2023年02月19日

千変万化の光と海 田井ノ浜と由岐のまちにある「あしづりの丘」


徳島県東部や南部に住んでいる人なら誰でも行ったことがあるのが田井ノ浜海水浴場だろう(由岐町)。水質が良いとされる海水浴場で、いまは高規格道路の由岐I.Cを降りてすぐと行きやすくなった。夏場はJR牟岐線に田井ノ浜臨時駅が開設される。駅を降りたらそこは砂浜という立地の良さ。鉄道写真が好きな人なら絶好の撮影場所となっている。
→ 田井ノ浜のタグ
いくつかの記事
http://soratoumi2.sblo.jp/article/190183627.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187504178.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186278611.html

田井ノ浜 手前が田井川の河口部
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田井ノ浜は渚そのものだけでなく見どころがある。渚の北に流れ込む田井川に咲くハマボウや湿地などの生態系、渚から半島(丘)を超えた南は木岐の漁港、そしてとても落ち着ける渚の散策路がある(これらはこのブログで何度も紹介しているところ)。

今回は初めて渚の北の半島(丘)から田井ノ浜を眺めてみる。地名がわからないので紹介しにくいが、現地を訪れてみると「あしづり展望台」の標記があったのでこれに従う(足摺岬では「あしずり」なので「あしずり」の誤記ではないかとも思われるのだが。足摺とは摺り足で歩かないと危ないぐらいの意味だろう。「あしづり」だと足がぶら下がる?)

→ 電子国土を閲覧

国土地理院の地形図からは3方向からの散策路があることがわかる。田井ノ浜の駐車場に車を置いて南に向かって道路を歩き始めるとほどなく「あしづり展望台」の案内と登り口がある。
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散策路は階段で整備されていて普段着のまま来られる。この雰囲気は日和佐の四国のみちとも似ている。海岸性照葉樹の森を海を崖下に見ながら歩みを進める。
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振り返ると田井ノ浜の全景
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椿はこの時期ならどこでも
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歌碑(と思う)があるが読めない。月夜に小舟を漕ぎ出でて月がおだやかに水面に揺れるさまを歌っている?(想像&創造的意訳)
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地図で見ても距離がない。由岐のまちへ降りる分岐を通り過ぎてさらに南下すると展望台に着く(標高約50メートル)。ここで海を眺める。
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天候は曇り。その合間に薄日が射すことが希にあるという状況。でもこれがおもしろい。空と海が刻一刻と万華鏡のように遷移する。

シャッターを押して数秒後にはこの光はもうない。蒼にび色の遷移を空と海が微視的にも巨視的にも見せてくれる(魅せてくれる)。ただたたずむだけ。
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田井ノ浜の遠景。田井ノ浜臨時駅を降りたら渚という構造がわかる
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由岐漁港の突端
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由岐漁港の沖合4kmに浮かぶ箆野島(ぬのしま)
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追記
道中で見かけたシハイスミレ。花弁の色が濃いのが特徴。かれんな媚態でもう釘付けになってしまう。葉の裏が緑色でヒナスミレにも似ているが、ミドリシハイスミレと同定
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(フジX-T2+XF23mmF1.4 R、フジX-T30+XF35mmF1.4 R。準広角と標準だけで事足りる。遠景の拡大はニコンD7200+AF-S 70-200mm f/4G ED VR)



posted by 平井 吉信 at 11:51| Comment(0) | 里海

「海を抱きしめて」 おぼえていますか


湘南あたりを舞台に放映されていた昭和の学園ドラマで番組の終わりで中村雅俊の歌が流れる。
主人公たちとドラマの回想をしているような気分になりつつも、明日からの現実が交錯する数分間。

生きていくことがいやになるようなとき心が独白するとき、人は海に浸る。

幼な児よりも ひたむきに遠い名前を叫んで…



加山雄三にも「海その愛」という名曲がある。
海に抱かれて男ならば

どこか現実離れしているようで、夢を見続ける生き方に徹することができた希有の人。

バート・バカラックが残した名曲の数々のなかで、ぼくにとってひときわ身近に感じる曲が「Raindrops Keep Fallin' On My Head](雨にぬれても)。
Because I'm free Nothing's worrying me


この曲の世界観も近いと感じる。歌詞も楽曲も歌も子ども心にしみ通った。歌っている人は味があるけど苦しそうだな、歌うまくないなと思っていたら、2023年になって知ってしまったこと―B. J. トーマスが録音直前に風邪を引いて声が出なかったとか。でも「free」と何かを吹っ切るように声を響かせるところが好きだ。

