2024年03月31日

夜に光る雲 東から西へ移動していった


2024年3月29日の夜更けのこと。
黄砂が飛来しているそのピークの夜、深夜の東の空に青白く光る雲を見た。
写真に写すと実物より明るく写ると思われるだろうが、実際に見た目どおりの明るさである。空を見ようとしなくても気付く異常な明るさであった。

23時5分25秒
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23時6分22秒
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23時7分9秒
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(時計はカメラ内蔵時計の記録ゆえ正確とは限らないが、相対的な時間差は正しい。縮小のみで画像補正なし。フジX-T5+XF23mmF1.4 R)

下から照らされている部分が光っているのだろうか?
けれど光っている部分は移動している。それも比較的短時間で。

そもそもどのぐらいの高度なのか、昼間なら雲の種類がわかり、それによって高度が推定できるが(層積雲のような低い雲と推察)。この雲は東から西へ移動しており、黄砂を運ぶ偏西風とは向きが違う。夜光雲と異なり高度は低いように思える。

黄砂によってなんらかの帯電を誘発したのか? ―雷鳴や稲妻はない。わからない。

2024年03月25日

ひと夏のプール それは川 実りの秋を見せつつ蝉時雨に包まれる


春を告げるすみれの話題にまぎれるように滑り込んだ1枚の写真は、ある年の夏の風物詩。

四国の川は田畑を潤し、海まであと少しというところで、天然のプールのようにたたずまう。
パラソルを立てて見守る当番のおとな、子どもを安心して遊ばせる地域の憩いの場。そこに川がある。
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こんな風景があと百年続くように。やるべきことはあまりに多いけれど。

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posted by 平井 吉信 at 17:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年03月23日

早春の里山すみれ〜タチツボスミレ、シハイスミレ、ノジスミレ、コスミレ〜(小松島市から勝浦町)


今年は三寒四温が顕著。なかでもここ数日は寒いぐらい。
そんななかで仕事の合間を縫って見つけたスミレを撮影しておく。

日峰山はまだスミレが満開とはいかない。普段密集して咲いているところも数株程度。あと2週間ぐらいが全盛期となるのでは?
まずは、シハイスミレ。葉がやや幅広に見える
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タチツボスミレの典型だが、花弁の色彩が淡い紫で透けるように美しい。葉は濃い碧で濁りがなく光沢感がある。タチツボスミレとしては美的なコンテストで上位に入賞しそう。
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すぐ近くにナガバノタチツボスミレ。隣には開花していない長身で葉の長い個体があり、開花期には20センチを越える草丈となりそう。交雑由来かもしれない
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勝浦町の道路沿いには、ノジスミレ。茎から葉に至るまで毛に覆われている
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近くにスミレ(Viola mandshurica)があったが、まだ開花していない。スミレ(Viola mandshurica)がこの地区の他のスミレよりも圧倒的に大きい。
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そこから山へ上がる集落へ届く石垣に咲いていたのはコスミレ。株が多く見応えがある
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コスミレは変異が多い。これは白花品。
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同じ株に色違いがある
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これはノジスミレ。万華鏡を見るよう
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植物体が微毛に覆われている
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勝浦町坂本地区は、おひなさまの奥座敷。八幡神社の境内を中心に野外におひなさまが飾られている。この周辺は例年コスミレが咲くのだが、見かけたのはタチツボスミレだけ。午前中は日当たりが良い場所と思われるが日没が近づいたため花弁が幽玄を感じさせる。
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里山のスミレはこれからが本番。桜も愉しみだが、スミレも。

タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 13:28| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年03月20日

等身大のTaylor Swiftと円熟のTaylor Swift


いまさらTaylor Swiftについて書くのも…と思ったが、やはり書いておきたい。前回にTaylor Swiftについて触れた話題で、声質が立ち上がりが早くそれもマッシブなので聴いていて疲れると書いた。それは録音もあると思う。間接成分(リバーブ)が少なく生気がなく固い。1980年代のスタジオミュージシャンと録音技術者がいたらこんな音で録らなかっただろうと思う。

