2024年04月27日

円安が止まらない ならば自衛策を〜明治のカールは四国生まれ〜 そして政治を変えよ


2024年4月26日のNY外為では、158円台と34年ぶりの円安となって歯止めがかからない。今日ではすべての国の経済(通貨)は連動しているので、円安とは国や民間の資産が失われることを意味する。

あなたに100万円の貯金があったとして、相対的に目減りしているので金地金を買うにも、通貨(ドルなど)を買うにも、海外旅行をするにも不利である。逆に海外からは日本でモノを買って転売すれば儲かるということで、カメラなどは日本人の手に入らない品物(しかも海外展開の価格に合わせた国内の値付けとなっているので大幅に値上げ)となってしまった。製品の品質は低下して価格は上がってそのうえに入手難ときては三重苦である。

原油や食糧のほとんどを海外からの輸入に依存する日本では円安は原材料高、ひいては物価高につながり、大手は価格転嫁できても中小企業は価格に転嫁できず、しかも価格が上がることで消費(内需)が冷え込み、経済活動には良いことがない。実にアベノミクスやその後の自公政権によって円の価値は民主党政権時の2/3程度にまで落ちたことになる。

その一方で、企業献金やパーティ券、その一部を我が物として課税されない?という不思議さ。庶民の苦しみを見ぬふりして、万博などでは大判振る舞い(維新利権)。実の所得の半分近くが税金などに持って行かれながら、インボイスなどの手間と重税感、物価高による可処分所得の減少は輪を掛けている。はっきり言って、こんな国で子育てなどやらないほうが良い。国民一人ひとりが幸福感を覚える政治は誰にとっても良い国となる。そうなるような政治のしくみについて何度も述べている。

4月になって買い物するたび、また上がった、また小さくなったの発見ばかりであるが、ため息ばかりの昨今で、庶民の防衛策として安い食品を探していかなければと。

そのひとつが、明治のカール。あのどぼけたような民謡調のCMでおなじみの国民的な菓子だけど、東日本ではすでに入手ができないことを知っていましたか?

遠足のおやつの定番といえば、バナナ、サクマ式ドロップス(2023年に販売終了)、グリコのキャラメル、森永のチョコボール、明治のハイレモンやチェルシーだったが、2024年3月にチェルシーが販売終了となった。チェルシーを食べたのは思い出せないほど昔のことたが、ヨーグルト味は鮮明に覚えている。スーパーやドラッグストアを回るたびに菓子コーナーを見回ったが、ついに最後のチェルシーは入手できなかった(チェルシーを見ると「大草原の小さな家」のメリッサ・ギルバートを思い出す)。


カールが東日本で入手できない理由を探っていくと、意外な事実が見えてきた。
(この続きは有料プランで…などとしないのが本ブログの良いところ=自画自賛)


全盛期にはさまざまな味が発売されたが、現在は、うす味とチーズ味のみ。それも西日本のみという。ここからは想像だけれど、明治のカールは物価の優等生で、1968年の販売当初から価格がそれほど上がっていない。安い袋菓子なので、体積あたり(個数あたり)の輸送コストは割高となる。
スーパーやコンビニの棚は面積効率が求められるので、ほかの商品に流通で訴求負けしてしまうのだろう。

それではどこでつくっているのかというと、四国なのですよ。
四国明治株式会社松山工場 https://shikoku.meiji.co.jp/index.html
(お城下からは、郊外電車(高浜線)に乗り換えて三津駅の近くだね)

カールはノンフライ製法で、トウモロコシの破片に圧力をかけて膨らませたものに味付けをしている。油を使わないのは販売当初からとのこと。歯にひっつくのを嫌がる人はいるけれど、飲み物を飲むか、口のなかで溶けていくので問題はない。
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久しぶりのカールは定番の「うす味」を買った。
味は記憶にあるとおりで、いまさら感想を述べるまでもないけれど、今朝は朝食(シリアル)代わりにトマトとコーヒーを添えていただいた。
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そうだったのだ。明治のカールは、松山の工場がつくっていたのだ。四国の人はいまでも製造したてのぱりっとしたカールをどこでも入手できる(通販では売っていないので、東京の人が大阪出張の知人にみやげとして指名するのだとか。大阪の駅の売店も心得ていてどこでもカールを入手できる。

四国の方は販売店の検索もできる
https://map.meiji.co.jp/?product=08753

松山市限定のデザインがあるという。
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/citybrand/carlpackage.html


物価高に負けず、カールを応援することは四国人の使命(かどうかはしらないけれど)。

最後にひとこと。円安をとめてくれ。消費税とインボイスをやめてくれ。法人税を上げてくれ。

posted by 平井 吉信 at 12:04| Comment(0) | くらしとともにあるモノ

2024年04月24日

イチゴの誘惑(「ポートレート」竹内まりや より)


