2023年04月28日

らんまん いまの時代にこそ 自由と志の箴言として


朝ドラはほとんど見ないのに、らんまんだけは別格だ。第1週の子役の凜とした演技が忘れられず、第2週の第二子役に引き継がれて仁淀川へと誘われた。いまは高知で政治結社の仲間に連れられてジョン万次郎に引き合わされる。

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輝かしくも波乱に満ちた青年時代から激動の時代を駆け抜けて老後を見つめるジョン・マンは自らに言い聞かせるようにこういう。
「人の一生は短い。後悔はせんように」
(捕鯨の仲間たちともう一度大海原へ出たいということだろう)

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万太郎には学問の歓びがあふれている。未知のこと、知りたいこと、森羅万象の原理原則を見極めたいとの思いがあふれる。そうですよ、学問ぐらい愉しいものはない、とぼくも思っている。いまもそう。

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牧野富太郎は小学校中退でありながら博士号を持つに至ったが、本人はそんなことにおそらく頓着しない。だから70代後半に至るまで東大ではあるが、安月給の講師のままであった。東大への誇りがあったわけでもないだろう。この感覚は理解できる。

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ぼくは高校を卒業しているけれど、卒業時の成績は400人中380番(まだ下に20人はいるではないか)。
学歴など頓着しないので学歴詐称などとんでもない。その代わり大学のえらい順がわからない(偏差値の高い順番というのが正しいか)。日本大学と東京大学では日本大学が格が上と随分長いこと信じていたぐらいだったから。早稲田の卒業です、といわれても、それが徳島大学と比べてどちらがどうなのかいまでもまったくわからない。

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それでも中学時代に数学なら微分積分まで、英検は2年のときに準一級を取っていた。学校には個人個人にLL教室(リスニング)を備えていたし、地学の学習には20センチ屈折赤道儀を持つ天文台を使えたので。いま思うと学習環境はとても大切だな。

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らんまんでは、商人でありながら藩校で学んでいた牧野少年が尋常小学校へと時代が変わって、いろはから学習させられたとき、授業を放棄してしまった。問い詰める教師に、英語で「授業が退屈だ、どうすればいいですか?」と質問して教師がたじたじの場面があった。

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ぼくも退屈な授業では専門書を読んでいた。古典であれば万葉集を、地学であれば天体物理学の初歩的な本を、といった具合。ほんとうに勉強が大好きだったのだけれど、教科書の学習やら受験勉強やらとなると、やる気が起こらない。良い大学に入って、良い企業に入って、人並みに良い人生を送る動機がなかった。むしろ大学へ行けば学問の墓場になるような気がした。ほんとうに好きな学問を思う存分に勉強しようと思ったら、大学はむしろ退屈で苦痛な場になると見切った。そりゃ、380番では行ける大学もないよ、といわれそうだが、いくつかの教科では全校で1位を取ったこともあるのだけれど…。

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ただ勉強が好きなのだ。だから高校を卒業してからはありとあらゆる学問を独学で勉強した。合格率3%の国家資格に高卒で受験機関に行かず独学ストレートで合格したのも日本でぼくだけだろう(その年の四国の合格者は3人でそのなかの一人だった)。それで起業していまもそれで飯を食っている。ときどきは旅をしたり好きなことの合間に仕事をしている感覚。いや、仕事そのものが愉しいのだけれど。

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そんなぼくだから、牧野少年が学問にぴたりと寄り添って好きなことをやりたいだけ究めようとする姿勢に共感する。ほんとうにそうだよ、勉強って究極の愉しみだから。

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幸福感を生きる糧とするならサラリーマンでは実現できないだろうと思う。起業したい人がいたら、県内の方であれば相談に乗るのでご遠慮なくどうぞ。

らんまんは視聴率を意識したあざといつくりにはなっていない。人の心の機微をていねいに描いている。物語を知るために早送りをすることなく、地道に積み上げていって、ここぞというときに、劇中の人物の決め言葉が入る。若手俳優ものびのびと演技しているし、中堅の存在感、ベテランの風格と演技者も申し分ない。扱っているのは植物分類学を究めようとする牧野富太郎をモデルにした万太郎の物語だが、いまの時代だからこそのメッセージを作り手が投げかけているのを受け止めている。だから葛藤があったとしてもそれが浄化される場面があって高揚感とともに物語を追体験している感じ。良い脚本だね。

