2023年08月29日

渚に行こう 波間に憩う


鎌倉、茅ヶ崎、江ノ島あたりはまちと海が近くていいね。若大将こと加山雄三のCD「加山雄三 グレイテスト・ヒッツ~アビーロード・スタジオ・マスタリング」をたまに聴くと良いね。もちろん昭和の楽観的な世界観も。「美しいビーナス」は楽しい。「海その愛」は「ひとりでも星を読みながら波の上を行く」 ― ベートーヴェンに通じる晴れがましさがあるね。「光進丸」の航海は心弾む。

ブレッド&バターも好き。「Silver Bread&Golden Butter~Early Best 1972-1981~」から「渚に行こう」「クルージングオン」なんて海に行くときの気分そのまま。だから渚に行こう。

そんなわけで休みの日は海を見に行く。湘南のように家から歩いていける渚もあるけれど、まあ運転をするのも愉しいので1時間ばかり南へ。

渚へ行くこの道には十数kmに渡ってほとんど人家がない。エアコンは切って窓を開けてみて。潮風と海岸性照葉樹林の息づかいが飛び込んでくるよ。雲は友だち。
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渚に着いた。1家族が遊んでいる(たったそれだけ)。愉しそうでいいね。
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人家がまったくない照葉樹林の谷から流れて海へ注ぐ小川。身体がべたついたら洗い流すのに良い。
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ぼくは波打ち際から遠いところを歩く。お目当ての植物があるから。そしてそれは見つかった。
今度は波打ち際を歩く。波の砕け行く瞬間を止めたら海の表情を持って帰れるかなと。
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光と影は渚にも陰影と立体と安らぎをもたらす
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風は乾いているから心地よい
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波と小石と貝殻と
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これがあるから生きていけるんだね。一人ひとりが虚構を脱ぎ捨てて自然と向き合うなかから生きがいと日本再生が見えてくるはず。
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posted by 平井 吉信 at 00:17| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年08月28日

昼の憩いの時間です 川を見ながら弁当でも/4県過疎連合の豊かな時間が流れる


仕事の途中の昼休みで弁当を食べることは愉しい。
きょうは初めての場所で昼休み。
(こんなことができるのも南四国。人口減少でますます盛り上がる)
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2024年(物流問題で日本の地方の野菜、果実、肉類が都市部に入りにくくなる)、異常気象(洪水だけでも温暖化前の240倍=つくばスーパーコンピュータ)、不動産価格は高騰(ローンを返すための人生で楽しくない)、感染症とは共存しなければならないというのに人が多い都市部は絶対的に不利。

その点、島根・鳥取・高知・徳島の過疎地4県共和国(勝手に命名)はそんな心配とは無縁。人口の多い都市部へ食糧を供給しているぐらいだから自県内は産直にあふれている。

仕事をしていても時間はゆっくりと過ぎると感じる。自分の事業に加えて3つの会社の役員、2つの団体の役員、いくつかの公職を兼務していて、家事は分担。仕事が終わのは(数十年変わることなく)日が変わる時刻だけど、仕事に追われる感覚がないのは風土がなせること(本ブログだけでも1679コンテンツあるけれど)。

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この弁当は手抜き。でも農家から直接分けてもらった玄米を毎日5分づきにして、自作の梅干しを腐敗防止と絶佳風味に添えて、おかずは味付けを変えた牛肉の炒め物と野菜の炒め物の2層で満足度高し。茶は水筒に八女茶を詰めているよ。ご飯だけでも幸福感を感じるうえに新鮮な素材を手間をかけず最小限の味付けを添えた弁当は市販してないから。見た目が悪い? ご飯は盛るけれど写真は盛らないので(Instagramを見過ぎていませんか?)

一度の人生だからやりたいことをやり尽くしませんか?

(日和佐町 北河内谷川にて)

posted by 平井 吉信 at 23:40| Comment(0) | 生きる

2023年08月26日

憧れの越中八尾 おわら風の盆


福井県、富山県などは県民幸福度の高い県ではなかったかな。持ち家率が高い、自殺率が低い、地元にとどまる比率が高いなどの傾向があるのではないかと。

県都の富山市を訪れてわかったのはどこにでもある地方都市ながら住みやすそうな土地と思った。公共交通網の充実があるし、繁華街の総曲輪地区を歩くと、都会の雰囲気はまとっていないが賑わいは保っているという感じ。黒部立山連峰から流れ出す急峻な川が富山湾に注ぐ。その川が拓いた富山平野には散居村という独特の集落を形成している。