去年に比べたらイチゴも値上がりしたなと思うけれど、生産者の手取りが増えているわけではないだろう。これも物価高騰、円安の影響である。いや、愉しい話にしよう。
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イチゴをかじりながら、イチゴの菓子を食べながら、好きなお茶、コーヒー、ワインを飲みながら、いちごにゆかりの心弾む音楽は、竹内まりやの「イチゴの誘惑」。1981年発売のアルバム「ポートレート」のB面の2曲目に収録されている。同アルバムからシングルカットもされた。

ぼくは知らなかったけど、この半年後に山下達郎と結婚することになるんだね。このアルバムは、竹内まりやのなかでぼくがもっとも好きなもの。ちょっと聴きに印象的な曲は置かず、粒立ちのある佳曲を揃えている。特にアナログB面(デジタル7曲目以降)は心の思い出が音楽に溶暗していく感じがして、匿名の切なさが押し寄せる。
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手持ちのアナログは初出盤(1981年10月21日発売)、CDは40周年盤(2019年発売)を持っている。40周年盤は、リマスタリングとともにライブ音源が6曲追加されている。アナログに負けない聴き心地の良さ、木綿のようなしなやかさな弾力感とキラキラ感が同居している。

初期の彼女はコマーシャルの色調を帯びたキャンパスアイドルの感じもある。それでも「September」のような名曲は聴く度に佳い曲と思う。

「イチゴの誘惑」は、前奏から波に乗せられて軽やかに声が滑り込んでくる。60年代のポップスのような雰囲気を漂わせながら、大貫妙子やEPOのバックコーラスも愉しい。良質のポップスはさりげなく心のひだを探り当てて打ち震える。だから何度も聴きたくなる、一度聴くと繰り返しボタンを押してしまう(レコードではそうはいかないけれど)。松本隆(詩)、林哲司(曲・編曲)。玄人にもそうでない人にも受ける職人の作品(賛辞です)。

アルバム中もっとも好きなのは「ウェイトレス」。「ほほえみにー みとれてたーら」。日本語の伸ばす音の声の艶と少し鼻にかかった竹内まりやの魅力が脳内の増幅装置でふくらんでいく。楽曲の世界は、古き良きアメリカがときおりリバプールの風を感じながら日本の留学生を通してこだまするよう。竹内まりや(詩)、山下達郎(曲。編曲)。ああ、そうなのか。深い詠嘆とともに納得。


最後の曲「 ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~」が終わると、またA面から聞き返したくなるぐらい好き。アルバム全体を通して、竹内まりやが自分がやりたかったことをやり尽くしている。80年代を21世紀の色眼鏡でみる「シティポップス」風ではなく、打ち込みでもなく、フォーク・ロック調とポップスが融合した自然体で、彼女の声にもっとも合っている。後年の人生を噛みしめる歌やシティポップスとしてもてはやされている「プラスティック・ラブ」などよりも聴くことが断然多い。そしてそれは1981年冬に巻き戻す魔法の再生ボタン。


追記

ところで、イチゴのお菓子なら、中徳島町のhowattoさんが4月中に特集をやるとのことで。
https://howatto.jp/
タグ:竹内まりや
posted by 平井 吉信 at 22:01| Comment(0) | 音楽

寝そべって眺める アツバスミレの芽吹く砂浜(有明浜/観音寺市)


スミレ(Viola mandshurica)の海岸型には、アナマスミレとアツバスミレがある。アナマスミレは礼文島で発見され、その地区の地名が和名になっている。日本海側にしか自生せず、それも砂浜がほとんど。その点ではイソスミレの生息と似ているが、まだどちらも見たことがない。

太平洋岸(主として西日本)に生えるアツバスミレは、砂浜に生えることは少ないように思う。四国東南部でもぼくが知る限り、波打ち際の生息地は一箇所のみで、海岸近くの道路の隙間などで見つかることがほとんど。

そんなアツバスミレが香川県観音寺市の有明浜では砂浜に咲く個体があることを知った。
有明浜といえば、背後の琴弾山から見下ろす銭形砂絵の景観を見たことがあるが、銭形や有明浜を間近に見たことはない。観音寺市のWebサイトには海浜植物の宝庫とある。
https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/30/614.html

紫雲出山、父母ヶ浜、有明浜/銭形は一日で回ることができるかもしれないが、それでは慌ただしい。かといってアツバスミレを見るためだけに有明浜を訪れる人は少ないと思うけれど。
行ってみよう。