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これに比べると、過去の人気ドラマ(あまちゃんなど)はストーリー展開で飽きさせないよう(チャンネルを変えさせないよう)ドタバタやコミカル要素を仕込むか、少し前のちむどんどんのように落ち着きのない展開で視聴者が離れるようなこともない。

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自由がないがしろにされ、無能な政府の無策にあきれ、国家に従属させられようとしているいまの政治にあって、自分の進むべき道を迷うことなく進んでいく主人公(その周辺の人たちも)に思いを重ねているのだろう。

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このところ首相襲撃事件が相次いで起こっている。そのことはいかなる理由をもってしても正当化されるものではない。
しかし、やるべきことをやらず、やってはいけないことをやる与党、虚偽を列べて煙に巻いて開き直る劇場型の空虚な野党もあれば、理念を忘れて与党の格好の引き立て役を演じる無能な野党もある(この政党も発足時は代表が宇宙人、イラ菅などと呼ばれようとも理想と理念があった)。どのような抵抗もいまの政治の暴力の前には無力感を思い知らされる人々の潜在意識が顕在化した現象に思える。

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人々の幸福とはなにか? 幸せになれる社会とはどのようなもので、それをどのように実現するかを一人ひとりが自分の人生を通じて考え抜けと言っているようだ。

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posted by 平井 吉信 at 12:55| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月26日

南国に取り残されたオオタチツボスミレ


オオタチツボスミレ(Viola kusanoana)の分布は北国や豪雪地帯が中心で北はサハリンや千島列島まで産するという。最終氷河期が終わる1万年前より古い時代には日本列島各地で見られたのかもしれないが、日本周辺で気温が上昇した縄文海進の時代にはオオタチツボスミレは高地や北国に逃れたのだろう。この時代には地殻変動も多くスミレも多様化したのではないか。

氷河期の生き残りのようなこのスミレの背丈は大型で20センチ以上は普通に見かける。それ以外にも葉のやわらかく丸みを帯びたたたずまい、紫色の花なのに炬(花弁の後方にとんがった場所)は白いなどが特徴。四国は生息地でなさそうだが、阿讃県境の一部の山域で比較的個体数が多く自生している場所がある。
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この場所では近傍にタチツボスミレの群落もあって、ともに群落を形成しているが、両者の交雑は見られなかった。遺伝子的にはそれほど近しい関係ではないのかもしれない。
(近くにあったタチツボスミレの群落)
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南国徳島では平地では見かけないだろうと思っていたら、意外にも県南部の温暖な平地で見かけたことがある。特に四国遍路のコース(巡礼者がよそのスミレの種を運ぶ)ではなく、多様な環境が残されている一角ではあるが、こんな場所にも自生しているのだなと感心したことがある。


このように生息地を外れていても偶然見つかることがある。先入観を持たずに観察していくと気付きがあるかもしれない。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:36| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月25日

渚のツヤスミレ(シチトウスミレ)とアツバスミレ 飛沫を浴びてもここで生きていく


ツヤスミレ(シチトウスミレ)はタチツボスミレの海岸型(それも太平洋側)とされる。
花や葉の形で見分けは付きにくいとされるが、一目見て母種と雰囲気が明確に違うことがわかる。

個人的な感覚で(遺伝的科学的な根拠はないけれど)、標準的なタチツボスミレよりも山陰型と呼ばれるタチツボスミレを原形に葉が厚く光沢を増した感じ。通常のタチツボスミレを数世代ここに移植しても定着しないだろうし変異も起こらない気がする(直感)。

ツヤスミレとシチトウスミレは見分けが付かないが、便宜上学名のあるシチトウスミレに代表させるとしても、伊豆七島が由来であるとするなら果たして四国の海辺の海岸型タチツボスミレにどのような呼び名を与えたらよいのか?

この個体は波打ち際まで数メートルという岩が点在する砂浜に自生していたもの。波浪の高い日は飛沫を浴びる場所。

いずれにしても写真で味わってください。この艶々した葉の存在感と厚みを。
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同じ場所にスミレ(Viola mandshurica)の海岸型、アツバスミレも自生している。互いの距離は数メートル、波打ち際までも数メートルの過酷な場所。徳島のアツバスミレは紫もあるけれど、花弁に白が混ざる個体が多いようだ。

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おだやかな渚で世代を積み重ねる海岸型のスミレもいる。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:09| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月24日