富山市中心部から高山本線で南へ半時間遡ると越中八尾駅に着く。さらに徒歩で井田川を渡って丘を登るとそこがおわら風の盆の舞台となるまちなみ。この小さなまちに20万人が訪れるという。観客と踊り手の一体感は郡上踊りと同様に濃密である。

おわら風の盆は、丘の上の細長いまちにおわらを見ようと大勢の人が集まってくる。夜遅くまで行われるが、まちに宿は少なく(祭りの期間中に一見さんが泊まれるとは思えない)観光客は終電で宿のある富山市へと帰っていく。

ここから地元の祭りが始まる。時刻は夜半を過ぎて喧噪は消えている。編み笠も脱いで自分のための、まちのための踊りが繰り広げられるまち流しの時間帯。一度でいいから見てみたい。

風の盆は日本舞踊の要素を採り入れながら風土(そこにいる人々の心の動き)を所作にしている。蛍狩り、蛍を指さす(川の魚を指さす)、蚕が糸をふく(養蚕)、蛍の乱舞(立山をはるか望む)などの所作が組み込まれた四季踊り、そして鏡町で始まったとされる男女が踊る艶っぽい踊り。

優美な所作、ところどころでとまる動き、そこへ移行する動きの緩急のなかに、青さ(幼さ)と成熟(艶)が移ろいつつ明滅するように時間が息づく。そして地方(じかた)が奏する三味線と胡弓を飄々と歌い手が流し囃子手が合いの手を入れる。

おわらはまちごとに年長者から受けつがれていくなかで、まちへの帰属意識や愛着を高めていく。踊り手は未婚者で25歳には次の世代へ受け渡すという不文律がある。最後の年の踊り手には万感の想いが胸に迫るという。しかしそんなおわらも少子化という時代の波に揉まれている。

おわらは他の祭りとまったく違う。胡弓の響き、しなやかで優美な所作、そして二百十日(台風)の風を鎮め豊作を祈る。そんな地元の風土を踊りと音楽の絵巻にした芸術性。それを世界でもまれな丘の上の隔絶したまちなみで行われる。

祭りに優劣など無粋だけれど、もっとも見たい祭り、しかしコロナ下での来場制限も相まって、見たいけれども現地へ行けない祭り。思いが募る。
まもなく令和五年、風の盆が始まる。


丘の西を流れる井田川、橋を渡って坂道へとりつく
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坂は広い道細い路地が縦横に入り組みつつ、町並みへと誘う
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丘の上に石畳のまちなみがある。諏訪町。風の盆には11のまちが参加するという
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追記
踊り手とそこにいる人との距離がないことが旅人の心に残るのではないかと。
郡上踊りもそうだが、予習せずやってきた旅行者がまちのあちこちで自然発生的に行われる数々の郡上踊りに参加していく。踊りのパターンも「かわさき」「春駒」「やっちく」「まつさか」などいくつかあって、何度かやっていると「あっ、これはさっきやった春駒だ」と身体が動き出す。電光掲示板やアナウンスも観客席もない。観客と踊り手の境界がなくなって見知らぬ人同士が意識して同じ動きに合わせようとすることで心が通い合う場面となる。

ここ数年の阿波踊りは政争の具となっているという人がいる。真偽はわからないが、2023年は踊る機会が与えられなかった有名連があった。そこで徳島城公園など有料演舞場以外の場所で踊ったところ、多くの人が自然発生的に集まって老いも若きも上手も下手も関係なく踊る場となった。そのことが連の踊り手に深い感銘を与えたという。高額な席を設けて商業主義をひた走る反面、リスクは委託した民間組織に背負わせるが、踊りの中止は市が決定するといういびつな構図も気になる。

ここで政治や行政を語っても仕方ないが、4県都(高松、松山、高知、徳島)の行政組織(どの市ともまちづくり等で仕事をしている)で、どのまちが活気がないかは明らかだろう。県内でどこの市が迷走しているかという問いにも同じ答えを書く人が少なくないだろう。

採算が条件であれば、一部のプレミアム席だけでなく有料桟敷席の料金をさらに高く設定するのが得策である。そうすると、ますますショー化が進み、ビールを飲んでつまみを食べている観客のそばを真剣勝負の踊り子が100点満点をめざしてフォーメーションなどの画一化組織化された団体演技を行う構図に収斂していく。でもそこに踊り子も観客も人生が浮かび上がることなく、それぞれの個性や感情も見えない。