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はやる気持ちを抑えてまずは琴弾山へ上がる。車で上がる場合は一方通行なので気を付けて。
ご存知、砂に書いた「寛永通宝」。上から見ることはあっても、どの程度の規模なのか、どんな造形なのかなど気にはなっていた。
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琴弾公園周辺は桜の名所でもある。西讃は徳島東部より桜がやや遅いようだ。満開をやや過ぎたところ
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「銭形砂絵」に近づいてみると俯瞰のごとくは見えない。形態を保つため銭形は立ち入り禁止区域となっているが、春と秋の2回、かたちを調えるためボランティアが砂ざらえを行うとある。
https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/21/333.html
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間近で見ると大きさが実感できる(寛永通宝の文字は土手に遮られて見えない)
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まずは適当に海側へ進んで有明浜へ出る。南端は人が多い。
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北端へ近づくと静かな渚。憩う人もいる。良い休日の過ごし方。
波打ち際から離れて堤防に近づくと、海浜植物帯が繁茂している。
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ハマダイコンの群落
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コウボウムギ
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渚と並行してキャンプ場がある
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有明浜の海浜生態系の豊かさを示す看板。植物を持ち帰らないのは当たり前
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有明浜の北端で渚は狭くなる。眼前にそびえる岩稜は、有明富士とも呼ばれる江甫草(つくも)山(153.1メートル)。
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数時間をかけて長さ2kmの有明浜とその周辺の海浜生態系を隈なく歩いたところ、アツバスミレを見つけることができた。
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雨の少ない瀬戸内海の夏は灼熱の砂浜に根を置いたまま、植物は逃げることはできず耐えるしかない。表層土や腐葉土がない砂だけの地面という過酷な貧栄養の条件(実際に調べてみないとミネラルやら松の葉などが影響しているかもしれない)。冬は北西に面したこの場所は山陰を抜けて瀬戸内を吹く季節風が痛い。そして水温み桜咲く頃、砂の上に顔を出して開花の春を迎える。そんなアツバスミレを地面に這いつくばって眺めているだけで幸福感を覚える(小さな若い芽にご注意)。

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こんな場所は西日本でもそうはない。末永く有明浜周辺の生態系が保全されることを願う。


タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 00:13| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年04月23日

平安から平成まで 金磯弁財天(聖地)をめぐる人々の営み


金磯弁財天は、横須海岸の東端にある丘で周辺には小島があり、風光明媚な場所である。かつての観光地も海水浴場の閉鎖後は小松島市の場末にあって来訪者で賑わう場所ではなさそうだが、果たしてどうなっているのか?

まずは歴史をたどってみる。平安時代や鎌倉時代には、遠浅の海に浮かぶいくつかの小島であった金磯弁財天周辺は、勝浦川の三角州もしくは勝浦川の流路が運ぶ土砂が堆積する湾内の地形で、そこに隆起した島(金磯弁財天がある丘)と周囲の小島から独特の景観をなす。

この場所は以下の記述のように空海にゆかりがある。

平安時代前期の延暦年間(782年 - 806年)に恩山寺で修行を行っていた空海(弘法大師)が東の方の島に龍燈を見つけた。そこで船を借り、その島に上陸した。すると芳しい梅の香りと共に、美しい音楽が流れ、迦陵頻伽が飛び交っていた。そこに美しい姿をした女神が座っていた。空海は女神と一晩、法話を交わした。夜が明け始める頃、女神は「私はこの海上を守護する弁財天である。」と言った。そして夜が明けると共に白龍となって海中に帰って行った。その後、空海はこの丘に弁財天を祀った。

(出典:ウィキペディア(金磯弁財天)
 
迦陵頻伽(かりょうびんが)とは、極楽浄土に存在し鳥の羽が生えた女人のようで妙なる声を持つとされる。迦陵頻伽を描く画家の空想の賜というか想像力(創造力)で魅惑的に描かれている。
(金磯弁財天は、空海ファンの聖地である)

さらに時代が下って鎌倉時代の手前で平家一門を追って源義経が上陸した地点とされた。
(金磯弁財天は、義経ファンの聖地である)

江戸末期には黒船来航に備えて地元の有力農家の多田家が海を見下ろす丘の上に鉋台を築いて徳島藩に寄贈した由来がある。多田家は、浅い海だった遠浅の海を干拓して農地に変えて今日の陸地となっている(一部は南海地震で海に沈んだとされる)。

大正から昭和にかけては、汽船に乗って横須松原に海水浴や避暑にやってきた京阪神のモボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)たちが訪れるリゾートであった。金磯弁財天は、横須松原の景観に趣を添えていたことだろう(湘南でいう江ノ島のような存在か)。
(金磯弁財天は、昭和モダンの聖地である)

