2023年07月30日

古代ハスを育てる島田島からウチノ海へ(鳴門市)


西日本を代表するリゾートといえば鳴門。エクシブ鳴門をはじめとするリゾートホテルが島嶼部に点在する。観光資源では、大塚国際美術館、鳴門海峡と渦潮(渦の道)、ドイツ館と第九初演の地、四国霊場一番札所。特産品では鳴門金時、レンコン、鳴門鯛、梨、鳴門わかめに大谷焼と目白押し。

そんな鳴門に数年前から暑い夏を彩るコンテンツが出現した。それは島田島の古代ハス。
国道11号線を北上しつつ北灘方面(瀬戸内海)へ行かずに右折して島田島へ渡る。車はどんどん標高を上げつつ、ウチノ海を見下ろす橋を渡る。
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ウチノ海と外洋をつなぐ水道は激しく急流が岸辺を洗う
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すると休耕田に古代ハスを管理する区画が見えてくる。
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古代ハスの湿田もさることながら天然のビオトープに心を奪われる
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そのまま島田島を北上すると車道はやがて海に突き当たって行き止まり。眼前には風車が点在する淡路島南端の地形が見えてくる。
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島の北端の海辺からは遊歩道が島田島を蒔くように伸びているように見える(確認はしていない)。
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再びウチノ海を見下ろす場所へと戻る(上がっていく)と、このところ観光資源として売り出している小島(浅瀬)が見えてきた。ドローンで空から見るとハート型に見えるそうだ。
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posted by 平井 吉信 at 00:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年07月29日

シオカラトンボのメスにみる構造色 ヒトから見ればバイオミミクリーの眼


夕方になって涼しくなったので買い物へ出かけようと玄関を出たらシオカラトンボのメスがいた。
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カメラを取りに戻って再び野外へ。例によって虫に警戒されないよう近づいていく。
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さらに近寄ると複眼が翡翠のように美しい。それだけでなく構造体の集まりであることがわかる。
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バイオミミクリーを応用した構造色を採り入れた腕時計がシチズンから発売されている。
https://www.webchronos.net/news/77048/
この文字盤は美しく、シオカラトンボの眼もまた構造色。
タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0) | 山、川、海、山野草

家事はマルチタスクのWindows ときに同期させたりずらしたり 炊飯は調理の要 ここをどうするか?


遊んでばかりいるように見えても日付が変わるまで仕事をしている(そうは見えないですか?)
それから入浴やら雑用(家事)をして、寝る前に音楽を聴きながら読書して(たいていは5分ぐらいで落ちる)就寝。

だから趣味に生きる自由人などとはほど遠い、暮らしのマネジメントゲームをしながら合間に好きなこと(仕事や遊びなど)をやっている感じ。

家事とは複数のタスクを同時並行で行う必要があることは経験者ならご存知のとおり。これのついでにあれを仕込んで、終わった用事を片づけつつ、入ってくる情報を取捨選択しながら判断して次のタスクの準備や調整(自分以外との関係性から発生するもの)を行いつつ、隙間を広げていくマネジメントゲーム。

その家事も炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し、片づけ、連絡調整とマルチタスクをさまざまなレシピで管理していかなければならない。そこに重要性と緊急性を勘案しつつ費用対効果、時間帯成果を求めて折り合いをつけていく。家事をその家で主にやっている人は会社を経営しているのと違わない。

そこに家事のモノサシをつくって変えるべきこと、変えないことを決め、効果的なやりかたを考えて家事の優先順位や手順を再構築することで、楽にミスなくしかも良い結果につながるようにする。これを家事のDX化という。

その際に道具を採用することで楽になることがある。例えば窓の清掃にはエトレのスクイジー(家庭向きには真鍮製35センチが良いだろう)を使うなど。

調理については、ぼくは子どもの頃から好奇心とおいしさを求めてやってきているし、掃除についてもセミナーなどで5Sや清掃のコツなどもお伝えしている。基本は楽してミスなくしかも良い結果というもの。

素材に変化を加えてヒトがおいしく安全にかつ栄養素を吸収しやすくするためには科学的な考察が必要だ。特に温度(加熱)と菌の増殖やおいしさの生成、タンパク質の変性、味を構成する要素の引き算などかな。つまりは安全の確保と素材を活かす調理が基本となる。