かつて、駅前のちょっとした空間で神山町の地域連の桜花連が踊っているのを見た。地元の踊り手が演舞場での出番の合間でめいめいが踊っていたのだろう。決して同じ動きをする必要などなく、一人ひとりが感じたままに身体を動かせばそれで十分。踊りを見ていて心が軽くなった。アスリートのパフォーマンスを見せつけられても迫力は感じても心は動かないのだが、地域の人たちの気持ちをつないで愉しんでいる様子は心に残った。踊りとは人生そのもの、魂の祝福と思っている。

いまの阿波踊りを見たら、多田小餘綾さん、瀬戸内寂聴さん、名手四宮生重郎さんなどはどう思うだろう。一度すべてを分解して、政治や争い、主義主張は持ち込まず、観客と踊り手の境界もなくして(ただし踊る場所は設定する)、自然発生的にまちを流す実験を1日ぐらいはやってみてもよいのではないか。

祖霊を慰める盆踊りが源流にあり、踊りという祭りを通じて人々が交流をあたため、生きている感謝や魂の歓びを踊る。そんな阿波踊りが見たい気がする。

さらに追記
1人20万円の例の有料席は建築基準法違反での設置との報道があった。アトキンソンの影響か観光に拝金主義がはびこっている。
posted by 平井 吉信 at 14:39| Comment(0) | 生きる

2023年08月25日

今週のらんまんから ノジギク


兵庫県以西の西日本の限られた場所に自生するノジギクは牧野富太郎の発見(兵庫県内には群落があることから県の花となっている)。

四国西南部にはノジギクの地域的な変種、アシズリノジギクが晩秋に咲く、大海原を背景に見応えがある景観が出現するはずだが、訪問したのは2月上旬。

四万十市や三原村方面から土佐清水市に入ると、大岐海岸(大岐の浜)が印象的。浜の北端には大岐川が流れ込み、浮桟橋が最下流にかかっている。もちろん人のみの通行である。
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大岐の浜は芸術性の高い景観で観光地と呼びたくないほど神々しい

大岐海岸から山を越えれば土佐清水の市街地。清水漁港から足摺スカイラインで岬へと向かう。
足摺岬は室戸岬と異なり断崖絶壁の地形である。
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この断崖にアシズリノジギクが咲き誇るのだろうなと思って散策を続ける。
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すると痛いほどの風に耐えるようにアシズリノジギクが咲き残っていた。
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posted by 平井 吉信 at 23:30| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年08月24日

アリス=紗良・オットで聴いた 真夏のドビュッシー 晩夏のグリーグ 


アリス=紗良・オット(Alice Sara Ott)というピアニストをご存知ですか?
動画サイトで良い演奏を見つけたので書いてみました。

ドビュッシーの月の光は誰でも知っている曲だが、ドビュッシーを得意とした往年のピアニスト、フランソワ、ベロフ、ギーゼキングなどのようにピアノの名人芸やピアノの可能性を追求した演奏とは違う。ピアノをピアノとして演奏する前に心の声が鳴っている。指は鍵盤に触れているのに鳴っているのはピアノでない感触とでもいうか。

★ドビュッシー 月の光
https://www.youtube.com/watch?v=6JNkRFKkQBA

この映像では静謐な青白い光の明滅とともに空気が澄んでいくような感じを受ける。日本のテレビ番組での演奏のようだが、集中していたんだろうね。弱音が夜にひらいた一つひとつの白い花のような。

CDで探してみたらこのアルバムが見つかった。フランスの作曲家の小品集。



★ベートーヴェンピアノ協奏曲第1番(本人公式チャンネル) 
https://www.youtube.com/watch?v=pQObiL-ZYsw
ファルテピアノの演奏のように雅び。ロココの時代に若きベートーヴェンの情熱がこだまする。

★グリーグ ピアノ協奏曲(これはいい!)
https://www.youtube.com/watch?v=6LJTwzZHrwQ

ぼくはこの曲がずっと好き。かつてクリスティアン・ツィマーマンとカラヤン/BPOのレコードで聴いていた。ベルリンフィルの深みと凄み、若きツィメルマン(ドイツ語の発音ではこちらが近い?)の堂々とした演奏はカラヤンを凌ぐほどだけど、この曲ではカラヤンもロマン派の巧者のようだ。