さらに、大阪府堺市と小松島横須海岸を結ぶ民間初の定期航路があったという情報がある。
この情報にはついては、小松島市在住の澤内健司さんが情報を収集、発信しておられるので以下のWebサイトを参照ください。
https://imagineclub20151215.jimdofree.com/

航路を開いたのは金磯町出身(当時は勝浦郡新田村)の幾原知重さんで、上記Webサイトではその活躍を顕彰し後世に伝えようとされている。Webコンテンツの写真を見ると、確かに横須海岸のようで、機体は水陸両用機である。
(金磯弁財天は、飛行機マニアの聖地である)

しかし1974年には横須海水浴場は閉鎖された。その理由として、高度経済成長に伴う水質悪化、正木ダム完成後の勝浦川から土砂の供給の減少、さらに昭和40年代のコンクリート需要を賄うため海砂の採取が行われて遠浅でなくなったこと、海藻が繁茂したことなど複合的な要因ではないかと考える。
(ぼくが子どもの頃はまだ遠浅でどこまでも沖へ行ける気がしたし、海の家で飴湯を飲むなど海水浴は愉しみであった)

平成になって、横須松原の松の枯死が目立つようになり、その復元に取り組んでいるのが小松島高校で、当時の泉正夫先生が意見交換のため、うちにお見えになられたことがあった(ぼくはその頃、勝浦川上流で植林イベントや里山の啓発「棚田の学校」などを手がける民間組織の事務局長をしていた。泉先生による地域の歴史についての郷土書が出たら購入したい)。

https://komatsushima-hs.tokushima-ec.ed.jp/a885641639793588279fe4afd15bdb56/f497ec3aa53735b57ff227ba034c8879


さて、現在はどうかということで、金磯弁財天を訪れてみた。薄曇りの週末であったが、思いのほか来訪者が多く、それも家族連れや友だちと来る地元の子どもが多い印象。そして神社に参拝する人がちらほらと。

横須海岸の東端にある岩と樹木が茂る丘の上(国土地理院に表記はないが、弁天山と通称されているようである)には展望台と社がある。
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振り返って横須海岸全体を見渡す。かつてモボ・モガが遊んだ砂浜も痩せている。かつては水際がもっと遠かったはず。海岸沿いの遊歩道は散策には好適。
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砂浜には海浜性の植物、コウボウムギが自生する
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ふもとには、広い境内とアコウの大木、その奧に寺社がある。神社なのか寺なのかはぼくにはわからないが、ご祭神は弁財天で、四国巡礼第18番札所の恩山寺で納経を行っているとのことである。境内には、阿波狸合戦の当事者である金長の影に隠れて目立たないが、祐七というタヌキが祀られている。

路傍のイモカタバミは曇り空の午後の光に咲いている
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弁天山の入口には海へ向かう小径をたどると、岩をくぐり抜けて海辺へ出られる
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岩をくぐる手前でタンポポの巨大な株
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境内はよく手入れされている
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境内の東にあるアコウの巨木(天然記念物)
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金磯弁財天の由来を記した碑文
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兵隊の石像。兵隊地蔵と呼ばれるものなら戦没者を悼んで戦時中もしくは戦後に置かれたもののはずだが、設置の由来はわからない
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弁天山と海辺に向かう小径。少年の日の遊び場のような雰囲気を醸し出して心が弾む
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境内を出たところで弁天山の反対側にある渚へ抜けるトンネル(洞窟)がある、金網が張られて通行禁止となっている

お堂の周辺には桜が植えられているほか、四季折々に樹木の花が雰囲気を添える。サツキがツヅジかはおしべば見えないのでわからない
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年期の入った石の灯籠
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小さな祠には温州ミカンが備えられている。みかんには顔のペイント
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子どもたちとすれ違い、あいさつをもらったのでお返し。駆け抜けていく途中でひとりの男の子が振り返る。映画のような場面
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砲台跡の説明
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弁天山の沖合にある小島。特に左側が変わったかたちをしている。義経が上陸のために集結したのはこの小島群だったとされる
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小島を見るための休憩所があり、この日も数人が休んでいた。ここから弁天山の山頂へ上がる散策路の草むらに色鮮やかなタチツボスミレを見かけた
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橋を渡るのは観光地だった頃の演出かどうかわからないが、趣がある
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坂の途中で海と小島が見える。水深は浅いがチヌが釣れそう
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由来の確認できない石像が数多くある。民間信仰のようだ
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山頂にも石の鳥居がある。文字は読めない
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これも民間信仰では
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この石像も戦争の哀悼のための兵隊地蔵なのか? それとも弁財天に由来する海洋信仰、例えば海の安全を祈願するなどの願いが込められているのか?
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岡本太郎が見たら「なんだ、これは」と喜びそうだ。縄文土器の造形にも似ているような
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「みかんに顔があってもいいじゃないか」。21世紀の太陽の塔じゃないか
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山頂から尾根伝いに行く小径があり、海辺に下りられるようだ(通行止めの洞穴の出口があるあたりか?)
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急な石段を慎重に下りていくと、境内を出たところの小径に戻る
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金磯弁財天のお堂の彫刻を見る
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小松島市には、小神子と大神子の間に横たわる越ヶ浜、小松島港を出たところに「通り魔」と呼ばれる海崖、そして金磯弁財天と不思議な場所があるものだ。駐車場は現地にそれらしき空き地があって全体で7〜8台は停められるかもしれない(といっても満車になることはないだろうけど)。
タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 00:37| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年04月20日