明日をも知れぬ社会を前を向いて歩いて行くのだから、心に寂しさや切なさをたたえたまま微笑んでいる人間の姿勢。ロシア兵にもウクライナ兵にも届けたい気がする。

さて写真は「海を抱きしめて」の着想で選んだ。
このブログを愛読されている方にはどこかおわかりの場所でしょうけど。
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汗ばむ心潮風が 洗うにまかせれば
いつのまにか生きることが
また好きになるぼくだよ


posted by 平井 吉信 at 00:05| Comment(0) | 音楽

2023年02月18日

桃が力強い その根元でニオイスミレがつんと咲く


今年はかつてないほど桃の花の勢いがある。樹勢が盛りを迎えているのだろう。花も多ければ色も濃い。それでいて軽々咲いている感じ。
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その根元ではいただきもののニオイスミレ
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秋から咲いているノギクもまだ咲き残りがヒイラギの合間から顔をのぞかせる。
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見上げる東の空に太陽がある
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:14| Comment(0) | 家の庭

2023年02月17日

海沿いの散策 人生の黄金の時間はこんな渚に似ている(木岐)


日和佐道路(高規格道路)ができて田井ノ浜のある由岐地区はかなり行きやすくなった。由岐インターを降りて左へ曲がれば由岐のまちと由岐駅、右へ曲がれば田井ノ浜、さらに木岐の集落へと続く。

木岐には満石神社(みついしじんじゃ)というイボにきくといわれる神社がある。この神社の前の井戸の水がそうなのだというが、成分分析では有効成分は認められないというから不思議だ。

木岐の漁港から海岸沿いの小径を行く
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右手には渚が樹間に見え隠れする。緑に彩られたおだやかな水際。人生がこんな瞬間ならいいのにと思える景観
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さらに歩みを進めるとちょっとした広場に出る。満石神社はその奧にある。
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(ここまでフジX-T2+XF23mmF1.4 R)

でもきょうの物語は神社に行くまでのこの散策路である。フジの標準レンズ(XF35mmF1.4 R)1本で撮ってみた
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光が踊るというのはほんとうにそうかも
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崖と海の小径をたどる詩人になれる
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振り返れば木岐漁港
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寒い日もあるけどどこか冬と違う 三寒四温だね
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漁船が嬉嬉と漁港を出て行くのは木岐だから
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打ち寄せる波 渚の岩に海藻が揺られてはきらめく
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目と鼻の先にある満石神社に立ち寄るまでに小径と渚に釘付けになってしまう ここで弁当を食べた それ以上に良いことってある?
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そうそう 早咲きのシハイスミレが崖のひなたでくつろいでいましたよ
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春はまだかと待つ慎みもあれば 春は来たなと追いかける愉しみもある


posted by 平井 吉信 at 23:35| Comment(0) | 里海

2023年02月11日

かっぱえびせん 淡路島たまねぎのかき揚げ味 なんだ、これは


ふと立ち寄ったキョーエイ(マルナカにもあった)で見つけたのがかっぱえびせんの限定販売。
たまに食べたくなるのがえびせん(定番品ね)。定番スナック菓子のなかで完成度は群を抜いている。

そうそう、今朝ラジオをかけていたら、オトコは定番を好む(変化を好まない)という心理を説明していた。もともと狩猟がオトコの役割なのでターゲットを設定したらそれ以外は動かない(変化がない)のが安心するらしい。ゴールに向かっての求心力を維持するために変数を減らすということだろう。これはうなづける。

飲食店に行けば注文するものは毎回同じ。同じ季節に同じ場所で同じスミレを見ることに喜びを感じる。だからオトコは限定仕様には興味がないし髪を切る店を変えない(オンナはときどき気分を変えて店を変えるそう)。

飲食店はコロナでもっとも影響を受けた業種だけど、たくさんの経営者の話を聴いていると傾向が見えてきた。立地でいえば郊外の店のほうがやや影響が少ない。繁華街はエリアごと撃沈して人が戻ってこないのだろう。まあこれは当然と思うが、ぼくが注目したのはある経営者から聞かされた傾向。

