阿南市の
橘湾は阿波の松島にも例えられる多島海である。
橘湾の北には那賀川、桑野川が流れ込み、淡島海岸、北の脇といった海浜を形成する。
湾の最奧部には橘のまちと橘港がある。
橘港は小勝島を控えた天然の良港である。その小勝島には四国電力の石炭火力発電所が2000年7月から発電を開始。この火電が阿南市の経済を潤したのは間違いない(電源立地地域対策交付金)。
橘湾の内湾部には打樋(うてび)川、福井川、椿川が流れ込み、その下流部が海進を受けて入り江を形成。いわゆる溺れ谷、リアス式海岸(現在ではリアス海岸)である。
阿南市の人口密集地を持ち、湾の奧では停滞することから橘湾、椿泊湾はときおり赤潮が発生する。ぼくの認識では蒲生田岬を境に水質が変化すると考えている。
徳島県と和歌山県の間に広がる紀伊水道は、幅約50km、最深部で約70メートル。淡路島との境目にある鳴門海峡、友ヶ島水道では潮の流れが海底が浸食されて水深が紀伊水道より深くなる。前後1kmの川幅を持つ吉野川が岩津橋で150メートルに狭まることで水深は30メートルを超える。このように狭い場所では水を流す断面を確保するため深くなる(河床が低下)。
紀伊水道は浅い海で瀬戸内海と太平洋の接点でもあり、徳島側からも和歌山側からも川の土砂やミネラルが供給されている。紀伊水道は徳島側でやや浅く、特に吉野川、勝浦川、那賀川の吐き出す砂地とミネラルが名産のアシアカエビ(クマエビ)、アカエビ、ハモを育んでいる。
おそらくは黒潮が南南西(時計の7時の方向)から流れ込むこと、蒲生田岬が通せんぼするかたちで張り出していることなどから紀伊水道の和歌山側を黒潮が多く通過するので深くなるのだろう。黒潮の一部は紀淡海峡、鳴門海峡を通過して大阪湾、瀬戸内海へと流入するが、ほとんどは紀伊水道内で反時計回りの流れを形成するのではないか(外へ向かう流れを蒲生田岬が囲い込む)。
蒲生田岬と日御碕を結ぶ線が外洋との境目である。和歌山側はこのラインより黒潮が北上して優勢となるが、淡路島に当たって紀伊水道内で反転流が起こり蒲生田岬で居座る。従って徳島側は内湾性の水といえる。そこにあるのが橘湾、椿泊湾であるから外の水と入れ替わりにくい構造がある。
海底には産業要因によるヘドロの堆積が懸念されるし、栄養塩の供給による有害プランクトンの発生が起こりやすい。見た目にも透明度の高い海の印象はない。水質基準では、椿泊湾はA類型(CODの基準値2mg/l)の海域である。同じ基準値であっても海部郡内の湾と比べて透明度が低い。生活排水の負荷も高いことからCODも海部郡の湾岸より高いだろう。
しかしこのことが漁業にマイナスかといえばそうとばかりは言い切れない。ノリや海藻にはある程度の栄養塩が必要とされる。海に栄養が多いと海藻が増え魚の餌となるプランクトンも増え(行きすぎると赤潮になるが)その結果漁獲高も増えるという関係がある。
ところが近年の人口減少や公害対策、家庭排水対策(合併浄化槽への更新推進)などで栄養塩は少なくなった(海は浄化された)。漁業関係者によっては沖合へ糞尿を計画的に投棄するよう求める意見もあると聴く。
それはともかく、藻場の減少とヘドロの堆積は生態系(ひいては漁業)に悪影響を与える。藻場の減少には貧栄養化よりも温暖化に伴う水温の上昇が大きいのではないか。山では冬を越せなかったシカなどの個体が温暖化で生存率が上がって増加したため、草木はことごとく獣害にあって消滅している。海では水温が上がることで磯にいつく魚種や数が増えたこと、特に藻場減少の犯人としてアイゴを上げる漁師は多い。
アイゴは徳島ではアイノバリとも呼んで背びれに毒を持つ磯魚でその独特の臭みを嫌って流通しにくい魚である(店頭に並ぶアイゴは背びれを切除している。死んでも毒は消えないので注意。ただし肉には毒はない)。