彼女の歌い方も意図的にストレートに声を出している。ビブラートに振り向けず、声をまっすぐ出す効率の良い声の出し方。これはコンサートの長丁場でも声が疲れにくいかもしれない。

歌のうまい人、例えば岩崎宏美なら常に伸ばす音でビブラートがかかるように聞こえる(アルバム「私・的・空・間」)についてはそのうち書こう)。ノンビブラートではうたいあげるよりも肉声感が出てメッセージが届きやすくなる。歌唱力を前面に押し出さないから等身大の声の魅力がある。女性の熱狂的なファンが多いのはこの声の質とも密接に関係があると思う。

CDを視聴して何枚か入手してみた。やはり2作目の再録版「Fearless (Taylor's Version) 」がもっとも好きだ。カントリー調を響かせながら琴線に触れるポップス。ほとんどが自作の曲というのも驚き。再録版とは、版権の関係でかつて録音した音源が自らの手を離れたテイラーが完全再生を試みているもので現在進行中。アルバムによってオリジナル(旧盤)がよいと思うものと再版が好みという場面があると思う。

「Fearless」については視聴で聞き比べて迷わずに再録版を選んだ。聴いていて心を緩められるというのが理由。30代前半のTaylor Swiftが10代後半の自作を歌うのは無理がない。歌いこなれて手練れ感が出ると嫌みになるけれど、初めてこれらの楽曲に向かい合うように歌っているから。さらに「from the vault」(蔵出し)の未発表曲が本編に優るとも劣らない輝き。

打ち込み感がなく、アナログ感。いまの若い人たちが情感的と捉える要素がすでにあるよね。針を落とすアナログレコードやフィルムを現像する銀塩カメラに通じるような。

1曲目のタイトル曲「Fearless」は広々とした世界観をひろげてくれる。前奏からゆったり感があふれて虜になる。歌詞は幸せなデートのときめきを綴っていてほのぼのとする(この曲は先に音楽ができてあとから歌詞を入れたのかも)。何度も繰り返される「Fearless」では、動画にテロップが出て念を押すようなTaylor Swiftからの同年代の女性への語り掛け。「何も怖れないでいいのよ、あなたらしく」と。人生が動き出す瞬間の応援歌のよう。

2曲目「Fifteen」。出だしは不安な新入生の駆け出しの気持ち。この孤独な少女はテイラー自身だろう。告白されデートに誘われてFeeling like there nothing to figure outと夢中になる女の子の心理に身を寄せながらも「well」(そうね、でもね)と合いの手を入れる(Taylorは歌詞カードにない合いの手をときどき入れる。しかし歌詞の内容によって合いの手を入れない。「もう、わかったでしょ、だいじょうぶよね」という意味。見守られているようなニュアンスの変化は、英語圏の女の子からすれば語り掛けられているように感じるだろう)。

この情景を描くために、Taylor Swiftは孤独に身を置いて、その身を漕がず恋愛に委ねて、そこで失うものがあっても、立ち上がって上を見る。その姿こそ、彼女の音楽の源なのだろう。
この楽曲は友人の失恋の歌のようで、dating the boy of the football teamよりも、もっとすばらしいことがこれからのあなたの人生であるよと、友人を勇気づけているよう。

でも彼女自身も、I didn't know who I was supposed to be at fifteenと打ち明ける。15歳が15歳をうたっているのではないのだから、30代のテイラーがうたっても違和感がない。みずみずしい初恋と失恋を体験した女性たちに、それでも前を向いて生きていこう、だって15歳なんだから(ここでも動画のテロップのようにfifiteenと投げかけて、相手の目を見て微笑むテイラーのやさしさが見えるようだ)。

ぼくの好きなコルビ−・キャレイとの共演「Breathe」も佳い。コルビーは、2007年のデビュー作「Coco」が愛聴盤。ライブで追加収録されているジャスティン・ヤングとのデュエット曲「Tell Him」、ボブ・マーリーのカバー「 Turn your lights down low」は息が合った恋人同士の語り掛けのよう。どんなに気分が上がらないときもこの素敵な2曲は階段を上がらせてくれる。

