ+JRiver Media Center+タイムドメインlight(チューンアップ仕様)では、空間に放たれた音の粒子や音の波が見える/聞える気がする。元の音源は、パイオニアのBlu-rayライターBXR-X13J-XでCDからリッピングしたもの。これとは別にプリメインアンプ、CDプレーヤー、アナログプレーヤー、カセットデッキ(ウォークマンプロ)、スピーカー3組(クリプトンKX-1、JVC SX-V1、パイオニアピュアモルトSP)がある。

例えていえば、これらの装置で再生すると、音の塊が身体に入り込むと飛散して身体のなかで再び元に戻る、というか輪郭が再形成される。

言葉で表せないことを文字にする意志は大切と思う。道元の正法眼蔵を理解できているわけではないけれど、只管打坐(ひたすら座る)という言葉で表せない何かを、文字で著わそうと(二次元に顕そうと)している様子は感じられる。

音の連なりや早さ、強さ、抑揚の変化も同じだろう。ホモ・サピエンスやネアンデルタール人、デニソワ人が感じる意識を持って奏でる(発する)妙なる音のつながりは言葉より先にあったもの。もしかしたら後期のホモ・エレクトゥスだって空気の震えを意識して発していたかもしれない。

ぼくの手持ちのなかではCDが多い。音質と利便性と保存性からみれば、CDが最良のメディアであると思う。遮光や湿度に気を付けて保管する限り、読み取りは永遠に可能だ。

でも、ここ1年ぐらいのオーディオの動きを見ていると、CDプレーヤーが発売されなくなる時代が近づいているように思える。需要はまだありそうだが、個々の部品を供給するメーカーがいつまであるのか。オーディオに適した電源トランス、電解コンデンサー、増幅の素子やデバイス、回路設計、CDを回転させる駆動系(トランスポーター)、デジタルからアナログへと変換するD/Aコンバーター、小音量まで特性の落ちないアッテネッター(接点切り替えや電子制御の可変式)、リレーやセレクター、デジタル輻射ノイズを軽減する技術。これらの部品は日本で世界でつくることができるメーカーは限られている。そしてこれらのパーツや回路を最終的な音づくりにまとめあげるノウハウなど、オーディオ装置は10年後に存在するといえるのか?

オーディオに限らず、農業や漁業、パンクを修理するまちの自転車店、包丁を研いでくれる刃物屋、小回りの利く職人の技などこれらを提供している人たちを直撃しているのがインボイス制度。社会の崩壊が目に見えているのに、未だに国会議員の不正すら正せず。

いまぼくにできる数少ないこととして、20年を経たCDプレーヤーをそのままに、1台追加しようと考えた。空間に放たれた音楽が、心と身体を区別することなく内部に沁みてきて震える感覚を少しでも長く味わいたくて。

その機種は、繊細に音をほぐしながらも、それと矛盾する芳醇で有機的な響きを持ち、実在感のある音像を結びながら、同時に空間に美しい波を伝播させることができる。それは、音波が粒子でもあり波でもあることの証しのように。

その機種も7月1日から3割の価格改定されるという。次々と装置を買い替えるオーディオマニアもいるだろうけど、ぼくにとっては20年ぶりのこと。リッピング用のドライブ(BXR-X13J-X)は確保済。CDプレーヤも複数確保しておきたい。音楽は生きるうえでなくてはならない呼吸のようなものだから。

posted by 平井 吉信 at 01:13| Comment(0) | 音楽

2024年06月24日

ただそこにある海と森が ただそこにある


無人の海岸性を進む。ときおりバイクが走り去ることはあっても、車とすれ違うことは少ない。
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たどり着いた渚は、人家のない沢を流れる水が波打ち際へと運ばれる。
(潮にまみれた身体を洗い流すこともできる)
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見上げると照葉樹の森。碧の集合体に包まれて夏でも涼しい
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本を読みながら視線を上げれば木陰ごしの波打ち際が地球の黎明から同じことを繰り返している
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渚を歩くのは海浜植物を見るため(実は探している植物がある)。
きょうは見つけられなかったが、植生を見て満足することができた。
波打ち際にも生えるヨウシュヤマゴボウ
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テリハノイバラが砂地を這う姿に見とれてしまった。自然界のかたちはなるようになっていく。あるがままのありようがしみてくる
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せせらぎ、潮騒、照葉樹の葉擦れの音。木漏れ日、波打ち際の白濁と波間の明滅の光。山も海も森もただそこにあって、そこにあることが山や海や森。
 
posted by 平井 吉信 at 23:06| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年06月22日