飲食店といえば女性をターゲットに店づくりをして誘因する傾向があり、男性はそれに付いてくると考えられている。だから多くの飲食店が女性を意識して店をつくりこむ。確かに女性は身の回り3メートルによく気が付くという。メニューも立体感のある盛り付けとか少ない量の小鉢が多く付いてくるとかで女性を喜ばそうとする。量は少なめでも気のきいた演出感があるなど。

ところがそんな店がコロナで苦しんでいるというのだ。むしろ男性の固定客が多い店はコロナで影響が少なかったという。これもおおいにわかる。頻繁に来るオトコ客は同じ席に座って静かに決まり切ったメニューを注文して満足して帰る。一種のルーティンだ。男性の一人客は決して浮気をしないのだ。だから男性の一人客を大切にしている店はコロナでも影響を受けなかったという。

わかるな、これ。出張先などでカフェにひとりで入っていくときのばつの悪さ。入口で店主や店員さんに男性ひとりだけど入ってもいいですか?と必ず尋ねる。まわりに女性たちが陣取る席の取り方にも気を使うので店側が「こちらに」と案内してくれると気が楽になる。女性にとって居心地の良い空間なのだろうけど、オトコひとりはなんだか落ち着かない。だから食べ終わると8秒程度で席を立つ。勘定を済ませながら食事の感想(ひとことぐらい)と礼を言って立ち去り、店を出ると借りてきたネコ状態から自分に戻っている。そうでしたね。

前置きが長くなりました。定番ではなく限定のかっぱえびせんについてです。
袋を空けた途端、香りについて書きたくなった。香ばしさがひときわ際立っている。なんだかうまみやら豊かさやらが袋からたちこめてくる。皿に盛って花を近づけるとさらに納得。旨味成分がメイラード反応で引き出されたまま封印しました、という感じ。

ごめん、商品名を書いてなかった。
「かっぱえびせん 淡路島たまねぎのかき揚げ味」
https://www.calbee.co.jp/products/detail/?p=20221219133247
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瀬戸内海産天然えび100%を使用した生地に、淡路島たまねぎ、徳島県産すじ青のりを使用だとか。(たまねぎパウダーには淡路島たまねぎを60%使用、徳島県産すじ青のりを0.09%使用)。

こんなにおいしい食べ物ってあるの?と驚いた。飲み物は炭酸水がいいと思う。ぼくは自作梅酒を炭酸水で割る。このところ海(里海)の話題で記事を綴っていたからタイムリー。

想像力も働かせて書くけど、限定のこの商品がこれほどおいしいということは、定番商品の製法もかつてと変更、改良されていると感じる。ぼくにとっては感動レベルの商品だった。物価が高くなっておやつも買いづらいこのところだけれど、100エンぐらいで買えるのだから庶民の味方。アメリカならこれは300円以上だなと思ったけれど。安くて高品質でおいしいというのが貧しきニッポンの象徴なんだろうな。3月中旬までの販売だとか。

追記
ここまで書いて定番のかっぱえびせんはどうなんだろうと思って買ってみた。
違う。手が伸びていかない(理由はわからなくても身体は反応している)。
粉っぽい。香りがあまりない、というのは後付けの理由かもしれないけれど
突き抜けた幸福感はなかった(カルビーさん、ごめん)。
今回の限定版の完成度の高さを改めて確認した次第。

posted by 平井 吉信 at 01:40| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

吠えたい夜


吠えたくなる寸前である。国から身近なところに至るまで政治の劣化が度を過ぎている。国はマスクをはずせという(そうは言ってはいないが、一般大衆はそうは受け取らないことを知ったうえで計算してメッセージを出している)。

物価が上がり原材料が上がり、購買力が落ちているから価格を上げたら売上が落ちる。さらに小規模事業者やフリーランスをインボイスが直撃する。

仮に売上800万円のWebデザイナーがいたとしよう。取引先は法人がほとんどだから、望むと望まざるとに関わらず適格請求書発行事業者にならざるをえない。そして簡易課税を選択するとして消費税納税額は40万円となる。数年間は多少の緩和措置はあるものの、この負担感は大きい。益税ではないか、とうが、固定費がかからないことを価格に反映させているのが小規模事業者。その批判は当たらない。

コロナで苦境に陥って10万円とか20万円とかの給付を受け取っていたとしても、来年からは40万円の納税がプラスされる。仮にインボイスを選択しなければ消費税相当の値引きを迫られるだろう。すると前年と同じであっても売上は80万円の減少となる。Webデザイナーでも職業写真家でも著述業でも同じだ。インボイスに対応しちゃダメだよ。