コルビー・キャレイ 「ココ+7」
→ コルビーとジャスティンはその後に「Gone West」というグループを結成している。聴いてみたいな。

さらにこの上なくロマンティックな「untochable」も天上に誘われるようだ。
そんな歌詞を心を揺さぶるような旋律の動き(覚えやすいコード進行)に載せてうたう。人の心はこのように掴むという見本だけど、それは彼女自身の多感な感受性がなせる技。等身大の悩み多き女性と前人未踏の高みをめざすスーパースターが明滅するのがTaylor Swiftで虚構のオーラなしで輝いている。大谷翔平とも人間的な共通性があるような気がする。

「フィアレス 」(テイラーズ・ヴァージョン) 輸入盤より日本版が安く歌詞対訳もついている。


そして3作目の「Speak Now」はタイトル曲について書いておこう。全体に2作目と比べてこなれた感じがある。特にタイトル曲の教会で花婿をさらっていくなんてオペレッタ。サンタバーバラの教会に現れたダスティン・ホフマンの21世紀ヒロイン版ともいえる。このタイトル曲が実によくできている。テイラーとしても曲ができあがったとき、してやったり感を覚えたのではないか。

曲の途中からのドラムスの伴奏が重要。これが聞こえてくると迫真の場面で駆け出しそうな気持ちになると同時に、20世紀のリバプールサウンドが木霊する。繰り返しのフレーズでも歌詞に応じて微妙に旋律を変えるのもテイラーならでは。

There's a silence, there's my last chanceと、心に時限爆弾のスイッチが入る。
牧師の決まり文句、異議あるものは話せ、さもなくば沈黙を持って応えよの言葉に、すっと立ち上がった女性。教会に居合わせた人々の驚きの視線、でもそこから先に何があったかは歌詞に描かれない。ただ、But I'm only lookin' at you…ここのTaylorは無垢の少女のささやきのようで萌え死するほど。このニュアンスは30代の再録版では失われている。
(そうです、3作目は再録版ではなく、旧録音を選びました。2作目と違ってみずみずしさが欲しいので。ただし録音は相変わらず潤いがなくデッドな感じだけど)

Taylor Swiftの持ち味は、下降する音階の動き、そしてそれが行き着く低音の声にあるかもしれない。それは、安らぎに至る過程、根っこのような安心感。自分の声がもっとも出しやすい領域と重ねているのかもしれない。

テイラーの無邪気な笑いが入り、最後は結婚式から逃れてきた彼が、ぼくは…と一人称の歌詞に。喜劇だね、どこまでも自己肯定感ですね(決してひとりよがりじゃない)。全然21世紀的じゃない。それで構わない、ぼくは。
Speak Now [2 CD Deluxe Edition]

追記
LOVERについても書きたいけど、時間をくださいね。
posted by 平井 吉信 at 15:41| Comment(0) | 音楽

2024年03月19日

ケイリュウタチツボスミレ(Viola grypoceras var. ripensis)について(那賀川流域)


ちょっと専門的な話を専門家でないぼくが語るのもどうかと思うけれど、見れば見るほど疑問が湧いてくるので。

その話題とは、ケイリュウタチツボスミレ(Viola grypoceras var. ripensis)のこと。タチツボスミレ(Viola grypoceras var. grypoceras)は、日本でもっともよく見かけるスミレの種類。そのタチツボスミレが渓流に適合して独自の進化を遂げたと思われるのがケイリュウタチツボスミレ。

ケイリュウタチツボスミレが自生するのは、川の上流から中流域で岩が点在し、増水すると水没しそうな場所のこと。初めて見たのは那賀川の中流域だったが、一目でその異形のたたずまいに「これは新種では!」といきりたったもの。
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この個体は特に葉が厚く光沢が強い。白花が一輪混ざっている
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最初の頃はスミレは何を見ても同じに見えるが、意識して見ていくと、頭のなかに自生している場所、時期、外観などが刻まれて、そのスミレを知っているという経験知(脳の神経細胞のつながり)が形成される。それは画像を判定するAIのパターン認識にも似ている。タチツボスミレ系であることは疑いないけれど、これまで見たタチツボスミレ、ニオイタチツボスミレ、ナガバノタチツボスミレ、オオタチツボスミレなどとは異なるパターンと脳が判断。