里山のあじさい、田んぼを吹き抜ける初夏の風と汽車


線路と汽車は幼い頃の近所の風景。どこまでも続く長い客車を引っ張っていく、あの鉄朗とメーテルの汽車を見送りながら人が手動で上げ下ろしする踏切。石炭の貯蔵小屋の傍らに咲いていたのはツユクサやイタドリ、そしてあじさい。

あじさいと鉄道は6月の季語。青々とした田んぼの海原を横切る線路は、廃線の怖れがあるJR四国の阿南以南の牟岐線。たまたま通りがかったときに汽車は通らなかったが、線路が青田の海を伸びていく
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クマバチが飛ぶ。
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まん丸に見えてタヌキのよう
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クマバチは1秒間に300回以上羽ばたくとされるが、俊敏な動きもあってカメラで捉えるのは難しい(1/1000秒で押したが羽根は止まらないし、本体も動きが速い。1/4000〜1/8000が必要か)
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列車が来るのは2時間に1本ぐらい
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あじさいよりも蔓が主人公
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桃、淡い紫、白が混じり合った色調が印象的。桃色真珠を載せた宝石台のごとく
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色彩が空気に沈み込む、沈着する、そこにたたずむというか
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紫陽花を見る(撮る)なら曇り、小雨、夕暮れの淡い光などが良いように思う
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ここは、田んぼのあぜに咲く紫陽花の風景。田園地帯を横切る線路に、夕刻になって1両だけの汽車が阿南方面へと向かっていった。
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タグ:あじさい
posted by 平井 吉信 at 01:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年06月19日

紫陽花と六月 1990年代のマーチを思い出す


もし、小型車を買うのなら、1990年代の2代目マーチ(K11型系)に乗りたいな。日本カー・オブ・ザ・イヤー(1992年)を皮切りに、欧州カー・オブ・ザ・イヤー(1993年)も受賞。

このマーチ/海外名マイクラは、ゴルフUを十年以上乗っていた(3代目ゴルフには魅力を感じなかった)ぼくが次に目を付けた車(色はライトグリニッシュシルバーパールメタリック。)。このときのマーチは、小型車なのに2000ccの車のような落ち着いた挙動(乗り心地)。ペダルやシートのポジションは最高で身体がすっと吸い込まれて何時間でも運転できそうな気がした(車好きが集まって議論を尽くして設計されたんだろうな)。デザインはケレン味がなく洗練されていて飽きが来ない。未だにこの2代目マーチに匹敵する小型車はないのではと思える。

対抗する車種があるとしたら、初代ヴィッツ/海外名ヤリス(いまのヤリスではない)ぐらいか。4人のおとなを快適に運ぶ最小限をかたちにしたミニマル・パッケージングとでも呼ぶべき、都市交通の高い理想を描いた車であった。

プリウスも初代のデザインがもっとも独創的で美しさを感じた(歴代のトヨタのなかでもその先進性や合理性が機能美として3D化された印象)が、その後のプリウスはマーケティング臭が漂う(デザインに興味のない人がかっこいいと感じる演出がなされた)。初代ヴィッツ、初代プリウス、オーパのような機能的にも美しいデザインは日本の一般ユーザーに受けないとトヨタは知っているのだろう。初代プリウスのコピーであった「21世紀に間に合いました」の機能美をここ数世代のプリウスには感じない。特にプリウスは事故が多発した印象があるので、人間工学的な視点からの安全性よりもデザイン的な操作性が優先された感がある。

高級感を演出しつつヒエラルキーを感じさせるあざとさ、ぼくが理想とする循環する人生ではなく、リニアな(一度踏み入れたら後戻りのできない直線を歩む)人生の象徴のようで肌に合わないとでもいうか、トヨタの車には一度も乗ったことがない。

マーチも21世紀になってコストダウンしか感じない思想のない車となったのはあの社長ゆえか。スバルやマツダには明確なコンセプトを感じるけれど、日産やホンダからは感じない。軽のメーカー、ダイハツやスズキにはお上の規格のなかでできうることをやるという姿勢に敬意を払っている。外国車は故障が多く、日本の気候に合わないようだし、部品や整備費なども高い。品質管理にも日本メーカーに一日の長があるように思う。

