2024年02月23日

梅の河畔林 桑野川支流堂谷川から明谷梅林までの小径(阿南市長生町)


阿南市長生町の明谷(あかだに)梅林は県南でも知られた梅の花咲く名所。国道55号線から右折して桑野川方面へとたどる。桑野川支流の堂谷川を遡ること数分で到着する。最盛期の週末は狭い道路に車が集中するので、少々歩いても構わない方は桑野川の土手沿いの道幅が広いところなどに停めて半時間程度歩くのも良いかもしれない。

ぼくは歩くのが好きなのでいつも離れた場所に停めて歩く。ところが梅林に行くまでにすでに堂谷川沿いに梅が咲いていて、里山の小径と相まって心がひかれる。まずは堂谷川沿いの梅のある風景を。
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色の組み合わせ、そして光の明暗、日射しの角度、行き交う人々が1枚の構図に集まる。
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タチツボスミレを見つけて、上を見上げていたのが今度は地面を這うような目線となる
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この日は明谷梅林の核心地に到達することなく満足してしまった。地元の方々のお世話でこの景観が守られている。梅も集落のみなさんもお達者で。

追記
集落の入口にはタムラのたまごの自動販売機が会社の敷地内にあるので、ときどき買っている。工場直出しで鮮度が良い。卵かけご飯が食べたくなったら迷わず「濃厚」と書かれたものを買う。
posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年02月18日

志和岐の潮吹展望台から潮吹岩へ 

冬は風が強い場所だけど、太平洋(紀伊水道をいうべきか)を眺望できる展望台としては南阿波サンラインの4つの展望台と同じようにすばらしい場所。眺めるだけで満たされる。
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展望台の左から降りていく散策路があることは知っていたが、どこへたどり着くのか行ってみた。
小径は明瞭でわかりやすい。海沿いの照葉樹の森をつづら折りに高度を下げていく。斜面もなだらかだ。潮風を吸い込みながら森の逍遙の気分を味わえる。
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やがて眼下に海が見えてくる。最後の降りるところはロープがあって気を付ける必要があるが、危険なほどではない。

眼前に見える岩は展望台から見ることのできない潮吹岩だった(かつては見えていたのだろうが、樹木の成長でいまでは見ることができない)。2つの岩と波の相互作用で高く波を吹き上げることがあるという。
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潮吹岩へと渡る根っこからは目の前に志和岐漁港が見える。
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風が強い展望台へ戻ると雲を従えて千変万化の海が広がる
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半島の向こうはかつて陸の孤島といわれた阿部(あぶ)の集落
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→ 里海の記憶〜陸の孤島といわれた由岐町阿部(あぶ)地区、防災と自然の営み〜

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車に入って暖房を入れて、クリス・レアの「オン・ザ・ビーチ」をかけながら由岐へと県道を戻る。
posted by 平井 吉信 at 14:24| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年02月17日

いつもの、そしていつもの そして何度でも 


土曜朝のルーティンとなっているウィークエンドサンシャイン(NHK FM)で目覚めた(久しぶりに4時間眠れた)。
そしてモーツァルトの交響曲第38番プラハを。演奏はどれにしようと迷って、インマゼールと古楽器オーケストラのアニマ・エテルナの組み合わせ。残響が短くテンポも早く楽器の出し入れ、和声の明滅のような響きで久しぶりに聴いたらよかった。先週はクーベリック・バイエルン響の細部を拡大鏡で見せながらも現代オーケストラの厚みに響かせる演奏を聴いたので対比がおもしろかった。

朝は、パンにrレタス(那賀ベジタブル産)、トマト、目玉焼き、チーズ、オリーブオイル+塩を載せて、上からパンを被せてマルチプレートグリル(デロンギ)で焼く。もちろんコーヒーも手煎れで。
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週末に残した仕事+家事+用事(途中で10分だけ座ったままで昼寝。早送りコマ送りで説明カット)を済ませたらもう夕方。ここから出かけるとしたらあの場所しかない。日が少しずつ長くなってきているし。

文章を書く(読まれる)前に当てられてしまいました。いつもの植物園ですね。
こんな午後は、SADEの「Stronger Than Pride」を聴きながら。彼女の等身大の愛の切なさ、裂けそうなほど浸透してくるのは斜めの光が正面から飛び込んでくるから? 