特に葉のかたちとツヤ感が違う。まるでサイボーグのような強化された葉は厚くしかし小さく、葉の縁のギザが際立っている。その小さな葉からすると花は大きめ。九州に産するというコタチツボスミレに似ているけれど、徳島県はその生息域ではない。

しかもそれが生えているのは岩から沁みだした水がオアシスのように湿潤な苔土に生えていること。こんな湿潤な環境では根が腐るのではと思えるし、数十センチ下には水が流れている。そこを好んで生えているし、経年の推移で見守っているが、消滅することなく定着している。

そこで1996年にその存在が発表されたケイリュウタチツボスミレではないかと考えた。間違いなさそうだが、いくつか疑問が残る。かたちだけ見て判断するのではなく、周囲を幅広く観察してみようというのが今回訪問の趣旨。
→ 「渓流沿いに生育するタチツボスミレの新変種」(大阪市立自然史博物館)
https://www.omnh.jp/publication/bulletin/bulletin/50/50-001.pdf

上記の論文によると、タチツボスミレとケイリュウタチツボスミレとは不完全稔性、すなわち種はできても発芽しないとのことで、遺伝子レベルでは明確な違いがあることを示す。

2024年春は、渓流帯だけでなく、もっと水際に近い場所、逆に水際から遠い場所も含めて幅を持って探りつつ、他の植物の分布も見てみようとするもの。その結果スミレ類は、ケイリュウタチツボスミレ以外には、スミレ(Viola mandshurica)が2個体見つかったのみ。その生息環境は日が当たる場所で砂地とかなり異なる。例年だとかなりの個体のスミレ(Viola mandshurica)が見られるのだが、2024年春はスミレ(Viola mandshurica)は激減している。誰かが採取したとも考えられるが、昨夏の猛暑と乾燥が原因で種が休眠しているか、根が枯れてしまったのではないかとも考える。なお、タチツボスミレは周辺一帯でまったく見かけなかった。

今回見つけたケイリュウタチツボスミレ?は数十個体あるが、自生している環境は、日向もしくはかなりの長時間の日照が得られる場所では皆無であった。むしろ日を避けているような、手を置くと水が沁みてきそうな湿潤な土壌に自生していることが多かった。
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ところが、徳島市南部の道路沿いの水が滴る岩場で見つけたタチツボスミレの写真を見てみよう。これが通常のタチツボスミレなのか。コタチツボスミレではないが、ケイリュウタチツボスミレともいえない。強いて言えば、湿潤な環境に適合したタチツボスミレかもしれない。
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同じ山域の別の場所での写真は、那賀川中流域でケイリュウタチツボスミレ?と推定する個体と葉は似ているが、九州産のコタチツボスミレに似ている。タチツボスミレは日本を中心に東アジアにも分布するというが、これほど分化もしくは交配が多いことから日本固有に近いのではないか。
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那賀川流域で見かけるケイリュウタチツボスミレは、広島県や木曽川で見かける種とやや違うように見える。山陰型のタチツボスミレから分化したように見える中国地方や本州のケイリュウタチツボスミレと、那賀川産は異なる進化、言い換えれば母種が異なるのではないかという気がする。

それを明らかにするには、徹底して形態を見極めつつ、DNA塩基配列やマイクロサテライトマーカーなどで系統を推定しつつ、慎重に結論を出さなければならないのだろう。

話は変わるが、2024年2月24日に徳島県文化の森に来られた海部陽介さんのご講演を聴いて感銘を受けた。

海部先生は、東アジアの人類の骨に精通しておられて、人骨をみればその形態から多くの情報を汲み取る方である(人骨を見続けていると、ぱっとみて直感でわかることがあるのだろう)。当日のお話からは、人類は生きるためだけでない、一見ムダに見えること(冒険や芸術)に何かを見出し、それが進化の原動力になっているという趣旨のお話があったと記憶している。