その後、ツィマーマンが徳島に来ると知ってコンサートに出かけた。夫人を伴ってやって来た彼は彼女の肩を抱いて会場から消えていった(その格好良さ)。

さて、グリーグの協奏曲。この曲は世間が評価するよりずっと良い。心が疲れたときに聴いてみたくなるし、元気なときにはさらに心に沁みてくる。

第1楽章が始まる。アリスの笑みと没我の瞬間をカメラが捉えている。この楽曲がアリスに合っているんだなとわかる。第2楽章の最弱音の美しさは別世界から聞こえてくるよう。そして第3楽章のこぼれるような跳躍の愉悦。

オーケストラではホルンの音色の深み、精妙な弦が生き物のように漂いつつ、全体は朴訥で木質のあたたかい響き。最後は興奮の坩堝に飛び込んで観客総立ちの壮絶な演奏となる。終わりはアリスと指揮者が一心同体のように所作がシンクロしている。この指揮者の立ち居振る舞いも日本の能を見ているような所作の清潔さがある。その彼がアリスの演奏に聴き入っている瞬間が記録されている。

指揮は、トーマス・ダウスゴー、オーケストラはDR放送響(デンマーク国立交響楽団)。

これを実演で見えた人はいいな。欧州まで飛行機代払ってでも見に行きたい。
(そのままCDや映像化されたら良いのだけど)

スタジオで製作されたCDはこちら。グリーグの小品集と組み合わされていて素敵だ。


有名なエリーゼのために。この曲をアンコールで弾く人はほかにいないでしょう。ピアノを習っていないぼくでも弾ける曲だけど、この軽やかな深みは言葉で表せない。特に実演のアンコール演奏での空気に溶け込むピアニシモの凜とした表情は、Für Elise を再創造したかのよう。
https://www.youtube.com/watch?v=_e7PCh9ekRo(コンサートのアンコールで)
https://www.youtube.com/watch?v=k0eNzs6g_MU(ドイツグラモフォン公式サイト)

ドイツ人の父と日本人の母を持ち、数カ国語を話す多国籍な環境で育ち、若くして脚光を浴びたが、近年は多発性硬化症に見舞われたという。天才チェリストといわれエルガーのチェロ協奏曲で一世を風靡したジャクリーヌ・デュ・プレも同じ病だったと記憶。ピアニストにとって指が動かなくなれば致命的だが、演奏活動を再開された。きっとさらにすばらしい演奏を世に出していただけると信じている。彼女に幸多いことを祈らずにはいられない。

コロナ下や病気に見舞われたときの感情を伝えるインタビュー動画がある。英語だが理解できる人は多いと思う。

★Life Is Like Prelude: Alice Sara Ott / Pianist
https://www.youtube.com/watch?v=6An9n79g7W0

上の動画を見たあとで、日本語で日経のインタビューを受けている人やドイツ語で答える人が別人のように見える。言語って背負うものや世界があるんだね。でもイスに座ってあぐらをかいているのがアリスの日常なんだね。
https://www.youtube.com/watch?v=Yqs4jEKYvCs(日経で日本語)
https://www.youtube.com/watch?v=YqBnaA4Eczs(英語)
https://www.youtube.com/watch?v=ypZW2TAmfhk(ドイツ語)

アリスはスタジオ録音よりも実演でさらにきらめく人のよう。気取っているのではなく天性の所作を持っている人。格調高いクラシックを演奏しているようで伝統の呪縛を脱ぎ去り、多様性の価値を身上としてもっと自然で飾らない心の動きを大切にしている演奏家。アリス=紗良・オット、もっと聴いてみたいな。

posted by 平井 吉信 at 00:53| Comment(0) | 音楽

2023年08月23日

夏が来れば思い出す 郷愁のかなたの黒沢湿原(夏休み特集その2)


夏が来れば思い出す♪ というのは尾瀬湿原をうたっているけれど、夏と来れば何を連想しますか?
夏といえば「海」という連想はもはやできない。

かつて25℃を超えれば夏日といっていたぼくの少年時代には30度を超えることはまれであった。ランニングシャツに半パン、草履と麦わら帽子で虫取り編みを持って遊んでいたのは数十年前の少年。いまは熱射病の危険にさらされる。夏の日中に遊んではいけない時代になってしまった。

地球はすでに温暖化で壊れてしまった。どこかの国の大統領が温暖化やコロナはデマだ!と叫んでいたが、そんな人物が次の大統領選に出るなど有り得ない。自分にとって都合の良い情報のみを取り上げて信じ、影響力を行使することで誰か幸福になりますか?