梅咲く民家の西日の照り、かれんな早咲きのタチツボスミレもちらほら、サザンカの空気に溶け込むたたずまい、遠くに見える観覧車、桃や梅、寒桜もあって、花めぐりの散策を終えると太陽は山の端に。
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こんなふうに過ごす時間を何度積み重ねるとゴールに至るのか。そもそもゴールはないのか。おそらくゴールをめざすことはないのではと思う。日々を生きるしかないから。



posted by 平井 吉信 at 23:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

H3ロケット 打ち上げ成功おめでとう!


成功してよかった。はやぶさ初号機も感動したけれど、多くの人の知恵と熱意の結晶の成果はもっと多くの人に共感という揺さぶりを与えるね。
https://www.youtube.com/watch?v=VtsUTvZRcJM

日本が強みとしている世界有数の多様な生態系と科学技術、それと伝統的な文化は大切にしていきたいもの。

ところが大学の研究費や科学技術にかける費用はどんどん削減されている。費用対効果のかけ声のもと、削減されたことが日本の国力の低下をもたらしている。もっとも費用対効果が悪いのは政府の政策だよ、ムダの権化の万博開催(つくってすぐに捨てるんだとよ。SDGsの時代に)や本質的な安全保障を飛ばしていきなり防衛費の増強、医師も患者も怒る保険証の廃止、小規模事業者の廃業続出、企業総務の手間増大で生産性低下のインボイス導入、使えないマスクやばらまき商品券ばらまき現金…やらんでよいことのオンパレード。誰を幸せにしているのか?

つまらない政治を一掃したいと良い未来をつくる処方箋は見えているのに、それとは逆のやってはいけないことばかりを積み上げる政府、政治は要らない。1億人が政治家になったつもりで未来を考えて実践していかないと(勉強しないと陰謀論やらNHKも加担する政府の広報にだまされるよ)。

ぼくからの提案はいつもだけど、政治家を10倍に増やそう。国会、都道府県議会、市町村議会の境界をなくしてデジタル技術を活用して議論しよう。全国津々浦々の声を集めていこう。

政治家を増やすって?
それは身近なところから、どんどん政治に関わってもらうしくみ。学生や子育て世帯、パートタイマーや中小企業の経営者、高齢者、身障者など、これまで政治に関わっていない人たちの声が届くしくみ。
議員は、所属する市町村と県のみならず国会でも議決権を持つ(リモート投票)。こうすることで政党やら派閥は有名無実化。その政策や成果は、国が一律に準備する政治家データベースで活動記録や公約、政策提案を掲載できる。有権者に伝える費用が不要となったことで政務調査費も不要。意義のある活動には事前に申請書を提出して採択されれば調査を行い報告書と領収書が検収されて後払いとする。

議員の報酬も日当(1日2万円、半日1万円)として、さらに年間の上限200万円を設定(ぼくの知っている人たちは、私財を投げ打って活動していた人たちばかりだから、社会に貢献して2百万円もらえるなんて夢のような話)。こうすればお金がかからなくなるし、影響力を行使したい企業からの献金など意味をなさなくなる(もちろん企業献金やら政党助成金も廃止ね)。それで政治活動に横たわる問題、ひいては生活者の声を反映する政治が行いやすくなり、すべて解決するのでは? 日本が経済大国でなくなったいま、社会のあり方こそ世界に示して住みやすい国1位をめざすべきでは?