海部先生への質問コーナーがあって手を上げようと思っていたら、長い質問をされる年配の方がいて今回の講演の趣旨とは違う持論を展開しつつ長々と質問されたので主催者の配慮で質問が打ち切られてしまった(残念)。

海部さんは、台湾から与那国島への海のルートがあったはずとの仮説を検証するため、文明の利器を使わず船を建造し、航海術を駆使して与那国へ渡る実証実験をされたので記憶している方もいるだろう。東アジアの人類学の権威であるばかりか、卓越した知見と行動力を備えたクールな方でご活躍をお祈りしたい。

ちなみに質問しようとした趣旨は、数年前に台湾と大陸の間の澎湖水道から20万年より新しいと推定される原人の人骨が見つかったが、この人骨と台湾の原住民との関係性はあるか? アジアの第4の原人として新しい発見はあるか?などであった。

アジアの原人とは、ホモ・エレクトス(北京原人、ジャワ原人)、原人ではないがおそらく旧人に属するデニソワ人(ネアンデルタール人とアジアの未知の原人が交雑した可能性?)、フローレス原人(ジャワ原人の矮小化?)、それに澎湖人(もしくは中国大陸の原人)のことである。このデニソワ人についても、シベリアでネアンデルタール人と交雑したホモ属と、今日のアボリジニやメラネシアの人々に連なる南デニソワ人(仮称)の存在の仮定など、海部さんの仮説はとても論理的であり得ると納得できるものだ。

ぼくは学者ではなく、研究機器(シークエンサー)も資料もないので、素人の憶測として那賀川でのケイリュウタチツボスミレを自由に考えてみたい。これが本州のケイリュウタチツボスミレとは異なる母種ではないかと思える。

その母種が前述の徳島市南部の湿った山中のコタチツボスミレに似たタチツボスミレかもしれない。これはタチツボスミレの変異の範囲なのか? それとも山陰型と仮称されているタチツボスミレか。

これに対して本州のケイリュウタチツボスミレの起源は、山陰型のタチツボスミレの祖先と一にするのではと思える。葉のかたちは那賀川産はまだタチツボスミレらしい心形の名残がある。さらに本州産が進化したケイリュウタチツボスミレと思えるのは花弁が細くなっているが、那賀川産はさほどでもない。いずれにしても、現在では立ち位置が定まらない山陰型のタチツボスミレの検証が急がれる。

タチツボスミレは火山国で複雑な地形を持つ亜熱帯、温帯モンスーン、冷帯気候を持つ日本列島で分化、進化した。その原形となるタチツボスミレがあったのではないか。それは現在のタチツボスミレを素朴にしたようなものではないか(一般に進化とは特徴が際立つ=個性化するもの)。その候補として山陰型と呼ばれるタチツボスミレが挙げられるのではないか? この原形から日本のタチツボスミレ(北海道の一部を除いて)の分化が始まったのではないか。そして稔性を持てないほど遺伝的な距離が離れてしまったものもあるのではないか。

本州のケイリュウタチツボスミレは、大阪弁のおばちゃんなら花弁の細身が「シュッとしている」といいそうなたたずまいを感じる。それに対して那賀川のケイリュウタチツボスミレは、ややぼってりした顔立ちに見える。母種からの分化が進みつつある中間形、進行形と考えることもできるし、母種が異なるケイリュウタチツボスミレと考えることもできる。想像するのは素人の特権だが、実に愉しいではないか。

追記
植物の和名(日本での呼び名)を付ける際に感性に乏しいものが多いと感じませんか?
例えば、ヘクソカズラなどは、かれんな花でむしろ「オトメカズラ」と付けたいような。

スミレでは、イソスミレ。磯には咲かず浜辺に咲くので ハマスミレ、ハマベスミレ、ナギサスミレ、リュウグウスミレなどは?