コロナでは感染者の2%ぐらいが亡くなっているのではないだろうか。ぼくも身近な人を数人失っている。風邪とは違うのである。感染時は軽症に終わったが、その後長く続く後遺症で仕事を続けられない人も少なくない。感染を防ぐ最善策は換気とマスクであることはどの専門組織でも否定しない。換気なら1人1時間50立米を入れ替える全熱交換器がない職場で働くのは怖いよ。コロナが収束しないのは感染対策についての科学的な根拠を学ぼうとせず、勝手な解釈で徹底してやらない人間がいるからだよ。

マスクは付けても付けなくてもよいのなら、ワクチンなど無理に受ける必要はない。接種率が上がっても感染率は下がるどころが上昇していることから集団免疫が幻想であることが露呈している。ウイルスの変異で当初とは別物になっているし、mRNAワクチンの安全性も疑わしい。マスクを付ける付けないは個人の選択肢という前提で、お好みでどうぞと国が誤ったメッセージを発している。だとしたら、消費税は払いたければ払えばよいし、払いたくなければ払わない。マイナンバーは取得したければ取ればよいし、個人情報の紐付けを避けるのであれば取得しない。

そもそも個人情報は自分で管理するもので国が管理するものではない。国が個人情報にアクセスするときは許可を求めるべきだし、その際に拒否することもできる。国民の個人情報を外部から守れるセキュリティを政府が持つとは思えないし、ハッカーより政府が悪用しそうだ。SNSを通じて情報統制しようとしていることすらすでにばれている。オリンピックなどこの国では未来永劫やらない。甘い汁の原資は税金だろ。

おとなしく政治家のいうことを聴く国民になって貧しく不幸になりたければこの元凶をつくりだした自公を支持せよということだ。軽減税率やらインボイスやら(需要の先食いに過ぎない無意味な)商品券やらは公明党の十八番。これに小規模事業者や苦しめられている。維新や立民も同類だろう。

もっと単純に、もっとわかりやすく、もっと力強く、政治がめざすべきは人々の幸福である、とどうして言い切らないのか。ぼくがそう思うようになったのはブータン政府の一行から説明を受けてシンプルでわかりやすい行政の姿に感銘を受けたから。暮らしの満足度を8つぐらいの指標でアンケートを取ってそれが向上することを目標としているとのこと。わかりやすい。

これは実話だが徳島では有名な食品メーカーにベトナムからやってきて就職した男性が「こんな安い給料で日本人はよく我慢しているな」と毒を吐いて辞めていったそうだ(彼の給与は日本人の同僚より高かったらしいのだが)。東南アジアからの旅行者が増えているのは日本は物価が安いから。100エンショップで製造国を見ると半分以上は日本製。かつて100エンショップに日本製などなかったよ。貧しき国、日本。不寛容な国、日本。世界有数の国家であった日本がたった30年で底辺近くにまで落ちたのはどこの政党が政権を握っていたか?

夫婦別姓や同性婚などそれを望む人がいれば、認めるも認めないもなくありのまま存在していればよいじゃないか。認めたら社会が崩壊する? それはないよ。くだらん政治で社会が壊れていくのを目の当たりにしているけれど。株価を上げる政策や円が安くなる政策は国民の貧しさや不幸につながっている。

たまには吠えないと精神の健全性を保てない。吠えるだけではなく選挙という行動で示す。自分だけでなく周りも誘って。政治がこうせよと言われたらその逆をやっていかないと生き残れない、しあわせになれない。なぜなら政治が目指しているのは不寛容で貧しく無知で従順な国民に仕立てて奴隷のごとく搾取することしか考えていないから。否定できる人いないでしょ。防衛費を増やすほど高まるリスク、ほんとうの恐怖は他国の侵略ではなく自国政府の搾取。それより食べ物や水は十分に足りているの? 教育や健康はみんなに等しく機会があるの?