ナガバノタチツボスミレとニオイタチツボスミレ


ナガバノタチツボスミレ(Viola ovato-oblonga)はタチツボスミレのようで葉の一部(茎葉)の先端が尖る。県内では都市近郊の低山に多い。
ニオイタチツボスミレも同様だが、県内ではやや標高が高い場所に多いような気がする。ナガバノ〜と同じ場所に自生することも少なくない。花が終わって葉だけになれば両者の見分けは付かないかもしれない。
まずはナガバノ〜から。

大坂峠にて
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日峰山にて
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ときおり背が高い(20センチ以上)個体を見かける。それらは通常のナガバノタチツボスミレよりもさらに葉先が尖っている。
阿南市深瀬町にて
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とくしま植物園の散策路にて
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もしかしたらナガバノタチツボスミレとタチツボスミレの交雑なのかもしれない。交雑の場合はそれぞれの親の特徴がより顕著に出ることや大型化することがある。上2個体は膝ぐらいまでの高さがあり、交雑の典型ではないか。

続いてニオイタチツボスミレ。色がくっきりと濃いめで花弁の中央が白く抜ける。
佐那河内村にて
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こちらはタチツボスミレとの中間型(マルバタチツボスミレという)
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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 22:23| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月22日

スミレ(Viola mandshurica)が日本列島へ上陸したのは縄文から弥生への歴史をたどることかも


さて、スミレ(Viola mandshurica)です。
○○スミレの○○が付かないスミレ、民謡だと「正調」、菓子屋だと「本舗」「本家」と名乗りそう。実際に目にすると、ああ、スミレって感じ。

スミレ(マンジュリカ)は、濃い紫と凜としたたたずまいから日本らしいスミレのように思われる。しかしルーツに思いを馳せてみると、稲作の伝来などヒトやモノの流れが大陸から列島へ流れたようにスミレは人の暮らしと密接にある植物。つまりスミレが分布を広げた過程には人の移動が関わっている。

種小名のマンジュリカは旧満州(中国東北部)に由来するように大陸型のスミレである。学名もヴィオラ・マンジュリカでヴィオラ・ジャポニカではないのだが、もっとも倭(やまと)らしいこのスミレの由来を考えるのは興味深い。

ときは2023年春、那賀川流域でみごとなマンジュリカの群生が見られた。
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小さな個体 レンズキャップを置いてみた
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こちらはマンジュリカらしい美しい個体
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マンジュリカの群落に混じってオキナグサも群落を形成。
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とくしま植物園の散策路にて
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大宮八幡神社(勝浦町)の裏山で見つけた雰囲気ある個体
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同じ場所で翌年見かけた個体
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これは葉より下で咲いているめずらしい型
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勝浦町横瀬の川沿いにて。華麗なる姿態だが、何か交雑しているような
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道路と水路の間のコンクリートの隙間から。もっともよく見かける光景だろう(小松島市内)
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四万十川の春を告げる(四万十市)
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スミレ(Viola mandshurica)が大陸から日本列島へ上陸する経緯をたどろうとするなら、稲作を通じて縄文から弥生への橋渡しの過程であったかもしれない。
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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:52| Comment(0) | 山、川、海、山野草

変幻自在のコスミレ 小さいスミレというわけではない


コスミレの学名はViola japonica、ジャポニカが付く唯一のスミレであるが、日本固有種というわけではなさそうである。このスミレは地域によって(もしくは個体によって)ばらつきがあることが知られている。

ということは種として安定していない、母種から分化、進化して時間が経過していないのではないか。関連するスミレとしては、ノジスミレ、アカネスミレあたりと思われる。

勝浦町坂本地区のコスミレ
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側弁の基部は有毛でヒゲコスミレと呼んでもよいかもしれない。いずれにせよコスミレの見かけ上の変化の振れ幅が大きいのはその成り立ちが交雑種由来にあるからかもしれない。

かつて県南部の国道55号線沿いで見かけた種類のわからなかったスミレについてもコスミレと同定。全国各地からのお遍路さんが歩く歩道沿いにスミレの品評会(それも珍品揃い)のような一角がある。その場所で見つけたもの。これなんだけど。

コスミレの変化の範疇、もしくはシロバナツクシコスミレだね
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至近距離にコスミレもあるが明確に違う
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参考までにこの一角で見かけた他のスミレはこんなもの。

タチツボスミレもあるが、これも葉の厚みや照りなどがあって海岸型のツヤスミレに近い感じ
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さらにこんなスミレまである
シロバナタチツボスミレのようだが葉のかたちが長い。シロバナナガバノタチツボスミレではないか(珍品)。
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すみれの花咲く頃…♪の宝塚歌劇のあの曲は、コスミレの印象ではないかと思っている。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 20:50| Comment(0) | 山、川、海、山野草