行政には政治家の政策立案を支えるための統計局を設置する。政治家からの求めでデータの分析と収集を行うのだが、政治家に提供する際は複眼でチェックする。そのことで統計局としての専門性と客観性(つまりは身分の保証と職業的倫理観)を担保する。どの政治家がどんな統計を要求したか、その分析結果はどんなものかは先のWebデータベースで公開される。国民の税金だから当然である(もともと統計にはその性格上個人情報は含まれない)。

うまくいかない国や組織の共通点はワンマン(ほら、あの国もかの国も)。うまくいっている組織の共通項は、幸福感を感じる人たちが良いナラティブを紡ぎ出して、そこから発展の和が限りなく広がっていく。いわば幸福感がすべての出発という視点(近年のハーバードあたりの科学的な根拠に基づく論文は読んでる? いまの株価は不幸な人たちがあふれる社会が払った代償だから、いったんは暴落させないと。世直しができたら株価は急上昇するから。実態を反映していないから投資は危ないよ)

万博や五輪や防衛費、はたまた政策調査費やパーティ券収入は別の世界にあるよう。どこにも歯止めがないのに、まじめな議論になると予算がないという。だから社会が破たんしないために税金を上げて、みなさんが負担していただいてと呼びかけるけれど、所得に対する租税の負担は5割を超えてしまった日本。可処分所得は減少しながら税率はどんどん上がっていく。それでもゆりかごから墓場までの国のような社会保障は夢のかなた。国の金庫(財務省)を政治家(=国民の代理人)が管理することで、利権のループから切り放すことができて、ムダな支出を防ぎつつ必要な投資はきっちりと行えるようにする。

一方でどんどん税率を下げた大企業の法人税だけど、かつて企業の時価総額では世界ベスト10に8社入った国が、いまやベスト30に1社も入らない。法人税を下げたことが内需を圧迫して人材を流出(家電メーカーの買収など)させてしまった悪循環。中小企業にはその恩恵もなく、社員の給与も上がらなかった。不幸な国民が増える国で経済政策や子育てがうまくいくはずがない。いまの政治が続く限り、子どもが生まれた数だけ不幸な人を増やすだけになってしまう(子どもを増やしたいのなら政治を変えないと)。

間接民主が機能せず利権誘導の構図から脱却できず最大多数の最大幸福にはならない以上、政治家を増やしてブロックチェーンのように大勢の人が政治を監視するしくみにするしかない。大切なことは良い政策を行うことではなく、不要な政策をやらないこと。それが機能するようになってから、良い政策を立案実行していくしくみを調えていけばよい。

多幸感のある国民が住む国をめざして一人ひとりが政治に参加しなくては(脱政党、脱イデオロギー)。
posted by 平井 吉信 at 11:55| Comment(0) | 生きる

2024年02月13日

桃の花ですよ


冬至を過ぎて約2か月、日が長くなってきた。暦では立春を過ぎて雨水を迎えるこの頃、庭の桃は満開となった。
見上げた空の下、いや、空の上に突き抜けるかのごとく、桃は枝を伸ばす。
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毎日急ぎやヘルプミーが飛び込んできて仕事はこのざま(毎晩3時だよ。よく生きているな)。
だからといってブログの更新を止めない。止めたらいけない、見ていただける人がいるかぎり。
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ここで古いミノルタのレンズを取り出してきた。MD85mmF2。これをフジX-T5にマウントアダプターを介して取り付ける初の試み。それは最新のデジカメ(40MPセンサー)+40年前のオールドレンズの40/40マジック。
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いかがでしょうか? 桃の花、あそんでいますね。
posted by 平井 吉信 at 21:43| Comment(0) | 家の庭

2024年02月11日

月の光はしずしずと 田部京子「メロディ」


田部京子さんを初めて聞いたのは吉松隆作品から。
現存する作曲家でもっともロマンティックな曲を書ける吉松さんの作品は田部さんに任されているかのよう。プレイアデス組曲の第1集第2集ほど繰り返し聴いたピアノの短編集はないだろう。そして宇宙空間にしずしずと花ひらくピアノ協奏曲「メモ・フローラ」の静謐な音詩はうつむいた心を少し上を向かせるかもしれない。この音楽を自分に取り込むことができたらおだやかになれる。
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モーツァルトのピアノ協奏曲は極上の音楽だ。日本のオーケストラも羽毛のように空気がそよぐ上質感を醸し出す。例えば、ピアノ協奏曲K488。楽曲の天上的な美しさに輪を掛けたピアノの珠を転がす愉悦と叙情、小林研一郎の伴奏もピアノに真綿のように寄り添う。