悪に染まらず、時流に流されず、夢と希望を持って生きていく。たとえひとりでも。そう言い聞かせるしかないじゃないか。


posted by 平井 吉信 at 00:57| Comment(0) | 生きる

2023年02月07日

里海のまちなみ 阿南市椿泊 漁港から阿波水軍を源流に持つ集落をたどる 写真編


前項から続く

海沿いのみちに漁港がある
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海が見えなくなると椿泊の集落が始まる DSFT6702-1.jpg

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ところどころに寺社がある 森家歴代を祀った道明寺にはおごそかな雰囲気がある
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墓所の高台から集落と海を見下ろす 椿泊は山と海のわずかな隙間に東西に細長く集落が形成されている
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郵便局があるL字クランクは運転の最難関
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この細い道が手前で90度に曲がっている
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ここを抜けると左手に長い階段を持つ神社が見えてくる。阿波水軍の長、森家の先祖佐田九郎兵衛を祀った佐田神社
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時計台を持つ入口
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長い階段を上がる
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椿泊小学校が見えてくると終点が近づく 相変わらず細い道が直角に曲がる
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小学校を過ぎると燧崎への道は堤防直下 石垣に植物が飾られている
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先端部の突堤に来てしまった
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燧崎への散策路 崖崩れに注意しながら灯台へと向かう
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灯台直下の竜宮神社
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灯台から眺める東の海 正面は舞子島 ここに壮麗な古墳をつくった豪族はやはり海を支配した氏姓だろう
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ところでなぜこの地に阿波水軍の長が拠点としたのか。ぼくは歴史書を繙いていないし水軍に詳しいわけではないが、地政学的に推察してみた。

ここは四国の東端蒲生田岬の近くである。江戸や土佐から大阪や瀬戸内海、あるいは阿波をめざす船は必ず見つけられる。晴れた日には対岸の和歌山の建物を視力の良い人なら見分けられるが、紀伊水道を横切る船団はさらに識別しやすい。夜陰に紛れて航行するには座礁の危険がある。なにより友ヶ島水道や鳴門海峡を案内人なしに夜間に通過できるとは思えない。以上は防御や見張りの観点からの利点である。

次に阿波水軍が出航することを考えてみる。徳島や大阪には黒潮に乗って出航すればたどり着きやすい。江戸に向かうにも徳島や鳴門から出るよりは距離が短くなる。背後に山を従えているので冬の季節風(北西)をさえぎることができ、時化の際には椿泊湾の奧へ待避できる。橘湾の内湾性の魚と黒潮流れる外洋性の魚が狙える。ワカメ、アラメ、アンロクといった海藻も採れる。

徳島にいる藩主からの招集には船運でただちに駆けつけられるが、陸路からは適度な距離を置くことができる。これは窮屈でない立ち位置ではなかろうか。以上が水軍を椿泊に置く利点として考えてみたのだがどうだろう。

そんなことを考えながら来た道を戻っていると夕暮れとなった。
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椿泊の海は西方浄土の光景を鎮めるように湾の奥に残照。
posted by 平井 吉信 at 22:01| Comment(2) | 里海

2023年02月05日

里海のまちなみ 阿南市椿泊 漁港から阿波水軍を源流に持つ集落をたどる 序章


阿南市の橘湾は阿波の松島にも例えられる多島海である。
橘湾の北には那賀川、桑野川が流れ込み、淡島海岸、北の脇といった海浜を形成する。
湾の最奧部には橘のまちと橘港がある。
橘港は小勝島を控えた天然の良港である。その小勝島には四国電力の石炭火力発電所が2000年7月から発電を開始。この火電が阿南市の経済を潤したのは間違いない(電源立地地域対策交付金)。

橘湾の内湾部には打樋(うてび)川、福井川、椿川が流れ込み、その下流部が海進を受けて入り江を形成。いわゆる溺れ谷、リアス式海岸(現在ではリアス海岸)である。

阿南市の人口密集地を持ち、湾の奧では停滞することから橘湾、椿泊湾はときおり赤潮が発生する。ぼくの認識では蒲生田岬を境に水質が変化すると考えている。

徳島県と和歌山県の間に広がる紀伊水道は、幅約50km、最深部で約70メートル。淡路島との境目にある鳴門海峡、友ヶ島水道では潮の流れが海底が浸食されて水深が紀伊水道より深くなる。前後1kmの川幅を持つ吉野川が岩津橋で150メートルに狭まることで水深は30メートルを超える。このように狭い場所では水を流す断面を確保するため深くなる(河床が低下)。

紀伊水道は浅い海で瀬戸内海と太平洋の接点でもあり、徳島側からも和歌山側からも川の土砂やミネラルが供給されている。紀伊水道は徳島側でやや浅く、特に吉野川、勝浦川、那賀川の吐き出す砂地とミネラルが名産のアシアカエビ(クマエビ)、アカエビ、ハモを育んでいる。