スミレ(Viola mandshurica)は、スミレ属と識別しにくくマンジュリカなどと通称される。ラテン名から「マンシュウスミレ」は誰もが嫌がるだろうし「タイリクスミレ」は無粋。これほど濃紺のスミレはほかにないので色に着目して、「ホンムラサキスミレ」。芭蕉の句に発して「ユカシスミレ」、ストレートに「マスミレ」(真すみれ)、涼やかに見えるので「スズスミレ」、生息場所から「サトヤマスミレ」。宮中の高貴な女性を模して雅であるとの趣旨で「ミヤスミレ」などはいかが?

タチツボスミレは、庭に直立するとの直訳なので芸がない感じ。日本を代表する種類であるので、「ニホンスミレ」、「ヤマトスミレ」、生息場所から「ノヤマスミレ」「ノスミレ」などを思いつく。そうであれば「ケイリュウノスミレ」「ケイリュウヤマトスミレ」などとなるのだなと考える。

アケボノスミレやアリアケスミレは文学調で佳し。サクラスミレもスミレの女王らしく好印象。コスミレは別に小さくないので「ハルサキスミレ」「ハルツゲスミレ」「ウスイスミレ」(雨水すみれ)などは?


posted by 平井 吉信 at 00:28| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年03月18日

フイリシハイスミレ 海を見下ろす丘で雨に打たれて(海部郡)


すみれの季節が到来している。仕事は置いといて(すべて手を休めて)すみれを見に行きたいぐらい。例え雨でも嵐でも。

難儀するのは、傘を差して地面すれすれにカメラを構えること。高さ5センチの植物と同じ目線でないと。

海を見下ろす丘は水平線を遠く翳ませて水のカーテンをおろす午後。すみれの不思議は、ひとつの場所にひとつの種類しかいない場面が多いこと。環境圧に敏感なのだろう。ここにはシハイスミレしかいない。それもフイリシハイスミレ。
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雨に打たれて滴をたたえた花弁はなまめく。濃い碧色の葉、白の斑まで入って。

(フジX-T5+XF60mmF2.4 R Macro)
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 00:07| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年03月17日

桑野川にはゴムを膨らませた堰がある〜近い水 遠い水〜


桑野川を国道195号に沿って遡って阿南市山口町の手前に、川を風船のようなゴムチューブでせき止めている(新井堰)。さらにその少し上流にも同様のゴム堰(名称不明)がある。

その目的は、利水(灌漑用水)だろうと考えられるので堰の直上流を見ると、左岸にそれらしき水門がある。上流のゴム堰は明確に水門が見えるのでこちらが主流の取水口であろう。堰の高さは1メートルを越えるぐらいで貯水量は多くなく、取水口から流れる水路も細い。地区の田畑を潤した水は、さらに下流の国道195号の橋の下手の堰(井ノ口堰)下流に戻しているようだ。距離にして数kmで灌漑面積も多くない。地区の利水施設という感じである。

おもしろいのは、ゴムチューブから空気を抜けば堰は川底とほぼ一体化して「ないもの」のようになる。湛水面積も小さく、上流でヘドロが溜まるような現象はほとんどない。水を溜める必要のない農閑期にはチューブは膨らんでいない。想像だが、台風や大雨の予報があると、同様に空気を抜いて上流のせき上げを回避しているのだろう。水がゴムを越流する様子は人工物ながら溶け込んでいるように見える。
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位置関係からいうと、上流から(名称不明堰)>新井堰>井ノ口堰で、いずれもゴム風船の堰である。国交省の資料ではこれを「ゴム引布製起伏堰」と呼んでいる。このうち、名称不明堰は桑野川の大きな蛇行の水衝部にあたり、洪水時には水を溜めたくない場所であるが、地形上利水に有利な場所なのだろう(四国加工機の食品工場がある)。新井堰は、蛇行から直線になった場所で名称不明堰の機能(分水に必要な水量)の不足を補うためだろう。治水や利水の施設は、地区内で循環させる限り、自然破壊のおそれは少ないという見本だろう。

