ちょっと専門的な話を専門家でないぼくが語るのもどうかと思うけれど、見れば見るほど疑問が湧いてくるので。
その話題とは、ケイリュウタチツボスミレ(Viola grypoceras var. ripensis)のこと。タチツボスミレ(Viola grypoceras var. grypoceras)は、日本でもっともよく見かけるスミレの種類。そのタチツボスミレが渓流に適合して独自の進化を遂げたと思われるのがケイリュウタチツボスミレ。
ケイリュウタチツボスミレが自生するのは、川の上流から中流域で岩が点在し、増水すると水没しそうな場所のこと。初めて見たのは那賀川の中流域だったが、一目でその異形のたたずまいに「これは新種では!」といきりたったもの。

この個体は特に葉が厚く光沢が強い。白花が一輪混ざっている

最初の頃はスミレは何を見ても同じに見えるが、意識して見ていくと、頭のなかに自生している場所、時期、外観などが刻まれて、そのスミレを知っているという経験知(脳の神経細胞のつながり)が形成される。それは画像を判定するAIのパターン認識にも似ている。タチツボスミレ系であることは疑いないけれど、これまで見たタチツボスミレ、ニオイタチツボスミレ、ナガバノタチツボスミレ、オオタチツボスミレなどとは異なるパターンと脳が判断。
特に葉のかたちとツヤ感が違う。まるでサイボーグのような強化された葉は厚くしかし小さく、葉の縁のギザが際立っている。その小さな葉からすると花は大きめ。九州に産するというコタチツボスミレに似ているけれど、徳島県はその生息域ではない。
しかもそれが生えているのは岩から沁みだした水がオアシスのように湿潤な苔土に生えていること。こんな湿潤な環境では根が腐るのではと思えるし、数十センチ下には水が流れている。そこを好んで生えているし、経年の推移で見守っているが、消滅することなく定着している。
そこで1996年にその存在が発表されたケイリュウタチツボスミレではないかと考えた。間違いなさそうだが、いくつか疑問が残る。かたちだけ見て判断するのではなく、周囲を幅広く観察してみようというのが今回訪問の趣旨。
→ 「渓流沿いに生育するタチツボスミレの新変種」(大阪市立自然史博物館)
https://www.omnh.jp/publication/bulletin/bulletin/50/50-001.pdf上記の論文によると、タチツボスミレとケイリュウタチツボスミレとは不完全稔性、すなわち種はできても発芽しないとのことで、遺伝子レベルでは明確な違いがあることを示す。
2024年春は、渓流帯だけでなく、もっと水際に近い場所、逆に水際から遠い場所も含めて幅を持って探りつつ、他の植物の分布も見てみようとするもの。その結果スミレ類は、ケイリュウタチツボスミレ以外には、スミレ(Viola mandshurica)が2個体見つかったのみ。その生息環境は日が当たる場所で砂地とかなり異なる。例年だとかなりの個体のスミレ(Viola mandshurica)が見られるのだが、2024年春はスミレ(Viola mandshurica)は激減している。誰かが採取したとも考えられるが、昨夏の猛暑と乾燥が原因で種が休眠しているか、根が枯れてしまったのではないかとも考える。なお、タチツボスミレは周辺一帯でまったく見かけなかった。
今回見つけたケイリュウタチツボスミレ?は数十個体あるが、自生している環境は、日向もしくはかなりの長時間の日照が得られる場所では皆無であった。むしろ日を避けているような、手を置くと水が沁みてきそうな湿潤な土壌に自生していることが多かった。





















ところが、徳島市南部の道路沿いの水が滴る岩場で見つけたタチツボスミレの写真を見てみよう。これが通常のタチツボスミレなのか。コタチツボスミレではないが、ケイリュウタチツボスミレともいえない。強いて言えば、湿潤な環境に適合したタチツボスミレかもしれない。

同じ山域の別の場所での写真は、那賀川中流域でケイリュウタチツボスミレ?と推定する個体と葉は似ているが、九州産のコタチツボスミレに似ている。タチツボスミレは日本を中心に東アジアにも分布するというが、これほど分化もしくは交配が多いことから日本固有に近いのではないか。