ぼくの周辺でもインボイスへの対応に不安や不満を募らせる声が増えている。インボイスは奇妙な制度で社会に不要なだけでなくあらゆる人に害をもたらしている。社会をよくするためには次の選挙で行動することですよ、入れたい政党はぼくもないけれど、入れてはいけない政党に入れないで投票に行ってそれ以外の政党へ入れるだけでも社会は変わりますよ。
とにかく行動で示そう。国民を貧しく国民に冷たく格差を拡大する政党は自公維新(彼らもわかってやっている)。引き立て役を演じている民主系も同罪。

マイナンバーを駆り立てるサントリーの製品は買わなくなった。炭酸水が欲しくて棚にサントリーの製品しかなければ買わないでおく。キヤノンも経団連会長時の発言で縁を切っている。カメラやプリンターを買うときの選択肢にはならないということ。過去に電通やパソナの仕事を行ったこともあったが、数年前からお断り。やりたくない仕事や考え方に共感できない企業の製品やサービスは買わない。自分の人生なんだから。

共感できる企業や商店は買って応援しよう、できれば声を上げて賛同する気持ちを伝えよう。消費を通じて社会を変えていくことはできる。日頃の消費生活そのものがクラウドファンディングのようなもの。

前置きが長くなるのがこのブログの悪いところ。もう嫌になっている人もいらっしゃる。でもさっきの問いに対するぼくの答えはいちおう記しておくね。

夏といえば、湿原、草原、高原。まずは黒沢湿原からいくね。

黒沢湿原は三好市池田町にある。稀少な植生があるけれど、それだけでなく、この湿原を散策するだけでどんなに暑い夏も(涼しいとはいわないまでも)心地よい風に変えてしまう。この湿原は湿原そのものの魅力もあるけれど、どこかで見たことのある郷愁を誘う場面に満ちていることが魅力かも。

もういいから早く写真を見せろ! わかりました、どうぞ。
まずは湿原へと続く道 湿原のなかの小径から
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湿原に点在する林
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湿原の生き物たち
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背の高いコオニユリは湿原の風物詩
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地元の小学生のがんばりで増やされているサギソウ
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ヒツジグサ
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食虫植物も乾燥に絶えかねているのでは
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ヤマトミクリ
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このキノコがタマゴタケとしたら食べられる。しかし湿原の動植物は持ち帰りはなし。保全区域であるし、そうでなくても飽食の時代にあえて取ることはないでしょう。
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力尽きて落ちてきたツクツクボウシ
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湿原の南部にある民家は映画のロケのためにつくられたもの
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湿原には日陰もある 一日過ごしたいところだが数分だけでも心地よさ指数は急上昇
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湿原の東側の林道を通って帰る この小径はなんだがなつかしい 鎮守の森へ向かう里山の場面のよう
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湿原の夏は駆け足で過ぎていく。猛暑の夏は蒸し暑い湿原となるかも(水1〜1.5リットルは持参しよう)。それでも行きたい黒沢湿原。熱い夏を愉しむためにも。

タグ:黒沢湿原
posted by 平井 吉信 at 00:16| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年08月19日

今週のらんまんから キレンゲショウマ


キレンゲショウマは、アジサイ科、キレンゲショウマ属のキレンゲショウマという種である。1つの属に1つの種というのも珍しいが、日本固有でしかも限られた場所にしかない。最初に発見されたのは石鎚山系。後に朝鮮半島や中国東部でも見つかるのだが、東アジアの限られた地域に自生する特異な種であることには変わりはない。

小説「天涯の花」(宮尾登美子)に魅せられて剣山の自生地を訪れたのがきっかけだったが、作者自身は自生地へは行ったことがないという(修験道にもなっている険しい場所なので)。それなのにあれだけの描写ができるのは人間の想像力と創造力を表している。

剣山では2015年にキレンゲショウマの自生地が崩落して壊滅状態になったのではと心配されたが、2016年には復活していることが確認された。四国では石鎚山(登山道からも遠目に見える)、筒上山などに自生地があるが、規模からいうと剣山がもっとも広いのではないか。
(石鎚山登山道から見えるキレンゲショウマの群生地、まだ開花していない状態)
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剣山では山頂へ向かう途中で山頂とは逆に谷筋を下りていく。その雰囲気がたまらない。タカネオトギリ、トゲアザミ、ナンゴククガイソウ、それからカニコウモリ、お花畑でのシコクフウロ、ソバナ、ホソバシュロソウ、点在するツルギハナウド、ギンバイソウ、レイジンソウ、石灰岩地でのヒメフウロ、ときどきはランの仲間も見かけながら、修験道を下りていくときこそ高揚する。