元滋賀県知事で国政にも一時期影響を及ぼされた嘉田由紀子さんが滋賀県職員の頃、「近い水、遠い水」という概念を提唱されていて、車座の勉強会にお招きしたことがある(1990年代の半ばぐらいだったか)。近い水とは、身近にあって自分たちが管理して共存していくこと、遠い水とは、川が住民から切り放されて河川管理者の管理下に置かれたことを意味する。政治もそうだが、かたちだけの選挙(それさえも行かないというならさらに政治は劣化していく)で選ばれた政治家が好き勝手をやって国を壊していく昨今は「遠い政治」になってしまっている。それを「近い政治」に引き戻す改革案についてはこのブログで何度か提唱している。

流域治水では川を住民が受け止めてリスクを想定しながらその地区で生きていくことの意味を問いかけられた。新潟大学の大熊孝教授の恵みと災いの両面を持つ川との向き合い方にも通じる。嘉田さんは、にこやかで、おだやかに話される。そして使命感を背負って生きるという一本筋の通った考え方(行き方)に感銘を受けた。

2011年1月23日には、以下の5人のゲストをお招きして、嘉田さんには基調講演を行っていただいた。
加藤登紀子(歌手)
野田知佑(作家・カヌーイスト)
大熊孝(新潟大学名誉教授・河川工学)
嘉田由紀子(滋賀県知事)
宮本博司(淀川水系流域委員会委員長)
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このときは滋賀県知事になられていて、研究者と為政者の両面からのお話であった。いまこそ嘉田さんのような政治家が必要ではないか。

ホトケノザが咲く春の桑野川の堰を見ながら、近い水と遠い水、そして還らぬ人に思いをはせた。
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posted by 平井 吉信 at 11:41| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年03月12日

蜂須賀桜が満開のとくしま植物園 桜は咲いてもヒトはいない


地域の活性化と喧伝されることが多い県内の地域であっても、過疎化は進んでいる。移住者、しばらくは滞在するが、子どもの教育の問題、原住民との不調和や地元の慣習への違和感(距離感の取り方)などに嫌気がさして出て行く場面をたびたび見ている。人口減少は政策ではもはや止められないので、人口減少を折り込んだ持続できるまちづくりをめざす必要がある。人が減ることのプラスにも目を向けよということ。

さて、何もしたくないときに訪れるのが、とくしま植物園。無料の植物園で徳島市民の憩いの場となっている。

隣の高知県には、ヒメノボタンと蓮が咲き乱れる光の丘(三原村)、バイカオウレンをはじめ、スプリングエフェメラルが集う牧野公園(佐川町)高知県立牧野植物園(高知市)、「モネの庭」マルモッタン(北川村)国営讃岐まんのう公園などの一度訪れると忘れられないような庭園や歴史を感じさせる公園がある。それが営利事業であれボランティアであれ、庭師の方々の丹精を感じる。
(ぜひ、リンク先を参照してご覧ください)

追記
徳島には、神山町と木沢村の境に「四国山岳植物園 岳人の森」がある。周辺の希少種の保全と啓発を目的に山田勲さんが生涯をかけて整備されたもの。2024年冬に事故に遭遇されたとのことだが、その後のご快復が伝わってきた。

これらの庭や公園は集客施設(経済効果)であるだけでなく、地域の心のよりどころになっている。徳島に高知県に匹敵するような植物園があるかというと、ない。
それでも散歩するには、とくしま植物園はぼくにとって十分な(非日常ではなく)日常の場所。
早咲きの桜のひとつ、蜂須賀桜を愛でながら丘陵を散策する数時間をWeb上でお届け。
→ とくしま植物園 蜂須賀桜まつり

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年寄りを連れて行ったのだが、ぽつんと言った。
「桜は誰かに見てもらいたいのに、誰も来てないから寂しかろう」。
(人口が少なくなるとこういうことが起こってくる)

災害や資金繰り、生活の区切りや病気、ケガなどで苦しんでいる方々の慰みとなればと。お近くの方は、蜂須賀桜を見に行ってみては。
(盛られた情報のなかではなく自分の目で確かめなければわからない)