それに加えてヒトが先天的後天的に獲得した味を描く(記憶する)能力、感性も大きいと思う。ぼくは同じ食物なら数年前であっても比較ができる。そのため、食品の製造会社の担当者に「以前と比べてここがこうなっていますね」などというと驚かれることがある。季節によっても風味が異なるのは素材ならではで卵などは鶏が食欲がなくなる季節には当然味は落ちる。

身近な米ひとつ取っても奧が深い。米は東アジアの温帯モンスーンに住む日本列島の住人が数千年かけて獲得した消化器系への適合の高さがある(食事にパンを出されると食べた気がしない人も少なくないだろう)。それゆえ米に対する適応性の高さ(裏を返せば食物アレルギーなどの拒否反応の少なさ)につながっている。

食卓は米を中心に組みたてるべきとして、炊飯はなかなかの手間である。その手間とは、洗米して適量の時間に浸水させて炊飯器に適量の水を入れて炊けたら今度は釜が空になる時期を見計らって次の炊飯の準備を行うことである。このサイクルは家によって違うが、1人暮らしでなければ少なくとも1日1回以上は発生する。

炊飯には、良い米を使うという基本がある。それも日々食べるので求めやすい価格であること、安全でおいしいのは当たり前。

うちでは、近所で良い水(地下水やら山の湧き水)を使って自家用(農薬の使用量が明らか、もしくは販売用には名乗れなくても実質無農薬や低農薬に相当する)に米をつくっている複数の農家(専業兼業も兼業農家もある)さんから直接米を玄米で分けてもらって、それを毎日自宅で5分づきに精米して食べる。
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(梅干しはもちろん自家製)

これは米で重要な栄養素を摂るのと風味のコクを失いたくないためで、分搗き米から白米に変えると味気ないと思う。分搗き米は玄米と違って毎日食べても胃腸に負担がかからない。玄米を一般家庭で食べるという選択肢は炊飯がよくわかった人のみに限られる。白米では米のもっとも大切な部分を捨てるので食べる意義がないともいえる。
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米は定温(10度ぐらい)で玄米で保管するのが品質を保持しやすい。家庭用の精米機といっても大げさなものではなくポットぐらいの大きさで価格も2万円ぐらい、精米時間も1分ぐらい。自家製ぬかができる副産物もある。

さらに炊飯においては、切れ目を見ながら最後に食べる人が食べたい量が食べられなかったり、中途半端に余って容器に入れて冷蔵庫で保管することになれば冷蔵庫の容量も圧迫する。つまりは切れ目をどうするかが課題となっている。

うちには5台の炊飯器(うち3台は中古で全部で1万円しない)があって、それぞれ役割がある。うち1台は70〜75度1時間の蒸し焼きによるマスクの再利用専用としているが、残りは食品用である。
(マスクは感染予防の基本なのではずさないのが賢明。コロナの後遺症が残るヒトも少なくない。さらに感染症はコロナだけではないので)。

炊飯器による定温乾燥は短時間使ったマスクを再利用できる唯一の方法である(マスクは洗えない、アルコール、紫外線、オゾン、高温殺菌…いずれの減菌法もフィルター層を破壊する)。
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炊飯についてはサンヨー、タイガーの炊飯器で米を炊き、炊き上がったら東芝の真空炊飯器に移して保温専用としている。翌日になっても米はおいしい(酸化を防げるので風味の劣化はほとんどないし、白米と違って分搗き米は炊飯後に風味が変わりにくいのもある。野球でいえば先発(炊飯)と抑え(保温)の分担、負荷の高い「炊き専」は2台を確保して長いペナントレース(人生)を乗り切るつもり。これに対して保温は高い性能を要しないが、真空化できるのがミソ。

そうすることで炊飯器が壊れても慌てなくてすむ(炊飯手段の冗長化)のも利点。分搗き米の浸水は数時間かけているが、時間のあるときに研いで冷蔵庫でジップロック保管して翌日炊くことも多い。冷やした米は甘味も増す。