なにやらゆかし タチツボスミレ


日本でもっとも多く見かけるタチツボスミレ(Viola grypoceras)。そのなかでたたずまいに感銘を受けたものを。

楚々とした姿 朝立彦神社(徳島市)
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標準的なタチツボスミレの葉 その美しさを愛でる(徳島市南部)
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星形のような神秘。大宮八幡神社(勝浦町)
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この個体などは図鑑に載っている標準的なイメージに近い
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アヤメやカキツバタを連想させる妖艶さ 脇町の山中にて
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山中のタチツボスミレ(神山町)
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ニオイタチツボスミレ もしくはそれとの交雑(佐那河内村)
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参考までに同じ場所でのニオイタチツボスミレ(たぬき顔の美女といえば失礼か?)
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同じ場所でナガバノタチツボスミレ。実際はこの三者で交雑しているかもしれない
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横顔の美しさ 稼勢山(勝浦町)
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渓流沿いの凜としたたたずまい。葉は肉厚で光沢があり、先端が細長い。ケイリュウタチツボスミレではないが、渓流に適応しようとしている中間形か?(海陽町)
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濡れたような艶っぽさを感じた(ツキノワグマの自生地、砥石権現)
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これも気品ある姿(佐那河内村)
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標高千メートルを超えて寒冷な場所に咲く(高丸山)
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高千穂峡の崖に咲く個体も四国のタチツボスミレと変わりはないよう
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最後はちょっとおめかししてディズニー調で(佐那河内村)
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ところで、万葉集にうたわれた「すみれ」(一般的な名称)がいくつかある。
春の野に すみれ摘みにと来しわれそ 野を懐かしみ一夜寝にける(山部赤人)

山吹の咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨に盛りなりけり(高田女王)

芭蕉にもある。
山路来て何やらゆかしすみれ草


これがどのスミレを指すのか手がかりはないけれど、想像を膨らませればある程度見えてくる。
山部赤人は早春の野に出て一晩寝てしまったという野宿をうたったものではなく、すみれを愛する女性になぞらえたものだろう。だから特定のスミレを指していないと解釈する。

高田女王は「つぼすみれ」とあるけれど、これがいまの「ツホスミレ」を指すとは限らない。ツボスミレは白く小さな花のスミレなので春の雨に生えるすみれとして紫色のタチツボスミレを想定したい。

芭蕉はどうだろう。芭蕉は推敲して作品に仕上げるが初稿はいまの名古屋の熱田地区のようである。候補としては、(1)タチツボスミレの小さな群落、もうひとつはシハイスミレ。ただし愛知県は場所によっては変種のマキノスミレも混ざるはず。句の風情からこの三者のいずれかだろう。個人的には、山路きて何やらゆかしすみれ草 とうたわれた風情からタチツボスミレかな。

山路には「スミレ」(マンジュリカ)は見かけない(人里の田んぼや路傍のスミレなので)。タチツボスミレはほぼ全国で見られる日本でもっとも普遍的なスミレで日本を代表するスミレといえばタチツボスミレだから。

追記
スミレを撮るのにどんなカメラが良いですか?って訊く人はいないと思うけど、答えは富士フイルムで。
ことスミレに関しては、他社のカメラで撮った花弁と比べてもトーンの深みが違う、SONYやキヤノンではたたずまいのつや感、楚々とした透き通る感じが出ない。解像度とかダイナミックレンジとかの要素ではなく、フジの画像処理でしょう、と答えたくなる。

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定評ある緑の再現性の深みは独自のカラーフィルターの配列から。その補色である紫系統の表現(ハイライトをやや抑えた設定が良い)、そして他社ではのっぺりとする花弁の濃淡が浮かび上がるのは、写真ならではの階調性を知っているメーカーだから。ハイライトとシャドーが粘るけれど、その代償としてそこに続くトーンカーブが立っていてそれが描写のメリハリを与えているのでは?
(新品もしくは中古で手に入るならX-T30かそのマーク2が良いですよと耳打ちする)

posted by 平井 吉信 at 16:30| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月21日

海辺のまちのどこにでもありそうでなさそうなスミレ(アツバスミレ)

そのスミレは、県南部の海辺のまちの道沿いや港で見かけた。

おまん、だれじゃ?
スミレににいちょるのう
見たことないがやけん、牧野先生、教えてくれんろうか

(先生いわく、それは…)

アツバスミレ(Viola mandshurica var. triangularis)いうんですか?(ヴィオラ=スミレ属のマンジュリカ=種小名。これが和名=日本での呼び名の「スミレ」)を表す。この和名でタチツボスミレとかキスミレなどと表すのだが、スミレの種類全般の呼称である属名のスミレと和名のスミレが同一で混乱を招きやすい。そういえば「モミジ」という樹木はないことはご存知ですか?)