おそらくは黒潮が南南西(時計の7時の方向)から流れ込むこと、蒲生田岬が通せんぼするかたちで張り出していることなどから紀伊水道の和歌山側を黒潮が多く通過するので深くなるのだろう。黒潮の一部は紀淡海峡、鳴門海峡を通過して大阪湾、瀬戸内海へと流入するが、ほとんどは紀伊水道内で反時計回りの流れを形成するのではないか(外へ向かう流れを蒲生田岬が囲い込む)。

蒲生田岬と日御碕を結ぶ線が外洋との境目である。和歌山側はこのラインより黒潮が北上して優勢となるが、淡路島に当たって紀伊水道内で反転流が起こり蒲生田岬で居座る。従って徳島側は内湾性の水といえる。そこにあるのが橘湾、椿泊湾であるから外の水と入れ替わりにくい構造がある。

海底には産業要因によるヘドロの堆積が懸念されるし、栄養塩の供給による有害プランクトンの発生が起こりやすい。見た目にも透明度の高い海の印象はない。水質基準では、椿泊湾はA類型(CODの基準値2mg/l)の海域である。同じ基準値であっても海部郡内の湾と比べて透明度が低い。生活排水の負荷も高いことからCODも海部郡の湾岸より高いだろう。

しかしこのことが漁業にマイナスかといえばそうとばかりは言い切れない。ノリや海藻にはある程度の栄養塩が必要とされる。海に栄養が多いと海藻が増え魚の餌となるプランクトンも増え(行きすぎると赤潮になるが)その結果漁獲高も増えるという関係がある。
ところが近年の人口減少や公害対策、家庭排水対策(合併浄化槽への更新推進)などで栄養塩は少なくなった(海は浄化された)。漁業関係者によっては沖合へ糞尿を計画的に投棄するよう求める意見もあると聴く。

それはともかく、藻場の減少とヘドロの堆積は生態系(ひいては漁業)に悪影響を与える。藻場の減少には貧栄養化よりも温暖化に伴う水温の上昇が大きいのではないか。山では冬を越せなかったシカなどの個体が温暖化で生存率が上がって増加したため、草木はことごとく獣害にあって消滅している。海では水温が上がることで磯にいつく魚種や数が増えたこと、特に藻場減少の犯人としてアイゴを上げる漁師は多い。

アイゴは徳島ではアイノバリとも呼んで背びれに毒を持つ磯魚でその独特の臭みを嫌って流通しにくい魚である(店頭に並ぶアイゴは背びれを切除している。死んでも毒は消えないので注意。ただし肉には毒はない)。
父はアイゴが好きで、お前も来いと何度か同行したのがが徳島の最南端の那佐湾の波止。当時の国道55号線は蛇行しており一部は生活道として集落の間をすり抜けながらであったので那佐湾は世界の果てにあるよう。車に乗せられて車酔いするなどうんざりしたものだが、高校になると自転車で自分で来るようになったから不思議だ。海部川沿いの国道193号線も舗装されていない区間があった。

アイゴ釣りは繊細な釣りだ。小さなアミエビを針に付けて岸壁からウキ釣りで狙う。大きな型はなく20センチ未満。釣れると長靴で踏んで針をはずし、手袋をしてクーラーに入れる。食べてみて磯臭いと思ったことはなく、徳島の県南部ではウツボやヒメチ、カゴカマスなどとともに干物もよく見かける。
→ 徳島出身のぼうずコンニャクさんのアイゴの記事

海藻ではわかめが徳島の名産である。鳴門わかめの定義は以下のようになっている。

本県と香川県との県境から鳴門海峡までの播磨灘沿岸及び鳴門海峡から蒲生田岬までの紀伊水道沿岸で収穫され、県内に水揚げされたわかめ(以下「鳴門わかめ」という。)をいう。

ということで椿泊で水揚げされたわかめも鳴門わかめとして売られている。

もう一度陸地へ話を戻す。橘港を外に出ると椿泊の半島状の地形がリアス式海岸となって地形が一変する。その先端には燧崎と灯台がある。阿波水軍ゆかりの地区で漁村のまちなみで有名である。

燧崎の沖合800メートルには舞子島があり、絶壁に囲まれた無人の島に6世紀末から7世紀初頭と推察される古墳群があって注目される。なぜこんな場所に?との謎が深まるが、海にゆかりの豪族が存在したのではないか。