2024年の紫雲出山の桜を見られなかったとしても


紫雲出山が日本を代表する桜の名所になったのも頷ける。瀬戸内海を望む丘(紫雲出山の標高は352メートル)から斜面に生えている桜を上から見下ろすかたちで桜に囲まれて多島海が浮かぶという構図、それも夕景が通向きということで人気となったもの。さらに桜を見おさめて12km南方にある父母ヶ浜へ行くと、あの影絵のような光景を愉しめる(自分が主人公になることも)。

少し前のブログで「4月の第2週に紫雲出山の見られた人は幸せだっただろう」などと書いたが、2024年3月26日(火)に発生した落石事故のため車道も四国のみち(徒歩)も通行できなかったことを知った。
https://www.mitoyo-kanko.com/mt-shiude/

そこで2018年に撮影してブログに掲載した記事のリンクを以下にご紹介するとともに、この投稿では蔵出しの未発表写真を掲載してみよう。このときは車で上がらず、下から歩いて上がったもの(駐車場の台数が限られているので)。

海が見える丘から桜が見える場所があったなら それは荘内半島の紫雲出山(合言葉は「352の270」)http://soratoumi2.sblo.jp/article/182863964.html

紫雲出山 桜の絨毯ごしに見る瀬戸内海 碧く淡く横たわる色彩の海
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182864000.html

父母が浜(ちちぶがはま) 讃岐のウユニ塩湖は大潮の夕暮れに現れる
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182864268.html

登り始めは海が樹間に見える景色 でもこれだけでも何かが感じられる
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やがて桜ごしに海が見えるようになる
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陽光に祝福される桜を見る人も桜の幸福感が伝播する
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主人公は桜であっても 見ている人も同じ景色のなかで桜をときめかせる
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やがて瀬戸内海の夕暮れを迎えて空気が少しずつ変わっていく 朱桃色に空が色づき、海に色を投影しはじめる
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父母ヶ浜へ向かう途中で似たような湾がある
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2025年の桜を愉しみに1年熟成させてみては?
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posted by 平井 吉信 at 14:22| Comment(0) | 山、川、海、山野草

春を告げるルリハコベ 碧い宝石箱からこぼれた(室戸岬)


暖かい海辺に自生するサクラソウ科のルリハコベは、太平洋に突き出した海岸に群生する。ここは室戸岬、碧い宝石箱からこぼれた小さき散開星団を低い目線で見つめるひととき。南風を一足はやく浴びてみたい気持ちも岬行きを後押しする3月下旬。でも、岬を訪れるほとんどの人はこの花に目をとめることはないのだけれど。

岬が近づくと、適当に車を停めて岬を遠く近く望む。それが淡く青くかすむのが春。海の青も空の青もおだやかに境界をぼかす
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室戸岬は海岸線を歩ける(遊歩道)のが美点。そこにはアコウやクワズイモ、亜熱帯の植物が自生し、一年中黒潮がぶつかる渚は植物の営みが絶えることがない。
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潮騒に包まれ潮風を感じながら樹木のトンネルをくぐり抜ける。それだけで心がひろびろと開かれ、鎮められるようだ
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群生するハマダイコン
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多肉植物のキンチョウ
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岬ではよく見かけるイワタイゲキ
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→ 名勝室戸岬、天然記念物室戸岬亜熱帯性樹林および海岸植物群落保存活用計画
https://www.city.muroto.kochi.jp/pages/page0606.php

ルリハコベは限られた場所にまとまって群生する さっそく小さき宝石を見つけた
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カタバミと比べるとルリハコベの花弁の小ささがわかる
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ジオパークと海岸性植物が点在する渚は室戸岬の自然な散策路を形成する
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なごり惜しいが、岬を離れて山へ上がる。続いて最御崎寺へやってきた。
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境内にあるクワズイモはみごとな群落
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コスミレを見つけた。路傍のスミレ類に気付く頃にはあなたもスミレ博士?
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岬を見下ろす高台に咲いていたのはツヤスミレ。タチツボスミレと連続的といわれるけれど、容易に区別できる
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最御崎寺からさらに歩くと室戸岬灯台=恋人の聖地。
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西暦792年、空と海が出会う陸の果てで19歳の空海が虚空蔵菩薩に祈りを捧げ、明けの明星が飛び込んできた。
2024年春、空海はいまもぼくの心に存在して―四国の「空と海」のブログ。



posted by 平井 吉信 at 01:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年04月15日