スミレ(Viola mandshurica)の変種で太平洋岸の海岸型ですね。
どこで見つけましたか?

いずれも海部郡内の南のほう(下灘)です。
特に漁港の近くで見かけた個体は花弁が大きく見応えがありました。すぐ近くを車や人が歩いているというのに、こんな場所が好きなんですね。
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そうなんです。おそらく他の植物は環境圧(自生する条件が悪い)で生えにくい場所。でもそれが競争が少なく日照時間を独占できるということでしょう。色が白っぽい花弁の二色もありますね。

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すぐ近くには紫一色もあり、町内の他の場所にも自生地があり、植生の状況から園芸種とは考えにくいのでアツバスミレの範疇でしょう。

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続いて那賀川町でも見かけました。海岸から5kmぐらいは入っていますが、これもアツバスミレでしょう。
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たくましい。でもかわいいスミレですね。

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追記
アツバスミレはスミレの変種だが、仲間を表す近さでは「品種」がもっとも近く、次に「変種」、そして「亜種」となる。ラテン語の「var.」はヴァリエーションから連想しやすい。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 18:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

おひな様の奥座敷と坂本おひな街道2023年


勝浦町坂本地区は、上勝町との境に位置する町内でもっとも奧にあり、廃校となった小学校の活用(ふれあいの里さかもと)をはじめ、地区の活性化への取り組みが活発である。得てして高齢者中心の取り組みとなりがちだが、若者も参加している点が坂本地区の良さである。ぼくも宿泊してコンニャクづくり、豆腐づくりなどを体験しつつ地元の方々と酒を飲みながらお話を伺ったことがある。

勝浦町では、ビッグひな祭りというイベントが有名だが、同じ頃、町内の奥座敷にあたる坂本地区でも「おひな様の奥座敷と坂本おひな街道」という行事を行っている。部隊の中心は地区の氏神さまである坂本八幡神社である。秋には「あかりの里さかもと」という妖しさあふれる灯りの行事もある。

女の子が成長して役目を終えた人形たちが勝浦町へ集まってきて、かつて憧れのまなざしを受けた頃のように人の目に触れる。

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かつて両親や祖父母に祝ってもらった人たちがしばし目を細めて眺めているよう。そして次の世代へと。
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posted by 平井 吉信 at 18:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月15日

四万十川から仁淀川、NHK高知放送局の仕掛け

NHK特集「土佐・四万十川〜清流と魚と人と〜(1983年9月12日)

日本最後の清流という有名なコピーはこのときから。この番組は初回放映時に見ている。それからは寝ても覚めても四万十川となってしまい通うようになったもの。
当時は高速はできておらず、広瀬や口屋内までなら10時間かかっていた。特に帰路の眠いこと。須崎の手前でお決まりの渋滞が始まるとうんざりしたもの。

これを見ててわかるよね。人を集めるのではなく、人が集まる発信をすること。その前提として地元の人が地元の良さに気付いていて日常(ケ)の光景を自ら楽しむ。そこによそものは惹かれる。

そうだとしたら、徳島の観光の魅力度ランキングが低いのは、「地元の人が地元の良さに気付いていないから」という本質に突き当たる。
映画やアニメなどのロケ地やゆかりの場所を訪れる動機もそう。地元の人から話を聴いたり地元の人が行き交う飲食店で思いがけないことがあったりして結果として観光コンテンツになっていく。

高知県は観光では不利な立地にある。飛行機を除いて陸路はいずれも四国山地を越えなければならない。その飛行機にしても高知空港から室戸岬や四万十川、大月町をめざすとなれば100km以上離れている。そんな不便な場所に光を当てた(龍馬やカツオがあるといってもそればかりでは飽きられてしまうのだ)。
つまりは全国基準の観光のモノサシ(うまい食べ物+温泉+まちなみor絶景+娯楽ソフト)をひっくり返して提示した。すると(不便、遠い、ゆったり、地元にとっての当たり前)が心にしみてきてトップになるのだ。