2023年4月に発売されたピアノ小品集「メロディ」では、適度に名を知られた曲もあるが、世に知られていない楽曲を集めて光を放つ「世界」に仕立てた感じ。技術を煌めかせるのではなく、音符が語り掛ける感じ。弾き手の意志が濃厚なのに、ピアノをドライブするのではなく、音符がそこへ降りてくるよう。特に後半になるほど弾き手と楽曲が一体化している。

ぼくはドビュッシーが好きなので「月の光」について書きたい。いつのまにか灯りを消した部屋に射し込んでいる月光。ドビュッシーは決して標題音楽ではないけれど、ベルガマスク組曲第3番Clair de Lune、変ニ長調、Andante tres expressif、8分の9拍子は、やはり「月の光」。月の光がE=MC2の方程式でかけめぐるかのような淡々と光を強めながらしずしずと。

フォーレのシシリエンヌは儚くも美しいが、編曲においてはもっと羽ばたいてほしかった(中間部は、荒井由実のひこうき雲にも似た痛切な憧れのようだから)。楽器はなんだろう? くすんだきらびやかさを感じるのでベーゼンドルファーかな。このアルバムは理性で聴くよりは浸るように任せる音楽。それが叶うなら人生の豊かな時間を紡いでくれる。能登半島で復興に向けて長い道のりを歩み出そうとする人々にとってもそうであればと願う。

デンオン(日本コロンビア)による録音は、デッカなどと違って澄んだ高域と中低域のふくよかな響き。あのMCカートリッジDL-103に豊かなソノリティを付加したような録音。スイトナーの田園で第1楽章の低弦の漂う音場が朴訥な18世紀の田園野を感じさせた。

posted by 平井 吉信 at 00:37| Comment(0) | 音楽

2024年02月10日

竹鶴12年を再現できないか


酒は飲まないし飲みにも行かない(コロナでなくても)のだけれど、家で少量の酒を味わうことがある。
酒は愉しいときこそ味わいたい。やけ酒や酔い潰れるなんてつまらない。酒は人を堕落させる道具ではないから。

気が付くと、自作の梅酒を筆頭に、日本酒、焼酎、泡盛とそれなりの銘柄が揃っている。ただしビールはアルコール度数0%の龍馬1865と知人のつくるクラフトビール以外は飲まない。

21世紀初頭のウイスキーが売れなくなった冬の時代、西暦2000年にニッカから発売されたのが創業者の名前を冠した初のウイスキー「竹鶴12年」。

ウイスキーブームの現在からは信じられないことだが、ぼくの手元にも山崎12年など現在では数万円のウイスキーがあった(当時は5千円台)。竹鶴12年も2千円少々(1980円のときもあった)で買えた。

その後、NHKの「マッサン」でブームになる頃には竹鶴12年は終売となったが、ぼくの乏しいウイスキー体験ではこれがいまも最上である。初めてこのウイスキーに触れたとき、こんなにおいしい酒があるのかと感動した。食品として表現するなら、甘味、酸味、適度な苦みが次々と顔を出しながらも(ほら、人間が縦に重なって顔を出しながら踊る振り付けのように)、親しみやすく、気品高く、庶民の幸せをボトルに詰めました、とでも言いたげに。

山崎12年の花が溶けてしゅわっと広がる味と香りの洪水もよかったが、基本となる方向性は竹鶴のほうが好きだ。終売となってからは竹鶴17年(4〜5千円)を3本買って、先日その2本目を飲み終えたところ(1本飲むのに5年ぐらいかかっていることになる)。山崎12年の良さを教えてくれたのは、小豆島YHで働いていた青年で料理の腕前が良い人であった。何の話だったかは忘れたけれど意気投合したことを思い出した。

竹鶴17年はもちろんおいしいウイスキーで素人のぼくが語るまでもないのだけれど、ぼくは竹鶴12年のほうが好み。想像するに、ウイスキー冬の時代の製品なので、若くても12年の原酒を、なかには20年を超えるようなものも混ぜていたのかも。さらにモルトを引き立てるグレーンの役割が大きく、飲みやすさにつながったのかもしれない。