余談だがストックとして無印良品の冷凍食品で玄米の塩にぎりがあって、少しご飯が足りないときにはそれも重宝する。これは意外においしい。

今回は米(炊飯)を中心の話題だけれど、家事はヒトの暮らしを中心に効果的なやりかたを組みたてていくと成果が得られるし、工夫も愉しい。ここに書いてある家事の考え方や方法論は徳島の生態系や風土を気に入られて移住された方からの受け売りである。そのお考えに共鳴しているので積極的に採り入れている。

男は家事をしないなんてありえない。男女の区別なく家事を研究、工夫することで、生活の質を高めるとともにそこで生まれた余白にやりたいこと、好きなことをやっていったらどうでしょう?

追記
5台の炊飯器といっても台所におけるのは2台だけ。あとは別室で管理しています。
posted by 平井 吉信 at 15:49| Comment(0) | 生きる

2023年07月26日

空と海というと この場所から


地球上で空と海を分けているその境界がわからなくなると感動する。
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(南阿波サンラインと書かなくてもわかるよね)

高中正義、松岡直也を聴きたくなるね。
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九月の風、午後の水平線、夏の旅…
Blue Lagoon、Oh! Tengo Suerte、My Secret Beach…

5速マニュアルのVWゴルフはマリンブルー色、あの重いハンドルと重いクラッチを操りながら。
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posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草

造形の妙 香東川の後川潜水橋(塩江温泉郷)おもしろい川とおもしろい道


塩江温泉郷を流れる香東川と国道193号線を走る機会は多い。
国道193号線は高松市と海陽町を結ぶ四国東部をさらに半分&縦断する想像もつかないルートだが、徳島県内の山岳部で国道指定が途切れているという。

ああ、あの崖っぷちの道かと、土須峠を超える人ならわかる。国道といわれると険しいが山岳道としてはありふれた道で凍結しない限り危険はない。ただし落石はあり得る。途中で日本一長い剣山スーパー林道を横切るのもおもしろい。

香東川は水量は少なく水も澄んではいないが、讃岐平野を流れる数少ない川の表情をした川で、塩江温泉郷の下流には潜水橋がある。
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国道から見れば、どこに降り口があるかわからない鋭角で接続される(徳島方面からだと進入が困難)。

対岸を見れば香東川を下ってきた道が一軒の民家をすぎて川面に近づき、くるりと向きを変えて橋を渡る。
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橋の直上流に取水堰があり、取水堰の水は堰を下らず橋の下で迂回して接続する支流の後川につながって香東川に注ぐバイパス構造を併せ持つ。
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しかも潜水橋は堰体の下流部ともなっている。潜水橋は水の抵抗をなくすとともに対岸を最短距離ともっとも安い架橋費用で結ぶ手段だが、多目的が重なってねらいが見えにくくなっている。おもしろい潜水橋(兼堰体)だ。
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対岸の道路がここで切れて潜水橋を渡らせるのには理由がある。この田園風景は数十メートル下流では香東川が直角に向きを変えて岸壁に当たるようになり、ミニグランドキャニオンを形成する。おもしろい川だ。
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この崖の上をさきほどの潜水橋兼堰からの取水が通っているように見える。おもしろい用水だ。
posted by 平井 吉信 at 22:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年07月25日

入道雲が似合う海に続く田園のみち


仕事からの帰りだった。
海へ向かってまっすぐに伸びるみち、揺れる稲穂と入道雲。
学校からの帰り、部活動をさぼって北の脇へ行ったっけ。
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これほど似合う場所が徳島県内にあるとは思えない。
夏の喧噪がしーんと張り詰めて夏真っ盛りなのに
実る田の風に過ぎゆく季節を感じる。
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松林の砂地の小径の路傍には夏草
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見上げた空のすきまに蝶が飛ぶ。そのとき感じたのは、楽園はそれを見ようとする心のなかにあるということ。
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(この写真は10代の終わり頃にライツミノルタにMロッコール40oにフジクロームで撮影したもの。自分の写真のなかでも好きな1枚)