四万十川では、江川崎(えかわさき)から中村までの間、岩間とか口屋内あたりは悠然と流れる大河が山裾を洗いながら川漁師など人と川の営みとともに日本の桃源郷のようなたたずまい。そして人を拒むかのような離合が困難な細い道。そもそも大河の下流なのに平野がない。ぼくも何度か江川崎からカヌー(ファルトボート)で降ったことがあるが、魂の洗濯であった。

赤鉄橋上手右岸にある入田のヤナギ林の菜の花の小径
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2023年3月の菜の花まつりのポスター。青い橋脚は最下流の佐田沈下橋
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初夏を迎えた四万十川の空高く
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若い恋人たちのデートは沈下橋で。彼女が頭から飛び込むのを下流で待っている男の子
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土手がなく河岸段丘が続く中流域の里山は四万十川らしさに満ちている
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窪川から江川崎まではJR予土線が四万十川に沿うように走る。これは特別列車のしまんトロッコ
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JR鉄橋と並ぶ第一三島沈下橋。中流域は穿入蛇行(Googleマップ)が楽しい
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収穫の秋を迎えた窪川のたんぼ
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静かな里山の秋は河岸にも
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深沈とした淀みに小舟 陰影ある晩秋
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最下流にある佐田沈下橋は欄干がなく全長291メートルと長い
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佐田沈下橋から下流。ここは四万十市(旧中村市)
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岩間沈下橋に春の気配
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四万十川を連想させる音楽はジャズピアニストの河野康弘さんの作品組曲「四万十川」が素敵だ。
忘れられないのは1996年8月3日(土)、ぼくが事務局の一翼を担った水郷水都全国会議・徳島大会のオープニングで吉野川をイメージするピアノ商品を即興で弾いていただいたこと。この楽曲は残念ながらCDにはなっていないが、水が滴りこぼれ落ちる滴のような音階はいまも耳に残っている。

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NHKスペシャル「仁淀川〜青の神秘〜(2012年3月25日)

そして仁淀川。どちらも風景の美しさだけでない川漁師や流域の人々との関わりが濃厚に描かれていた。
実はそれまで仁淀川は印象に残っていなかった。源流部の面河渓谷は四国でももっとも歴史あるリゾート渓谷として大好きな場所だが、上流部では連続するダム群で川の墓場状態(吉野川上流部もそう。ダムのない四万十川はえへんと言っている)。中流域はダムのもたらす細かい砂が堆積して川底は必ずしも良好ではなかったから。

穿入蛇行においても四万十川中流域の豪快で絵に描いたような規模とは違う。どちらの川も共通点があるとしたら、本流の中流から下流にかけてのゆったりと流れる様子、本流とは異なる支流の清冽な水の表情である。もし比べるのなら総合力では仁淀川の魅力が優る。どちらも大好き。

仁淀川では土居川(その支流の安居渓谷)、上八川川(その支流の枝川川のにこ淵)、中津渓谷などある。そして源流部は面河渓があり、祖父母にもらった絵葉書が宝物だった(いまも手元にある)。

2012年の「仁淀川〜青の神秘〜」では「仁淀ブルー」という色彩が印象づけられた。単に清流というだけでない独特の明るい水晶のように深沈とした色なのである。しかも仁淀ブルーはいつでも見られるわけではない。水量(水が淀むと珪藻類が目立つ)、増水後の一定の期間を経た川底の良好な状態で太陽の光を受けて緑色片岩が光を反映するなど、さまざまな状況が合致してのみ見られる。ということでぼくも仁淀ブルーは数回しか見ることができていない。

それでもこんな具合です。
→ 仁淀川のタグ

この番組では音楽も秀逸であった。高木正勝さんというアーティストの作品が使われた。オープニングで使われた映像の冒頭では、今回のらんまんロケと同じ場所ではないかと思った(ただし当時といまでは川の澪筋が変わっているようである)。

高木さんの音楽は、自然界に存在する音や人の息づかいなどが時代や国籍を超えた音楽の詩として結晶していて唯一無二となっている。仁淀川を構成する「niyodo」は当初配信のみであったので入手したが、その後「niyodo」が収録されたアルバム「おむすひ」が発売されたのでそちらも購入。

コード進行とかアレンジとかではなくもっとプリミティブなもっと原始的な物を置くところで共鳴する感じ。社会を忘れさせる音楽というか、音楽の枠から飛び出した魂の逍遙のひととき。

四万十川と仁淀川があるだけで生きられそう。高知の人はえいのう。
posted by 平井 吉信 at 13:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草