芽出しと開花が遅れていた2024年春 オキナグサもいつもの場所で伸びやかに


3月に来たときはほとんど見かけず、環境圧や人為的な影響で消滅しかかっているのではないかと思えた県南部のオキナグサの自生地を訪れてみた。
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早く咲いた花弁は上を向き始め、やがて白髪の老人のようになる
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群生している個体の伸びやかさを見て安心。
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植物がうれしいとぼくもうれしい。


posted by 平井 吉信 at 23:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

国営讃岐まんのう公園 チューリップとネモフィラに彩られる丘を駈け上がれば、空に向かう四月の休日


四国の自然公園で、北川村「モネの庭」マルモッタン、高知県立牧野植物園、牧野公園(佐川町)、四国山岳植物園岳人の森などを紹介してきたが、香川にはまんのう公園がある。しかも四国にはひとつだけの国営公園。都市公園法に基づいて設置されるもので、満濃池の北岸とも接する350ヘクタールの広大な敷地を持つ。ここに国営公園が置かれたのはほかでもない、空海が造営した満濃池に由来するもので、四国霊場とともに後世にに残る、ないしは後世に発展的に派生した空海資産(ソフト)と呼ぶべきもの。

そしていまの季節、人々の関心は、まずは桜に代表される春の花。まんのう公園からさほど遠くない荘内半島にある桜の名所「紫雲出山(しうでやま)に4月の第2週に行けた人は、叫びたくなるような至福のひとときを味わったのではないか(入山には整理券が必要)。

桜に負けないまんのう公園の演出は、チューリップとネモフィラの色が織りなす絵巻物、色彩幻想の世界。ネモフィラについては、国営ひたち海浜公園に530万本の株が絨毯を敷き詰めた丘となって景観をひとつにするという(見たことはないが)。それに比べると、まんのう公園のネモフィラの規模は大きくないが、そこはチューリップと組み合わせて、池や小川、滝といった水辺を配して、丘と歩道でつなぐ設計で訴求する。

能書き不要、早く見せろというご意見が33%あるようですので、説明なしにどうぞ。人が多すぎてどこにレンズを向けても人が写るので、場合によってはお顔をぼかすなどの処理は施しつつ。
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これだけ写真を披露しても、この公園の魅力は1/20も伝えていない。確かにネモフィラはわかりやすいが、自然生態園や満濃池北岸を高いウッドデッキから周遊する林間の小径が愉しい。好きな人にはタンデム自転車で広い園内を回る方法などもある。麦わら帽子を被って別荘に来たつもりで風に吹かれるもよし、虫取り編みを持った少年に戻って林間を駆け抜けるのもよし(本気で歩けば10数kmは歩けるよ)。

広い駐車場に停めて入場するのもわずか数十秒というところで混まないのが四国の公園。広大な公園であっても身体的に多少不自由があっても気にしなくていい。公園を愛するスタッフやボランティアが運営と維持を行っているのは、モネの庭や牧野植物園も同じ。どこも近ければ年間パスポートで行くのだが。

国営讃岐まんのう公園
https://sanukimannopark.jp/

posted by 平井 吉信 at 22:39| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年04月12日

自然と人が織りなす庭園の物語 らんまんで賑わう高知県立牧野植物園はさらなる未来へと


「らんまん」の放送が終了して半年が経過したが、高知県立牧野植物園の入場者数は過去最高となる40万人を越えたとのこと。「らんまん」終了後は気が抜けてしまった人も少なくないと思われ、放送後も来場者が増え続けるのは異例のことではないか。

牧野植物園は、高知市南部の浦戸湾を望む五台山にあり、高知道の高知I.Cからそのまま高知南国道路(高規格道路の無料区間)を直進して高知南I.Cで下りれば、ほとんど直通で到達するというアクセスの良さがある。高知南国道路は、市街地を経ることなく高速道路や空港と結ぶアクセス道であるが、全線が高架となっている。昭和21年の南海地震で数十センチの地盤沈下が起こった高知市中心市街地を考慮すると防災上の意義も大きい。桂浜(高知南I.Cから15分)や植物園へのアクセス改善が主目的ではなかったとしても高知県行政(尾崎知事)の優れた見識を見る。