松林を抜けていくと渚 快晴の夏の日なら海が暗く見える
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波が長く引くときに空が澄んでいると砂浜も空になる
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ハマヒルガオの咲く頃、このおだやかな渚が静かに存在感を打ち出す
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渚の南には自然石をご神体に見立てた神社がある
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夕暮れまで渚で遊ぶ子どもももう帰る時刻
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暑かった日中も一日が終わる頃はおだやかな空に戻って
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(この色はフジでなければ再現できない色彩)

過ぎゆくのは季節ではなく、想いなんだ。
心のかたちを風景にしたらこうなる、と思えた高校時代の風景はいまもここにある。
(ドリームズ・カム・トゥルーではなく、海援隊が聞こえてくるのだ)

(阿南市中林町にて。フジX-T2+XF14mmF2.8 R、ミノルタMD85mmF2。鮮やかだけど単調にも見えるフジの発色と、冴えないけれど奥ゆかしさを感じるミノルタ)
タグ: 北の脇
posted by 平井 吉信 at 22:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年07月19日

線路は続く 風が走り抜ける田園を 

いまもっともやってみたいこと。
それは夏の太陽の下、風を感じながら全力で走り続けること。
倒れたって構わない。力の限り走れ、走る、走ろう。

生きることって、夏の田園を全力で走ること。
その先になにかがある。遠慮なく躊躇なく自分の限界を超えて遙か高みへと。
誰も止めない。それが若さでしょ。
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その気持ちを込めて撮影したけれど、見方によっては列車が走らない寂しい線路にも見える。
JR牟岐線の阿南駅以南のことだけど。
でも、現在過去未来と風が走り抜けているでしょ。
タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 00:09| Comment(0) | 徳島

2023年07月18日

友釣りをしても愉しくてしようがない快晴 勝浦川


正木ダムができて勝浦川は死んでしまった。ぼくが身体で覚えている江田の堰の水流、横瀬立川の対岸まで見通せる透明度はもはやなくなって久しい。
それでもこの場所は勝浦川中流にあって階段のように水が下りてくる。

快晴だとこんな空と水になるのだけれど、おそらく年に数回だろうね。
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ぼくは暑い夏が好きだから、いまでもエアコンは使わない。夏が好きだから。
posted by 平井 吉信 at 00:32| Comment(0) | 山、川、海、山野草

快晴の大砂海岸


ついに紫外線が地球大気を突き抜けたかと錯覚するようなここ数日の太陽。空と海はひとつづきというか相補性というか連続性のある二物というか。

とにかく大砂海岸の海が空をひっくり返して濃いインクを流し込んだようで。
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観光ポスターにならなくてよかったのはこの渚の風情かも。人が現実に海と向かい合っているようで。
posted by 平井 吉信 at 00:25| Comment(0) | 山、川、海、山野草

バスが走り去り土埃が舞う小径をいつ果てるともなく歩く子ども時代のように


舗装していない小径はいまでも探せばある。ぼくが子どもの頃は国道だって舗装していない区間があった。国道55号線、国道193号線(海部川から神山まで)なども。

それでも田舎に出かけて里山を逍遙していると、舗装していない小径は割と見つかる。そんなとき、道に誘われるようにたどってみる。悲しいかな、そんな道がずうーと伸びているということは少なく、やがて行き止まりになったり、山道に溶け込んだり。大きくない川沿いの土手とか、里山の神社に続く道とか、ループとなってまた戻ってくるとか、だいたいそんな場面が多いように思う。

土のみちに惹かれるのは、幼い頃の記憶が郷愁を奏でているのかもしれない。例えば、母に連れられて里帰りは実家近くのバス停で下りる。バスは土埃を巻き上げて走り去る。子どもにとっては退屈するほど長い距離を歩いてようやく里に着く。あのときのせみしぐれ、桜並木、用水路、彼岸花、路傍の地蔵、製材所の木の香りなどが渾然となって蘇るからではないのか。

前置きが長くなるいつもの悪い癖。さて、とある小さな川のほとりからこんな小径に入り込む。
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道の途中で出会う草花や生き物を見つけながら、ジャッジャッジャッと歩みを進めていく。
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里山は遠きにありて思うもの、ではなく、そこにある小宇宙を見つける愉しさに満ちた場面。
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タグ:里山
posted by 平井 吉信 at 00:15| Comment(0) | 山、川、海、山野草