そして黄色の絵の具を散らしたような遠景が近づくにつれて、花弁を斜め下に向け、ある花弁は上を向き、蕾と散った花を載せて学名(Kirengeshoma palmata )の由来となった掌のような葉が印象的。霧にむせぶ谷間にぼうっと咲くこの花を見ると、良かったと思える。
(掌のかたちの葉)
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小説や伝説の舞台である剣山を知らないとキレンゲショウマの魅力がわからない → 剣山のタグ
剣山のキレンゲショウマを年度ごとに見てみたい → キレンゲショウマのタグ

posted by 平井 吉信 at 12:28| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年08月17日

そのポストは、崖の上にあるが、妖怪ポストではありません


そのポストは、崖の上にある。
ガードレールは道路を通行する人や車両が数十メートル下の川へ転落するのを防ぐため。
そのガードレールの向こうの河川敷?にポストがある。
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こちらは境港市にある妖怪ポスト(水木しげるロード)
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鬼太郎が見守ります
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このポストはほんもの。毎日9時30分に集めに来るそう。
なぜ、ここにポストがあるのか? 
このポストがこの場所に置かれた意味は?
この場所はそもそもどんな場所か?

夏休みの自由研究にいかがですか?

場所は、徳島市南部の勝浦川沿いにあります。妖怪ポストではなく、郵便ポストです。
(岸田妖怪、河野妖怪、竹中妖怪、新浪妖怪、維新妖怪…妖怪には事欠きません。インボイス怪獣、マイナ怪獣、円安怪獣、物価高怪獣、増税怪獣、自己責任怪獣、軍拡怪獣と怪獣にも事欠きません。鬼太郎いわく「とうさん、近頃の日本は変な妖怪がはびこっていますが、もしかしてそれをつくりだしているのは国民の無知無関心かもしれませんね」)
posted by 平井 吉信 at 23:29| Comment(0) | 生きる

真夏のベートーヴェン


盆と台風が過ぎれば秋の風が吹く。もう扇風機は必要ないだろうと思う。音楽にじっくり向き合いたい季節がやってきた。

そんな昨今、知人が興奮した様子で「ベートーヴェンの良さがわかった」と連絡があった。コンサートに行ったらしく、何を聴いたかと尋ねると「交響曲第7番」という。ベートーヴェンの交響曲では身体がもっとも動く作品だろう。20世紀のロックのごとく。「ベートーヴェンはもっと暗いと思っていた」とも。

そうでしょうか? あれほど愉悦を発散する音楽はないと思いますが。魂を鼓舞するリズム。屈折とか鬱積とかではなく、世界の中心に自分がいて心が晴れていくヒロイックな旋律(愛を叫ぶ必要はありませにゅ)、それでいて静かに自らをみつめるような緩徐楽章の深み、一転してスケルツォでは高笑いをしてみせる無邪気さ。音楽に人間の輝きや寂しさを構築できた芸術家ではないでしょうか。

ぼくがベートーヴェンに私淑したのは(いまもだけど)10代の頃。当時はレコードだけれど、ベートーヴェンの作品に浸り研究し共感して、彼の作品を自分以上に理解している人間はいないのではと思えるほど。著名な演奏家や団体のベートーヴェンを聴いて「これは違う」「ダメだ、わかっていない」などと叫んでいた。まるでベートーヴェンが乗り移ったかのよう。

コロナ下で仕事がなくなったとき、野山に出てスミレを見に行った。野山を歩いて路傍の小さき花を見つけるたび、生きている喜びを感じた(だから不安はまったくなかった)。

夜は体系的にベートーヴェンに集中してみようと、ピアノソナタ全集(4セットある)であれば、全32曲を第1番から順に数日をかけて聴いて、次に別のピアニストでまた1番から始めるといった具合。これだけで1か月は浸ることができる。

ピアノソナタ作品101では、憧れと憂鬱が混じり合った法悦とため息を織り交ぜた詩情がくすぐる。ショパンだってこんな詩情は描けていない。でもご心配なく。いつものベートーヴェンで締めくくるから。日本人の女性ピアニストはこの作品によく合っているように思う(誰でもいいので動画サイトで検索して聴いてみて)。