とはいえ、高知市中心市街地には、はりまや橋から帯筋を通ってひろめ市場、日曜市、高知城へと続くエリアがあるので、観光客は下道も通ることになるだろう。

牧野富太郎の生家がある佐川町の牧野公園は、バイカオウレンの時期によく立ち寄っていたが、高知市の高知県立牧野植物園には行ったことがなかった。牧野図鑑を所有しながら牧野植物園に行ったことがない、などと後ろ指をさされたくなくて(?)。行くしかないでしょう。

ときは桜の季節にやや早め。バイカオウレンには遅め(実際に花は終わっていた)の3月。予備知識を持たず行ってみようと五台山を登って車を停めた。
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入口は簡素な感じで、何度か通路を曲がりながらようやく正門に達する。ここで入場券を買うのだが、そこにたどり着くまでがビオトープ生態系となっていて、ここですでに足を止めてしまった。
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花の咲く時期が早春のコスミレ
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正門にたどり着くまでに曲がり角をたどるたびに新たな光景(生態系)が見えてくる
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セントウソウ。花が咲いていれば「咲いています」の表示あり
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サカワサイシンだよ 発見者はもちろん牧野さん
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(ここまでまだ入場していないんだよ)
ようやく正門から入る

館内の見取り図。この植物園の地下を五台山トンネルと新五台山トンネルが抜けているとは不思議
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長い回廊にはエビネやジョウロウホトトギスなどが
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回廊の途中には「ふむふむ広場」という植物の匂いを嗅ぐテラスがあり
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本館と回廊、ふむふむ広場、さくら・つつじ園、こんこん山広場、交流センター、温室、庭園へのすべての路はここからという場所に案内看板がある
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展示館の前には池の庭がある
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ジンチョウゲ
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シデコブシ
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サンシュユ
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トサミズキ
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北端は丘陵地で、サクラやツツジが植えられている
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桜に似ているアーモンドの花
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ここから谷筋を下ればユキワリイチゲやカタクリの場所
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セリバオウレンだったかな
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こんこん山広場は、園内でもっとも標高が高い(五台山山頂131メートルがある)
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交流センターへの道程で、眼下に庭園とその彼方に温室を望む
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交流センターへ戻る路傍でスミレ(Viola mandshurica)。これは展示植物ではないけれど、大切にされているように感じる。ここのは本種の典型のような濃い赤紫、赤ワイン色の花弁
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庭園へ下りると湿地が点在する
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サクラソウが小川に沿って点在
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バイモ
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オオミスミソウやオドリコソウ
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オキナグサ 
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春の妖精といわれる植物の開花
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庭園の中心には牧野博士
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窪地の東側の丘へ登る途中で蛇紋岩や石灰岩由来の植物のエリアがある
ホソバコバイモ
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トサコバイモ
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谷筋にはユキワリイチゲ この地区はほんのりと紫がかる花弁
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谷筋をたどる小径はそのまま遍路道となっている。野趣が混在するところがおもしろい
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そこから東の丘に登れば牧野少年が待っている
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交流館の3階には、おみやげの販売とレストラン。このレストランはかなりの人気
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ところで、広い園内を隈なく歩いていたら温室(ヒスイカズラが見たかったな)までたどり着けず、公開時間が終了となってしまった。それはまた次回の宿題として。
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牧野植物園は、五台山山頂と谷筋、いくつかの尾根(丘)を活用した自然度の高い公園、庭園であった。近年のにぎわいは「らんまん」が後押ししたのは間違いないが、高知県の在来種や希少種、園芸種や熱帯植物を混ぜつつ、学芸と娯楽、自然と人工、専門性と汎用性が同居していて、コンテンツとしての高い完成度で満足のいくものであった。高知県には北川村「モネの庭」マルモッタンもあるが、それらの理念や運営の志は、利権にまみれた21世紀の大阪万博などとは比べようもなく、これからもずっと光り輝くはずである。






posted by 平井 吉信 at 23:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年04月11日

ヴィオラの成長物語とそこから派生するムダな雑談のあとで、スミレのクナイプ


ご容赦ください。スミレの話題ばかりじゃないかって。
でも、短時間に花期は過ぎていく。そしてそれが来年も眺められるとは限らないもの。すべての生物は自分以外の生物と一期一会と思って生きていく。それが自然体のような気がする。ただ、見たいんです。

それでこのヴィオラの花。これは近所の直売所で50円で買ってきた苗。売られているポットで、もっとも小さくて、元気がなさそうで、(ぼくが買わなければ)誰も買わなさそうな苗を選んだ。あとは可能性にかけるだけ。
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かけるといっても、賭け事は好きでないし、やらないことは徹底している。アインシュタインは「神はサイコロを降らない」と言った(量子力学、特に不確定性原理を批判したもの)。自分の意志や意識が及ばないことは偉大なことか、つまらないことかのいずれか。

