遊んでばかりいるように見えても日付が変わるまで仕事をしている(そうは見えないですか?)
それから入浴やら雑用(家事)をして、寝る前に音楽を聴きながら読書して(たいていは5分ぐらいで落ちる)就寝。
だから趣味に生きる自由人などとはほど遠い、暮らしのマネジメントゲームをしながら合間に好きなこと(仕事や遊びなど)をやっている感じ。
家事とは複数のタスクを同時並行で行う必要があることは経験者ならご存知のとおり。これのついでにあれを仕込んで、終わった用事を片づけつつ、入ってくる情報を取捨選択しながら判断して次のタスクの準備や調整(自分以外との関係性から発生するもの)を行いつつ、隙間を広げていくマネジメントゲーム。
その家事も炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し、片づけ、連絡調整とマルチタスクをさまざまなレシピで管理していかなければならない。そこに重要性と緊急性を勘案しつつ費用対効果、時間帯成果を求めて折り合いをつけていく。家事をその家で主にやっている人は会社を経営しているのと違わない。
そこに家事のモノサシをつくって変えるべきこと、変えないことを決め、効果的なやりかたを考えて家事の優先順位や手順を再構築することで、楽にミスなくしかも良い結果につながるようにする。これを家事のDX化という。
その際に道具を採用することで楽になることがある。例えば窓の清掃にはエトレのスクイジー(家庭向きには真鍮製35センチが良いだろう)を使うなど。
調理については、ぼくは子どもの頃から好奇心とおいしさを求めてやってきているし、掃除についてもセミナーなどで5Sや清掃のコツなどもお伝えしている。基本は楽してミスなくしかも良い結果というもの。
素材に変化を加えてヒトがおいしく安全にかつ栄養素を吸収しやすくするためには科学的な考察が必要だ。特に温度(加熱)と菌の増殖やおいしさの生成、タンパク質の変性、味を構成する要素の引き算などかな。つまりは安全の確保と素材を活かす調理が基本となる。
それに加えてヒトが先天的後天的に獲得した味を描く(記憶する)能力、感性も大きいと思う。ぼくは同じ食物なら数年前であっても比較ができる。そのため、食品の製造会社の担当者に「以前と比べてここがこうなっていますね」などというと驚かれることがある。季節によっても風味が異なるのは素材ならではで卵などは鶏が食欲がなくなる季節には当然味は落ちる。
身近な米ひとつ取っても奧が深い。米は東アジアの温帯モンスーンに住む日本列島の住人が数千年かけて獲得した消化器系への適合の高さがある(食事にパンを出されると食べた気がしない人も少なくないだろう)。それゆえ米に対する適応性の高さ(裏を返せば食物アレルギーなどの拒否反応の少なさ)につながっている。
食卓は米を中心に組みたてるべきとして、炊飯はなかなかの手間である。その手間とは、洗米して適量の時間に浸水させて炊飯器に適量の水を入れて炊けたら今度は釜が空になる時期を見計らって次の炊飯の準備を行うことである。このサイクルは家によって違うが、1人暮らしでなければ少なくとも1日1回以上は発生する。
炊飯には、良い米を使うという基本がある。それも日々食べるので求めやすい価格であること、安全でおいしいのは当たり前。
うちでは、近所で良い水(地下水やら山の湧き水)を使って自家用(農薬の使用量が明らか、もしくは販売用には名乗れなくても実質無農薬や低農薬に相当する)に米をつくっている複数の農家(専業兼業も兼業農家もある)さんから直接米を玄米で分けてもらって、それを毎日自宅で5分づきに精米して食べる。


(梅干しはもちろん自家製)
これは米で重要な栄養素を摂るのと風味のコクを失いたくないためで、分搗き米から白米に変えると味気ないと思う。分搗き米は玄米と違って毎日食べても胃腸に負担がかからない。玄米を一般家庭で食べるという選択肢は炊飯がよくわかった人のみに限られる。白米では米のもっとも大切な部分を捨てるので食べる意義がないともいえる。

米は定温(10度ぐらい)で玄米で保管するのが品質を保持しやすい。家庭用の精米機といっても大げさなものではなくポットぐらいの大きさで価格も2万円ぐらい、精米時間も1分ぐらい。自家製ぬかができる副産物もある。
さらに炊飯においては、切れ目を見ながら最後に食べる人が食べたい量が食べられなかったり、中途半端に余って容器に入れて冷蔵庫で保管することになれば冷蔵庫の容量も圧迫する。つまりは切れ目をどうするかが課題となっている。
うちには5台の炊飯器(うち3台は中古で全部で1万円しない)があって、それぞれ役割がある。うち1台は70〜75度1時間の蒸し焼きによるマスクの再利用専用としているが、残りは食品用である。
(マスクは感染予防の基本なのではずさないのが賢明。コロナの後遺症が残るヒトも少なくない。さらに感染症はコロナだけではないので)。
炊飯器による定温乾燥は短時間使ったマスクを再利用できる唯一の方法である(マスクは洗えない、アルコール、紫外線、オゾン、高温殺菌…いずれの減菌法もフィルター層を破壊する)。

炊飯についてはサンヨー、タイガーの炊飯器で米を炊き、炊き上がったら東芝の真空炊飯器に移して保温専用としている。翌日になっても米はおいしい(酸化を防げるので風味の劣化はほとんどないし、白米と違って分搗き米は炊飯後に風味が変わりにくいのもある。野球でいえば先発(炊飯)と抑え(保温)の分担、負荷の高い「炊き専」は2台を確保して長いペナントレース(人生)を乗り切るつもり。これに対して保温は高い性能を要しないが、真空化できるのがミソ。
そうすることで炊飯器が壊れても慌てなくてすむ(炊飯手段の冗長化)のも利点。分搗き米の浸水は数時間かけているが、時間のあるときに研いで冷蔵庫でジップロック保管して翌日炊くことも多い。冷やした米は甘味も増す。
余談だがストックとして無印良品の冷凍食品で玄米の塩にぎりがあって、少しご飯が足りないときにはそれも重宝する。これは意外においしい。
今回は米(炊飯)を中心の話題だけれど、家事はヒトの暮らしを中心に効果的なやりかたを組みたてていくと成果が得られるし、工夫も愉しい。ここに書いてある家事の考え方や方法論は徳島の生態系や風土を気に入られて移住された方からの受け売りである。そのお考えに共鳴しているので積極的に採り入れている。
男は家事をしないなんてありえない。男女の区別なく家事を研究、工夫することで、生活の質を高めるとともにそこで生まれた余白にやりたいこと、好きなことをやっていったらどうでしょう?
追記
5台の炊飯器といっても台所におけるのは2台だけ。あとは別室で管理しています。
posted by 平井 吉信 at 15:49|
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