だから、いまのエンジン技術&駆動伝達系、衝突安全&回避性能を持ち、過度にディスプレイ操作に走らず、適切な物理ボタンなどの操作系を持つマーチができたらうれしい。

関係のない前振りが長くなってしまったけれど、6月ということで紫陽花が主題。まずは徳島市内から。紫陽花は観光地でなくて構わない。ひとつだけ条件をつけるとしたら、曇りの日に見る(撮影する)こと。光がやわらかく回って紫陽花の存在が浮かび上がるから。
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タグ:あじさい
posted by 平井 吉信 at 00:16| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年06月15日

なにごともなかった一日の夕暮れ 


それがよいこと。それでじゅうぶん
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posted by 平井 吉信 at 00:06| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年06月14日

梅酒とは、いのちの湧き出す泉 


梅酒、梅干しづくりを始めて20年余りになる。梅酒と梅干しは6月の風物詩ともいえるところが、2024年は梅の歴史的な不作。県内では神山町、旧美郷村が産地であるが、徳島新聞の記事では「梅の開花時期の2月中下旬に気温が乱高下した影響で受粉がうまくいかず、実がなりにくかったのが要因」とのことで、「収穫量が例年の1、2割程度にとどまる農家も」とのこと。農家によれば過去半世紀で例がないほどの不作で自家生産用にも事欠く状況とのこと。

美郷地区は梅酒の特区ともなっており、標高の高い生産地でもあるので生産者によっては農薬を使っていない。使っている生産者も安全安心が担保されている。いつもは生産者のお宅に伺って、収穫を終えて戻られる頃を見計らって直接わけていただくことが多かった。電話で伺ったところでは、どなたさまもお断りせざるを得ない状況であるとのこと。

梅の鮮度が香りと味の濃密さに影響していることがわかってしまうと、流通ものでは理想の状況にはならない(生産者が当日出荷している直売所などは例外である)。鮮度の高さは、水に浸して灰汁を取る時間を少なくするねらいがあって、採れたての芳香と相まって酸味が際立ち、雑味がなく透明感が高いのにいくらでも飲めそうな心地よさ。お金を出せば買えるだろうと思われるかもしれないが、やはり自家用と販売用では一粒一粒の手間のかけ方が違う。数万円の梅酒でもこれだけのことはできていないのではないか。誤解を怖れずに(誤解されても構わないが)、すべての飲み物のなかで自作の梅酒がもっともおいしいと思っている。

ぼくは酸味がとても好きで、もしかしてすべての味覚のなかでもっとも惹かれる。トマトやイチゴなども酸味が基本にあって、そこに甘味や旨味が後を付いてくる感じをよしとしている。後味まで濃厚なのに、いつのまにかさっと消えているはかなさ。誤解を怖れずに(誤解されても構わないが)、梅酒のない人生なんて考えられない。

6月になってから直売所を覗き込む。スーパーの地産地消コーナーも見てみるが、価格に驚いてしまう(今年は稀少なので理解はしているのだけれど)。そんなとき、前日に道の駅神山で見たという情報が寄せられた。次の日は日曜なので朝の開店に合わせて来店したところ、潤沢とまではいかないが、かなり並べられていた。数少ない生産量を出品していただけることに感謝しかない。

品種は鶯宿を3袋(約3kg)求めたが、価格は例年と同じぐらいであった。できれば価格はもう少し上げていただいたらと思うのだが。
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袋から出したところ。ありがたさにじんと来る。梅の程度は優秀である(ハネたのは2個のみである)。
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水に浸したところ。水の存在を透明にしているのは梅のつややかな光沢
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4リットル瓶を3つ漬け込んだ。これを1年寝かして1年かけて飲みきるつもり。
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地球温暖化の影響はじんわりとさまざまな影響が出てくるだろう。高齢化が進む生産者が梅の手入れや摘果ができなくなれば梅の木も元気ではいられない。温暖化と農業が直面する問題は食糧自給率が低い日本の最重要課題。ミサイルや戦闘機を増やすカネがあったら真剣に暮らしを考えよ! 消費が増える政策をただちに真剣に実行せよ!
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posted by 平井 吉信 at 23:32| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2024年06月12日

松田聖子「レモネードの夏」を5種類の音源で聞き比べる


前回に引き続いて名作「Pineapple」のなかから「レモネードの夏」を3種類のCDと2種類のリッピング機器で比較する。それらの音源は以下のとおり。

@「Touch Me,Seiko」(32DH792)1984年CD(BDR-XD05Rリッピング)
(同アルバムのアナログマスターサウンド盤もあるが、今回はCD比較のため除外)