桜が元気をくれるわけではない。ただ咲いているだけ。でも桜を見に行こうと思えたなら、桜を見たいと思う心の動きが、いまより少し違う未来へ踏み出すきっかけになるかもしれない。

追記
夜になればライトアップ(3/14まで)
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posted by 平井 吉信 at 21:48| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年03月04日

冬の陽だまり 大神子海岸から大崎半島 

晴れた午後の散策には大神子海岸とそこから勝浦川へ向けての半島の尾根をたどる。
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腐敗しきった政治は単なる私服を肥やす(それは江戸時代からある)だけでなく、未来を奪おうとしている。その深刻な影響と責任を自覚していない。政府を打倒する動きが出てきてもおかしくない。週末の渚はこんなに平穏というのに。
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一輪だけ見つけたタチツボスミレの開花
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海岸照葉樹の森の心象風景 ぼくが自作のプリセットで気に入っている「記憶の碧」
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大崎半島の尾根に上がって大神子、勝浦川/津田方面/バイオマス発電所を見る
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先端まで来て足下の崖を見るとウミウが休んでいる
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勝浦川河口へと降りていくとウミウが一斉に飛びたつ。この後、海浜づたいに遊歩道上がり口まで向かう予定だったが満ち潮のため断念して尾根へと戻る
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平穏な日常とそれを消滅させる政治家。ほんとうの幸福は誰にも等しく冬の陽だまりのようなもの。社会がめざすべき姿であり、必ず実現できると信じて生きていくしかない。
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タグ:大神子
posted by 平井 吉信 at 23:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

尾流雲のたなびく海とまちなみ 日峰山から


急に冷え込んだ土曜日、雪が一瞬舞ったという話も。
睡眠時間が4時間を越えない日々が続いているので、身体をほぐしに日峰山へ車で上がり、山頂周辺を歩いてみようと思った。もしかして、タチツボスミレやシハイスミレが咲いているかなとの期待もあって。

標高100メートル超えの低山であっても、北西方面に遮るものがない地勢ゆえ、風が強くて寒い。それでも山頂からの(普通は気にもとめない)景観が宝物のように思える。

シャッターを押したのがこれ。
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近影の稜線の木々。遠くなるにつれて海面の色が白くなって翳む淡路島方面、そしてちぎれ雲。4000万画素の原版をナナオのディスプレイで見るとため息が出る(Webの縮小では伝えられない)。かつてのフィルム(銀塩)では捉えられなかった階調と解像。無限遠の空と海こそ40MPは生きてくる

津田海岸の沖合は海上が煙る
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手前の建物は近年に稼働を始めたバイオマス発電所(津田木工団地)、さらに津田から徳島自動車道へと直結された自動車道路の橋桁が吉野川最下流の架橋につながり、その先に徳島I.Cがある
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バイオマス発電所を中央下に持ってきた
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さらに拡大する(トリミング)
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大神子と大崎半島を入れてみた
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ここから下へ降りる道がある。実は一度もたどったことがない。降りてみよう。
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さらに下ると遊具。これは大神子のアスレチック場の上部だ。夕刻迫る時間帯でこどもの姿は見えない
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雨を感じて稜線へ戻ることにしてルートを変えてみた。すると、桜の広場へ出た
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今度は日峰神社がある西のピーク(165メートル)へ。日峰山の山頂は東のピーク(191メートル)だが、神社がある西のピークを山頂と考えている人も多いかもしれない。遅い時間なのにぱらぱらと参拝者が上がってくる。信仰を集めている神社である
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鳴門海峡から淡路島、小松島方面に低い高さの層積雲から尾流雲がかかる。尾流雲は、水滴や氷粒子が雨となって落ちていく途中で蒸発して霧状となった現象。小雨を感じるが濡れない程度だろう
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ドラゴンのような雲が残照に黒く浮かぶ
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もはや夜の光景。尾流雲がもたらす気象の千変万化を観察しつつ、また違う日峰山の表情に触れた。
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タグ:日峰山
posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草