椿泊のまちは椿泊湾の北岸の山が迫る狭い場所にいくつかの漁港を従えて東西に伸びる集落である。目の前には椿泊湾、湾の対岸にはリゾート気分あふれるかもだ岬温泉、さらに四国の東端、蒲生田岬がある。

壮大な海の概観のあと、いよいよ人の暮らしに入っていく。今回は橘湾の奥座敷といえる椿泊(つばきどまり)の地区を見ていく。この地区の魅力を教えていただいたのは県南部にお住まいでエリアを隅々まで足跡を残している和那佐彦さんである。事前に情報をいただいて地区に入っている。

椿泊地区といえば、ほとんど足を踏み入れたことがない人が多い。その理由は狭い道路である。椿泊のまちなみを見て椿泊の漁港や椿泊小学校、さらには先端の燧崎まで足を伸ばそうとしたら逃げ道のない路地を運転する必要がある。

漁港が連なり漁協があり民間の水産会社がある椿泊は漁業のまちである。竹内水産のシラスは県内ではどこのスーパーでも入手できる。わかめも比較的良質のものを産する。

地元の人はまだいい。慣れているので車がどこにさしかかるとどれだけハンドルを切るかを身体で覚えているし、すれ違いができそうにないところですれ違うコツを知っているから。

でも地区の外からの訪問者が集落に車を入れるのは止めたほうがいい。椿泊漁協まではトラックでも入れるが、そこから先、竹内水産から奧へは軽自動車でも狭いと感じる。なにせ手を伸ばせば(伸ばさなくても)家屋や壁が車のすぐに迫るのだから。道を知り尽くし車幅感覚を1センチで見切れる人であれば、全幅1.7メートル、全長4.3メートルまでが限度だろう(数カ所あるL字のクランクでは全長もきいてくる。消防車、宅配便、引っ越しの車、救急車などはどのように入っていくのだろう?)

以上のことを知ったうえで漁協に行くまでの十分に広く地元に邪魔にならないと思われる場所に車を置いていく。すると先端の燧崎まで4〜5kmの道程でほどよい散歩コースとなる。今回はこのコースで椿泊の集落を見ながら燧崎まで行くことにする。半島の南側、椿泊湾に面したルートである。ちなみに半島の北側のリアス式海岸の地区を地元では「うしろ」と呼んでいるらしい。それでは行ってみよう。





タグ:阿南市
posted by 平井 吉信 at 00:45| Comment(0) | 里海

2023年02月04日

今朝の庭


前日と同じような構図だけどやはり見入ってしまう。
ま、写真も撮っておこうと。
周辺の草木も含めて。
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(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 11:05| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年02月03日

いつまでも「大切な言葉」燕奈緒美・燕真由美 


だれかを好きになる。
悶々とした日々を過ごす。

意を決して前を向く。そして動く。
……報われなかった。

失恋はこころの栄養になるはず。そのときはつらくても。
失恋の手前は苦しさの極大、そうでありながら甘美のきわみ。
もしかして叶うのではないか、もしかして…

そんなことを何度か、何度か。いや、何度も重ねて。
それは人が生きる試練というより、しあわせに近づくみちなかば。

歌にしてみたらこうなった。
「大切な言葉」
燕奈緒美・真由美姉妹の1985年の作品。

失恋のラブソングの理想を描いたような
失恋の体験を同調同期して共感の振れ幅を大きくする楽曲。
ラブソングを10曲選ぶとしたら、ぼくは選ぶ。
普遍的でどんな人の胸にも響くだろうこの曲を。

燕真由美さん、2023年1月24日ご逝去。
ザ・リリーズとして姉妹で活動を始めた頃、ぼくは知らなかった。ヒット曲「好きよキャプテン」を。
この楽曲はリリーズ名義ではなく、二人の名前を並べてクレジットされている。
そしてこの王道のラブソングは現在いかなるパッケージメディア、配信でも入手できなくなっている。

手持ちのシングル盤 ビクター音楽産業から発売
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レコードはいいよね
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久しぶりにターンテーブルを回そうにもアーム直出しの出力コードでアース線が断線している。
MCカートリッジのダンパーも動くのだろうか。

忘れないあなたから贈られたあの大切な言葉(ワンワード)
永遠にせつなくて……


この曲をうたってくれた燕姉妹をぼくは忘れない。

動画配信サイトで聴いてみてください。
燕奈緒美・真由美−大切な言葉(ワン・ワード)
posted by 平井 吉信 at 21:59| Comment(0) | 音楽