竹鶴は余市と宮城峡のモルトを使っているとされるが、余市10年を飲んだとき、これまたピートの苦みという先入観ではなく、ミルクのような浮遊する甘味を感じて驚いた。宮城峡12年(まだ半分は残っている)では濃厚に詰め込まれたウイスキー成分を味わう際に、まずはそのままで、そして少しずつ加水しながら開かせていく楽しみがある。

竹鶴12年を既存のウイスキーのブレンドで再現できないかと思って、候補に選んだのがブラックニッカ(スペシャル。近所のスーパーで税込1600円ぐらいで売られていた)。親父は酒飲みではなかったが、応接室にはブラックニッカが置かれていて、ときどきはコーラ割りなどを楽しんでいた。21世紀初頭はウイスキーが潤沢に選べたので、ニッカからはオールモルトという商品もよく買っていた。顔なじみのブラックニッカ(派生ではないオリジナル)はいつでも買えるだろうと思っていたので。つまりブラックニッカ人生初体験(2024年)なのである。

ブラックニッカ(スペシャル)はシリーズのなかで唯一オリジナルを継承している。その風味も飲みやすいが、決して甘味ほやほや路線やハイボールの引き立て役ではなく、単独でも存在感がある。ある意味では、竹鶴12年の突き抜けたバランス感をやや下げて実現しているように思う。密度感があって香りの開く奥ゆかしさとふくよかであって透明感がある竹鶴12年には及ばない。そこでブラックニッカと竹鶴17年をブレンドしてみたのだ。

その結果、マッサン当時の竹鶴17年(2010年代半ば)と、ブラックニッカ・スペシャル(2024年)を1:2でブレンドしてみたら、竹鶴12年の感覚が味わえたのだ。
良いウイスキーはそれを味わっていた当時の人々との交流を思い出させてくれる。
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追記
サントリーの知多は、新しい銘柄で近所の店で4千円少々で販売していたもの。トップの発言の不快感からサントリーの不買運動を続けているが、これは例外にしてシングルグレーンのウイスキーという新境地を見たくなったので購入。これはこれで新たな地平線を開いたと感じる。ウイスキーの多様な生態系のひとつとして評価される製品と思う。


posted by 平井 吉信 at 12:05| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2024年02月08日

ブルーモーメントの空


買い出しに出かけて店から出たらこんな空。ブルーモーメント。
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とくしま植物園を歩いた後、見上げた空の地平線から離れた部分が青く碧く沈んでいく。
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こんな時間まで散策を続けていたのだなと。

(1枚目は、フジX-T30+XF35mmF1.4 R、f2.8、1/52秒。2枚目はX-T5+XF23mmF1.4 R(旧)、f3.6,1/34秒。同じ場面ではないが、24M画素の1枚目がメリハリ感がある。これに対し40M画素の2枚目は木々の枝が見分けられる繊細さと色調が無限につらなりながら深々と沈んでいく階調が印象的。いずれもレンズは絞りすぎないようにしている。背景をぼかしたいのではなく遠景を撮るときもせいぜいf5.6(快晴であっても)まで。せっかくの口径をムダにしたくないので。絞りすぎるとレンズ設計者が泣く)

posted by 平井 吉信 at 21:56| Comment(0) | 気象・天候

タイキンギクとオキナグサ


徳島県南部は山野草の宝庫だ。「らんまん」で出てきたヤッコソウもまちなかの低山に自生している場所があるし、室戸岬まで足を伸ばせば、3月のルリハコベも見られる。
タイキンギクも高知県の独壇場のようだが、徳島県南部にも散見される。
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オキナグサは不可思議なかたちをしている。初めて見たときは驚いた。徳島では河川生態系という珍しい環境に咲いている。3月が開花期のはずだが、一輪だけ2月上旬に咲いていた。
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庭の桃も満開に近づいた
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南天と同じ空の下で咲いているのは佳い絵姿
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立春を過ぎれば、水温み大気ざわめき、足音が近づいてくる。
posted by 平井 吉信 at 21:46| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2024年02月06日

災害対策が必要なのは会社や工場、店も同じ 一緒に対策を考えませんか?