その次は弦楽四重奏曲(中期以降ぐらいから)をリピート。
交響曲はいくつかの全集と単売を。愉しい田園などは10数枚あるので、ワルター=ウィーンの戦前のSP復刻から、ベーム/ウイーンのNHKライブやBPOとのスタジオ版、いぶし銀のブロムシュウテットやスイトナーの演奏、シューリヒトの一筆書き、アバドの美音、古楽器ではノリントンやジンマー、深く沈み込むフルトヴェングラーははずせない。

ベートーヴェンに浸る月日が定期的に訪れては洗われていく。心の友、終生変わらずつきあっていく音楽と思っていたので、知人のその言葉に「まだ入口だよ」と返答した。優越感ではないのだ。

(第7はわかりやすいから。おそらく1楽章の序奏から主部でヒロイックに打ちのめされたんだろう、2楽章の中間部で深い安らぎを覚えたね、3楽章のユーモアに身体が動き出しそうになったんだね、全曲聴き終わったら高揚と恍惚を覚えたのだろうね。ベートーヴェンの音楽は人類史上もっとも習慣性と癒やす効果の高い麻薬かな。人体に無害なのはもちろんのこと。

第7番で世評の高いカルロス・クライバー/ウィーンを聴いてもピンと来ないところがある。彼はこの楽曲に呑み込まれてオーケストラを制動できていないように感じるから。でも実演ならクライバーは聴いてみたかったな、好きな指揮者だから。でも、ぼく自身は9つの交響曲で第7はもっとも聴く機会が少ないけど)。

これからこの深く魂が喜ぶ音楽の森を逍遙する歓びを味わえることがどんなに幸せなことかという励ましを込めたつもり。真夏のベートーヴェン、おすすめです。

posted by 平井 吉信 at 21:45| Comment(0) | 音楽

2023年08月13日

棚田の夏 赤松川流域の里山を歩く(夏休み特集その1)


8月11日の徳島新聞で赤松地区の特集があった。焼き物の栂瀬窯や「赤松のとうふ」の大西とうふ店などが紹介されていた。ローカル新聞の良さはこんなところにある。歴代の社長や論説委員、記者の方々を存じ上げているからというのもあるけれど。

さて、このところ阿南市南部の地区から由岐の田井ノ浜にかけて集中的に紹介している。由岐に隣接する日和佐(北河内や山河内も含めて日和佐川流域)で流域の異なる赤松(那賀川流域)は別格の地だ。農林水産省の「美しい日本のむら景観百選」にも選定されている。

ぼくも赤松には格別の思いがある。子どもの頃に親父にアユのドブ釣りに連れてこられたのは那賀川との合流点付近。その頃は阿南市新野町から鷲敷町へ抜ける国道195号は難所であった。川口ダム河畔には「めんやど」というおでんやうどんを食べさせる大衆食堂があり、名物ばあさんが切り盛りしていた。

中学になれば集落の中心にある円通寺で通っていた私立中学の二泊三日の勉強合宿(高卒のぼくが教養や判断力に事欠いていないのも英才教育あってのこと)を行った。朝は校長の講話や自習など、午後からは近くの赤松川で水泳をしていたと記憶している。その場所はこの日も家族連れが水遊びをしていた(ただし当時と比べて赤松川の水は減少し心なしか濁っているようにも見える)。

10年以上前には海部郡内の商工会女性部とともに郡内の観光施設を回る際の案内役を務めたが、日和佐うみがめ博物館を訪れた際の館長の岡本さんのていねいかつ誠実な応対に心打たれてブログに書いたことがある。岡本さんも赤松のご出身である。赤松には庄屋を務めた岡本家があるが、その縁の方だろうか?

調べてみると、岡本家は南北朝時代の守護職赤松円心の孫にルーツがあるとのこと。六百年以上昔に播磨国から赤松地区に入って開拓し、1450年頃に円通寺を建立。円心に通じるというので円通寺と名乗ったのかもしれない。江戸時代には14代当主が名字帯刀を許されて岡本姓を名乗ったという。

円通寺とともに集落の中心にあるのが赤松神社。円通寺から少し上がった丘の上にある。赤松神社では秋になると吹筒花火の奉納が行われる。神社の手前には明治6年に創設された赤松小学校があったが2010年3月に137年の歴史を終えた。小学校跡地は防災拠点として整備され、宿泊もできる赤松分館として生まれ変わった。