A「Touch Me,Seiko」(32DH792)1984年発売CD(BXR-X13J-Xリッピング)

B「Pineapple」(CD選書)(BXR-X13J-Xリッピング)

C「Pineapple」(Blu-spec CD2)(BDR-XD05Rリッピング)

D「Pineapple(Blu-spec CD2)(BXR-X13J-Xリッピング)

BDR-XD05R…2014年3月発売のパイオニア製外付ポータブル型BD/CD/DVDライター
BXR-X13J-X…2023年11月発売のパイオニア製外付BDドライブ(最新型)

Touch Me,Seiko」は「マドラスチェックの恋人」(ほかのアルバムには収録されていない)が聴きたくて買ったのだが、シングルのB面集とは思えない佳曲揃い。商品番号32DH〜はソニーの最初期のCDの品番なのにいまも新品が手に入る(Blu-spec CD2化される前に買っておいたほうが良いと思うよ)。そのなかに「レモネードの夏」も入っていたので比較してみることにしたもの。それぞれにリッピングの音質の違いは以下のとおり。

@…古いCDだが、CD発売当初のもの。自然な再生だが、Aと比べると鮮度感が落ちる。ただし声の自然な感じがあって音楽には浸れる。リッピングに使用したポータブル型ゆえの制約と長所(電源ノイズが少ない?)が再生音に反映されている。

A…@と同じ音源をリッピング装置を変えたもの。抜け感、音の立ち上がりが良く鮮度が高いが、自然な再生。声は@よりやや若い感じでが背景から浮かび上がるが、背景の楽器もよく聞こえる。バックが声を盛り立てている感じが伝わる。

B…音量はもっとも小さい。低域の力感は少ない。ただし声の表情、微妙なニュアンスは小音量でもよく伝わる。音量を揃えるとさらに良い印象になると思われる。

C…音量がいきなり上がる。体感的には3dbは上がったかと思われ、うるさささえ覚える。声が間近に聞こえるが、バックは抜け感が後退する。声はもっとも太く再生されて聖子の魅力が伝わりにくい。

D…Cに比べて抜け感が俄然向上する。リッピングによってここまで違うのかと思わせてヴェールがとれた感じ。それでいて音の角が丸まらず、かつうるさくならず弾むので愉しく聴ける。相変わらず声は前面に出てくるが、奥行き感は出にくい。高い音圧ゆえのデメリットか。

結果は、それぞれ特徴があって好みにも左右されるだろうが、Instagram映えで代表されるようなぱっと見(ぱっと聴き)はBlu-spec CD2盤からのリッピングだが、音楽を聞きこんだ人、楽器を演奏する人、良質のオーディオ装置を持っている人なら拒否反応を示すかもしれない。Blu-spec CD2という優れたCDプレスの技術を採用しながら、音圧至上主義のマスタリングが足を引っ張って音楽に浸れない。言葉を選ばなければうるさいだけに聞こえてしまう。ソニーさん、マスターテープが劣化しないうちに、良いマスタリングを施して再発できないものだろうか? プレス技術としてのBlu-spec CD2は優れた仕様だと思うので。

意外にももっとも良かったのが初期CD盤で最新BDドライブからのリッピング。盤は二十年以上を経過しているが、光とホコリを遮って保管しているので信号面の拾い出し、実際の再生音に劣化は感じられない。初期CDにはデジタルに不慣れでマスタリングに難があるCDもあるといわれるが、本CD(32DH792)の帯を見ると、税抜2,920円、税込3,008円(消費税3%)と書かれている。消費税は10%まで上がったが、経団連は20%まで上げるよう提言しているという。余談だが、経団連の製品を個人的に不買運動を続けている。盤面に小さく記されたIFPI-L277という記載からCDのプレスは、ソニー・ミュージックエンタテインメント静岡工場でなされたものと推察。

CD選書からのリッピングは、やはり良好な結果。余裕のある鳴り方で声とバックの楽器の関係性はもっともよくわかる。声がもっとも楚々としているので小悪魔的な声の表情はもっとも伝わるかもしれない。IFPI-L274でこちらもソニー静岡工場でのプレス。CD選書のCDをお持ちの方は、通常とは逆向きの収納(信号面が上を向くように)にしないと、裏が透明のケースゆえ、光が当たって信号面が劣化するのでご注意を。

タグ:松田聖子
posted by 平井 吉信 at 00:18| Comment(0) | 音楽