能登半島地震が起こった際に「被災地へ入るな」との呼びかけがなされた。被災地の道路は損壊により徐行箇所や離合困難な場所があったはず。渋滞が起きるのは当然で、野次馬などいなかったのではないか。

むしろ、元日に家を空けて出かけた人が心配になって能登半島の家へ戻ろうとした、県内の比較的被害が少なかった地域の住民が電話がつながらない能登半島の親族の安否を確かめに入ろうとしたなどが多かったのではないだろうか。

逆に、早期に現地入りをしようとした経験と装備を持つNGOやボランティア組織を排除する結果になりはしなかったか?(来るなといわれても心ある支援者は現地へ向かっただろう。県の初動対応が機能しなかっただけに)。

石川県災害対策本部規程では知事が本部長を担うこととされている。本部長が現場を訪れたのは1月13日だった。被災地の知事が現地入りしても危機管理、土木、総務などを担当する数人の同伴者で足りるので現地が迷惑を被ることはないだろう。被災状況は災害対策本部で共有できていたとしても、政治家としての姿勢が問われる。この地震で初動期に駆けつけたのは、れいわ新選組の山本太郎議員のみだった。

今回の地震でどこに寄付をすればよいかと相談を受けた。初動対応にしても息の長い支援になるにしても経験ある支援者を支援することが有意義ではないかと伝えた。今回の県の対応を見ていると迅速かつ的確に対応ができるとは思えないのだ。

支援なれしているNGOは経験をもとに的確に行動することができるけれど、それは部分的最適化やスポット的な支援にとどまる(運営資源が脆弱なので)。
そこで全体最適化を行う県の役割が重要となるが、そのノウハウが県にないのではないか。平時からあらゆる事態を想定した机上訓練によりタイムラインによる初動想定、支援資源の全体最適化に向けて情報の共有、分析とフィードバック回路をつくっておくこと。調整の技術とともに通信の冗長化などやっておくべきだろう。

中小企業や小規模事業者も同様である。災害多発期にあって、感染症のリスクとサイバー攻撃のリスクも高まっている。コロナについては当初から指摘しているように、根源の原因がなくならない限り収束しない。

根源の原因とは、@地球温暖化をただちに食い止めること、A熱帯雨林の開発を止めること、B人々の移動を止めることの3つ。それが困難であれば、マスクを取る生活は二度と戻らない。これは悲観的な観測でも感傷でもなく、誰もが認めざるをえない結論。むしろマスクを身体の一部と考えて受け容れること。人は矛盾を抱えたまま生きていける存在だから。

経営に限っていうなら、どんな場面でも取り得る対策はある。想定されるリスクをあぶりだし、想像力も働かせてどのようなことが自社に起こりえるかを考える。そうならないための現実的にできうる対策を抽出し実行する。

また、初動対応の基準と具体的な行動をマニュアルとして策定する。さらに平時から非常時に備えた行動を行うことで訓練ではなくルーティンとなり、JALの脱出行動のように冷静かつ的確に(マニュアルになかったことも含めて)対応できる。

中小企業や小規模事業者は1社だけで災害対策などを考えるのは限界がある。さらにBCPのような高度な対策を立案することは実用性の点から意味がないので、上記で挙げた必要最小限の計画をつくる際に、2社以上で連携する事業所があれば、計画策定をサポートしたい(無料)。

ただし平井吉信一人の能力と時間には限りがあるので、対象は徳島県内の事業所に限らせていただくとともに、真摯に対策を考えて取り組む事業所を支えたい。詳しくはこちらで問い合わせや申し込みをどうぞ。

追記
食糧の備蓄はこんなところかと。
缶詰のパンや乾パンは基本。おすすめなのは、井村屋のようかん(災害備蓄用)。ようかんは、水がない環境でも食べやすく、すぐにエネルギーに変わってくれる。登山が趣味の人にはおなじみの行動食。カロリーメイトは賞味期限が短いのが難点だが、期限前に食べて更新していけばよし。
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posted by 平井 吉信 at 00:09| Comment(0) | 気象・天候