→ 祭りドキュメンタリー#14 徳島県・赤松神社奉納吹筒花火(外部リンク=動画)
→ 伝承と祈りのヒカリ  徳島・赤松神社奉納吹筒花火(外部リンク=動画)

神社の奥には赤松中学校があったが、ここも1974年3月に閉校して基幹集落センターとなっている。野田地区の赤松郵便局、大西とうふ店、赤松中央橋、阿地屋地区の円通寺、赤松神社にかけての1km圏内が赤松地区の中心地となっている。

ここから赤松川上流にかけて遠野、影野、新家、原尻の集落が連なり、さらに上流の川又地区で赤松川は天狗谷と杉山谷(本流筋)に分岐して八郎山の源流部をめざすことになる。

一方で阿地屋から下流は新発口(しんぼちぐち)、高瀬と続き、赤松トンネルの途中で那賀町(旧相生町)の向原となる。ややこしいのは那賀町内に向原が別の字であるので、地名では那賀町雄向原(なかちょうおんどりむこうばら)となる。この集落にとくし丸が立ち寄った際に集落の方々と立ち話をして「このあたりで珍しい植物を見かけたことはありませんか」と尋ねたことがある。そのとき、とても素敵な女性がいて教えていただいた。

蛍の名所、支流の舞ヶ谷を過ぎれば赤松川は渓谷状の地形となって向原から2〜3kmで那賀川本流と合流する。写真では訪問した順番で合流点から遡ることとする。

台風の影響で雨が降り、合流点の直上流にある川口ダムが放流している。本流は黄濁しているが、赤松川からの水は澄んでいる。
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この水を求めてアユが逃げ込んでくるのだ。小学生のぼくも毛鉤でアユをかけたものだ。

向原下のバス停から見える棚田は「美しい日本のむら景観百選」を想起させる。向原地区は赤松川の蛇行に沿って形成されたU字型の道の中心部にある集落。その中心部にある向原のバス停にとくし丸がやってくる。
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形容する言葉もない棚田の景観
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赤松川は増水しているが濁ってはいない。
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棚田ではないが、赤松川の蛇行がつくりだした河岸段丘上もしくは谷底平野に展開する田んぼ
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川へ向かって降りていく
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急角度で下りきった先に潜水橋がある 軽トラックでないと難しそうだ 
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しばらくこの潜水橋で涼んでいく
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この日の赤松川の流れは早い
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河畔の水辺にはトンボが多い。この日は望遠を持ってきていないので近寄れないけれど
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潜水橋から水面までは手が届く距離。カメラを水に落とさないように水面に近づける
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赤松中央橋で左岸に渡る(川は上流から見て左右を区別する)。北流していた赤松川はこのあたりで東流する。中央橋の上流は赤松川の水遊び銀座。この日もいくつかの家族連れが出入りしていた。初夏にはネムノキが咲く河畔
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左岸の栗作地区の棚田
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棚田の水路が木陰に涼やか
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棚田の切れ目に赤松川が流れる。棚田は河岸段丘上にある
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道路上にトンネル上となっている生け垣は集落の人の遊び心
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赤松川が河畔の緑を映す。青空と河畔林が水面に投影している。若草色、若苗色、翠色、山藍摺、深藍色…和名ではどんな色がよめるかな。
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地区中心部に戻って赤松神社へ上がる。防災拠点で宿泊施設としても活用される赤松分館。ここが赤松小学校の跡地。館内にも内風呂、外には五右衛門風呂があるようだ。
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最後の卒業生の手形が石に刻まれている
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代々の卒業生を見守る二宮像
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木陰の参道の向こうに赤松神社。その手前の広場で吹筒花火が奉納される。
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かつての中学校跡地の基幹集落センターを見ながら奥に延びる散策路
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丘から阿地屋の集落を見る。道路より田んぼが高いところがおもしろい。集落の中心を抜けるこの道はやがて新道へと接続する。その道路をとくし丸のトラックが走っていく。向原地区での夕方の停車時刻が近いのだろう。
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赤松の集落も稲穂が実ってきた。こうしてみると町内の他地区(北河内など)のような耕作放棄地が少ない(ほとんどない)ことに気付いた。集落の人々の力というか、代々この地に住んでいる誇りがそうさせているのではないかと。
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今年の収穫の時期も近い。豊年満作を祈願して帰路に着く。
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(X-T2+XF14mmF2.8 R、X-T30+XF35mmF1.4 R、X-T5+XF23mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)
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