那賀川流域で見かけるケイリュウタチツボスミレは、広島県や木曽川で見かける種とやや違うように見える。山陰型のタチツボスミレから分化したように見える中国地方や本州のケイリュウタチツボスミレと、那賀川産は異なる進化、言い換えれば母種が異なるのではないかという気がする。
それを明らかにするには、徹底して形態を見極めつつ、DNA塩基配列やマイクロサテライトマーカーなどで系統を推定しつつ、慎重に結論を出さなければならないのだろう。
話は変わるが、2024年2月24日に徳島県文化の森に来られた海部陽介さんのご講演を聴いて感銘を受けた。
海部先生は、東アジアの人類の骨に精通しておられて、人骨をみればその形態から多くの情報を汲み取る方である(人骨を見続けていると、ぱっとみて直感でわかることがあるのだろう)。当日のお話からは、人類は生きるためだけでない、一見ムダに見えること(冒険や芸術)に何かを見出し、それが進化の原動力になっているという趣旨のお話があったと記憶している。
海部先生への質問コーナーがあって手を上げようと思っていたら、長い質問をされる年配の方がいて今回の講演の趣旨とは違う持論を展開しつつ長々と質問されたので主催者の配慮で質問が打ち切られてしまった(残念)。
海部さんは、台湾から与那国島への海のルートがあったはずとの仮説を検証するため、文明の利器を使わず船を建造し、航海術を駆使して与那国へ渡る実証実験をされたので記憶している方もいるだろう。東アジアの人類学の権威であるばかりか、卓越した知見と行動力を備えたクールな方でご活躍をお祈りしたい。
ちなみに質問しようとした趣旨は、数年前に台湾と大陸の間の澎湖水道から20万年より新しいと推定される原人の人骨が見つかったが、この人骨と台湾の原住民との関係性はあるか? アジアの第4の原人として新しい発見はあるか?などであった。
アジアの原人とは、ホモ・エレクトス(北京原人、ジャワ原人)、原人ではないがおそらく旧人に属するデニソワ人(ネアンデルタール人とアジアの未知の原人が交雑した可能性?)、フローレス原人(ジャワ原人の矮小化?)、それに澎湖人(もしくは中国大陸の原人)のことである。このデニソワ人についても、シベリアでネアンデルタール人と交雑したホモ属と、今日のアボリジニやメラネシアの人々に連なる南デニソワ人(仮称)の存在の仮定など、海部さんの仮説はとても論理的であり得ると納得できるものだ。
ぼくは学者ではなく、研究機器(シークエンサー)も資料もないので、素人の憶測として那賀川でのケイリュウタチツボスミレを自由に考えてみたい。これが本州のケイリュウタチツボスミレとは異なる母種ではないかと思える。
その母種が前述の徳島市南部の湿った山中のコタチツボスミレに似たタチツボスミレかもしれない。これはタチツボスミレの変異の範囲なのか? それとも山陰型と仮称されているタチツボスミレか。
これに対して本州のケイリュウタチツボスミレの起源は、山陰型のタチツボスミレの祖先と一にするのではと思える。葉のかたちは那賀川産はまだタチツボスミレらしい心形の名残がある。さらに本州産が進化したケイリュウタチツボスミレと思えるのは花弁が細くなっているが、那賀川産はさほどでもない。いずれにしても、現在では立ち位置が定まらない山陰型のタチツボスミレの検証が急がれる。
タチツボスミレは火山国で複雑な地形を持つ亜熱帯、温帯モンスーン、冷帯気候を持つ日本列島で分化、進化した。その原形となるタチツボスミレがあったのではないか。それは現在のタチツボスミレを素朴にしたようなものではないか(一般に進化とは特徴が際立つ=個性化するもの)。その候補として山陰型と呼ばれるタチツボスミレが挙げられるのではないか? この原形から日本のタチツボスミレ(北海道の一部を除いて)の分化が始まったのではないか。そして稔性を持てないほど遺伝的な距離が離れてしまったものもあるのではないか。
本州のケイリュウタチツボスミレは、大阪弁のおばちゃんなら花弁の細身が「シュッとしている」といいそうなたたずまいを感じる。それに対して那賀川のケイリュウタチツボスミレは、ややぼってりした顔立ちに見える。母種からの分化が進みつつある中間形、進行形と考えることもできるし、母種が異なるケイリュウタチツボスミレと考えることもできる。想像するのは素人の特権だが、実に愉しいではないか。
追記
植物の和名(日本での呼び名)を付ける際に感性に乏しいものが多いと感じませんか?
例えば、ヘクソカズラなどは、かれんな花でむしろ「オトメカズラ」と付けたいような。
スミレでは、イソスミレ。磯には咲かず浜辺に咲くので ハマスミレ、ハマベスミレ、ナギサスミレ、リュウグウスミレなどは?
スミレ(Viola mandshurica)は、スミレ属と識別しにくくマンジュリカなどと通称される。ラテン名から「マンシュウスミレ」は誰もが嫌がるだろうし「タイリクスミレ」は無粋。これほど濃紺のスミレはほかにないので色に着目して、「ホンムラサキスミレ」。芭蕉の句に発して「ユカシスミレ」、ストレートに「マスミレ」(真すみれ)、涼やかに見えるので「スズスミレ」、生息場所から「サトヤマスミレ」。宮中の高貴な女性を模して雅であるとの趣旨で「ミヤスミレ」などはいかが?
タチツボスミレは、庭に直立するとの直訳なので芸がない感じ。日本を代表する種類であるので、「ニホンスミレ」、「ヤマトスミレ」、生息場所から「ノヤマスミレ」「ノスミレ」などを思いつく。そうであれば「ケイリュウノスミレ」「ケイリュウヤマトスミレ」などとなるのだなと考える。
アケボノスミレやアリアケスミレは文学調で佳し。サクラスミレもスミレの女王らしく好印象。コスミレは別に小さくないので「ハルサキスミレ」「ハルツゲスミレ」「ウスイスミレ」(雨水すみれ)などは?