世の中で大流行したものにも興味なし。ドラゴンボールも鬼滅の刃もハリーポッターも見たことないので話題に入れない(主人公の名前もあらすじも知らない)。

ギャンブルをやらないとは、任天堂やソニーなどから発売されたテレビゲーム、パチンコ、競馬競輪競艇などの公営ギャンブル、麻雀、ポーカー、縁日の標的に至るまですべて。賭け事でないけれどゴルフもやらない。サラリーマン時代にゴルフコンペがあって何度か誘われたが、道具は持っていないし、同僚たちは出世や接待の道具でやりたくもないのにやっているのが透けて見えて興ざめ。

大画面のテレビもなしで、未だに15インチのブラウン管(ソニートリニトロン=1980年代製)を使っている。キャリアが停波しなければいまでもPHSを使っていると思う(PHSで不便を感じない)。スマートフォンはやむなく1万円で中古を購入したが、電話機としては使っていない。電話機で使わないとすれば、使い途がわからないので数年放置していた。この頃、使い途を発見したのは、天気予報のソフトウェアをインストールして、それを見るようになったこと(ウェザーニュース)。あとは、QRコードの読み取り機能が付いていなかったので、レンズという名称のソフトウェアを入れたら読めるようになった。URLを読み込んだらパソコンに転送してPCの広い画面で閲覧する。ただし機種が古いせいか、クリックしてソフトが立ち上がるまで5秒以上かかる。2〜3万円の高価なスマートフォンなら処理能力は上がるのだろうが、処理速度についてはCPUやGPUの性能差(=消費電力差)があるのでパソコンには及ばない。

スマートフォンで見たいものはなし、やりたいことはなし。この小さな画面で、入力装置がなく(物理キーボード)、表示が遅く、データの保存性に劣り、数時間おきに充電が必要という不便な端末であなたは何をしているの?と尋ねたくなるほど。SNSをやらないのも同じ。「いいね」ほどつまらないものはないと思っているので。レスポンシブといえば聞こえが良いが、スマートフォンの普及はWebのインターフェイスや閲覧性を阻害してしまったね(PCではレスポンシブデザインは使いづらい)。

そんなわけで何にオチを持ってくるかいうと、大谷翔平選手はおそらくギャンブルにまったく興味がないだろうということ。だって野球という(彼にとっては)最高におもしろい存在があるのに(興味のない人間にとってギャンブルをやりなさいといわれるのは拷問)、野球の練習時間を割いてギャンブルを行うことはありえない。善意で建て替えなどもしない。彼はモノサシをはっきりと持って生きている。お金の問題じゃない。ただそこにお世話になったという感情が絡むけど、潔白が証明されるのは時間の問題だと思う。水原さん、賭け事じゃなく、自分の人生、つまり可能性にかけてみればよかったのに(いつも翻訳を聞いていて良いニュアンス訳だと思っていた)。

ぼくもやりたいこと、知りたいこと、取り組みたいことがあるので、寝る時間や食べる時間を削って生きている。仕事も複数の仕事をこなし、家事のほとんどは分担して(合理的な方法を考えるのが愉しい)やっているので、夜中の2時や3時に炊飯していることもしょっちゅうある。買い出しは、外出する機会の多いぼくの役割で、それぞれのスーパーの特徴や買い得、価格も把握している。同一チェーン、例えば、コスモスやハローズで、同一地域の同一日で店ごとに同じ品物の価格が異なる場合があることは知っていますか? ここ数か月(あるいは数日の)の生活用品の値上げについては岸田首相はわかるはずもないだろう。POS端末の設定は本部集中管理で行うので、これらは消費者行動のエリアマーケティングであり、属性に基づく仮説の検証を行っている(AI援用による機会学習)。

そんなわけで、最初の段落のオチとしては、庭のヴィオラ(あの貧弱な苗だったヴィオラ)がたくましくも凜々しく咲き誇っている姿に感動したということ。
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ハナニラとヴィオラの間にはニオイスミレ(花が終わって葉だけになっている)がある
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スミレ(バイオレット)の香りのクナイプ(バスソルト スミレの香り)が季節限定で発売され、それを入手して一日を振り返るひとときが愛しいということ。合成ではなくニオイスミレの花エキスが使われており、歴代のクナイプの香りではもっとも良いかも。甘やかでほのかであって消えていくようで。
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この2行を書くために、ムダな多数の文字を消費する行為こそ、ギャンブルに匹敵するムダな行動。でもそのムダが良いんだという点では同じ穴のムジナ。



タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:43| Comment(0) | 生きる