父はアイゴが好きで、お前も来いと何度か同行したのがが徳島の最南端の那佐湾の波止。当時の国道55号線は蛇行しており一部は生活道として集落の間をすり抜けながらであったので那佐湾は世界の果てにあるよう。車に乗せられて車酔いするなどうんざりしたものだが、高校になると自転車で自分で来るようになったから不思議だ。海部川沿いの国道193号線も舗装されていない区間があった。
アイゴ釣りは繊細な釣りだ。小さなアミエビを針に付けて岸壁からウキ釣りで狙う。大きな型はなく20センチ未満。釣れると長靴で踏んで針をはずし、手袋をしてクーラーに入れる。食べてみて磯臭いと思ったことはなく、徳島の県南部ではウツボやヒメチ、カゴカマスなどとともに干物もよく見かける。
→ 徳島出身の
ぼうずコンニャクさんのアイゴの記事海藻ではわかめが徳島の名産である。
鳴門わかめの定義は以下のようになっている。
本県と香川県との県境から鳴門海峡までの播磨灘沿岸及び鳴門海峡から蒲生田岬までの紀伊水道沿岸で収穫され、県内に水揚げされたわかめ(以下「鳴門わかめ」という。)をいう。
ということで椿泊で水揚げされたわかめも鳴門わかめとして売られている。
もう一度陸地へ話を戻す。橘港を外に出ると椿泊の半島状の地形がリアス式海岸となって地形が一変する。その先端には燧崎と灯台がある。阿波水軍ゆかりの地区で漁村のまちなみで有名である。
燧崎の沖合800メートルには舞子島があり、絶壁に囲まれた無人の島に6世紀末から7世紀初頭と推察される古墳群があって注目される。なぜこんな場所に?との謎が深まるが、海にゆかりの豪族が存在したのではないか。
椿泊のまちは椿泊湾の北岸の山が迫る狭い場所にいくつかの漁港を従えて東西に伸びる集落である。目の前には椿泊湾、湾の対岸にはリゾート気分あふれるかもだ岬温泉、さらに四国の東端、蒲生田岬がある。
壮大な海の概観のあと、いよいよ人の暮らしに入っていく。今回は橘湾の奥座敷といえる椿泊(つばきどまり)の地区を見ていく。この地区の魅力を教えていただいたのは県南部にお住まいでエリアを隅々まで足跡を残している和那佐彦さんである。事前に情報をいただいて地区に入っている。
椿泊地区といえば、ほとんど足を踏み入れたことがない人が多い。その理由は狭い道路である。椿泊のまちなみを見て椿泊の漁港や椿泊小学校、さらには先端の燧崎まで足を伸ばそうとしたら逃げ道のない路地を運転する必要がある。
漁港が連なり漁協があり民間の水産会社がある椿泊は漁業のまちである。竹内水産のシラスは県内ではどこのスーパーでも入手できる。わかめも比較的良質のものを産する。
地元の人はまだいい。慣れているので車がどこにさしかかるとどれだけハンドルを切るかを身体で覚えているし、すれ違いができそうにないところですれ違うコツを知っているから。
でも地区の外からの訪問者が集落に車を入れるのは止めたほうがいい。椿泊漁協まではトラックでも入れるが、そこから先、竹内水産から奧へは軽自動車でも狭いと感じる。なにせ手を伸ばせば(伸ばさなくても)家屋や壁が車のすぐに迫るのだから。道を知り尽くし車幅感覚を1センチで見切れる人であれば、全幅1.7メートル、全長4.3メートルまでが限度だろう(数カ所あるL字のクランクでは全長もきいてくる。消防車、宅配便、引っ越しの車、救急車などはどのように入っていくのだろう?)
以上のことを知ったうえで漁協に行くまでの十分に広く地元に邪魔にならないと思われる場所に車を置いていく。すると先端の燧崎まで4〜5kmの道程でほどよい散歩コースとなる。今回はこのコースで椿泊の集落を見ながら燧崎まで行くことにする。半島の南側、椿泊湾に面したルートである。ちなみに半島の北側のリアス式海岸の地区を地元では「うしろ」と呼んでいるらしい。それでは行ってみよう。
posted by 平井 吉信 at 00:45|
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